『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』発売のお知らせ

幻冬舎より『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』が発売されます。発売日は6月23日(水)ですが、大手書店には、早ければこの週末に並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売です)。

この数年、興味をもってきた「心理学のパラダイム転換」「パーソナリティ研究のルネサンス」について私なりにまとめたものです。

この「新しい科学」によると、人間の性格はいくつかの基本的な要素から構成されています。これはふつう「ビッグファイブ」と呼ばれていますが、本書では8つに拡張しています。

この理論の驚くべきところは、きわめて単純な原則の組み合わせだけで、「わたしは何者なのか?」「あのひととはうまくいくのに、別のひととはなぜうまくいかないのか?」という“人類史上最大の謎”に科学が明快な答えを示せることです。

これは人間科学におけるとてつもないブレークスルーで、今後、心理学だけでなく、社会学、政治学、経済学など人間についてのあらゆる議論の基礎になり、社会を大きく変えていくでしょう。

ぜひ私の驚きを共有してください。

 

ファクトチェックは役に立たないばかりか逆効果? 週刊プレイボーイ連載(479)

ネット上には膨大なフェイクニュースが飛び交い、それが社会に大きな影響を与えることが無視できなくなってきました。

アメリカではQアノンが、「コロナのワクチンにはマイクロチップが入っていて、5G電波で操られる」などの陰謀論を唱え、ワクチン接種が進まない理由になっています。このワクチン陰謀説は世界的に広まっており、日本でも県議会議長を務めた自民党県連の重鎮が「(ワクチンを打てば)5年で死ぬ」などと主張していることが報じられました。

こうした誤情報に対抗する武器とされるのがファクトチェックです。「間違った信念は科学的に正しい情報を与えることによって訂正されるはずだ」というのは、至極もっともに思えますが、はたしてこの常識はどこまで通用するのでしょうか?

アメリカの研究者が、「誤情報の訂正にひとはどのように反応するのか」を調べた研究があります。

2001年の同時多発テロで、ブッシュ政権はイラク(サダム・フセイン)が大量破壊兵器を保有していることを理由に開戦に踏み切りました。ところがのちに、イラクには大量破壊兵器は存在しないことが明らかになりました。

研究者はこれを利用して、リベラルと保守で政治的立場が異なる被験者に、ブッシュ大統領がイラク戦争を熱烈に擁護している記事と、その後の訂正記事(大量破壊兵器はなかった)を読んでもらいました。

リベラルな被験者は、もともとブッシュの演説に同意する割合が高くなかったのですが、その根拠が間違っていたことを知ったあとは、イラク戦争の正当性への疑念がさらに高まりました。ファクトチェックによって正しい認識をするようになったのですから、これはよいことです。

ところが保守的な被験者では、まったく予想外のことが起こりました。このひとたちもファクトを呈示されたことで認識を変えたのですが、それは逆の方向だったのです。「大量破壊兵器はなかった」という記事を読んだ保守派は、ブッシュのイラク戦争への支持を大きく高めたのです。

なぜこんなことになるのか。ひとつの説明は、「リベラルは賢く、保守派はバカだ」でしょう。

そこで研究者は、リベラルが誤解している記事(幹細胞研究の禁止)を使って同じ実験をしてみました。するとこんどは、保守派がファクトチェックによって正しい方向に認識を変えたのに対し、リベラルはファクトにほとんど反応しなかったのです。

このことは、「ひとは見たいものしか見ない」だけでなく、「見たくないものを突きつけられると、自分の誤った信念にさらにしがみつく」ことを示しています。ファクトチェックに効果があるのは、自分にとって都合のいい「ファクト」だけなのです。

もちろんこれは、「ファクトチェックなどやめてしまえ」ということではありません。多数を占める政治的に中立(穏健)なひとたちは、ファクトによって正しい認識をもつことが期待できます。しかしその一方で、「ファクト」には社会の分断をさらに拡大する「不都合な効果」があるようです。

参考:Brendan Nyhan and Jason Reifler (2010) When Corrections Fail: The persistence of political misperceptions, Political Behavior

『週刊プレイボーイ』2021年6月7日発売号 禁・無断転載

「ワクチン敗戦」の語られざるほんとうの理由 週刊プレイボーイ連載(478)

5月になってようやく日本でも一般のワクチン接種が始まったものの、予約システムの不具合や、国と地方の連携不足など、例によってトラブルが頻発しています。ワクチン開発の目途が立ってから半年以上たつのですから、その間、いったいなにをやっていたのかと批判されても仕方ありません。

しかし、日本の「ワクチン敗戦」にはさらに深刻な要因があります。

政府のコロナ対策分科会のメンバーなどによれば、ファイザーは3、4万人規模の治験をアメリカで行なっており、そのなかに日系人も含まれているにもかかわらず、厚労省は日本国内での臨床試験にこだわりました。もちろん、ワクチンには副反応のリスクがありますから、海外のデータをそのまま使うのではなく、日本人を被験者とした治験を実施したほうがよいのは当然です。

問題は、アメリカに比べて日本の感染者が圧倒的に少ないため、治験の被験者が集まらなかったことです。日本人のほんとうのリスクを知るためには数十万人単位の治験が必要ですが、結果として行なわれたのはわずか160人。これでは医学的にはなんの意味もなく、「アリバイづくり」以外のなにものでもありません。

厚労省が「無意味」とわかっている治験にこだわったのは、日本独特の理由があります。子宮頸がんワクチンに対しては、医学的な根拠がないにもかかわらず、新聞・テレビなどの大手メディアがこぞって健康被害を報じ、恐れをなした厚労省は「勧奨接種」から外してしまいました。こんなことをしている国は世界に日本しかなく、WHO(世界保健機関)から繰り返し批判されていますが、それでも撤回できないほど「メディアの暴力」は恐ろしいのです。

そもそも日本では、1970年代からワクチン禍訴訟が相次ぎ、92年の東京高裁判決をきっかけに予防接種法が大幅改正され、これまで「義務接種」だった予防接種が「勧奨接種」になりました。その結果、ワクチン接種は実質任意とされ、国民に納得して接種してもらうには、厚労省は「絶対安全」を証明しなくてはならなくなったのです。

こうした歴史的経緯(トラウマ)によって、新型コロナでも、日本国内での治験にあくまでもこだわることになったのでしょう。だとすれば、必要なのは「政治的決断」でした。

ワクチン接種で先行したアメリカやイギリスでは、行動制限が大幅に緩和されことで消費が活発になり、楽観的な気分が広がっています。それに比べて日本では、ワクチン接種が進まないなか、緊急事態宣言で飲食店などに大きな負担をかけ、不人気のオリンピックが近づいています。

この「三重苦」で菅政権の支持率は大きく下がっていますが、昨年12月にワクチンを承認していれば、日本でも2カ月早く一般のワクチン接種が始められたはずです。そうなれば、社会の雰囲気もずいぶんちがっていたのではないでしょうか。間違った決断だけでなく、決断できないことも「敗戦」への道なのです。

ちなみに、この「政府の失敗」を野党が追及しないのは、20年の改正予防接種法付帯決議で、コロナワクチンの承認審査を「慎重に行うこと」と求めたからで、大手メディアが批判しないのは、過去の「非科学的」なワクチン報道を検証されることを警戒しているからでしょう。

参考:大野元裕、小林慶一郎、三浦瑠璃、宮坂昌之、米村慈人「徹底討論 コロナ「緊急事態列島」」月刊『文藝春秋』2021年6月号

『週刊プレイボーイ』2021年5月31日発売号 禁・無断転載