『スター・ウォーズ』はなぜあのような終わり方だったのか? 週刊プレイボーイ連載(417)

1977年にスタートした『スター・ウォーズ』シリーズが、42年の時を経て「スカイウォーカーの夜明け」で完結しました。

1970年代のハリウッドは危機の時代を迎えていました。それまでドル箱として、インディアンが開拓者を襲い、騎兵隊が討伐する勧善懲悪の西部劇を大量につくってきたのに、開拓者(ヨーロッパ白人)こそがアメリカ原住民の土地を奪い、虐殺し、差別してきたではないかと批判されるようになったのです。

その象徴が1970年公開の映画『ソルジャー・ブルー』で、コロラドで米軍が無抵抗のシャイアン族などを女子どももろとも無差別殺戮した「サンドクリークの虐殺」を描いて衝撃を与えました。これ以降、ハリウッドは西部劇をつくることができなくなります。

それでもひとびとは、「善が悪を滅ぼす」楽観的で夢のある物語を求めていました。スター・ウォーズ(ジョージ・ルーカス)の大ヒットの秘密は、PC(ポリティカル・コレクトネス/政治的正しさ)によって封じられた勧善懲悪の大活劇を、舞台を宇宙に移すことによって復活させたことにあるのでしょう。

その後、物語はダースベイダーとルーク・スカイウォーカーの親子の確執へと移っていきますが、強大な銀河帝国に対して同盟軍(共和国)がレジスタンスの戦いを挑むという構図は不変です。

『スター・ウォーズ』第一作が公開されたのは、第二次世界大戦が終わって30年ほどしか経っておらず、「悪の帝国」であるソ連が大量の原水爆を保有していた冷戦時代でした。だからこそ、「全体主義(ファシズム)vs自由民主政(リベラルデモクラシー)」という物語の枠組みを誰もが共有し、楽しむことができました。

しかし、ベトナム戦争、湾岸戦争、とりわけ9.11同時多発テロによって始まったイラクとアフガニスタンへの侵攻によって、アメリカの「正義」は大きく失墜しました。それと同時に、あらゆる紛争において、すべての当事者が「正義」を主張するようになり、どちらかを「絶対的な善」、もう一方を「絶対的な悪」とする問題の解決が不可能になりました。

スター・ウォーズも、物語が進むにつれて、帝国を支配するダース・シディアスがなぜ「悪」なのかわからなくなっていきます。レジスタンスが勝利する大団円を迎えても快哉を叫べないのは、作品の出来不出来の問題ではなく、私たちがもはや勧善懲悪の世界を素直に信じられなくなったからでしょう。

それよりずっと興味深いのは、壮大なスペースオペラの幕引きを、ダース・シディアスの孫であるレイが「私はスカイウォーカーだ」と名乗る場面にしたことです。ここには、「真に重要なのは血統(生物学的に誰の子どもなのか)ではなく、個人の価値観だ」とのメッセージが込められています。

ダイバーシティ(多様性)の時代には、同性愛やトランスジェンダーが広く受け入れられてきたように、「(自分の人生を自分で決定する)自己実現」が至高の価値をもつようになります。その意味で、(PCに合わせて女性になった)主人公のレイが、自分のアイデンティティを自ら選択するラストシーンは、「私がどのような人間かは私だけが決める」現代を見事に象徴しているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2020年1月27日発売号 禁・無断転載

『ダブルマリッジ』が文庫になりました

知らないうちに、戸籍に妻とは別の女の名前が記載され、重婚状態になっていたら……。

フィリピンを舞台に実際に行なわれている「合法的戸籍操作」(日本政府も認めている)に取材した“国際司法サスペンス”『ダブルマリッジ』が文庫になりました。文庫版のカバーは女性の後ろ姿で、ミステリアスな雰囲気を出しています。

解説は『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 』の水谷竹秀さんに書いていただきました。

電子版とともに明日発売で、Amazonで予約できます。

書店で見かけたら、手に取ってみてください。

イランはもう戦争しないのではないだろうか? 週刊プレイボーイ連載(416)

昨年11月はじめに1週間ほどの日程でイランを旅しました。ドバイからのテヘラン便には女性客も多かったのですが、ヒジャブ(ベール)姿はほとんど見かけませんでした。飛行機がテヘラン空港に着くと、女性たちはカバンからスカーフを取り出して髪の毛を隠しました。

その様子を見て、最初はイランを訪れる外国人旅行者だと思いました。トルコなどイスラーム圏でも、女性がヒジャブをつけない国があるからです。ところがすぐに、私の予想が間違っていたことがわかりました。

トランプ政権のイラン敵視政策によって、アメリカとの関係はすでに悪化していました。そのためイランを訪れる外国人旅行者は減り、入国管理で外国人用カウンターに並んだのは私以外には一組だけでした。ドバイまでヒジャブなしで過ごしていた女性たちは全員、イラン人だったのです。

イランではシーラーズ、ペルセポリス、エスファハーンなどの世界遺産を回りました。どこも観光客でいっぱいで、ヨーロッパや中国からの旅行者を除けば、そのほとんどは地元のひとたちでした。経済制裁下でもイランの経済は少しずつ成長し、国内旅行できる中間層を生み出していたのです。

どの観光地でもイランの若者たちが夢中になってやっていることがありました。それがセルフィー(スマホの自撮り)です。反政府デモを警戒してイランではFacebookやTwitterなどのSNSは禁止されていますが、“インスタ映え”した自分の写真や動画をアップするサイトがあるのでしょう。

「イスラームは子だくさん」のイメージがありますが、イランでも最近は少子化が進んでいて、都市部では子どもは1人か2人がふつうになったそうです。そんな彼ら/彼女たちが青春を謳歌し“リア充アピール”しているのを見ると、宗教のちがいにかかわらず若者の価値観が急速に一体化していることがわかります。

トランプがイラン革命防衛隊の司令官を殺害したことで、戦争が始まるのではないかと世界が緊張しました。しかし私は、イランのひとたちはもはや戦争を望んでいないのではないかと感じました。

イラン革命に端を発した1980年代のイラン・イラク戦争でイランは数十万人の犠牲者を出し、地方都市には戦場で生命を失った若者たちの肖像がいまも飾られています。その当時の20代はいまでは60代で、ささやかなゆたかさを手にするとともに、海外ではヒジャブを外すくらいには世俗化しています。残酷な戦争の記憶が残るそんな親世代が、(勝てるはずのない)アメリカとの戦争に大切に育てた子どもたちを送り出すでしょうか。

アメリカとイランの緊張状態は、革命防衛隊がテヘラン上空の民間機を誤ってミサイルで撃墜するという思いがけない事態によって鎮静化しました。しかしこの不幸な事故がなくても、結果は同じだったのではないでしょうか。

現時点では、民主化を求めるイラン民衆の反政府デモに「支援」を約束したトランプの一人勝ちで、年末の大統領再選に向けて一歩前進ということになりそうです。

『週刊プレイボーイ』2020年1月20日発売号 禁・無断転載

セルフィーする女子大生たち。鼻が白いのはプチ整形(エスファハーンのマスジェデ・ジャーメ)