第92回 日弁連「脱法」が暴露したこと(橘玲の世界は損得勘定)

神奈川県弁護士会の元会長が、在任中の報酬全額を返納するとともに、その額に相当する月額顧問料15万円を2年間受け取る顧問契約を結んでいた。なぜこんな奇妙なことをするのかというと、年金事務所から厚生年金の加入義務を指摘され、それを逃れようとしたのだという。同会所属の弁護士4名がこれを悪質な「脱法行為」として提訴したことで、この興味深い事例が明らかになった。

さらに驚いたのは、弁護士会の総本山である日本弁護士連合会(日弁連)の会長と、15名いる副会長も厚生年金に未加入だとわかったことだ。そうだとすればこれは氷山の一角で、他の都道府県の弁護士会でも同様の「脱法行為」が常習化している可能性がある。

弁護士は法律の専門家だが、なぜ「法に定められた」厚生年金加入を忌避するのだろうか。

その理由のひとつは、厚生年金に加入すると、国民年金を脱退すると同時に、弁護士国民年金基金や個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入資格を失うからだろう。これによって保険料が上がったり、将来の年金額が減るなどのデメリットがあるかもしれない。

しかしそれより大きな問題は、厚生年金の保険料が「労使折半」になっていることだろう。

日弁連会長の報酬は月額105万円とのことなので、厚生年金の保険料は上限の月額11万8950円。これを弁護士会と折半するから、本人負担は5万9475円だ。それに対して国民年金の保険料は月額1万6540円で、弁護士会の負担はない。

「年金保険料が上がったとしても、そのぶん将来の受給額が増えればいいではないか」と思うかもしれない。本人負担についてはたしかにそのとおりで、厚生年金の受給額は保険料に応じて国民年金より多くなる。

しかし、弁護士会が負担する保険料については話がちがう。厚生年金の会社負担分は社員の年金に反映されるのではなく、国家に「没収」されるのだ。

「そんなわけない!」と驚いた方は、毎年1回送られてくる「ねんきん特別便」の加入記録を見てみるといい。そこには、(会社負担分を含む)厚生年金保険料の総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていない。そして厚労省は、この自己負担分をもとに、「厚生年金は支払った額より多く戻ってくる」と主張しているのだ。

しかし、法律家はさすがにこんな「詐術」にだまされない。弁護士会が負担する保険料がドブに捨てるようなものだとわかっているからこそ、「脱法的」に逃れようと画策したのだろう。

ちなみに、日弁連会長の厚生年金保険料(総額)は年142万7400円、15人の副会長分を加えると年1000万円は超えるだろう。これを10年放置していたら、未払い保険料は1億円。傘下の弁護士会も同じようなことをしていたなら、債務総額はさらに膨らむことになる。

法律の専門家がこの“難問”をどのように解決するのか、楽しみに待つことにしたい。同じようなことで悩んでいるひとにもきっと役に立つだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.92『日経ヴェリタス』2020年10月4日号掲載
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ダークトライアドとしてのトランプ 週刊プレイボーイ連載(448)

「史上もっとも見苦しい」と酷評された米大統領選の最初のテレビ討論が終わったと思ったら、トランプ夫妻が新型コロナに感染したというニュースが飛び込んできました(その後、回復しました)。アメリカ社会の混沌は深まるばかりですが、ここでは現実からすこし距離をとって、この事態をパーソナリティ(人格/性格)から考えてみましょう。

マキャベリズム、サイコパシー、ナルシシズムは社会的に好ましくない代表的な3つの性格で、これがすべて揃うことを「ダークトライアド(闇の三角形)」といいます。このタイプは他者への共感がなく、すべてが自分本位で、ささいな利益のために他人を操ろうとします。愛情や友情などとうてい期待できず、かかわった相手を片っ端から破滅させる、まさにモンスター的人格です。

このダークトライアドにあてはまる人物像として、トランプ米大統領ほどぴったりの例はないでしょう。トランプはことあるごとに、世界は強者(捕食者)と弱者(犠牲者)に二分されており、優れた者がすべてを手に入れ、敗者はなにもかも失うのが当然だと述べているのですから。

トランプ=ダークトライアド説はたしかに説得力がありますが、それが究極の「反社会的」人格だとすると、現実に起きていることがうまく説明できなくなります。ヒトは徹底的に社会的な動物ですから、「反社会的」なメンバーは真っ先に共同体から排除されるはずです。それにもかかわらずトランプは「世界最強国家」の権力の頂点に居座り、アメリカ人のおよそ半分がいまも熱烈に支持しているのです。

この矛盾は、次のように考えれば理解可能です。

感謝や思いやりの気持ちにあふれ、共同体のために生命を捧げることを厭わない「向社会的」な人物は、誰からも好かれ、高く評価されるにちがいありません。しかしこの「高徳なひと」が生存と生殖に有利かというと、そんなことはないでしょう。みんなのために真っ先に犠牲になれば子孫を残すことはできないし、平時であっても「いいひと」は一方的に利用されるだけかもしれません。とはいえ、向社会的なひとは共同体から排除される恐れがなく、そこそこの暮らしができるでしょうから、これは「ローリスク・ローリターン戦略」です。

それに対していっさい社会性がない人物は、一歩まちがえるとみんなの怒りを買って殺されてしまいますが、うまくすれば「いいひと」たちを出し抜いて大きな成功を収められるかもしれません。こちらは「ハイリスク・ハイリターン戦略」です。

だとすれば、ダークトライアドがたんに忌み嫌われるだけでなく、多くの追従者が生まれる理由がわかります。なぜなら、一発当てれば大きな権力を握る可能性があるのですから。社会的な動物である人間は、「反社会的」な人物を恐れながらも、称賛し憧れる「本能」をもっているのかもしれません。

向社会性というのは、ある意味、共同体の圧力から身を守る鎧のようなものです。ところがダークトライアドは防御をすべて放棄しているため、批判や中傷のような共同体からの攻撃にきわめて脆弱です。盾をもたない以上、すべての「敵」に全力で反撃し、殲滅しなければ生き延びることができません。

このように考えると、トランプの特異な性格をかなりうまく説明できるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2020年10月12日発売号 禁・無断転載

国民の3人に1人が「敬老」される国 週刊プレイボーイ連載(447)

世界でもっとも早く超高齢社会に突入した日本では、「敬老の日」で敬う高齢者の数がどんどん増えています。65歳以上の人口は1年間で30万人増えて3617万人となり、高齢化率(人口に占める高齢者の割合)は28.7%で、団塊ジュニア世代が高齢者となる2040年には35%を超えて国民の3人に1人が「敬老」される側になります。

誰も未来を知ることはできませんが、その(ほぼ)唯一の例外が人口動態です。戦争や内乱、疫病などで大量死する恐れがなくなった現代では、先進国だけでなく新興国でも半世紀後までの人口をほぼ正確に予測できます。

なんらかの「奇跡」が起きて若い女性がどんどん子どもを産むようになったとしても(そんなことはあり得ないでしょうが)、その子たちが成長して納税者になるまでには20年以上かかります。高齢者の急増で財政が逼迫し、社会保険制度が維持困難になることはずっと前からわかっており、いまからなにをしようが日本の未来はすでに決まっているのです。

「そんなことはない。若い移民にどんどん来てもらえばいい」という意見もありましたが、最近ではそうした声もだいぶ小さくなってきたようです。ヨーロッパで「移民問題」が、アメリカで「人種問題」が噴出し、社会が大きく動揺しているからで、ひと昔前には想像すらできなかったことですが、いまや欧米のリベラルな知識人が「移民の少ない日本社会は安定している」と評価するようになりました。

とはいえこれは、「多様性がない方がうまくいく」ということではありません。日本企業の幹部・役員は「日系日本人、男性、中高年、特定の大学卒(学士)」というきわめて一様な集団で占められており、これがリスクをとらずイノベーションを起こせない理由になっています。グーグルのようなシリコンバレーのテクノロジー企業は、多様な文化的背景を持つ社員たちの交流から、世界を変えるようなとてつもないアイデアを「創発」しているのです。――世界じゅうから学生を集めるアメリカの大学の魅力も同じでしょう。

しかしさらに考えてみると、こうした「多様性」の背後には「一様性」があることが見えてきます。GAFAのようなテック企業の従業員には、「きわめて高い知能を持つ」という共通点があるのです。

多様性が大きなちからを発揮するのは、優秀なひとたちが共通のゴール(収益の最大化、研究実績、あるいは世界を変える“ムーンショット”)を目指すときです。さまざまな国籍のひとたちが雑然と集まっただけでは、「よいこと」は起こらないのです。

そればかりか最近の研究では、「移民が多いほど社会資本の水準が低下する」ことがわかってきました。アメリカでは移民の割合が多いコミュニティの住民ほど、(自分と同じ民族を含め)他人を信用する気持ちが乏しく、政府や行政、メディアを信用せず、慈善活動のような社会参画にも消極的だったのです。

日本の場合、高齢化と人口減で外国人労働者がいなければ経済が回らず、かといって移民が増えると社会が不安定化し、それ以前に、高齢化に押しつぶされそうになっている国に優秀な若者たちが来てくれるのかすらこころもとなくなってきました。この難問に解はあるのでしょうか?

参考:Robert D. Putnam(2007)E Pluribus Unum: Diversity and Community in the Twenty-first Century, Nordic Political Science Association
ハッサン・ダムルジ『フューチャー・ネーション 国家をアップデートせよ』NewsPicksパブリッシング

『週刊プレイボーイ』2020年10月5日発売号 禁・無断転載