私たちはブードゥー(呪術)世界に生きている 週刊プレイボーイ連載(385)

トランプの経済政策のスゴいところは、その理屈が最初から最後まですべて間違っていることです。それも、信じがたいような初歩的レベルで。

トランプはまず、貿易黒字を「儲け」、貿易赤字を「損」だと考えます。だからこそ、二国間貿易でアメリカに対して黒字になっている中国や日本は、「損」させていることに対してなんらかの埋め合わせをしなくてはなりません。

さらにそこから、貿易は「戦争」だという極論が出てきます。貿易赤字の国(アメリカ)は被害者で、貿易黒字の国(中国や日本)は加害者です。被害者=善は、いわれるがままにぼったくられるのではなく、加害者=悪に対して制裁を加えなくてはならないのです。こうして予言が自己実現するように、米中がお互いに高率の関税を課す「貿易戦争」が勃発しました。

トランプはFRB(米連邦準備理事会)に対して執拗に利下げを要求していますが、これも「戦争理論」で説明できます。「(FRBが利下げすれば)ゲームオーバーだ。アメリカが勝利する!」とツイッターでつぶやいたのは、高関税に苦しむ中国は財政支出を拡大させ、金利を引き下げるから、アメリカが先んじて利下げすれば「戦況」はより有利になるからだそうです。

この「戦争」に勝てば「どんな場合でも中国が合意したがる!」ことになって、これまで貿易赤字という「悪」に苦しめられてきたアメリカの善良な(トランプ支持の)ブルーワーカーたちは正当な「ゆたかさの権利」を取り戻すことができるのです。

トランプがまったく理解していないのは、貿易赤字/黒字はグローバル経済を国家単位で把握するための会計上の約束事で、損得とはなんの関係もないことです。

日本経済を地域単位で把握するために、各県別の「貿易収支」を計算することができます。静岡県の県民が愛知県からトヨタの車を購入すれば「貿易赤字」になりますが、だからといってその分だけ静岡県が貧乏になるわけでもなければ、県同士で「戦争」しているわけでもありません。愛知県のひとが車を売った利益で静岡県の物産(お茶やミカン)を購入すれば、どちらもよりゆたかになるというだけのことです。

これは国際経済学の初歩の初歩で、大学の授業では真っ先に扱うでしょうし、最近では高校の政治経済でも習うかもしれません。それにもかかわらず貿易黒字=儲け/貿易赤字=損という誤解がなくならないのは、(自称「知識人」も含め)ほとんどのひとが、交易による利益を「搾取」と同一視しているからです。なぜなら、その方がわかりやすいから。

複雑で不可解な現実をもっともかんたんに理解する方法は、集団を「善(俺たち)」と「悪(奴ら)」に分割したうえで、この世界で善と悪の戦いが起きていると考えることです。稀代のポピュリストであるトランプは、自分に投票するような有権者は、この単純な枠組みでしかものごとを理解できないと(本能的に)知っているのでしょう。だからこそ、まっとうな経済学者の批判や助言をすべて無視するのです。

この間違った貿易理論は「ブードゥー経済学」と呼ばれています。私たちが生きているのは「合理的な近代」などではなく、ブードゥー(呪術)的な世界だということがいよいよはっきりしてきました。

後記:アメリカ政府は中国の通信機器大手ファーウェイ(華為技術)に対する輸出規制を発表しましたが、こちらは安全保障上の問題で、経済(貿易)問題とは異なります。

『週刊プレイボーイ』2019年5月27日発売号 禁・無断転載