「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第3回は「プーチンの演出家」ウラジスラフ・スルコフの小説“Almost Zero(ほとんどゼロ)”の紹介です。(公開は2022年4月21日。一部改変)

2018年のロシアワールドカップで、ロシアの勝利に赤の広場に集まるひとたち  (@Alt Invest Com)

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ロシア(ウクライナ)系イギリス人のピーター・ポマランツェフは、2006年から10年までモスクワのテレビ局でリアリティショー(ドキュメンタリー)の制作に携わり、ロシアのメディアが“Nothing is True and Everything is Possible”(真実などどこにもなく、すべてがでっちあげ)という並行現実(パラレル・リアリティ)をつくりあげていることをさまざまな興味深い事例とともに描き出した。

[参考記事]●陰謀論とフェイクニュースにまみれた国

その登場人物なかでも、際立って興味深いのはウラジスラフ・スルコフだろう。「クレムリンの創造主(デミウルゴス)」「ロシア史上最高の政治工学者」の異名をもち、それ以外にも「宰相(ワズィール)」「灰色の枢機卿」「オズの魔法使い」などとも呼ばれている。

スルコフは2011年12月から13年5月まで、プーチン政権とメドヴェージェフ政権で副首相を務め、その後は20年2月まで大統領補佐官だった。その役割をひと言でいうなら、「プーチンの演出家」になるだろう。

スルコフは2008年に、自身の経験に基づく小説“Almost Zero(ほとんどゼロ)”を(筆名で)出版している。その華やかな経歴とこの風変りない小説からは、うすら寒くなるようなニヒリズムが感じられる。

自分さがしから辣腕の広告マンへ

ウラジスラフ・スルコフはソ連時代の1964年(62年の説もあり)にチェチェン・イングーシ自治共和国で、チェチェン人の父親とロシア人の母親とのあいだに生まれた。両親は共に教師だったが、父親はスルコフの幼少時に家を出ていった。その後、母親とともにモスクワの南のリペツク州に移り、名前をアスラムベクからロシア風のウラジスラフに変え、ロシア正教の洗礼を受けたといわれている。出生時の状況には諸説あるものの、父親がチェチェン人であること、母子家庭で育ったこと、子どもの頃からきわめて優秀だったことは間違いない。

ポマランツェフによれば、高校時代のスルコフは反抗的な若者で、「ベルベットのズボンをはき、ピンク・フロイドのように髪を長く伸ばし、詩を作り、女の子に人気があった」。文学や演劇、音楽などに傾倒し、「彼はオールAの優等生で、文学作品に関する彼の作文をよく教師たちが教員室で読み上げていたほどだ」とされる。――クリミア併合後の2014年3月、スルコフはオバマ政権による制裁で米国への入国を禁止されるが「アメリカで興味があるのは2パック・シャクール(ラッパーで96年に銃撃により死亡)、アレン・ギンズバーグ(ビート世代の詩人)、ジャクソン・ポロック(抽象画家)だけだ。彼らの作品にアクセスするためにビザは必要ない」と述べた。

1982年にモスクワの国立科学技術大学に進学したスルコフは、金属学を専攻したが興味をもてなかったらしく、1年で中退すると83年から85年まで軍歴についた。公式の経歴ではハンガリーのソ連砲兵連隊に配属されたたとされるが、参謀本部情報総局 (GRU) に所属していたとの説もある。

除隊後はモスクワ文化学院で演劇を学んだが、ペレストロイカで民間企業が解禁されるとふたたび大学を中退し、87年にミハイル・ホドルコフスキーの金融事業の広告部門の責任者に就任する。スルコフはこのとき弱冠24歳で、PRについてなんの経験もなかったのだから、まさに大抜擢だ(90年代後半にモスクワ国際関係大学の経済学修士を取得している)。

ホドルコフスキーはロシア初期のオリガルヒ(新興財閥)の一人で、1963年生まれだからスルコフと同世代だった。エリートとして大学卒業後にコムソモール(共産党の青年組織)の書記となったホドルコフスキーは、民間事業の可能性にいち早く気づき、88年に科学技術進歩商業革新銀行を設立(その後、メナテップ銀行と改称)した。ソロコフがどのような伝手でホドルコフスキーと知り合ったのかは不明だが、この“ベンチャー企業”の幹部として広告・広報部門を仕切ることになる。

91年にソ連が崩壊し、ボリス・エリツィンがロシア連邦の初代大統領になると、「自由化」の名の下に国の資産が割安で売りに出され、西部開拓時代のゴールドラッシュのような「一攫千金」の混乱が生じた。ホドルコフスキーはこの千載一遇のチャンスを見逃さず、民営化された多くの会社の株式を買い占め、メナテップ銀行を中心に巨大な持ち株会社をつくりあげた。

スルコフの最初の大きな仕事は、92年のメナテップ銀行の広告キャンペーンだった。「ロシアで最もハンサムなオリガルヒ」と呼ばれたホドルコフスキーが、「楽に金儲けしたければ、僕の銀行にどうぞ」「僕は成功した、君もできるさ!」と満面の笑みを浮かべて札束を差し出すポスターを街じゅうに貼り出したのだ。

ソ連時代に「資本主義は悪」と徹底して教育されてきた国民にとって、この広告はとてつもない衝撃だった。それまで金持ちは自分の成功を隠さなければならなかったが、スルコフは時代の変化にいち早く気づき、「富は美徳だ」と宣言したのだ。

クレムリンでプーチンを演出する

ホドルコフスキーは95年にグループの投資会社「ロスプロム」を設立し、石油会社ユコスを含む多くの企業を傘下に置く一大財閥を形成した。スルコフは97年までロスプロムの広報部門の責任者を務め、その後、ウクライナ出身のオリガルヒ、ミハイル・フリードマン(1964年生まれのやはり同世代)のアルファ銀行に移ったが、ここは1年間の腰掛けだった。98年に国営テレビ放送(ロシアワン)の広報担当ディレクターになったあと、翌99年にロシア大統領府副長官に任命されている。このとき33歳で、ホドルコフスキーの事業に参加してから6年しか経っていないのだから、驚くべき出世だ。

スルコフに与えられた任務は、ホドルコフスキーのイメージをつくり上げたのと同様の手法で、エリツィンの後を継いで大統領に就任することになっていた第一副首相(プーチン)を、メディアを使って演出することだった。

プーチンは大統領になると、政権に批判的な報道をしていたテレビ局NTVのオーナーでオリガルヒのウラジーミル・グシンスキーを、過去の民営化をめぐる横領・詐欺容疑で逮捕し、NTVは政権寄りのガスプロムに買収された。これによってクレムリン(プーチン政権)はロシアの全国ネットをすべて支配し、スルコフは絶大な権力を振るうことになった。ポマランツェフはその様子をこう書いている。

元大統領副長官、次いで副首相を務め、そののち外交問題大統領補佐官に就任したスルコフは、ロシア社会を一つの巨大なリアリティ・ショーのように演出してきた。彼がぱんと一つ手を叩くと、新しい政党が出現する。もう一度叩くと、ヒトラーユーゲントのロシア版である「ナーシ」が生まれる。「ナーシ」は、民主主義の支持者になりそうな者たちとの市街戦を想定した訓練を受けたり、赤の広場で愛国的でない作家の著作の「焚書」をしたりしている。スルコフは大統領府副長官として、彼のクレムリンのオフィスで週に一度テレビ局の経営者らと会い指示を出していたものだ――誰を攻撃し誰を擁護するか、テレビ出演が許可される者と禁止される者、大統領をどのように見せるか、またか国民が考えたり感じたりする際のまさに言い回しや範疇についての指示だった。

ホドルコフスキーはメナテップ銀行を98年のロシア危機で経営破綻させたものの、ユコスがルクオイルと並ぶロシア最大の石油会社に成長したことで、さらに大きな影響力をもつようになった。だがクレムリンの政争に巻き込まれ、2003年に脱税などの罪で逮捕され、禁錮9年の実刑判決が下され、シベリアの刑務所に収監された(その後、2017年まで刑期が延長されたが13年に恩赦で保釈、イギリスに亡命した)。

大学を中退し、「自分さがし」をする演劇青年に過ぎなかったスルコフにとって、ホドルコフスキーは人生を一変させてくれた“恩人”だ。ところがスルコフは、囚人服を着て動物のように檻に閉じ込められているホドルコフスキーの姿を繰り返しテレビで放映させた。そのメッセージは明らかだった、とポマランツェフはいう。「『フォーブス』の表紙を飾っていたのが監獄に入ってしまっても、たった写真一枚の差なんだよ……」。

「クレムリンの創造主(デミウルゴス)」の奇妙な小説

ロシアにおいて、テレビによるプロパガンダの影響力を最初に理解したのは、「クレムリンのゴッドファーザー」と異名をとったオリガルヒのボリス・ベレゾフスキーだった。主要テレビネットワークORT(チャンネル1)を支配下に置き、1996年の大統領選で再選が危ぶまれたエリツィンが踊る姿をテレビ放映して健康不安説を払拭させた。さらには、対立候補を「赤色(スターリニズム)と褐色(ファシズム)」に仕立て上げ、「迫り来るポグロムについての恐ろしい物語」をTV番組にし、「でっちあげ(フェイク)の極右政党」までつくり出してみせた。

ベレゾフスキーはその後、プーチンと対立してイギリスに亡命、慰謝料や裁判費用で無一文にちかい状態になって13年にロンドンで自殺した(他殺説もあり)。スルコフはベレゾフスキーの後を継いで、より精緻な「政治工学」を駆使してオルタナファクト(もうひとつに事実)を次々と生み出していった。

「この新しい権威主義(オーソタリアニズム)の優れた点は、20世紀の緊迫した状況ではありがちだったたんなる反対派の弾圧ではなく、すべてのイデオロギーや運動の内部に入りこみ、それらを利用したうえに、ばかげたものにしてしまうことだ」とポマランツェフは書く。スルコフの特徴(「魅力」といってもいい)は、富や権力に取り憑かれるのではなく、それを醒めた目で見ているトリックスター的なところだろう。

スルコフは、たった今市民フォーラムや人権関連のNGOに資金を供給したかと思えば、次の瞬間には、NGOを西側の手先になっていると主張して糾弾している民族運動の側を密かに支持する。彼はこれ見よがしにモスクワで最も刺激的なモダン・アーティストのための芸術祭を気前よく後援したかと思えば、次にはそのモダン・アートの展覧会を攻撃するロシア正教の原理主義者を支持して、黒ずくめの服装で十字架を持ち歩く。(略)クレムリンの考えるモスクワは、午前中は寡頭政治、午後は民主主義、夕食時には君主政で、就寝時までには全体主義国家といった趣がある。

そんなスルコフが、2008年に自身の経験に基づく小説(Almost Zero)を発表したのだから、たちまちベストセラーになったのも当然だ。もちろん読者は文学性を期待したのではなく、この作品から体制の内側を覗き見られるかもしれないと思ったのだ。

“Almost Zero”は「ナタン・ドボヴィツキー」というペンネームで出版されていて、スルコフは作者であることを認めていないが、彼の妻の名は「ナタリア・ドボヴィツカヤ」だ。公式にはスルコフは推薦文を寄せているだけで、そこには「この小説の作者は独創性のかけらもない、ハムレットに取り憑かれた三文文士に過ぎない」と「これは私が今までに読んだ本のなかでも最高傑作である」という矛盾したことが書かれている。まるで、この作品がどのような扱いを受けるかをわかったうえで、読者・批評家をからかっているかのようだ。

このような経緯を知ると、この小説がどんなものか読んでみたいと思うだろう。Amazonでは取り扱っていないが、インターネットを検索してみると、ニューヨークの独立系出版社が英訳しているのを見つけた(PDF版は10ドル)。この英訳版は、どういう経緯なのかはわからないが、「著作権フリー」になっている。

そこでさっそく購入して読んでみたのだが、これはスルコフという人物そのままで、一筋縄ではいかない奇妙な小説だった。

ハードボイルドのパロディ

“Almost Zero”は、「生涯(The Career)」という短編小説から始まる。主人公はヴィクトール・Oという若者で、地方からモスクワに出てきたものの食い詰め、強欲な家主一家の下働きとして、家主の妻への性的なサービス込みで寄宿することになる。だがあまりに酷使されたため、ヴィクトールは精神に変調をきたし、化学実験室に駆け込むと、ベルトルト・シュヴァルツ(ドイツの科学者で、14世紀に黒色火薬を発明したとされる)に変身して火薬をつくり、工場の半分を吹き飛ばしてしまう。

精神科施設に入れられたヴィクトールは、投薬治療によって、自分がシュヴァルツでなく火薬がすでに発明されていることを納得したが、こんどは作家に変身して、13時間で小説を書き上げた。それはロシア革命直後の1921年にロシアの作家ザミャーチンが発表したディストピア小説“We(われら)”と一字一句同じだったが、ヴィクトールはそれを読んだことがなかった。

ザミャーチンの『われら』では、1000年後の世界は〈単一国〉という都市国家によって統治されている。国民はアルファベットと番号で管理され、食事から性行為まで、人生のすべてを〈時間タブレット〉によって国家が決めている。ジョージ・オーウェルはこの作品に触発されて『1984年』を書いたが、全体主義の悪夢を描いた『われら』がいきなり出てくるところに(ロシアを全体主義国家にしたと批判されている)スルコフの諧謔趣味がよく現われている。

哀れなヴィクトールはその後、角と牙をもち、全身が剛毛に覆われた動物に変身し、100匹以上に増殖してモスクワ一帯の農地を荒らすようになる。最後には、動物愛護団体の抗議にもかかわらず狩猟許可がおり、世界中からハンターたちが集まって駆除されてしまう……という話だ。

“Almost Zero”の主人公はエゴール(Yegor)というフィクサー(出版社の社長)で、こういう(どうしようもない)小説を高額で購入している。文化的な箔をつけたいオリガルヒに、自身の作品として発表できるという条件で、さらに高値で売りつけているのだ。

こうしたいかがわしいビジネスによってエゴールは、モスクワの高層マンションのペントハウスで暮らすまでになった。暑さに弱いので、部屋はつねに華氏52度(摂氏11度)にしていて、たまの来客のためにコートや耳あて付きの帽子を用意している。

マンションの1階には「ダイヤモンド」という高級レストランがあり、エゴールはそこでさまざまな来客と打ち合わせをする。あるときエゴールは、このレストランでクライベイブ(Crybabe)というファムファタル(運命の女)と出会う。エゴールとクライベイブはいっしょに暮らしはじめるが、彼女の望みは映画スターになることで、すぐに別の男に乗り換えて、金がなくなったときだけエゴールに連絡してくる。

クライベイブは夢見ていたように映画出演を果たすのだが、それは無残に首を絞められて殺される役だった。その場面があまりにリアルだったので、エゴールはそれが演技ではなく、スナッフフィルム(実際の殺人を撮影した映像作品)ではないかと疑い、映画スタジオを訪ねる。そのスタジオはエゴールの生まれ故郷に近い北コーカサスにあり、そこでエゴールは、これまで記憶から抹殺してきた過去の自分と向き合うことになる……。

この晦渋かつひとを食ったような小説の筋を無理にまとめるとこのようになる。スルコフはこれを「ギャングスタ・フィクション」だというが、ハードボイルドのパロディ(スラプスティック・ハードボイルド)のような印象だった。

「とてつもなく賢い若者」のニヒリズム

「クレムリンの創造主」スルコフの小説では、主人公の出版社社長は高級レストラン「ダイヤモンド」に浮浪者のような詩人を呼んで、クライアントの州知事のために詩集を、その姪が映画学校を卒業するために映画の脚本を、契約どおり書くよう催促する。

次にレストランに現われたのは硬派の女性ジャーナリストで、州知事の親族が所有している化学工場の汚染で子どものがんが広がっていると告発した。そこでエゴールは、クライアントの意を受けて、「化学工場はやはり必要だ」という記事を新たに書くかわりに、モスクワに近い自然保護区の一等地に別荘(ダーチャ)用の土地を提供する話をする。さらには、州知事の系列の銀行から優遇金利で別荘の建築費用を借りることもできる。

その提案がまとまると、エゴールは“ウォッカ派”と“ビール派”の政治家の討論会の企画を女性ジャーナリストに持ち掛ける。“ウォッカ派”はビールの規制を要求してビール会社から献金を受け、“ビール派”はウォッカの規制を要求してウォッカ会社から献金を受け取る。これは出来レースで、そのあと2人は儲けを山分けする。エゴールの仕事は、この討論会の記事を報酬を払って有名ジャーナリストに書かせることだ。これはもちろん創作だが、スルコフはずっと、このようなことをやってきたのだろう。

女性ジャーナリストが帰ったあと、クライベイブを待つあいだ、エゴールはレストランで一人、自分の人生を回想する。以下の記述は、ソロコフが自分自身について語っているとしても違和感はないだろう(意訳。省略あり)。

エゴールは「異常に金持ちのロシア人」と呼ばれるグループに属し、その収入や道徳観は「ミリオネアのライフスタイル」といわれるものを実現可能にしていた。見てくれをよくし、高尚な趣味に蕩尽し、だが精神的には「ゼロ」を描くだけ。カネはものすごい勢いで入ってくるが、「神のみぞ知る」理由で途方もないカネが消えていく。エゴールは、どうすれば貯蓄し、資産管理できるかなにもわからなかった。そうしたいと心の底から望んでいるにもかかわらず。

突然、彼は新しい車が必要になった。メルセデス? レクサス? 朝食のビジネスミーティングがランチになり、夜中のどんちゃん騒ぎになだれ込む。プロの女の子たちや、有名ミュージシャン、ダンサーたちを彼のゲストとして派遣会社に手配させ、3週間続いたドカ飲みも忘れちゃいけない。みんな大満足で、ぎりぎりで飛び乗った飛行機でパリに出張し、そこでもパーティは続いたっけ。

そんなこんなで、貯金はまったくできない。倹約生活は無意味に思えるし、こんな調子では浪費三昧ですっからかんになるのは不可避のようだし、それがいつ起きたっておかしくはない。金持ちになればなるほど、エゴールの精神状態は不安定になっていった。イギリス人のいう「冷たく落ち着いたプライド」というやつが、彼のような億万長者には不可欠なのだ。

タックスヘイヴンに隠した大金も含め、未来に確実なものなんてなにもない。最悪なのは、未来が貧しく悲惨だった過去の反映だとわかっていることだ。無一物で放り出され、希望もなく、記憶の鎖から逃れようとあがく。過去は捨てられた恋人のように、荒れ果てて執念深い。過去と向き合うことは「破滅」の同義語で、だからこそエゴールは、恐怖も野心すらもなくつねに前進しつづけ、記憶に背を向けなければならない。これからなにが起ころうとも、それがかつての自分でないかぎり。

ロシアの地方都市のシングルマザーの家庭に生まれたエゴールは、ソ連時代末期の見せかけのイデオロギーに幻滅し、「書物を通じて知識を得たヒップスター」として成長する。彼の人生は、1980年代にボヘミアン仲間に加わろうとモスクワに移り住み、90年代にPR業界の導師(グル)になるスルコフの経歴と共通する部分が多い。

「スルコフは、地位も、仕える相手も、イデオロギーも、何のためらいもなく変えた」と、この本を評してポマランツェフは書く。エゴールは(そしてスルコフも)、「彼の生きる時代の浅薄さを見抜くことはできるが、誰に対しても何に対しても心からの感情を持つことができない“俗物のハムレット”」なのだ。

そしてこのようなタイプの新しいエリートは、ロシアでは珍しくない。その一人はポマランツェフにいった。

「この20年というもの、僕らは自分たちがまるで信じていない共産主義、それから民主主義とデフォルト、マフィア国家とオリガルヒを生き抜いてきたよ。結果、僕らはそれらすべてが幻想であるし、何もかもPRであることに気づいたってわけさ」

ソ連崩壊でこれまでの価値観が底が抜けたように消え失せ、その後の混乱を目にした「とてつもなく賢い若者」たちは、大衆は簡単に操作できるし、現実なんて自分が好きなように適当につくり出せばいいのだと思うようになった。

いまのロシアはたしかに「宗教的なナショナリズム国家」だが、そこに「ポストモダン」を感じるのは、底流にこうしたニヒリズムがあるからでないだろうか。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第2回 陰謀論とフェイクニュースにまみれた国
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第5回 ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」
第6回 30年前に予告されていた戦争

禁・無断転載

元首相襲撃犯とジョーカー 週刊プレイボーイ連載(531) 

安部元首相への銃撃事件では、容疑者の男が母親が入信した新興宗教団体に強い恨みを抱いていたことがわかりましたが、それがどのように「テロ」へと至ったのかの解明は進んでいません。

この教団によって破壊された家庭はたくさんありますが、だからといってほとんどの被害者は犯罪とは無縁です。強引な勧誘や霊感商法、多額の献金の強要は1970年代から社会問題になっており、脱会者や家族を支援する団体も複数ありますが、そうした活動に参加した形跡もありません。男はたった一人で、家賃3万5000円の1Kのアパートで「復讐」のための銃や爆発物をつくっていたのです。

男が最後に働いていたのは京都府内の倉庫ですが、同僚と会話することもなく、昼食は車のなかで1人で弁当を食べていたとされます。事件後、すべてのメディアが彼の過去を追いましたが、2週間以上たっても、高校を卒業してから自衛隊に入隊したことしかわかっていません。海上自衛隊を退職したあとは、ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引士などの資格を取り、複数の会社で派遣社員やアルバイトとして働いていたとされますが、その間のことを証言する友人などがまったくいないのです。

2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人も孤独な派遣社員でしたが、それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいました。元首相を銃撃した男には、いまのところ、誰かとかかわった記録がまったくありません。その人生をひと言でいえば、「絶対的な孤独」ではないでしょうか。

2019年の映画『ジョーカー』では、「自分はまるで存在していないかのようだ」と繰り返し訴える孤独な青年アーサーが、狂気と妄想にとらわれてジョーカーに変貌していく姿が描かれます。

男は公開直後にこの映画を観て、〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉とツイッターにコメントしています。それ以外の投稿を見ても、自分の境遇とジョーカー(アーサー)を重ね合わせていたことは明らかです。

この映画について非公開のユーザーと交わした会話では、〈ええ、親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ。〉と自分のことを語っています。これが男の「真摯な絶望」だという見方は、さほど間違ってはいないでしょう。

自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、仕事もうまくいかず、恋人にも捨てられてしまった。40歳を前にして、社会からも性愛からも排除されているという現実を突きつけられた。これは、高い知能と能力をもつ(おそらくプライドも高い)男には耐えられない挫折でしょう。

“絶対的な孤独”のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかを考えていくうちに、人生をさかのぼって教団が悪魔化されていった。自分は純粋な被害者(善)だという物語をつくろうとしたとき、その教団とかかわっていた(とされる)この国でもっとも有名な政治家が、絶対的な「悪」として立ち上がってきたのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2022年8月1日発売号 禁・無断転載

陰謀論とフェイクニュースにまみれた国

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第2回はジャーナリスト、ピーター・ポマランツェフの『プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ』(翻訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)の紹介です。(公開は2022年4月15日。一部改変)

サンクト・ペテルブルクのマクドナルド。ウクライナ侵攻により撤退が決まった(2011年9月@Alt Invest Com)

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ウラジミール・プーチンがロシアのメディアで、スカイダイビングをしたり、深海に潜ったり、鍛えられた筋肉を見せつけるなど、ハリウッド映画のヒーローのように演出されていることはよく知られている。

10年以上前のことなので詳細は覚えていないのだが、たまたま見たBSのドキュメンタリーでロシアのテレビ局を取材していて、日本人ディレクターの「なぜ大統領をこんなふうに演出するのか?」との質問に、編集幹部が「先進国のひとには理解できないでしょうが、ロシア国民は愚かなので、このようにしないと社会が安定しないのです」と答えていて驚いたことがある。

ピーター・ポマランツェフはロシア(ウクライナ)系イギリス人で、2006年から10年までモスクワのテレビ局でリアリティショー(ドキュメンタリー)の制作に携わった。そのときの体験を書いたのが“Nothing is True and Everything is Possible(どこにも真実はなく、すべては可能)”で、14年に出版されると英米で大きな反響を呼んだ。日本では18年に『プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ』として翻訳されている。

ピーターは1977年にソ連時代のキエフ(現在のウクライナのキーウ)のユダヤ人家庭に生まれ、反体制派作家だった父親の亡命にともない78年に西独に出国、80年にイギリスに渡った。91年にソ連が崩壊すると、ロシア語を活かして大学卒業後の2001年からモスクワに滞在し、メディアの仕事をするようになる。

ゼロ年代はじめのロシアでは「先進国イギリスの帰国子女」はある種の特権層で、テレビ制作会社の下っ端であるにもかかわらず、ピーターは政治家、企業人、新興財閥(オリガルヒ)からギャング、高級娼婦までさまざまなひとたちと知り合うことができた。本書には、そんな彼ら/彼女たちの生態が軽妙な筆致で描かれている。

ロシアでは「ピートル」と呼ばれていた彼は、現在のロシアを「ポストモダンの独裁政」だと述べている。これは、歴史家ティモシー・スナイダーの主張と同じだ。

[参考記事]●ロシアは巨大なカルト国家なのか?

大金持ちのパトロンを探すゴールドディガー(金鉱掘り)

ロシアの書店には、「億万長者をしとめる方法を若い女性たちに伝授する自己啓発本」がずらりと並んでいる。なぜならロシアでは、女性が成功する唯一の方法は富裕層の男(オリガルヒ)の愛人になり、あわよくば妻の座に収まることだからだ。そんな女たちは「ゴールドディガー(金鉱掘り)」と呼ばれている――という話からピーターは本書を始める。

日本でも同じように考えている女性はいるだろうが、ロシアの特徴は、先進諸国では「言ってはいけない」とされている話題が公然と認められていることだ。

ロシアのテレビ界では、女性から仲介料を受け取り、金持ちの男を紹介する「マッチメーカー(ぽん引きは違法なのでこう自称する)」の男がセレブ扱いされている。10代のゲイの青年たちを使って、モスクワの鉄道駅で、「何でもよいから新しい人生を見つけようとやってきた脚の長いしなやかな身体つきの若い女」に片っ端から声をかけるのだという。

ピーターがテレビのドキュメンタリー番組のために取材した「ゴールドディガー・アカデミー」は、大金持ちのパトロン(シュガーダディー)を見つけるための専門学校のひとつだ。同様の学校はモスクワやサンクト・ペテルブルクに数十校あり、「ゲイシャ・スクール」とか「How to Be a Real Woman(本物の女になる方法)」などの校名がつけられている。

生徒たちは毎週1000ドル(約12万円)の受講料を払い、「高級住宅街に出かけなさい。地図を片手に持って、道に迷っているふりをしなさい。お金持ちの男性が近づいてきて、どうしたのと言ってくれるかもしれませんよ」というような講義を、丁寧な字でノートに取っている。

この高額の学費からわかるように、アカデミーの生徒はすでになんらかの成功を収めた若い女性たちだ。ピーターが取材した東ウクライナのドンバス地方出身のオリオナは、20歳のときにほとんど無一文でモスクワに出てきて、カジノでストリッパーとして働きはじめた。踊りがうまかったためスポンサー(シュガーダディー)に見初められ、アパートの家賃、月4000ドル(約48万円)の生活費、自動車、トルコかエジプトで過ごす年2回それぞれ1週間のバケーションをあてがわれている。

22歳になったオリオナは、ゴールドディガー予備軍の18歳の女の子が列をなしているため、スポンサーが自分と別れるつもりではないかと心配している。そこで監視の目を逃れつつ、アカデミーに通ってスキルを磨き、「若い女性を探すスポンサーと、スポンサーを探す若い女性のためだけに設計された」クラブやレストランで“パパ活”しているのだ。ちなみに、スポンサーはつねに愛人たちの浮気を警戒していて、オリオナの場合、ボディガードが買い物のふりをしてふらっと現われるだけだが、カメラで監視されたり、私立探偵に尾行されたりする女の子もいるという。

オリオナたちが探すスポンサーは、『フォーブス』誌の世界長者番付に名前が載っていそうなことから「フォーブス」と呼ばれている。それに対して女の子たちは、「仔牛(チョーロク)」だ。1人の「フォーブス」に対して何十、何百という「仔牛」がいるから、競争はきわめてきびしい。

ナイトクラブは、中央にダンスフロアがあり、壁に沿って「開廊(ロッジア)」が設けられている。フォーブスたちは暗くしたロッジアに陣取り、数百人の女たちは下のフロアで踊りながら、上に呼ばれることを期待する。

ロッジアに招かれると、女の子たちは数百ドルでフォーブスにフェラチオをする。これはお金のためではなく、自分の顔を覚えてもらうためだ。だがオリオナは、こんな売春婦のようなことをしていては逆効果だという。フォーブスはセックスをタダ同然で提供する女の子たちに囲まれているのだから、その要求をまずはきっぱり断らなければ興味をもってもらえないのだ。

男は最上階まで連れていってくれるエレベーター

ピーターが取材したゴールドディガー・アカデミーの卒業生のなかには、秘書や通訳として働いている女性もいた。ロシアを訪れるドイツ人ビジネスマンの通訳をしているナターシャは、「固定観念にとらわれていない(No Complex)」という条件で応募した。これは「依頼人とセックスすることも厭わない」という暗号で、秘書や個人助手を募集する広告のいたるところで見かける。

「ロシア人の男たちは選択肢が多すぎて増長しすぎよ。西側の男たちの方がよっぽど手玉にとりやすいわ」というナターシャは、ドイツのエネルギー会社幹部の愛人で、彼がミュンヘンに戻るときはいっしょに連れていってほしいと考えている。

ポップスターを目指すレーナは、「どこかのオフィスで休みもなく働き詰めだなんて、まるっきり理解できないわ。(略)男の人は最上階まで連れていってくれるエレベーターだから、わたしはそれに乗るつもりよ」という。モスクワではレーナのような女の子を「歌うパンティ(シンギング・ニッカー)」と呼ぶが、有力なスポンサーさえつけば才能は大した問題ではない。

アカデミーでは、MBAをもつ赤毛のインストラクターが「フェミニズムは間違っています。どうして女性が仕事に命をかけなければいけないのですか? それは男性の役目です」と教えている。そして、「殿方からプレゼントをもらいたければ、理性がなく、感情に動かされやすい左側に立つのです。彼の右側は理性的です」とか、「あなたは膣の筋肉をぎゅっと締めること。そうです、膣の筋肉です。そうすれば、瞳が大きくなるので、もっと魅力的に見えます」というような講義を大真面目でやっている(もちろん生徒たちもみな真剣だ)。

ピーターはこの学校の実態を知り合いの大富豪に話した。「俺があの娘たちのことを何と呼んでいるか知っているかい?」と大富豪は訊いた。「カモメだよ。海岸のカモメのように、ゴミ捨て場の上をぐるぐるまわりながら飛んでいるからね」

サンクト・ペテルブルクは18世紀に、ピョートル大帝によって「東のパリ」として建設された。モスクワは21世紀はじめの原油高で再開発が進み、ソ連時代の建物の多くが壊され高層ビルに置き換わった。

ロシアにはスラブ系だけでなく、スターリン時代にフィンランドやバルト三国などからソ連に連行・強制移住させられた北欧系の子孫も多い。その結果、パリやロンドンのような街並みを金髪碧眼の老若男女が行きかい、自分がどこにいるのかわからなくなることもある。

ところがロシアで働いたり暮らし始め、その内側にすこしでも入ると、西欧の常識とはまったく異なる論理で社会が動いていることに気づくようになる。この「酩酊感」のようなものを、ピーターは「ポストモダン」と呼んだのではないだろうか。それは「モダン=近代」を超克した世界ではなく、近代社会のように見える前近代、すなわち「モダンの偽物」なのだ。

こうした「ポストモダン」はマスメディア、とりわけテレビ制作の現場で顕著で、西側の常識を前提とする者たちを混乱させ、驚愕させ、絶望させることになる。

エミー賞にノミネートされたロシア国営テレビ

国営の放送局ロシア・トゥデイ(RT)は、BBCワールドやアルジャジーラに相当する24時間放送の英語(アラビア語とスペイン語もある)ニュース専門チャンネルだ。1年に3億ドル以上の予算が組まれ、「世界の出来事に対してロシアの価値観を述べる」使命を帯びている。

ロシアのウクライナ侵攻でブロックされるまで、RTはYouTubeでもっとも視聴されているチャンネルのひとつで、視聴者は10億人にのぼった。イギリスでは視聴率3位のニュースチャンネルだったという。

RTの人気の秘密は、「メディアはウソばかり報じている」と考える欧米の特定の政治層を魅了するコンテンツを揃えたことだった。ウィキリークスのジュリアン・アサンジはRTで対談を行なったし、「アメリカの世界秩序と戦うアメリカ人の学者、9.11陰謀説を唱える者、反グローバリスト、ヨーロッパの極右派」など、欧米の主流メディアが無視している人物を次々と出演させた。イギリスのEU離脱の立役者の一人、イギリス独立党の党首ナイジェル・ファラージも頻繁にゲスト出演していた。

RTに登場するのは、欧米の右派・極右・陰謀論者だけではない。「ウォール街を占拠せよ」などの占拠運動(オキュパイ・ムーヴメント)を伝えたことでRTは(なんと)エミー賞にノミネートされ、左翼(レフト)からは「反覇権的(アンチヘゲモニック)と評価されたという。

『ラリー・キング・ライブ』で知られるラリー・キングは、CNNを去ったあと、2012年7月から新番組『ラリー・キング・ナウ』を始めたが、それはRTアメリカで放映された。キングが個人で設立したOra TVで制作した番組をライセンスしただけだというが、ロシアとの関係を批判され、ウクライナ侵攻後の22年3月、Ora TV はRTアメリカのために制作していた番組の制作をすべて中止し、事業を停止すると発表した。なお、キング自身は19年に脳卒中の発作を起こし、21年1月にコロナにより死亡している。

ロシアの英語放送局RTは、アメリカやイギリス、あるいはEUの「権力」を批判し、エリートたちの「陰謀」を暴露することで、EU懐疑派やトランプ支持者の人気を博した。だが国営メディアである以上、ジャーナリズムとしてのこの「批判精神」は、ロシア国内の権力に向けられることはなかった。

ピーターがRTの理念について訊ねたとき、編集局長は「客観的な報道などというものは存在しないな」と、ほぼ完璧な英語でいった。

「それではロシアの見解とは何ですか?」と訊くと、「おやおや、どんなときでもロシアの見解は存在しているんだよ」と編集局長はこたえた。「たとえば、バナナを例に挙げてみよう。ある人にとっては食糧になり、別の人にとっては武器になり、人種差別主義者にとっては黒人をからかう道具にもなる」

1980年代の日本で流行したポストモダン思想では、「真実」などというものはなく、すべてはコンテキスト(文脈)によって決まる相対的ものだとされたが、どのような見解も文脈次第で自由につくれるというのはたしかに「ポストモダン的」ではある。

RTに入社したイギリス育ちの英語ネイティブは、すぐに「クレムリンが真実なるものを完全にコントロールしている」ことを思い知らされる。

オックスフォード大学を卒業したばかりのKは、「エストニアが1940年にソ連に占領された」というニュース記事を書き、ニュース局長から「我々はエストニアを救ったのだ」と原稿の書き直しを命じられた。ブリストル大学を出てすぐに就職したTは、ロシアの森林火災を取材して、大統領がうまく対処できていないと書いたところ、「大統領は最前線で消火作業にあたっていると書かなきゃだめだよ」といわれた。

ロシアとジョージア共和国との戦争中には、RTはテレビ画面に「ジョージア人はオセチアでジェノサイドを行なっている」というどぎつく目につくテロップを四六時中流しつづけた(いまはウクライナへの侵略で同じことが行なわれている)。

ピーターはこの「相対主義」に絡めとられないようにドキュメンタリーの道を選んだが、「そうさ、ニュースなんて全部フェイクさ。しょせんゲームみたいなもんだよ、違うかい」と、給料のためにRTにとどまる者も多かったという。

マレーシア航空17便撃墜事件のフェイクニュース

2014年7月17日、ウクライナ東部上空を飛行していたマレーシア航空17便(MH17)が親ロシア派の地対空ミサイルによって撃墜され、乗客・乗員298名全員が死亡した。歴史家のティモシー・スナイダーは『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』(翻訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)で、ロシアのテレビメディアが事件の真相を隠蔽するためにどのように大衆を洗脳し、ロシアの責任を否定したのかを書いている。

MH17が撃墜されたその日のうちに、ロシアの主要テレビ局はそろって、「ウクライナのミサイル」、あるいは「ウクライナの航空機」がMH17便を撃墜したのだと非難し、「真の標的」は「ロシアの大統領」だったと主張した。ウクライナ政府はプーチンの暗殺を計画していたのだが、違う航空機を撃ち落としてしまったというのだ。MH17とプーチンの専用機はまったく別の場所におり、この話にはもっともらしさのかけらもなかった。

翌18日、ロシアのテレビ局は複数の作り話に無数のアイデアを加え、この出来事の新しいヴァージョンをさまざまに撒き散らした。あるテレビネットワークは、ウクライナの航空交通管制官がMH17便のパイロットに高度を下げるよう命じたのだと断言した(まったくの嘘だった)。別のネットワークは、航空交通管制官に命令を下したのは、ウクライナのユダヤ人オリガルヒで州知事でもあるイーホリ・コロモイスキーだったと主張した。するとまた別のネットワークが、コロモイスキーの顔には有罪の相が出ていると語る「人相学」の「専門家」を引っ張り出した。

航空交通管制官の話を広めたロシアのテレビネットワークは、それと同時に、ウクライナの戦闘機が現場にいたと主張しはじめた。さまざまなジェット機の写真(さまざまな場所でさまざまな時間に撮影された)が提供され、旅客機が飛ぶのはありえない高度が持ちだされた。

この惨事から1週間後、ロシアのテレビはMH17便の撃墜について第三の筋書きをでっちあげた。ウクライナ軍が演習中に旅客機を撃ち落としたというのだ。これにもまた、なんの根拠もなかった。

さらには第四の筋書きが登場し、それによるとロシアがMH17便を撃墜したのは事実だが、犯罪行為はいっさいなかった。なぜなら、CIAが飛行機に死体をいっぱい詰めこんで、ロシアを挑発しようとウクライナ上空を飛ばせていたのだという……。

ロシアのテレビ局にとって、辻褄の合う筋書きをつくることはどうでもいいことだった。重要なのは、一つの筋書き(ロシア占領地区の民兵もしくはロシア軍が民間機を撃墜した)を「相対化」することだった。

「何が起きたかを理解し謝罪した個々のロシア人はたしかにいたが、全体としてのロシア国民は、自国の戦争責任や自国のおかした犯罪について深く考える機会を奪われていた」とスナイダーはいう。「ロシアの信頼できる社会学研究所の調査によれば、2014年9月にロシア人の86%がMH17便の撃墜はウクライナのせいだと考え、2015年7月にも85%が相変わらずそう考えていた」のだ。

撃墜事件前の7月12日、ロシアのテレビ局チャンネル1は、ウクライナ内のスラヴェンスクで3歳のロシア人の少年がウクライナの兵士たちに磔にされたという衝撃的な――そしてまったくの作り話――のニュースを報じた。これは証拠がいっさいなく、話に出てくる人物は誰一人存在しないし、残虐行為が行なわれたとされる「レーニン広場」も実在しない。

このことを追及されたロシアの通信副大臣は、「肝心なのはとにかく視聴率なのだ」と説明した。

合理的な人間も陰謀論者になっていく

ピーター・ポマランツェフは10年ちかくをロシアで過ごしているあいだにモスクワっ子の女性と結婚し、娘が生まれた。その後、家族を連れてロンドンに戻ったが、夏休みなどに娘と祖父母を訪ねるのが習慣になっている。そんなピーターは、モスクワの空港に着いたとたん、並行現実(パラレルリアリティ)のなかで生きているような気分になるという。

テレビをつけると、その週のニュースの総集編が放送されている。そのときの様子を、ピーターは次のように書く(適宜改行を加えた)。

身なりのよいプレゼンターが造りの上等なセットを横切り、カメラのフレームに入って、その週の出来事をてきぱきとまとめていく。一見すると、どれもがしごく普通に思える。

ところが、やがてプレゼンターは不意に二カメの方を向き、気づいたときは話が変わっている。西側は同性愛の泥沼に沈んでいて、聖なるロシアだけがゲイのヨーロッパから世界を救えるとか、いわゆる「第五列」、つまり西側のスパイで汚職反対運動家に扮しているが実際は全員がCIAなのがロシアにはごろごろしているとかね――それ以外の誰があえて大統領を批判するだろうか、というわけだ。

西側はウクライナの反ロシア「ファシスト」を支援しており、ロシアを手に入れ、そのオイルを奪おうと躍起になっているとか。アメリカの支援を受けたファシストがウクライナの町の広場でロシア人の子どもを磔にしているのは、西側がロシア人の「ジェノサイド」をもくろんでいるからということになるし、そこらをうろつくロシア憎しのギャングどもにどんな風に脅されているかと訴える女たちが、カメラの前で泣きわめく。

もちろん、こうしたことを正せるのは大統領だけ。だからこそロシアがクリミアを併合したのは正しいことだし、ウクライナに武装した傭兵を送ったのも正しいことで、これはロシアと西側との新たな大戦争のほんの始まりにすぎない。

こうしたフェイクニュースに日常的に触れていると、「事実」と「虚構」のあいだに線を引くこと自体に意味がなくなっていくとピーターはいう。“Nothing is True and Everything is Possible”(真実などどこにもなく、すべてがでっちあげ)とわかっていても、あまりにしょっちゅう嘘を聞かされていると、しばらく経つと、ただ頷くだけになってしまう。そして心のどこかでこう感じるようになる。

「そんなに嘘をついて、何の罰も受けないのなら、それはすなわち、オスタンキノ(テレビメディア)が本物の力を、何が本当で、何が本当でないかを規定する力を持っているということではないのか? だったら、どちらにしても、ただ頷いているほうがいいのではないか?」

このようにしてロシアでは、合理的な人間も陰謀論者になっていく。「みんな嘘だし、動機はどれも腐敗したものであり、信じられる人間は一人もいない」という現実からは、必然的に「すべての背後に闇の手が存在する」という結論が導き出されるのだ。だとしたらやはりロシアは「ポストモダン」の世界で、わたしたちもそこに向かっているのかもしれない。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第4回 「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路
第5回 ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」
第6回 30年前に予告されていた戦争

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