日本の「自己責任」はどこがおかしいのか? 週刊プレイボーイ連載(360)


シリアの武装組織に拘束されていたジャーナリストが解放されたことで、日本ではまた喧々囂々の「自己責任論」が噴出しています。そのほとんどは「世間に迷惑をかけたからけしからん」というものですが、この主張は世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムからかけ離れています。

ジャーナリストは無鉄砲な行動で家族に迷惑をかけたかもしれませんが、「世間」がどのような負担を強いられたかは証明されていません。事件の解決にあたった外務省などの担当者が迷惑したというのかもしれませんが、市民・国民のために働くのが彼ら/彼女たちの職責で、それ以前に公務員が「世間」を代表しているわけではありません。

自己責任論者は、「権利と責任はセットだ」と主張します。これはもちろん間違いではなく、近代的な市民社会は、「自らの行為に責任を負うことができる者だけが完全な人権を持つ」という原則によって成り立っています。だからこそ、責任能力が限定された子どもや精神病者は処罰を軽減され、その代わりに親や病院の管理下に入るなど自由を制限されるのです。

こうした権利と責任の関係を「欺瞞だ」とする意見は当然あるでしょう。しかしその場合は、この虚構(共同幻想)を否定して、どのようなルールで社会を運営していくのかを提示する説明責任を負っています。

リベラルな社会では、自己責任を前提として、「すべてのひとが生まれ持った可能性を最大限発揮できるべきだ」と考えます。「誰もが自由に生きられる」ことに反対するひとはいないでしょうが、これを徹底すると「売春で生活するのも、ドラッグを楽しむのも、安楽死で人生を終わらせるのも本人の自由な選択」ということになります。北欧やオランダのような自由主義的な社会はどんどんこういう方向に進んでおり、ジャーナリストが自らの意思で危険な地域に取材に行くことを批判するなど考えられません。

もちろん、その選択で失敗することもあるでしょう。その場合、自己責任はどうなるかというと、「本人が助けを求めているのであれば、社会は(一定の範囲で)支援する義務がある」となります。これを逆にいうと、「ドラッグの快楽を本人が求めているなら、破滅しようがどうしようが放っておけばいい」ということです。これが、ヨーロッパのリベラルな社会に私たちが感じる「冷たさ」の理由でしょう。

リベラルな国家がテロリストに拘束されたジャーナリストの救援に尽力するのは当然ですが、しかしここには別のルールもあって、身代金目当ての誘拐を助長しないために、金銭を支払うことは認められていません。

犯人の要求に応えることができないとなると、自国民を救出するには、特殊部隊を送り込んで奪還するしかありません。しかし日本は国外での武力行使を憲法で禁じられていますから、首相が「日本人には指一本触れさせない」と豪語しても、実際にはできることはなにもないのです。

それにもかかわらず今回は、外国政府が身代金を肩代わりしてくれたことで、自国民を救出できました。だとしたら、この僥倖を素直に喜べばいいのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2018年11月12日発売号 禁・無断転載

コメントを閉じる

5件のコメント

  1. >それにも関わらず今回は、外国政府が身代金を肩代わりしてくれたことで、自国民を救出できました。だとしたら、この僥倖を素直に喜べばいいのではないでしょうか。

    身代金を払ったと言われる「カタール」からすれば、
    中東で孤立している現状を考えると、ここは日本に
    恩を売っておいたというのが真相でしょ。

    いきなり国交断絶で孤立するカタール。一体、何が有った?
    ttps://matome.naver.jp/odai/2149665814780047301

    日本からすれば、カタールに身代金を払ってもらった
    恩義を何らの形で返さないといけないわけで、
    それは決して「僥倖」とは言えないですな。

    ウォール街にプレゼントは落ちていない。自分の実力以上の何かを得たのなら、それは罠の可能性が高い。何かをもらったと感じる時には何かを押し付けられた、それも自分が欲しく無い何かを押し付けられた可能性が高い。#デイトレード #投資 #ドル円 #fx #プリスティーンキャピタル

    そもそも、「行くな!」と言ったところに行って
    日本国に迷惑をかけたジャーナリストを肯定するのはおかしいですよ。

  2. 今回のご意見には違和感を感じます。日本は海外での武力行使ができず、自国民の救出に関して何一つできないがゆえに、「行かないでください」と言ってるわけです。それを無視して行って捕まって他国に借りを作った事は少なくとも国益をそこなっているわけで、助かって僥倖と言った単純な話ではないですよね。これを教訓にするなら、自国民の生命財産を守るために海外での武力行使を容認するように憲法を改正しましょうという議論になるのでは?私はそうすべきと思っていますが。

  3. 自己責任うんぬん前に、安田さんって、4回も5回も、コックやりながら人質になってる人なんでしょ。今回も、グループが移動するのにお荷物になったので、解放しただけとか。国民の正直な感想は「この人なにやってんの?」であって、素直に僥倖を喜んでいる人なんて、ほぼいないでしょうね。

  4. あんま自己責任論と関係ないと思いますよ。この件。
     
     このジャーナリストが武装組織にとらわれ、武装組織から動画が届いたとき、その動画を加工したいわゆる「クソコラ」画像がたくさんつくられました。
    みんな冷笑しかしてません。むしろ喜んでるくらい。

    今回の救出という僥倖を素直に喜ん・・・でいないです。 
    対極的に、アメリカ人になっちゃったひとまで強引に日本人として日本人ノーベル賞受賞者にカウントするくせにね。
    身内の不始末はひた隠しにし、不始末~規範をはみ出したものには身内で強烈な制裁を加え、成功した人を見かけると「遠い親戚」を名乗ってすり寄っていく・・・
     よくいわれる日本人のメンタル部分は中国韓国と共通だという論は正しいと思っております。

  5. 世の中一般の自己責任論は論点が定まっておらず議論には値しない。
    そもそも、本人が「自己責任で行きました」と言い、批判者が「自己責任だろう」と追及する。何も相違点はない。自己責任論者も自分が何を言ってるかわからず、語感から自己責任と言ってるのだろう(もし議論するなら「政府が禁止する区域に行った場合は政府は救出・探索義務はなくて良い」「要した金額は自己負担すべき」ぐらいに論点を具体化すべき)。
    ただ、自己責任論はおかしい、と指摘する人のみ議論は典型的・ワンパターンで、「欧米のジャーナリストから見ると、自己責任論はありえない」。
    論点が定まってない議論に、自ら仮想敵国を作り上げて、それを鬼の首取ったかのように批判する。これまた議論がイージー過ぎる。
    ちなみに、自己責任だろうと批判する人は、一般論を言ってるのでなく、彼という個人の具体的言動を批判しているのだと思う。それは本当は「自己責任論」とは別物だ。自己責任という言葉の傘で論理を見失っているだけだと思う。
    それを逆手に取って、「自己責任論者は・・・」と議論を一般化して批判する人も同じくらい思考が足りないと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

投稿したコメントが表示されない場合は、SPAM判定された可能性があります。詳細はこちらをごらんください。