第78回 チケット転売は不道徳か(橘玲の世界は損得勘定)

6月末から7月半ばまでロシアを訪れ、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベスト16のベルギー戦を含む4試合を観戦した。

この話をすると必ず、「チケットはどうやって入手したんですか?」と訊かれる。ワールドカップを観に行こうと決めたのは開幕の1カ月ほど前で、すでにチケットの販売期間は終わっていたから再販(リセール)で入手するしかない。

日本では人気アイドルグループなどのコンサートチケットが高額で転売されているとして問題になっているが、ワールドカップも同じで、FIFA(国際サッカー連盟)はオフィシャルのリセールしか認めていない。だがこれは定額での再販になるので、抽選で運よく人気試合を引き当てたひとは、当然のことながら、高値で転売できる民間のサービスを利用しようとする。

さらに問題なのは、今回はじめて導入されたFAN IDというシステムだ。ラミネート加工された顔写真入りのIDで、スタジアムに入場する際に携行を義務づけられている。FAN IDはチケットを入手したのちネットで申請し、日本まで郵送してもらう。それを考えれば、購入できるかどうかわからない正規の手段に頼るわけにはいかない。

ワールドカップのチケットは購入者の名前が印字されており、再販で購入した場合は他人名義になる。そのためFIFAはネットで名義変更できるようにしているが、これは新しい所有者の名前を印字したチケットが再発行されるのではなく、サーバーのデータを修正するだけだ。その結果、名義変更したひとも他人の名前のチケットで入場することになる。

「民間業者で購入した転売チケットでスタジアムに入場できるか」がしばしば議論になるが、身分証明書(FAN ID)の名前とチケットの名義を照合し、他人名義の場合は名義変更されているかをいちいち確認していては大混乱になってしまう。こうして、「チケットをもっていればどんどん入場させる」ということになる。

これは厳密にはルール違反だが、その一方でFIFAに改善するつもりがまったくなさそうなところを見ると、こうした現状を黙認しているともいえる。市場原理に頼らなければ効率的にチケットを流通させられないのだ。

もっとも合理的なのは、チケットを電子化したうえで、FIFA自体が転売市場を運営することだろう。これなら、自国チームが敗退してもチケットを転売できないとか、たまたま休みが取れたがチケットが手に入らないといった残念な事態を最小化できるだろう。

なぜこれが実現できないかというと、「チケットで金儲けするな」との批判があるからだろうが、抽選が道徳的で、お金を出して購入するのが不道徳だという理由はない。抽選は公平ではなく、運のよさで希望者を「差別」している。

ちなみに、私が調べたときは決勝戦のチケットは最低でも70万円だったが、フランス×クロアチアに決まったあとは20万円まで下落していた。転売が常に儲かるわけではないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.78『日経ヴェリタス』2018年8月12日号掲載
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死刑制度は存続するが執行しないという選択 週刊プレイボーイ連載(348)

麻原彰晃らオウム真理教事件の確定囚7人が死刑執行されたのにつづいて、残る6人の確定囚の死刑も7月26日に執行されました。1カ月のあいだに2度、13人もの死刑執行は日本だけでなく世界に波紋を広げています。

前提として、民主国家において量刑は有権者の総意によって決められるもので、国民の8割が死刑制度を容認している日本で、人権団体や欧州諸国からの批判を根拠にいますぐ死刑を廃止するのは現実的ではないことを確認しておきましょう。政治家が国会で死刑制度を議論できるようになるためには、現在1割以下しかいない廃止派がせめて4割に近づかなくてはなりません。

しかしそれにもかかわらず、今回の大量死刑執行に納得しがたいものを感じたひとも多いのではないでしょうか。

死刑を支持する背景には、「重罪は死をもって償うべき」という道徳観があるとされています。犯罪被害者が極刑を望んでいることや、死刑があることで犯罪が抑止されるとの説明もよく聞きます。

こうした主張には当然、「死刑は国家による殺人」と考える側から多くの反論があるわけですが、とりあえずは一定の(直観的)正しさがあるとしましょう。しかしそうだとしても、今回の死刑執行を正当化するにはじゅうぶんではありません。

報道によれば、地下鉄サリン事件などの被害者は「(死刑執行で)事件が風化してしまうのではないか」「真相はまだ解明されていない」と困惑しているようです。執行によって応報感情が満たされたのでないならば、「被害者救済のための執行」という理由は成立しません。

犯罪抑止効果にしても、教祖の麻原はともかくとして、洗脳されて宗教テロに加わった元信徒の多くは罪を悔い、被害者に謝罪しています。彼らがいまも社会の脅威だと考えるひとはいないでしょうし、「抑止」というのなら、宗教原理主義の恐ろしさを生きて語りつづけたほうが効果的ともいえます。

このように考えると、今回の死刑執行には「裁判で死刑判決が出たから」という以外の理由は見当たりません。これがたんなる「司法の理屈」としか感じられないことが、強い違和感の正体なのでしょう。

日本では「容認」「廃止」の二者択一でしか語られない死刑制度ですが、じつはもうひとつの選択肢があります。

アメリカでは州によって刑法が異なり、リベラルな東部は死刑を廃止し、保守的な南部は死刑制度を維持しています。ここまではよく知られていますが、じつは西部の州の多くは死刑を容認していますが、ほとんど執行されていないのです。

その理由は、「道徳的な理由で死刑を支持するひとも、実際に死刑が執行されると不快感を抱く」からだとされます。有権者のこうした矛盾した感情を反映して、「死刑判決が出ても執行しない」ことになり、この現状に格段の反対もないようです。ひとびとが求めているのは「道徳の象徴」としての死刑であり、執行されなくてもべつにかまわないのです。

日本でも、「オウム事件での死刑判決はやむを得ないが、(教祖以外は)執行する必要はなかった」という選択肢を意識調査に加えると、社会の変化が見えてくるかもしれません。

参考:リチャード・E・ニスベット、ドヴ・コーエン『名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理』(北王路書房)

『週刊プレイボーイ』2018年8月6日発売号 禁・無断転載

『名誉と暴力』より。アメリカ西部の州は保守的な南部と同様に死刑制度があり、死刑判決も出ているが、執行された割合はリベラルな北部と変わらない。

専門家は「わかったような気にさせてくれる」ことに意義がある 週刊プレイボーイ連載(347)

「おっさんジャパン」「思い出づくり」とさんざん酷評されていたサッカー日本代表ですが、ワールドカップ・ロシア大会のベスト16で強豪ベルギーをあと一歩のところまで追いつめる善戦を見せ、日本じゅうを沸かせました。大会前に「1勝すらできない」と断言していたサッカー評論家は、慌てて「手のひら返し」に走っています。なぜ彼らは間違えたのでしょうか?

じつはその理由はすでに明らかになっていて、予想を外したサッカー評論家を責めてもしかたありません。なぜなら、あらゆる分野において専門家の予想は当てにならないからです。

この不都合な事実は、株式投資の予測において繰り返し検証されています。どの銘柄が値上がりするかの専門家の予測は、壁に貼った銘柄一覧にサルがダーツを投げたのと同じ程度にしか当たらないのです。

しかしこれは、“サル並み”であるだけまだマシです。経済予測の分野では、ほとんどの専門家がリーマンショックのような重大な出来事をまったく予想できません。なぜ“サル以下”になってしまうかというと、「今年は去年と同じで、来年も今年と同じ」と考えるからです。経済には粘性がありますからこの予想はかなりの確率で当たりますが、その代償として景気の転換点を(ほぼ)確実に外してしまうのです。

サッカーのようなスポーツ競技では、「世間の空気を読む」影響もありそうです。

4年前のブラジル大会でザックジャパンは「史上最強」といわれ、ひとびとの期待は大きく高まりました。こんなときに「グループリーグを突破できるわけがない」などといえば、「選手の足を引っ張るのか」と格好のバッシングの対象となるでしょう。

一転して今回は、突然の監督交代と大会前の練習試合の低調なパフォーマンスもあり、「どうせダメ」というネガティブな空気が支配していました。そのなかで「ベスト8も目指せる!」などと強気の予想をすれば、「素人以下」とバカにされるのは目に見えています。あとから「手のひら返し」と批判されようと、みんなと同じことをいっていたほうがはるかに賢いのです。

だとしたら、専門家の意義はどこにあるのでしょうか。それは、素人が漠然と感じていることを言語化する能力です。

高級な赤ワインを飲んでも、素人は「いつものテーブルワインとはちょっとちがう」という感想しか持てません。そこでソムリエが、「エレガントな味わいでミネラル感が強く、かすかにナッツの香りがする」などと説明すると一気に納得感が増します。

ところがベテランのソムリエでも、ボルドーワインと、ラベルを張り替えた新興国ワインを区別できません。それでも、「わかったような気にさせてくれる」ことに価値があるのです。

同様に株式専門家は「なぜこの株が上がるのか」を、サッカー専門家は「なぜ日本代表は弱いのか」を高い納得感で説明できます――それが正しいかどうかは別として。

ちなみに私は、「グループリーグを勝ち抜ける可能性は3割くらいあるのでは」と思ってベスト16のチケットを買い、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベルギー戦をスタジアムで観戦できました。専門家の意見は話半分に聞いておくのがよさそうです。

『週刊プレイボーイ』2018年7月30日発売号 禁・無断転載

ベルギー戦の試合終了後にサポーターに挨拶する日本選手・スタッフ(2018/7/3)