差別をなくそうとすると差別が拡大する? 週刊プレイボーイ連載(477)

従業員の育成に大きなコストをかけている会社は、新入社員に長く働いてもらわないと元がとれません。このとき、女性社員が出産で退職する割合が有意に高いとしましょう。すると「社員教育に熱心な」この会社にとってもっとも合理的なのは、育児と仕事を両立できる制度を整えることではなく(さらにコストがかかる)、男の新入社員をたくさん採用することです(コストはゼロ)。

その結果、出産した女性が会社にいづらくなると、「やっぱり女はすぐに辞める」という予想が「自己実現」してしまいます。このような統計的な事実に基づいたステレオタイプを「統計的差別」といいます。

アメリカでは若い黒人男性が有罪判決を受ける割合が高く(その大半は麻薬売買などの軽犯罪)、失業率は全国平均の2倍に達しています。ところがそのアメリカには、採用にあたって求職者に犯罪歴を訊ねることを認めている州があります。

「あなたは有罪判決を受けたことがありますか」の質問で「はい」のボックスにチェックを入れると、当然のことながら、書類審査の合格率が大きく下がります。そこで23の州が、雇用機会の均等を保障し、黒人の雇用を増やすために、この質問を禁じました。これが「バン・ザ・ボックス法」です。

一見、よい案に思えますが、この「改革」にはどれほどの効果があるのでしょうか。それを確かめるために2人の研究者が、法律施行の直前と直後を利用して、ニューヨーク州とニュージャージー州の雇用主に1万5000件の架空の応募書類を送りました。

求職者の経歴はまったく同じで、有罪判決のボックスにだけランダムにチェックが入っています。そのうえで、白人と黒人に典型的なファーストネームを使い、人種的な要因で書類審査の合格率が変わるかを調べました。

法律施行前は、面接に進む割合は、白人の名前が黒人の名前より23%高いことがわかりました。雇用主は明らかに人種だけで応募者を選別しているのです。ただし、有罪判決の質問欄にチェックした応募者は、書類審査の合格率が62%低かったものの、白人と黒人のあいだに大きな差はありませんでした。

次いで「バン・ザ・ボックス法」が施行されるのを待って、研究者は同じ応募書類を送ってみました。すると驚いたことに、この改革によって、人種による格差が大幅に広がったのです。面接に進む割合は、白人の名前が黒人の名前より43%も高くなったのです。

なぜこんなことになるかは、雇用主の立場になって考えるとわかります。改革前は、書類を見れば有罪判決を受けたかどうかわかったので、黒人の応募者でも「犯罪歴がないなら面接してみようか」と思ったかもしれません。ところが「ボックス」が禁じられてしまうと、雇用主にわかるのは、「黒人の方が白人より有罪判決を受けている割合が高い」という統計的事実だけです。こうして、「黒人の応募者は避けた方が無難だな」ということになってしまうのです。

その結果、犯罪に手を染めていない黒人が「リベラル」な改革の最大の被害者になってしまいました。この理不尽な統計的差別を避けるには、応募者一人ひとりの犯罪歴が雇用者に伝わるようにした方がずっといいのです。

さて、あなたはこの事実(ファクト)をどう考えますか?

参考:Amanda Y. Agan and Sonja B. Starr(2016)Ban the Box, Criminal Records, and Statistical Discrimination: A Field Experiment, Quarterly Journal of Economics
アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』日本経済新聞出版

『週刊プレイボーイ』2021年5月24日発売号 禁・無断転載

第96回 都税カード払いの過度な手間(橘玲の世界は損得勘定)

法人都民税・事業税の予定申告の書類が送られてきた。新型コロナの感染拡大で緊急事態が発出され、わざわざ銀行に行くのも気が進まないと思ったら、クレジットカードでも支払えるという。

東京都の場合、カード払いには0.73%の決済手数料が別途かかる。これはムダなようだが、クレジットカードのポイント還元率が1%ならじゅうぶん元がとれる(マイレージなど、それ以上の還元率のカードもある)。

そこで納税サイトにアクセスすると、「納付番号」「確認番号」「納付区分」の入力が必須とされていた。だが通知書類のどこを見ても、確認番号しか記載されていない。

不思議に思って都税事務所に電話してみると、応対してくれた女性から、「納付番号を発行するには、申告書を先に送ってください」といわれた。

決算後の税務申告ならたしかにそのとおりで、納税者がいくら税を納めるのかを申告しなければ、税務当局は納付書を発行できない。だが予定申告では、前年度の決算に応じて仮の納税額を決めているのだから、納税者がいちいち申告する必要はないはずだ。

だが彼女によると、通知書といっしょに申告書がついているので、それに住所や法人名、代表者氏名などを記入し、押印したものを提出しなければならない。予定申告額を勝手に決められて、納税者に不服があるかもしれないからで、申告書を受け取ってはじめて正式の手続きができるのだという。

不可解なのは、申告書を郵送しただけではダメで、それが到着した数日後に納税者が都税事務所に電話して、申告が処理されていることを確認したうえで、納付書の発行を依頼しなければならないことだ。

それに輪をかけて不可解なのは、予定申告書を銀行の窓口にもっていけば、面倒な申告手続きを省略して税の納付が完了することだ。銀行員が予定申告書を受領することで、納税額に同意したと見なすことにしているのだろう(私の憶測だが)。

だとしたら、手続きルールをちょっと変えて、納税者がクレジットカード払いをした時点で、同様に納税額に同意したことにすればいいのではないだろうか。実際、国税では予定申告でもカード払いができるようになっている。

政府は感染防止のため、不要不急の外出を極力控えるように国民に求め、菅政権はDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進を掲げている。それにもかかわらず、なぜこんな簡単なことができないのか。

などと文句のひとつもいおうと思ったが、電話で説明してくれた女性から、「毎日大量に送られてくる申告書をすべて目視で処理しているので」といわれてその気も失せた。都税事務所の職員は、こんなことのために感染の危険を冒して、毎日出勤させられているのだ。

「そんなに大変なら銀行で納付するからいいです」といったあと、思わず、「ご苦労様です。頑張ってください」とつけ加えて電話を切った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.96『日経ヴェリタス』2021年5月15日号掲載
禁・無断転載

官僚はなぜ見捨てられつつあるのか? 週刊プレイボーイ連載(476)

公務員試験の受験者数が年々減少しています。2021年は、中央省庁の幹部候補となる総合職の申込者数が前年比14.5%減の1万4310人になりました。採用者数を平年並みの2000人とすると倍率は7倍。2012年の倍率が17倍ですから、わずか10年足らずで半分以下になったことになります。

受験者が減っているだけでなく、国家公務員は優秀な大学生から見放されてもいるようです。かつては東大法学部の卒業生は学者か官僚を目指し、民間企業に就職するのは格下とされましたが、20年度の公務員試験では東大の合格者が過去最少になり(合格者数は1位)、外資系金融機関やコンサルティング会社など、高収入で見栄えのいい仕事の人気が高まっています。官僚や法曹を養成してきた法学部自体が魅力を失っているということもあるでしょう。

公務員が避けられる理由は、「ブラック霞が関」という言葉に象徴されるように、労働環境が過酷だからです。人事院が公式に発表している残業時間は平均で月29時間程度ですが、これにはサービス残業が含まれておらず、アンケート調査では回答者の65.6%が労働基準法の年間超過勤務上限である720時間を超えていました。「過労死ライン」は年間960時間ですが、1000時間超が42.3%、そのうち1500時間超が14.8%もいて、官僚の半分ちかくが過労死してもおかしくない異常な状況です。

霞が関の「ブラック度」はコロナ禍でさらに悪化し、内閣官房でコロナ対策を担当する職員の1人が、1カ月だけで約378時間もの残業をしていたと話題になりました。残業だけで24時間×16日分ですから、1日の休みもなく、ほとんど睡眠もとらずにひたすら仕事をしていたことになります。

これほどまで悲惨な状況では学生が二の足を踏むのは当然ですが、敬遠されるのはそれだけが理由でもなさそうです。内閣人事局が行なったアンケート調査では、30歳未満の男性職員の7人に1人が「数年以内に辞職意向」と回答して衝撃を与えましたが、その理由は「長時間労働等で仕事と家庭の両立が難しい」と並んで、「もっと自己成長できる魅力的な仕事につきたい」だったのです。

これをひと言でまとめれば、官僚の仕事は「過労死するほど働いても、自己成長もできず魅力もない」になります。だとすれば、そもそもこんな仕事を目指す学生がいること自体が不思議です。

知識社会が高度化するにつれ、ますます高い専門性が要求されるようになりました。日本の官僚のほとんどが学士(学部卒)ですが、国際会議などに出ると、相手は欧米の一流大学で修士や博士を取得したエリートばかりです。それだけでも差を感じるのに、役所の人事制度は3年程度で異動を繰り返し、さまざまな部署をこなせる「ゼネラリスト」を養成しようとするので、自分が担当する分野すら素人とたいして変わらない知識しかもてません。

これでは、役所を離れたとたん、なんの使い道もない人材になってしまいます。賢い学生たちは、生涯現役社会でスキルを獲得できない職場を選ぶのは「敗者への道」だと正しく理解しているのでしょう。

参考:千正康裕『ブラック霞が関』新潮新書
千正康裕「「超ブラック職場」」で「霞が関」崩壊危機」週刊新潮2021年4月29日号

『週刊プレイボーイ』2021年5月17日発売号 禁・無断転載