「節電」こそがもっとも地球にやさしい再生可能エネルギー 週刊プレイボーイ連載(473)

菅政権は、二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を掲げています。そのためには化石燃料から再生可能エネルギーへの転換が必要ですが、はたしてこれは実現可能なのでしょうか?

北ヨーロッパで風力発電が普及したのは、通年にわたって強い風が吹く北海の洋上に風車を並べているからです。それに対して日本は、北海道の北端がかろうじて偏西風の帯域に引っかかるだけで、風力発電の適地とはいえません。震災復興プロジェクトとして600億円を投じ、福島県沖で浮体式洋上風力発電の実証実験が行なわれましたが、政府は採算が見込めないとしてすべての施設を撤去する方針を固めました。経産省は21年予算に撤去関連費用50億円を計上していますが、例によって「失敗」の検証は行なわれていません。

太陽光発電はスペインなど南欧やアメリカのテキサス州で盛んですが、これは通年にわたって強い日差しがあるからです。それに対して曇天の多いモンスーン気候の日本では、地中海沿岸や砂漠地帯のような発電効率は見込めません。

こうした事情は、緯度が低く日照時間の短い北ヨーロッパでも同じです。ドイツは22年末までに原発をゼロにし、国をあげて再生可能エネルギーに転換しようとしていますが、2000年以降、消費者に請求される電気代は倍増し、二酸化炭素排出は横ばい、むしろ近年は増えています。風力発電と太陽光発電に多額の投資をする一方で、既存の原発を閉鎖したため、発電量が足りない分を石炭発電に頼らざるを得なくなったからだといいます。

太陽光発電は平坦な土地に多くのソーラーパネルを並べなくてはならないため、近年では「環境破壊」との批判も出てきました。日本は平地が少ないので、この問題はさらに深刻でしょう。地球環境を守るために環境を破壊するのでは本末転倒です。

火山の多い日本でもっとも有望な自然エネルギーは地熱ですが、発電の適地のほとんどが国立公園や国定公園で、温泉観光地としてすでに開発されているため、地元との困難な交渉が必要になります。環境省は2012年に地熱発電の規制を一部緩和しましたが、10年経っても大規模な地熱発電所はひとつもできていません。

そうなると残るのは二酸化炭素を排出しない原子力発電だけですが、福島原発事故の影響で既存の発電所の多くが再稼働できず、新設・増設の目途はまったくたちません。このように見ていくと日本の「エネルギー転換」は八方ふさがりで、絶望的な状況なのです。

だとしたら、このままなす術もなく世界からの批判に耐えなくてはならないのでしょうか。そんなことはありません。じつは素晴らしい「再生可能エネルギー」があります。それは「節電」です。

当たり前の話ですが、電力消費量が減れば、発電のための化石燃料も少なくてすみます。「節電はもっとも地球にやさしい発電」なのです。

節電のための効果的な政策は(家庭用)電気料金を大幅に引き上げることで、そうすれば「オール電化」のようなバカげたことはなくなるでしょう。さて、あなたはこの提案に賛成しますか?

参考:中田行彦(立命館アジア太平洋大学名誉教授)「脱炭素、過去の教訓に学べ 電機業界生き残りの条件」日本経済新聞2021年3月3日「経済教室」
アンドリュー・マカフィー『MORE from LESS(モア・フロム・レス) 資本主義は脱物質化する』日本経済新聞出版

『週刊プレイボーイ』2021年4月19日発売号 禁・無断転載

「#教師のバトン」炎上でわかった「学校」の構造的問題 週刊プレイボーイ連載(472)

文部科学省がSNSで始めた「#教師のバトン」プロジェクトが「炎上」しています。これから教師を目指す若者にバトンをつなぐという趣旨で、「所属長からの許諾等は不要」で意見を募集したところ、職場への不平不満が大量に投稿される事態になったのです。

テレビで紹介されたこともあって投稿は膨大な数にのぼり、とてもすべてを読むことはできませんが、「話題のツイート」をざっと見るだけでも、「妊娠しましたが流産しました。(パワハラで)メンタルが崩壊し、病気休暇となりました」「同僚が亡くなったこと。昨日まで元気に話をしていたのに、翌日にはもう冷たくなっていた」など悲痛な投稿が並んでいます。

この「野心的」なプロジェクトの背景にあるのは、教員志望者が減っているという危機感です。2021年から5年かけて、小学校のクラスの上限を40人から35人に減らすことが決まり、教員の定員が1万4000人増えます。ところが現場では高齢の教員が定年にさしかかり、毎年1万人以上が離職しているのです。

教師不足を解消するには大量の採用が必要ですが、2020年度の小学校教員採用試験では、倍率が2.7倍と過去最低を更新し、人材の質を保つ下限とされる3倍を大幅に下回りました。

とりわけ深刻なのは採用倍率1倍台の自治体で、採用担当者からは「臨時教員としてきた層まで採って数を確保している。求職などで代替要員が必要になったら応募者全員を採用するしかない」「正直、教員免許さえ持っていればいい。意欲や能力を問う余裕はない」などの本音が報じられています。

そこで文科省は、「学校はブラック職場」とのイメージを変えるべく、SNSを使って学校改革のさまざまな試みを広く知ってもらおうと考えたようです。ところが実際には、「土日もすべて部活に捧げる」「1日の平均労働時間は11時間超」「教師なんかにならないほうがいい」のオンパレードで、これではかんぜんに逆効果です。

この問題がやっかいなのは、まともな学生が教職を避けるようになると、それによって教師の質が下がり、親の不満や不安が大きくなることです。親が子どもの担任に抗議するとモンペ(モンスターペアレント)扱いされますが、“わいせつ教員”が過去最高になったなどの報道を見れば親が疑心暗鬼になるのも無理はありません。

この負のスパイラルによって公教育の質がますます低下すれば、経済的に余裕のある家庭は子どもを私立に入れて自衛しようとするでしょう。これでは社会の「格差」と「分断」が進むだけです。

だったらどうすればいいのか? もちろんかんたんな解決策はありませんが、教師の仕事を過酷なものにしているのが部活であることは間違いありません。日本では教師を「聖職」とし、子どものために滅私奉公するのが当たり前とされていますが、ヨーロッパのように部活を地域のスポーツサークルにアウトソースして、学校は授業のみを行なうようにすれば「働き方」はずいぶん楽になるでしょう。

とはいえ、そうなるとこんどは「塾や予備校で勉強させた方がマシ」という親が出てくるかもしれませんが。

参考「小学校教員の採用倍率「危険水域」 35人学級で必要数増」日本経済新聞2021年3月26日

『週刊プレイボーイ』2021年4月12日発売号 禁・無断転載

偏見をもたないように努力すると、より偏見が強くなる? 週刊プレイボーイ連載(471)

女性やLGBT(性的少数者)、人種・宗教的なマイノリティへの不適切な発言などを理由に、政治家、学者から芸能人まで、著名人を糾弾し辞任などを求める「キャンセルカルチャー」が日本でも世界でも猛威をふるっています。差別のない社会を求めるのは当然として、批判や炎上によって問題は解決するのでしょうか。

これについては、「ステレオタイプ(偏見)を抑圧しようとすると、より偏見が強くなる」という興味深い心理実験があります。

被験者はイギリスの大学生(男女)24人で、スキンヘッドの男性の写真を見せられて、5分間でこの人物の典型的な1日を書くよう求められます。このとき(ランダムに選んだ)半数は、「他人への印象はステレオタイプによるバイアスに強く影響されている」との心理学の知見を教えられ、偏見を抑制するよう暗に求められます。残りの対照群には、こうした指示はありません。

第三者が文章を評価すると、「教育」を受けたグループは偏見を感じさせる表現が少なくなっていました。ここまではよい話です。

被験者は次に、別のスキンヘッドの男性の写真を見せられ、同じく典型的な1日を想像するよういわれます。このときは、どちらのグループにも特別な指示がありません。

「教育」なしの対照群では、(当然のことながら)1回目と2回目の偏見のレベルは同じでした。ところが「教育」されたグループでは、2回目の偏見のレベルが大きく上がり、(「教育」なしの)対照群を超えてしまったのです。

2つめの実験では、被験者はスキンヘッドの男性について書いたあと、「本人が来ているので会ってください」と1人ずつ別室に案内されます。部屋には椅子が8つ並んでいて、いちばん端にデニムジャケットとバッグが置いてあり、「たぶんトイレで、すぐに戻って来るので、好きなところに腰かけて待っていてください」といわれます。

じつはスキンヘッドの男性などおらず、被験者がどこに座るのかを見るのが実験の目的です。偏見が強いなら、無意識に心理的な距離を取ろうとするでしょう。結果はというと、「教育」を受けたグループは、そうでないグループよりも遠くの椅子に座りました。

3つめの実験では、被験者はパソコンに表示される文字列を見て、単語か単語でないかを判断する課題をします。単語のなかには、「パンク」「暴力」など、スキンヘッドに関連する言葉が紛れ込んでいます。偏見が強いほどステレオタイプを想起しやすいのですが、「教育」を受けたグループの方が、偏見と結びつく言葉に素早く反応しました。

なぜこんなことになるのでしょうか。どうやらわたしたちは、「偏見をもつな」といわれると、(無意識に)偏見について考えてしまうようです。それを意識によって抑制するのですが、これは意志力(心理的エネルギー)を消耗するので、作業が終わったとたん、抑え込んでいた偏見が表に出てきてしまうのです。これは「思考抑制のリバウンド効果」と呼ばれます。

もちろんだからといって、差別を是正する努力が無意味なわけではありません。この実験からわかるのは、それがものすごくむずかしいということです。

参考:C. Neil Macrae, Galen V. Bodenhausen, Alan B. Milne, and Jolanda Jetten(1994)Out of Mind but Back in Sight: Stereotypes on the Rebound, Journal of Personality and Social Psychology

『週刊プレイボーイ』2021年4月5日発売号 禁・無断転載