革命家の理想から「ブラック企業」は生まれた 週刊プレイボーイ連載(169)

牛丼店「すき家」を運営するゼンショーが苦境に立たされています。ワンオペと呼ばれる深夜の1人勤務で人件費を圧縮し、他社が敬遠する郊外に大量出店しながら、24時間営業で格安の牛丼を提供する独特のビジネスモデルが、アベノミクス以降の人手不足で崩壊してしまったからです。

同社は7月に労働環境改善への第三者委員会の提言を公表しましたが、そこで明らかになった勤務実態は衝撃的です。

破綻のきっかけは2月に2度にわたって首都圏を襲った大雪で、店舗から帰宅できず交代要員も出勤できなくなったことでワンオペの48時間勤務が多発し、不満を爆発させたバイトが次々と辞めていきます。それによってクルーを管理するマネージャーがシフトを組めなくなり、自分が店に入らざるを得なくなって業務管理の機能を喪失、ついには正社員が無断欠勤のうえ行方をくらますようになります。こうして3月中旬には、全国約2000店のうち138店が一時休業に追い込まれました。報告書によればこの時期、一般社員の残業時間は平均109時間に達し、月500時間以上働いたり、2週間帰宅できなかった従業員もいたといいます。

ゼンショーの創業者である小川賢太郎社長は、全共闘による安保闘争が始まった1968年に東京大学に入学し、「資本主義社会であるから世界に貧困と飢えが増殖するという矛盾が生じる。この矛盾を解決するために社会主義革命をやるしかない」と信じて東大全共闘に身を投じました。しかし安田講堂の攻防戦に破れて挫折、大学を中退して横浜港の港湾労働者になり最底辺からの革命を目指します。

しかし1975年、ベトナム戦争終結を見て社会主義革命に見切りをつけ、財務管理やマーケティング、法律などを徹底的に勉強した後、78年に「飢餓と貧困をなくす」ための新たな革命の第一歩として吉野家に入社します。

ところがその吉野家は80年にあえなく倒産(その後、再建)。3たび一敗地にまみれた小川氏は、「自分が先頭に立ち、革命を統率するしかない」と決意し、2人の部下を引き連れて82年に新会社を設立しました。ゼンショーという社名には、「今度こそ、絶対に負けない。全戦全勝する」というその時の覚悟が込められています。

いまではブラック企業の筆頭のように扱われていますが、ゼンショーは食の安全に早くから取り組み、すべての食材を徹底的に検査するほか、野菜を仕入れるときはその畑ばかりか、隣の畑や近くに流れている川、その川の源流まで調べるといいます。また北海道に自前の牧場を持ち、子牛から育てて牛肉にするまでの過程を検証し、牛肉のリスクや安全性をすべて把握しようとしてもいます。

ゼンショーの独特のビジネスモデルは、「安全な食事を低価格で提供する」という革命家の理想から生まれたものでした。そのための武器は徹底した効率化で、米国海兵隊の洗脳法を導入し、軍隊をもしのぐ超管理体制で社員やクルーの生産性を極限まで高め、外食産業のトップに立つまでに急成長を遂げたのです。

すき家は深夜のワンオペの解消を約束しましたが人手を確保できず、全店の半数を超える1100店の深夜勤務を休止することになりました。「全戦全勝」の夢が破れつつある10月1日、ゼンショーは社名を「すき家本部」に変えると発表しました。

参考文献:「外食日本一ゼンショー 280円で仕掛ける“メガ盛り生産革命”(飯泉梓)」『日経ビジネス』(2010年9月20日号)

『週刊プレイボーイ』2014年10月27日発売号
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