クリミア問題から「従米」と「自主」を考える 週刊プレイボーイ連載(141)

ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが併合したことが重大な国際問題になっています。

ロシアのプーチン大統領は、住民投票によって圧倒的多数がロシアへの編入を支持したのだから「完全に民主的で合法的だ」といいます。しかし国の憲法や法律を無視して各地域が勝手に住民投票を行ない、独立や他国への編入を決めるのでは、近代を支える主権国家の仕組みの全否定になってしまいます。欧米諸国が「併合はぜったいに受け入れられない」とするのは当然です。

しかしその一方でクリミア半島が複雑な歴史を抱えていて、「ロシアの侵略」と単純に決めつけられないのも確かです。ヨーロッパでも危機感が強いのはポーランドなど東欧の国で、ロシアとの経済的な関係が強いドイツでは「旧ソ連邦の特殊な出来事」として制裁に消極的な意見が多数派のようです。

クリミア半島をめぐる争いは、政治が権力闘争だということをよく示しています。権力者が政治的決断をするときに考えるのは、次の3つのことです。

(1)国益を最大化する

(2)自分の権力基盤を強化する

(3)政敵の権力基盤を弱体化させる

政治家はこれらの複雑な組み合わせの中から、功利主義的に最大の利益を獲得する選択を行ないます。このときもっとも重要なのは自分の権力基盤で、国益はしばしば二の次になります。外交上の判断がどれほど正しくても、権力を失ってしまえば意味がないからです。

そう考えると、国民がクリミア併合に熱狂する中で、プーチンにはそれ以外の選択肢はありませんでした。欧米の首脳もそれはわかっていますが、併合を容認することはできず、世論を見ながら着地点を探ろうとしているのでしょう。

日本にとってクリミア半島は安全保障になんの関係もなく、対岸の火事でしかありません。またロシアとの間には北方領土問題を抱え、平和条約も締結していません。欧米諸国とは条件が異なる以上、追及する利益にも違いが出るのは当然でしょう。

もっとも無難な政治判断は、欧米と歩調を合わせてロシアの制裁に参加することです。これはリスクはありませんが、ロシアとの関係は冷え込むでしょう。

それとは別に、欧米と距離を置き、ロシアに貸しをつくって北方領土交渉を進めるという政治判断も考えられます。こちらは米国の強い反発を招くでしょうが、領土問題に決着をつけて平和条約を締結できれば歴史に名を残す偉業になるのは間違いありません。

近頃は日本の外交を「対米従属」と「自主」に分類し、レッテルを貼るのが流行っています。この視点ではロシアへの制裁が「従米」、併合容認が「自主」ということになるでしょう。

しかしいうまでもなく、このようなレッテル貼りになんの意味もありません。「従米」か「自主」かは政治家個人のイデオロギーではなく、その時々の状況で功利的に決まるからです。

ウクライナの政治家たちも、「従ロシア」と「自主」の間で複雑なゲームを行なっています。他国の政治は客観的に観察できても、自分の国になると陰謀史観にとらわれる――悲しいけれどこれが人間の性なのでしょう。

  『週刊プレイボーイ』2014年3月31発売号
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“裏切り者探し”ほど楽しいゲームはない 週刊プレイボーイ連載(140)

かんたんなクイズです。

「テーブルの上にA、K、4、7と書かれた4枚のカードが置かれています。カードの裏にも、同じようにアルファベットと数字が書かれています。このとき、“母音の裏には必ず偶数がある”というルールが成り立っているかどうかを確かめてください。ただし、カードは2枚しかめくれません」

この問題は、論理学の対偶を知っているとすぐに解けます。“PならばQである“という肯定式と、その対偶である“QでないならばPでない”という否定式は常に真偽が等しいはずです。「表が母音なら裏は偶数」の対偶は、「表が奇数なら裏は子音」ですから、母音の“A”で肯定式を、奇数の“7”で否定式を調べてみればいいのです。

では次のクイズです。

「あなたは居酒屋の店員で、4人の若者がビールとコーラを飲んでいます。若者は胸に番号札をつけていて、あなたは手元の名簿で彼らの年齢を知ることができます。このとき、店長から“未成年者に酒を飲ませてはいけない”といわれたらあなたはどうしますか?」

これは、すこし考えれば誰でも正解にたどり着けるでしょう。ビールを飲んでいる客が成人しているかどうかを調べ、名簿にある未成年がなにを飲んでいるかを確認すればいいのです。コーラを飲んでいる客の年齢を調べたり、成人している客の飲み物をチェックしてもなんの意味もありません。

ところでこの2つは、実はまったく同じ問題です。“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という肯定式の対偶は、“20歳未満ならビールを飲んではならない”という否定式ですから、ビールを飲んでいる客の年齢と、20歳未満の客の飲み物を調べればいいのです。

しかし「居酒屋問題」に即答できるひとも、抽象度の高いクイズには戸惑います。これは私たちが、同じ問題を別の方法で解こうとしているからです。

「居酒屋問題」は、“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という掟があり、それに違反している者を見つけるというゲームです。私たちは論理学や対偶などなにひとつ知らなくても、このような「裏切り者」をたちまちのうちに探し出すことができます。

ヒトは石器時代からずっと集団の中で暮らしてきました。利己的な人間が集まる集団に秩序をもたらすためには、ルールに違反した裏切り者を素早く見つけて処罰しなければなりません。このようにして脳は、進化の過程の中で“裏切り者感知システム”を高度化させてきたのです。

道徳というのは正義をめぐる感情で、喜びや悲しみと同様に進化のなかでつくられてきました。私たちは集団の中から裏切り者を探し出し、バッシングするのが大好きです。この社会で起きる不愉快な出来事の多くは、多数派の大衆がこれを“正義”の名において行なうことが原因ですが、ヒトがヒトであるかぎり私たちはこのやっかいな性癖から逃れることはできないのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2014年3月24発売号
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フクシマの悲劇を正しく語り継ぐのは難しい 週刊プレイボーイ連載(139)

足元にある深いプールの底に四角い影が漂っています。まわりでは全面マスクに白の防護服を着た作業員が忙しく立ち働いています。ここは福島第一原発4号機で、私が眺めていたのは使用済核燃料を納めたラックでした。プールには1500体を超える大量の使用済核燃料が保管されていて、現在、その移送作業が行なわれているのです。

2011年3月11日の東日本大震災で巨大な津波が原発を襲い、運転中だった1号機、2号機、3号機が電源機能を喪失、次々とメルトダウンを起こします。その間、定期点検で原子炉が稼動していなかった4号機のことは誰も気にしていませんでしたが、3月15日の朝に突然、壁の一部が崩落して火災が起きていることが発覚します。

この火災について米国の専門家が、地震によって燃料プールが破壊され、使用済核燃料が露出して崩壊熱を発しているのだと主張しました。1500体もの核燃料が一挙に崩壊すれば膨大な放射性物質が飛散し、首都圏にもひとが住めなくなるという警告に日本じゅうがパニックに陥ります。しかしその後、幸いなことに、4号機のプールに水が残っていることが確認され「日本壊滅」は免れたのです。

その4号機は燃料取り出し用のカバー鉄骨が組まれ、すでに400体の核燃料を回収し、年末までに作業を終える予定だといいます。震災後3年たって、その作業を私のような門外漢が見学できるようになったことだけでも感慨深いものがあります。

1日平均400トンの地下水が流入する汚染水問題はあいかわらず深刻ですが、トラブルが続いていたALPS(多核種除去設備)がようやく継続運転できるようになり、水漏れしにくい溶接型タンクの増設も急ピッチで進んでいます。原子炉の底に溶け出した核燃料の取り出しには技術的な難問が山積しているものの、炉内の状況は冷温停止で安定しています。隣接する3号機でも、建屋の爆発によってプールに沈んだ大量のがれきを撤去する作業が始まっていました。

こうした説明を、「原発再稼働を目論む東電の陰謀」と一蹴するひとはいるでしょう。もちろん東電は親切で私に現場を見せてくれたのではなく、都合の悪いことを隠しているのかもしれませんが、ここでいいたいのは別のことです。

「フクシマ」を「ヒロシマ」と並ぶ人類の愚かさが生んだ悲劇と見なすひとは、原発事故の恐ろしさと放射能の恐怖を歴史に刻み込むべきだといいます。悲劇は大きければ大きいほど“人類への教訓”になるのですから、廃炉作業や汚染水対策がそうかんたんに成功してはならないのです。

悲劇の規模が物語のなかで増殖していくのはよくあることですが、それにも理由はあります。被災者に家族や友人でもいないかぎり、ほとんどのひとはもう原発事故に大きな関心を持っていません。そんな彼らが東電の説明を聞けば、「思っていたよりうまくいってるんだ。だったらどうでもいいや」と思うだけでしょう。

福島第一原発では現在、4000人もの作業員が放射線に被ばくしながら困難な作業に従事しています。私たちはこのひとたちの仕事を正当に評価し、激励すべきですが、皮肉なことに、彼らが頑張れば頑張るほど彼らの存在は忘れられていくのです。

かくいう私も、窮屈な全面マスクで事故現場を訪れてみてはじめてこのことに気づきました。悲劇を正しく語り継ぐことは、これほどまでに難しいのです。

『週刊プレイボーイ』2014年3月17日発売号
禁・無断転載

*福島第一原発の見学取材はYahoo! Newsの企画に参加したものです。

4号機の燃料プール(提供:Yahoo! News)
4号機の燃料プール(提供:Yahoo! News)
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2号機の海側にはいまだ撤去されないがれきが残る(提供:Yahoo!News)