カトリックはなぜペドフィリアに侵されるのか 週刊プレイボーイ連載(354)

全世界で12億人の信者がいるカトリックの総本山バチカンが、少年への性的虐待事件で揺れています。この問題は長らく指摘されてきましたが、法王庁など教会上層部は不祥事の発覚を恐れ、真相の解明を怠り事件を隠蔽したときびしく批判されているのです。

きっかけは2002年、ボストンの地方紙が教区司祭の性的虐待を大々的に報道したことで、アカデミー作品賞を受賞した映画『スポットライト 世紀のスクープ』でも描かれました。私はたまたまその時期にニューヨークにいましたが、連日、テレビや新聞で大きく報道されるのを見て、こんなことがあるのかと驚いたのを覚えています。

事件の背景には、カトリックの司祭が終身独身で、女性との性的交渉を禁じられていることがあるとされます。若い男性が共同生活する修道院や神学校は「ボーイズラブ」の世界で、イタリアの国際神学校では入学者の多くがゲイであることは公然の秘密だそうです。

同性愛を認めるかどうかはカトリックの教義にかかわる大問題ですが、リベラルな社会では成人同士は自由恋愛ですから部外者が口をはさむようなことではありません。「女性と交わってはならない」という戒律を課せば、それを苦にしないひとたちが集まってくるというだけのことで、少年への性的虐待とはまったく別の話です。

2018年、国際援助団体オックスファムの職員がハイチや南スーダン、リベリアなどで買収やレイプをしていたことが報じられ、幹部が引責辞任しました。あるフランスの女性ジャーナリストがIS(イスラム国)幹部に接触しようとしたところ結婚を強要され、生命の危険にさらされました。フランス生まれのその男は窃盗から強盗までありとあらゆる犯罪に手を染め、イスラム国では拷問と虐殺を専門にしていました。

一見無関係なこの話題は、カトリックの不祥事とどうつながるのでしょうか。もちろん、「国際ボランティアは買春目的だ」とか「イスラーム原理主義者はみんなサイコパスだ」ということではありません。ここでいいたいのは、「特異な環境は特異なひとたちを招き寄せる」という単純な法則です。

若い女性と好きなだけセックスを楽しみたい男は、国際的に著名な援助団体を隠れ蓑にすれば、貧しい国に安全に滞在し高い地位を使って性欲を満たせることに気づくでしょう。暴力への異常な欲望をもつ人間はどんな社会でも一定数いるでしょうが、もしも彼がムスリムであれば刑事罰を恐れる必要はありません。「イスラム国」へ渡れば、好きなだけ拷問や殺人ができるのですから。

同様に男児のペドフィリア(児童性愛)は、市民社会では許されない暗い欲望を満たすための格好の場所をカトリックのなかに見つけるでしょう。そこでは少年聖歌隊やミサを補助する侍童など、たくさんの男児と堂々と接触できるのですから。

そのうえ彼らは、偏った性欲以外はごくふつうで、仕事のできる愛想のいい人物であることも珍しくありません。こうして教会の位階を上がっていき、事件が発覚したときには取り返しのつかないことになっているのです。

このように考えると、バチカンがこの問題に及び腰な理由もわかります。カトリックの教義そのものを変えないかぎり、ペドフィリアはどこからともなく侵入してくるのです。

参考:アンナ・エレル『ジハーディストのベールをかぶった私』(日経BP社)

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そしてすべてが善悪二元論になる 週刊プレイボーイ連載(353)

東京オリンピックを目指す女子体操選手へのパワハラ問題で、日本体操協会が大混乱しています。一連の経緯をざっとまとめると、こんな感じになるでしょう。

(1) 女子代表候補選手を指導する男性コーチに対して、日本体操協会が、暴力行為(体罰)を理由に無期限の登録抹消処分を課した。

(2) 当の女子体操選手が記者会見し、コーチの体罰を「指導」だと受け入れていたことを認めたうえで、調査の過程で体操協会の役員夫婦から、自分たちが運営するクラブに移籍するよう強要されたと「パワハラ」を告発した。

(3) 体操協会が第三者委員会による調査を発表し、役員夫婦は職務一時停止の処分を受けた。

(4) 民放テレビが、体操クラブの練習場で男性コーチが女子選手をはげしく平手打ちする「暴力映像」を公開。

(5) 女子選手が、「自分を貶めるために無断で過去の映像を放映した」とテレビ局に抗議。

こうした出来事が2週間ほどのあいだに次々と起こるのですから、部外者にはなにがどうなっているかまったくわからず、だからこそひとびとの興味や関心を掻き立てるのでしょう。

ここで興味深いのは、事件の進展とともにメディアの態度が大きく変化したことです。

第一報では、大学アメフト部の事件と同様に、選手を暴力で支配しようとしたコーチに非難が集中しました。しかし「被害者」本人が記者会見で体操協会のパワハラを告発すると、こんどは協会を牛耳っている(とされた)元メダリストの夫婦に非難の矛先が向けられます。ところが「暴力映像」で体罰の実態が明らかになったとたん、「こんなコーチを擁護するのは洗脳されているからだ」と女子選手を批判する論調が出てくるのです。

ここからわかるのは、メディアの役割が「事実(ファクト)」を追求することではなく、読者や視聴者に事件をわかりやすく伝えることだという単純な「事実」です。

複雑な出来事を複雑なまま理解しようとすると、脳に負荷がかかって苦痛を感じます。こうしてひとは、善悪のはっきりした単純な物語だけをひたすら求めるようになります。

このように考えれば、大衆メディアが善悪二元論になっていくのは宿命みたいなものです。

メディアの役割は「悪」を特定し、読者や視聴者を「悪」を叩くよう誘導することです。そうすると気分がよくなって、視聴率が上がったり部数が増えたりします。なぜなら、「悪」を叩くのは「善」に決まっているから。――これがメディア商売の基本です。

今回の事件の背景には、体罰による「指導」を容認する日本のスポーツ界の軍隊的な体質があり、それはパワハラが蔓延する学校や会社も同じです。なぜこんなことになるかというと、日本社会が「先進国のふりをした前近代的な身分制社会」だからです。

新卒一括採用という軍隊の徴兵みたいなことをやっているのは、いまでは世界で日本だけです。日本人は「右」も「左」も軍隊が大好きで、だからこそ自分たちにぴったりの抑圧的な組織や社会をつくりだすのです。

もっともこんな「むずかしい」話をしても面白くもなんともないので、誰も相手にしてくれないでしょうけど。

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中央省庁が障がい者雇用を水増しするほんとうの理由 週刊プレイボーイ連載(352)

10年以上前のことですが、住民票が必要になって、自宅近くにある区役所の出張所を訪ねました。窓口の担当は右腕のない青年で、わたしが身分証明書類を持ち合わせていなかったため、本人確認のため個人情報を訊ねなければならない非礼を詫び、手際よく事務を処理してくれました。

出張所のフロアには20人ほどの職員が働いていましたが、障がい者は彼1人でした。書類が出来上がるのを待ちながら、わたしはふと疑問に思いました。世の中にこれほど障がい者に適した職場がありながら、なぜその場所を健常者が独占しているのだろう?

市場経済では、利益をあげなければ会社はつぶれてしまうのですから、どれほど社会貢献に熱心でもいずれは「効率性」の壁にぶつかります。しかしわたしたちの社会には、利潤の最大化を目指さずに働ける職場があります。それが、国家や自治体の「公務」です。

だとしたら、国防や警察・消防など一定以上の身体能力を必要とする業務を除いて、公的機関は全員が障がい者でもまったくかまわないのではないでしょうか。
こうしてわたしは、次のように書きました。

「厚労省は全国の社会福祉法人に対し、施設の建設費ばかりか職員の給与まで支給している。だが福祉に携わる公務員はもちろん、こうした社会福祉法人の職員もほとんどが健常者で占められている。なぜ彼らは障害者の職を奪うのか?

日本には300万人の身体障害者、50万人の知的障害者、200万人の精神障害者がいる。彼らが労働の喜びを知れば、日本の福祉は大きく向上するだろう。福祉施設や福祉関連団体に莫大な税金を投入する前に、80万人の国家公務員と300万人の地方公務員は自らの席を譲るべきだ」

わたしの多くの「極論」と同様に、この主張もまったく無視されてきました。誰からも相手にされないとがっかりしていたのですが、旗振り役である厚生労働省をはじめとして、中央省庁27機関が障がい者雇用を水増ししていたことが発覚し、じつはそうでもないことに気づきました。

水増し疑惑は地方自治体にも広がりつつあり、このままでは日本のほぼすべての公的機関が障がい者の数をごまかしていたことになりそうです。これは一部の組織のスキャンダルではなく、合理的な理由と断固たる意志がなければこんなことになるはずがありません。

報道では、「障がい者がうっとうしいと思われているからだ」などと解説しています。たしかに売上目標を達成しなければ減給や降格・解雇されてしまう職場では、「足手まとい」と扱われることはあるかもしれません。

しかしこれは、公的機関にはあてはまりません。公務員の仕事はお金を稼ぐことではなく、決められたルールにのっとって市民にサービスを提供することだからです。

そんな彼らが組織ぐるみで障がい者を雇用しないよう、全力をあげてきた理由はひとつしかありません。職場に障がい者が増え、彼らがふつうに仕事をしていることが市民の目に触れると、わたしと同じように、「なぜ健常者が彼らの仕事を奪っているのか」と疑問に思う人間が出てくるからです。

わたしのつたない文章を全国の公務員は正しく理解し、なりふりかまわず既得権を守ろうと頑張っていたようです。

参考:公務員は障害者に席を譲れ

『週刊プレイボーイ』2018年9月10日発売号 禁・無断転