「職員室カースト」が子どものいじめの元凶 週刊プレイボーイ連載(405)

神戸市の市立小学校で、4人の教師が20代の後輩教師に陰湿ないじめを繰り返していた事件が波紋を広げています。報道によれば加害者はリーダー格の40代の女性教諭と30代の男性教諭3人で、暴言・暴行のほか、激辛カレーを無理矢理食べさせたり、LINEで別の女性教員にわいせつなメッセージを送るよう強要していたとされます。

女性教諭は校長から指導力を評価されている校内の中心的な存在で、男性教諭たちは生徒から人気があり、いじめに気づいていた他の教員も、報復を恐れて言い出すことができなかったようです。

すでに指摘されているように、これは子どもたちのいじめと同じ構図です。

いじめ加害者の多くは担任から気に入られているリーダー的な存在で、クラスメイトからも人気のある「スクールカースト上位」です。それに対して被害者は「下位カースト」で、生徒ばかりか担任もこころのどこかで「いじめられても仕方ない」と思っています。

この構図をそのまま「職員室カースト」に当てはめれば、校長のお気に入りの加害教師と、“いじられキャラ”の被害教師という関係になります。校長にいじめを相談しても相手にされなかったのは、そもそも被害教師のことが好きではなかったからでしょう。加害教員の謝罪のコメントが火に油を注いでいますが、自分の加害行為をまったく認識していないのも子どものいじめとまったく同じです。

深刻ないじめは、例外なく閉鎖的な組織で起こります。自由に離脱できる環境では、イヤな奴がいればさっさとほかに移ればいいだけです。相手が逃げることができず、どれほどいじめても無抵抗だから面白いのです。

学校は典型的な「閉鎖空間」ですから、子どもたちだけでなく、教師のあいだでいじめが起きてもなんの不思議もありません。

1999年に福岡の小・中学校の教師を対象に、研究者が職員室の人間関係を調べました。その後、この種のアンケートはほとんど行なわれておらず、現在でもきわめて貴重な研究です。

その結果は、学校での教師間のいじめが「よくある」「ときどきある」とした小学校教師は合わせて15.1%、中学校教師は20.6%で、自分が他の教師からいじめられることが「よくある」「ときどきある」とした小学校教師は合わせて13.0%、中学校教師は14.8%でした。他の教師から陰口を言われたという小学校教師は46.1%、中学校教師は48.5%、嫌味を言われた小学校教師は58.6%、中学校教師は60.5%にのぼります。

日本の学校では、教師の5~6人に1人が「教師同士のいじめがある」と報告しており、自分が「いじめられたことがある」とする教師も6人に1人程度いるのです。

ここからわかるのは、教師が教師をいじめる「学校風土」が、子ども同士のいじめの背景にあることです。自分たちのいじめを解決できない教師が、子どもたちのいじめに対処できるはずはありません。

文科省がどれほど「いじめ対策」を進めてもなんの効果もない理由を今回の不祥事は教えてくれます。それでもいじめを根絶しようとするのなら、「学校」という閉鎖空間を解体するほかはないでしょう。

参考:和久田学『学校を変える いじめの科学』(日本評論社)

『週刊プレイボーイ』2019年10月28日発売号 禁・無断転載

原発の町の助役はなぜ「贈与」を続けたのか? 週刊プレイボーイ連載(404)

関西電力の役員ら20人が、原発の立地する町の元助役(故人)から計3億2000万円にのぼる金品を受領していた問題は、会長・社長ら幹部の大量辞任に発展し、原発再稼働を進める国の戦略を大きく揺るがせています。

「原発とカネ」の話はこれまでもたびたび報じられてきましたが、そのほとんどは巨額の裏金が地元の有力者に流れているというもので、電力会社の現場責任者が利益の一部を下請けにキックバックさせることはあったとしても、町の助役から電力会社の役員に金品が贈られるというのは前代未聞です。

このスキャンダルで奇妙なのは、役員たちにとって助役からの「贈り物」は迷惑以外のなにものでもないことです。常務執行役員と元副社長が商品券や米ドル、金貨、小判など1億円を超える金品を受け取ったとされますが、だとすると残りの役員・幹部は1000万円に満たないお金できびしい批判の矢面に立たされ、会社人としての人生が危機に瀕していることになります。これではまったく割が合いません。

多額の金品を受領した役員は、社内の金庫に保管し、タイミングを見て返そうとしたといいます。ところがそのたびに「俺の顔をつぶすのか」などと激怒され、一つ返せば同じものを二つ持ってくることもあり、「地獄だった」と話す幹部もいます。

この特異な事件から、「贈与とは何か?」を理解することができます。徹底的に社会的な動物である人間は、あらゆる機会を使って自分と相手の「序列」を決めようとします。

お中元やお歳暮では、贈られたものと同じ価値の品物をお返しします。これは、自分と相手が対等であることを確認する儀式です。贈り物をしたのにお返しがないのはもちろん、高価なものをお返しすることも「無礼」と見なされるのはこれが理由でしょう。

この原理を知っていると、贈与によって相手より優位に立つことができます。相手がお返しできないような高価なものを、一方的に贈与してしまえばいいのです。

「返報性」はヒトの本能で、どんなものであれ贈り物をされると、崩れたバランスを取り戻そうとして、無意識のうちにお返し(返報)しようとします。それができないと、一方的に借りをつくったことになって、対等の関係が崩れてしまうのです。

伝統的社会では、この方法で部族同士が無用な戦争を回避しています。誰も死んだり怪我をしたりしたくありませんから、暴力で決着をつけるのは最後の手段で、どちらがより多く贈与できるかで主従関係を決めた方がずっといいのです。

これが極端になったのが北米大陸太平洋岸の先住民族の儀式ポトラッチ(贈与合戦)で、かつては「資本主義に代わる経済」などともてはやされましたが、いまでは白人との交易で大きな富を手にするようになった伝統的社会で、互いの贈与がとめどなくエスカレートしたものだとされています。

このように考えると、元助役がなぜ一方的に多額の贈与をし、それを返そうとすると激怒したかがわかります。元助役にとって、贈与は誰が「主人」であるかを思い知らせる儀式であり、それがわかっていたからこそ、関西電力の役員は「奴隷」の立場から逃れようともがき苦しんだのです。

『週刊プレイボーイ』2019年10月21日発売号 禁・無断転載

消費税増税で大騒ぎするのに、なぜそれ以上の「増税」で騒がない? 週刊プレイボーイ連載(403)

消費税引き上げ直前の駆け込み消費で、レジで長い行列をつくってトイレットペーパーなどを買いだめすることが話題になりました。「1万円分買っても200円しか節約できない時間のムダ」という辛辣な意見もあるようですが、休日に家でテレビを見るだけだったり、車で近所をドライブするくらいなら、「消費税増税」というイベントに参加し、1時間並んで大量のトイレットペーパーを持ち帰って、「得した!」という“達成感”を得たほうがずっといいのかもしれません。

それより不思議なのは、消費税が2%上がっただけでこんなに大騒ぎするのに、誰もがそれ以上の「増税」に無関心なことです。それが年金や健康保険など社会保険料の引き上げです。

消費税が3%から5%に引き上げられたのが1997年の橋本龍太郎政権のときで、これが景気を失速させ「デフレ不況」を招いたとバッシングされたことから、8%への引き上げは2014年の安倍政権まで待たなくてはなりませんでした。「一強」といわれるその安倍政権でも、消費税をさらに2%引き上げるのに5年半かかっています。

サラリーマンなどが加入する社会保険料は2003年にボーナスを含む総報酬制に変わったため単純に推移を比較できませんが、賞与を5カ月分として同時期(1997~2019年)の引き上げ幅を概算すると、厚生年金は12.2%から18.3%(1.5倍)、健康保険は5.8%から10%(1.7倍)、介護保険は0.98%から1.73%(1.8倍)になりました。同じ時期に消費税は5%上がったわけですが、社会保険料は、合計すると11%も引き上げられたのです。その結果、年金と健康・介護保険を合わせた社会保険料率は報酬の30%に達するまでになりました(労使折半)。

ところが、こんな「大増税」が行なわれたにもかかわらず、国会で問題になることもマスコミが大騒ぎすることもいっさいありませんでした。なぜなら消費税とちがって、社会保険料は国会審議なしに、厚労省の一存でいくらでも引き上げることができるからです。

給与から天引きされる社会保険料が増えれば、当然、その分だけ手取りの収入が減ります。これは誰でもわかりますが、見過ごされているのは、会社負担分は企業にとって人件費で、保険料の引き上げは給与や賞与の減額によって調整されることです。こうして「給与が減らされ、手取りはさらに減る」という踏んだり蹴ったりの事態になります。

平成のあいだにサラリーマンの平均年収が下がったり、同じ年収でも手取りが減りつづけていることが指摘されますが、その原因の一端は「社会保険料の大増税」にあるのです。

年収500万円のサラリーマンの場合、国に支払う社会保険料の総額は95万円から150万円に増えました。本人負担分だけでも年75万円ですから、多少給料が上がったくらいでは焼け石に水で、いくら働いても生活が苦しくなるのは当たり前です。

トイレットペーパーの買いだめで「自己実現」するのもいいですが、100円や200円節約したくらいではどうにもならない現実についても、たまには考えてみたほうがいいのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2019年10月15日発売号 禁・無断転載