都合の悪いことはすべて飲食店に押しつける日本の「正義」 週刊プレイボーイ連載(475)

北京でレストランを経営している知人に久しぶりに連絡したら、家族に会いに日本に一次帰国したあと、いまは深圳のホテルで2週間の強制隔離中との返事がありました。なぜ北京に戻るのに深圳にいるのか不思議に思って訊ねると、首都は規制が厳しく、海外帰国から21日経たないと入れないのだそうです。

そのため現在では日本から北京への直行便は飛んでおらず、北京以外の都市で21日間経過しないと、国内便も鉄道のチケットも買えません。北京に近い大連や青島、天津も21日間隔離で、大連では悪名高い肛門PCR検査があるため、首都から遠い深圳で隔離をすませ、上海の展示会などを見ながら北京に向かうことにしたとのことでした。

それに対して日本の空港では、簡易PCR検査の陰性証明や接触アプリのインストールなどが必要になるものの、14日間の隔離は各自の自主性に任されています。これでは、ホテルに向かうふりをしてそのまま自宅に戻ってしまったり、ホテルから抜け出して飲食街に出かけてもわかりません(その後、自宅での待機要請などに従わないひとが1日300人以上いることか明らかになりました)。

中国は「性悪説」で、人間はウソをついたりだましたりすることを前提に、国家権力が感染症対策を強制します。日本は「性善説」で、一人ひとりが公益のために自覚をもってルールを守るはずだと考え、権力の介入は最低限にしようとしています。

性善説は「民主的」で「自由」を尊重しているとして評判がいいのですが、その結果はというと感染拡大による3度目の緊急事態宣言で、飲食店は酒類の提供を禁止されるなど、さらなる苦境に追い込まれています。

北京は昨年末に数名の感染者が出て以来、70日以上にわたって新規の感染者が出ていません。北京の人口は2000万人超ですから、これは驚くべきことです。

その結果、知人が経営する北京や天津の飲食店はいずれも絶好調で、コロナ前の売上を大きく上回っているそうです。海外旅行はもちろん、国内旅行にもさまざまな制約が課されたことで、ひとびとが身近な場所で消費するようになり、他の飲食店もどこも盛況で「コロナバブル」の様相を呈しているのです。

もちろん中国でもすべてがうまくいっているわけではなく、旅行、航空、ホテルなどきびしい業界もあります。しかしそれでも、協力金をもらいながらひたすら耐えつづける日本の飲食業界とは愕然とするほどの差があります。

欧米の経験からわかったのは、感染が拡大しながら経済を活性化させるのは不可能ということです。規制がなくても、ひとびとは感染を恐れて外出しなくなり、どのみち消費は低迷するのです。それに対して、きびしい社会統制によって感染を抑制すれば、「Go Toキャンペーン」などやらなくても消費者はお金を使うようになります。

日本ではメディアも知識人も、「中国のような独裁ができるわけがない」といいつづけています。とはいえ、同じように感染抑制に成功している台湾やオーストラリアは立派な民主国家です。

「独裁」より「自由」のほうが気分がいいかもしれませんが、そのためのコストはすべて、飲食店など一部の弱者に押しつけられています。はたしてこれが「正義」にかなうでしょうか。

参考:【緊急レポート2021】コロナ封じ込めに成功している中国では飲食業界が好調。コロナ後には日本での爆買いも復活か!?

『週刊プレイボーイ』2021年5月10日発売号 禁・無断転載

 

日本人の自尊心はじつは高かった? 週刊プレイボーイ連載(474)

国際比較では日本人の自尊心(自己肯定感)はきわめて低く、それが高い自殺率の原因になっているとしばしば指摘されます。

実際、日本、アメリカ、中国、韓国の高校生に「人並みの能力があると思うか?」と訊くと、「とてもそう思う」「まあそう思う」と答えた割合は日本が最低です(もっとも高いのは中国とアメリカ)。

「自分はダメな人間だと思うことがあるか?」と訊くと、「そう思う」は日本の高校生がもっとも高く、韓国の高校生がもっとも低くなります。これほどまで自尊感情が低いと、ちょっとしたことで生きる気力をなくしてしまうのかもしれません。

しかし近年になって、こうした研究に疑問が呈されるようになりました。自尊心の国際比較は、すべてアンケート形式で主観的な感情を訊いているだけで、それが本心かどうかはわからないのです。

IAT(潜在連合課題)は、無意識(潜在意識)の傾向を“見える化”する手法として心理実験で広く使われています。黒人や女性などマイノリティへの「無意識の偏見」の計測が主な用途ですが、同じテストで潜在的な自尊心を調べることもできます。

パソコンの画面に「恋人」「友だち」「楽しい」のようなポジティブな言葉と、「仕事のミス」「孤独」「病気」などのネガティブな言葉がランダムに表示されます。それと、自分や他者に関連した刺激を結びつける反応時間の速さで潜在的自尊感情を評価するのです。

日本、アメリカ、中国の大学生を対象に、顕在的自尊感情と潜在的自尊感情を比較した研究はとても興味深い結果になりました。

質問紙による顕在的自尊感情では、アメリカと中国の大学生がきわめて高く、日本の大学生は極端に低くなりました。ここまでは従来の常識どおりです。

ところが、親友と比べた潜在的自尊感情(オレ/わたしの方が実はイケてる)をIATで調べると、3カ国の差はほとんどなくなりました(日本の大学生はアメリカより低いが中国より高い)。

さらに驚くのは、内集団(オレたち)のなかの潜在的自尊感情(このグループのなかで自分がいちばんイケてる)で、日本の大学生の自尊心は、アメリカや中国をひき離して圧倒的に高かったのです。

日本人の自尊感情が低く見えるのは、同調圧力が高い学校や会社で、自慢すると叩かれることが身に染みているからなのでしょう。しかしその一方で、内心ではきわめて高い自尊心をもっている(まわりを見下し、バカにしている)らしいこともわかりました。そうなると、日本人の自殺が多いのは、高い自尊心を社会が抑圧しているからかもしれません。

顕在的自尊心(外面)と潜在的自尊心(内面)は、ある程度独立していることがわかっています。だとすれば、「自尊心が高い/低い」という単純な二分法ではなく、「自信満々に見えるけど、虚勢を張ってるだけで実際はコンプレックスが強い」や、「一見、謙虚で腰が低そうに見えながら、実際はプライドが高くて扱いづらい」タイプがあるはずです。

どうでしょう。あなたのまわりにも思い当たるひとがたくさんいるのではないでしょうか。

脇本竜太郎『なぜ人は困った考えや行動にとらわれるのか?』より

*本文で紹介したIATテストはここで日本語版を体験できます。

参考:脇本竜太郎『なぜ人は困った考えや行動にとらわれるのか?』ちとせプレス
Yamaguchi S., Greenwald A. G. et al. (2007) Apparent universality of positive implicit self-esteem, Psychological Science

『週刊プレイボーイ』2021年4月26日発売号 禁・無断転載

『教えて! 尚子先生 中東・イスラムってなんですか?』発売のお知らせ

ダイヤモンド社の「橘玲×ZAi ONLINE 海外投資の歩き方」の人気連載が『教えて! 尚子先生 中東・イスラムってなんですか?』として電子書籍になりました。Kindle Unlimitedにも入っています。

著者・岩永尚子さんと写真家・安田匡範さんについて書いた序文をアップします。

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岩永尚子さんと安田匡範さんについて(作家・橘 玲)

岩永尚子さんと最初に会ったのはいまから20年以上前で、海外の金融機関の情報サイト「海外投資を楽しむ会」を友人たちと運営していた頃でした。「英語が話せるアルバイトがいたら助かるよね」と思いついて会員向けの掲示板に募集告知をしたら、最初に応募してくれたのが岩永さんだったのです。

岩永さんは当時、津田塾大学大学院生で、休学中にヨルダンの日本大使館で勤務し、任期が終わって大学に復学したばかりのときでした。「なんで海外投資なんですか?」と訊いたら、給料を現地の金融機関で受け取っていたので、それを運用したり送金したりする情報があればと思って会員になったとのこと。私たちの事務所は大学からもさほど遠くなく、「面白そうかな」と思ってバイトに応募したとのことでした。

博士を目指すようなハイスペックな人材を想定していたわけではないので最初は大丈夫かなと思ったのですが、気さくな人柄にすぐに仲良くなって、いっしょに香港ツアーに行くなど、結婚で転居するまで10年ちかくのおつき合いになりました。夫の匡範さんも長くアラブ諸国でJICAの仕事をしており、そのときに知り合ったのだそうです。写真が趣味で、今回の本には当時の写真がたくさん載っています。とりわけシリアの写真は、内戦で崩壊したいまでは貴重なものになってしまいました。

その後、ダイヤモンド社のWEBサイト(ZAi ONLINE)で「海外投資の歩き方」というページをもつことになり、海外在住の知人に現地情報を書いてもらうことにしたのですが、どうしても東アジア、東南アジアに偏ってしまいます。そのときに思いついたのが岩永さんで、「教えて! 尚子先生」というシリーズで、日本人には馴染みのないアラブの事情やイスラム世界のことをあれこれ書いてもらいました。

連載が始まったのがちょうど「アラブの春」の頃で、その後、「イスラム国」が大きな関心を集めたこともあって、岩永さんの記事はとてもよく読まれました。カルチャースクールでアラブ政治の講座をもったり、田村淳さん(ロンドンブーツ1号2号)のラジオ番組にゲストで呼ばれたり、講談社の「世の中への扉」シリーズ『イスラム世界 やさしいQ&A』を執筆するなど、たくさんの反響もありました。

その頃から、「いつかこの連載をまとめたいね」と話していたのですが、日本でもDX(デジタルトランスフォーメーション)が進むなか、電子書籍に関心があったこともあって、その第一号として制作することになりました。

目次を見ていただければわかるように、宗教から文化、生活、国際政治まで、アラブ世界のニュースに接して「なんで?」と思うことが網羅され、とてもわかりやすく、それでいて専門的なこともきちんと押さえて説明されています。私たちがどんな世界に生きているかを知るだけでなく、いまは気軽に海外旅行に行けない状況ですが、将来、アラブ圏を旅行したり、イスラムのひとと知り合いになったときにも役に立つのは間違いありません。

匡範さんのカラー写真はGoogleフォトにアップされているので、それを見ながら読み進むとより楽しい読書体験になるはずです。

橘 玲(作家)