「高金利・円安・インフレ」のアナザーワールドにようこそ

 

本日発売の『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』の「まえがき」をアップします。

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「強い日本経済を再生する」と宣言した安倍自民党政権の誕生で、「株価や地価が上昇するのでは」という期待と、「なにかとてつもなくヒドいことが起きる」という不安が交錯しています。

安倍首相が信奉する経済政策、すなわちアベノミクスは、どんな手段をとってでも日銀に2%のインフレを実現させる、というものです。

これから実施されるであろう史上例を見ない大規模な金融緩和(リフレ政策)の効果については、経済学者のあいだでも10年以上にわたってはげしい論争(というか罵り合い)が続いています。ある高名な経済学者は、「日銀が市場に大量のマネーを供給しさえすれば日本経済は復活し、経済成長による増収によって財政問題も解決に向かう」と主張します。それに対して別の高名な経済学者は、「デフレは日本経済の構造的な問題で、日銀はすでにじゅうぶんすぎるほど金融緩和をしており、これ以上なにをやっても効果はない」といいます。なかには、「いずれ国債が暴落して財政が破綻し、ハイパーインフレになる」と警告する経済学者もいます。

アベノミクスによって私たちは早晩、この「神学論争」の決着を見ることになるでしょう。いずれの論者が正しくても、そこに待っているのはこれまで経験したことのない新しい世界にちがいありません。

本書では、「アベノミクスによって日本経済はどうなるのか」という問題はいっさい扱いません。神学論争は経済学者にとっては意味があるかもしれませんが、私たちのようなごくふつうの生活者がアカデミズムの迷宮に足を踏み入れたところで仕方がないからです。

大地震や原発事故、戦争や内乱など、未来にはさまざまな不確実性が潜んでいます。経済的な混乱もそのひとつですが、そこにはふたつの大きな特徴があります。

第一に、市場で起きる出来事は将来のシナリオをかなり限定できることです。日本経済の未来には、次の3つに可能性しかありません。

①楽観シナリオ アベノミクスが成功して高度経済成長がふたたび始まる
②悲観シナリオ 金融緩和は効果がなく、円高によるデフレ不況がこれからも続く
③破滅シナリオ 国債の暴落(金利の急騰)と高インフレで財政は破綻し、大規模な金融危機が起きて日本経済は大混乱に陥る

ふたつめは、経済には強い継続性(粘性)かあることです。

仮に③の「破滅シナリオ」が現実のものになったとしても、それは次のような順番で進行するでしょう。

第1ステージ 国債価格が下落して金利が上昇する
第2ステージ 円安とインフレが進行し、国家債務の膨張が止まらなくなる
最終ステージ(国家破産) 日本政府が国債のデフォルトを宣告し、IMFの管理下に入る

書店に行けば「国家破産」のタイトルのついた本が並んでいます。日本国が抱える1000兆円の借金を考えれば、誰も財政破綻の可能性を否定することはできません。

しかしここで指摘したいのは、別の単純な事実です。“危機”は第1ステージから第2ステージ、最終ステージへと順に悪化していくのですから、ある朝目覚めたら日本円が紙くずになっていた、などということはぜったいにありません。

だとすれば私たちは、いたずらに「国家破産」を心配する必要はありません。仮に日本国がデフォルトするとしても、それまでの間に自分と家族を守るための時間はじゅうぶんに残されているのです。

それでは、不確実な未来を前にして私たちはなにをすればいいのでしょうか。

本書のテーマは「リスク」と「ヘッジ」です。

天変地異のような自然災害以外にも、戦争や内乱・テロなど私たちはさまざまな政治的・社会的リスクに晒されています。国家の債務が膨張して制御不能になる財政破綻も、私たちの人生に大きな影響を与える将来のリスクのひとつです。

しかし経済的なリスクには、政治的・社会的リスクとは異なる大きな特徴があります。

あらゆる経済的リスクは、金融市場でヘッジする(保険をかける)ことが可能です。

資産に対して最適なヘッジをかけさえすれば、「国家破産」はなにもこわくありません。

この本は金融取引の経験のあまりない保守的なひとたち、すなわちほとんどの日本人に向けて書かれています。

こうした「臆病な」投資家への私の提案は、日本経済の未来のうち、①「楽観シナリオ」と②「悲観シナリオ」、および③「破滅シナリオ」の第1ステージまでは普通預金こそが最強の資産運用だということです。

もちろん、「破滅シナリオ」の第2ステージである大規模な経済的混乱が起きれば、普通預金だけで資産を守ることはできません。しかしその場合でも、プライベートバンクやヘッジファンドなど「高度な資産運用(といわれているもの)」に頼らなくても、近所の銀行や証券会社(もしくはネット銀行・ネット証券)で売っている3つの金融商品だけでじゅうぶん対応可能です。

金融市場の正しい知識と資産運用の原則さえ知っていれば、「最悪の事態」が起きたとしてもなにひとつ慌てることはないのです。

本書でお伝えしたいことは、第2章から第5章の本文に書かれています。そこだけ読めば基本的な論点はすべてわかるはずですが、疑問な点があれば関連するコラムも合わせて参照してください。コラムはファイナンス理論の基礎を解説したもので、私のこれまでの著作と重なるものもあるので、既読の方は読み飛ばしていただいてかまいません。それと同時に、本文中で紹介した金融商品の詳しい説明をコラムでしています。実際に投資を始める前には、こちらは必ず目を通していただきたいと思います。

金融業は市場を通してデータをやり取りする情報産業で、20世紀後半のICT(情報通信技術)の急速な進歩によって大きく様変わりしました。私が「金融2.0」と呼ぶテクノロジー革命によっていまでは個人投資家と機関投資家の差はほとんどなくなり、どのような相場からでも利益を得ることができます。日本国の財政破綻は株価や為替相場を大きく動かしますから、理論的にはそこから莫大な富を獲得することも難しくありません(その代わり大きな損失を被る可能性も増しました)。

第6章では、ある程度の経験のある投資家を対象に、FXや先物・オプションなどのデリバティブを使って経済的なリスクを“奇跡”に変える戦略を解説しました。初心者にはすこし難しいかもしれませんが、このような方法もあるということを頭に入れておけばいずれ役に立つこともあるでしょう。

なぜなら、未来になにが起きるかは誰にもわからないからです。

それでは、「高金利・円安・高インフレ」のアナザーワールドにようこそ。

『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』「まえがき」より

『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』発売のお知らせ

 

こんにちは。

新刊『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』がダイヤモンド社より発売されます。

Amazonではまだ予約受付中ですが、本日中に「発送可」になると思います。都内の大手書店には明日から並びはじめます。

私の本としては珍しくベタなタイトルになりましたが、これは所謂「国家破産」本ではありません。これまで繰り返し述べてきたように、複雑系の世界では誰も未来を予想できないからです。

事実として明らかなのは、これから日本が「際限のない金融緩和」という未体験の金融政策に乗り出すことと、安倍政権と日銀が「2年で結果を出す」と国民に約束したことです。

この本では、標準的な資産運用理論(すなわち常識)でアベノミクスを考えれば、どのような金融商品で将来の経済的なリスクをヘッジすべきか、かなり明快にこたえられることを示しています。

リフレ政策が正しいかどうかは経済学者にとっては大問題かもしれませんが、私たちのようなごくふつうの生活者が専門家の真贋を論じても意味はありません。大切なことは、どのような未来が訪れてもいいように資産にヘッジ(保険)をかけておくことと、アベノミクスが最悪の結果を招いても生き延びられるように準備をしておくことです。

本書は、これまでWEB等で発表してきた記事をもとに大幅に加筆しました。「国家破産」のような非常時に、個人投資家がオプションなどのデリバティブをどのように活用できるかは、その具体的な方法を新たに書き下ろしています。

また、この本で述べていることの概略を本日発売の『週刊文春』に寄稿しています。あわせてお読みいただければ幸いです。

*電子書籍版は3月後半くらいになるようです。

橘 玲

“ブラック政府”はブラック企業を指導できない 週刊プレイボーイ連載(89)

サービス残業というのは、就業時間外に働いたにもかかわらず残業代が支払われないことで、労働基準法では明確に禁じられています。それにもかかわらず、日本ではサービス残業が常態化しているとしばしば指摘されます。「法治国家」であるはずなのに、なぜ違法状態が野放しになっているのでしょうか?

ほとんどのサラリーマンがサービス残業を仕方がないものとして受け入れていますが、この悪習が許されないのには理由があります。対価を払わずにひとを働かせるのは奴隷労働で、それを否定することで近代が成立しました。このままでは日本は、「前近代社会」といわれても反論できません。

会社(雇用者)が労働基準法を遵守しているかどうかは、各自治体に置かれた労働基準監督署が監督し、サービス残業を見つければ正規の残業代を支払うよう指導することになっています。それにもかかわらず違法行為が常態化しているとしたら、そもそも労働者保護の制度に根本的な欠陥があることになります。

何年か前に、霞ヶ関の中央省庁で「居酒屋タクシー」が問題になりました。終電がなくなった後の深夜帰宅の際に、官僚が公費で、馴染みの運転手から缶ビールやつまみなどの「接待」を受けていたというものです。

官僚の帰宅が深夜になる大きな理由は「国会待機」で、政府答弁の原案を作成するために、議員からの質問がわかるまで関連する省庁の担当者が拘束されることをいいます。一部の議員(民主党の元首相が有名)が夜中まで質問を教えないと、担当者は仕事もないのに帰宅を許されず、省庁内にとどまることになるのです。

ところで、官僚も労働者(被用者)ですから、国会待機による拘束に対しては残業代や時間外手当が支払われなければならないはずです。しかしなぜか、国家公務員は労働基準法の適用対象外とされていて、サービス残業が当然とされています。

中央省庁だけでなく、地方自治体でもサービス残業は常態化しています。

さいたま市では2011年度に、40代の職員(課長補佐)が1800時間を超える時間外勤務をして、年間給与と同等の800万円ちかい残業代を受け取り、年収が1500万円を超えたことが市議会で問題にされました。1800時間というと、平日だけなら7時間超、土日を含め1日あたり5時間に相当しますから、じゅうぶん過労死が危惧されるレベルです。こうした異常な労働環境が明らかになったのは、さいたま市が正直に残業代を支払っていたからです。他の自治体も、裁量労働制などを使って不都合な現実を隠しているだけで、一部の職員に過度な負担をさせている実態は同じようなものでしょう。

労働基準監督署は厚生労働省の出先機関ですが、国会待機などを見るかぎり、厚労省も「サービス残業」の温床になっているのは明らかです。この国では、「サービス残業を禁止する法律がサービス残業でつくられる」という話がブラックジョークにならないのです。

政府や自治体がブラック化してるなら、労基署が民間企業を強く取り締まれるはずはありません。サービス残業は経営者の自覚の問題などではなく、日本の社会に巣食う構造的な病なのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年3月4日発売号
禁・無断転載