日本の未来は明るい(『働き方2.0vs4.0』おわりに)

新刊『働き方2.0vs4.0』から、「おわりに 日本の未来は明るい」を出版社の許可を得て掲載します。

「人口が減少している日本ではイノベーションも起こらず、このままではアメリカや中国に負けてしまう」という悲観論がしばしば語られます。

しかしこれは、奇妙な理屈です。まず、戦争ではないのだから、市場での競争で国家が勝つとか負けるとか議論をすることになんの意味もありません。経済環境が変化するなかで、新たに生まれる会社もあれば退場していく会社もあるというだけのことです。

その結果、日本の会社が「競争」に負けたとしても、世界に会社はたくさんあるのですから、そこで働くか、フリーエージェントとして生きていけばいいだけのことです。大事なのは自分の人的資本を労働市場に効率的に投資して富を獲得することで、給料はどこの国の会社からもらっても同じです。――それ以前に、グローバルなIT企業(プラットフォーマー)は多様化が進んで、国籍をほとんど意識しなくなっています。

イノベーションについても、私たちの生活をゆたかで便利にしてくれる商品やサービスを提供するのが日本の会社でも、アメリカや中国、インドの会社でもまったくかまいません。それによって何兆円もの富を手にする起業家もいるでしょうが、人間が一生のあいだに使える金額には物理的な限界があり、あとは金融機関のサーバーに保存された電子データにすぎません。そう考えれば、シリコンバレーで「世界を変える」ために徹夜で働いているたくさんの天才たちは、私たちの生活をゆたかにするための召使いみたいなものです。

日本に生まれ育った以上、日本がゆたかで幸福な国になればうれしいことはいうまでもありません。しかしほんとうに重要なのは国の勝ち負けではなく、自分と家族が幸福に生きられるかどうかです。

日本という国に生まれたことで、私たちはとても幸運です。その理由は、日本がさまざまな面で欧米から1周遅れだからです。

トランプ政権が誕生して以来、アメリカでは共和党支持の保守派と民主党支持のリベラルに社会が分裂し、互いに憎みあっています。いまでは社会の分断は人種や宗教ではなく、政治的党派が基準になってしまいました。

ヨーロッパでは、アフリカや中東から大量の移民が流入したことで排外主義の「極右」が台頭し、社会の混乱がつづいています。イギリスは「ブレクジット(EUからの離脱)」を巡って国論が二分し、フランスではマクロン大統領の「ネオリベ的改革」に反対するジレジョーヌ(黄色ベスト)デモで政権が窮地に立たされました。

日本の政治にもさまざまな問題はあるでしょうが、こうした状況を客観的に見るかぎり、「まだマシ」というのが偽らざる実感でしょう。これまで日本の知識人は、「アメリカやイギリスのような成熟した市民社会がつくれないのは日本人が愚かだからだ」と慨嘆してきましたが、いまでは欧米の知識人が「日本がうらやましい」といいはじめています。

著名な国際政治学者であるイアン・ブレマーは、「大国の中で民主主義が比較的うまく機能しているのが日本」だとして、(1)人口減で失業率が低い、(2)移民の大量流入がない、(3)SNSの普及度が他国に比べて低いことでポピュリズムへの耐性が高い、という3点を挙げています。(1)

日本のネット言論もずいぶん殺伐としていますが、欧米(とりわけ英語圏)は参加者の数がけた違いに多いために、フェイクニュースを信じてピザ店で発砲したり、大統領選挙の結果をハッカーが左右するような想像を超える事件が起きるのでしょう。

日本でもこれから格差は拡大していくでしょうが、それにともなうさまざまな問題は、すべて先行する欧米ですでに起きています。これが「1周遅れ」の意味で、これから日本社会が体験するであろうことは、欧米の混乱を観察していればほぼ正確に予測できます。それを「幸運」というのは、なにが起きるかあらかじめわかっているのだから、それに的確に備えればいいだけだからです。日本の政治家や官僚がこの大きなアドバンテージを活かせるかどうかはわかりませんが、すくなくとも個人では対処可能です。

テクノロジーの驚異的な進歩によって、これからの10年、20年で世界が大きく姿を変えることはまちがいありません。しかしどのような世界になったとしても、一部のひとたちがいうように、1%の成功者と99%の敗者に分断されるような極端なことは起こらないでしょう。

近代国家は暴力を独占しているのですから、もしそのようなことになれば、多数派の「敗者」は民主的な選挙によって1%の「勝者」からなにもかも奪い取ることを躊躇しないでしょう。富はバーチャル空間に秘匿できるかもしれせんが、生身の人間はバーチャルになることはできず、どこかの国の法の下で生きていくしかないのです。

ジェリー・カプランはシリコンバレーの起業家で、1990年代半ばにキーボードの代わりにペンで入力する超小型コンピュータで世界を変えようと奮闘し、その顛末を『シリコンバレー・アドベンチャー:ザ・起業物語』(日経BP社)にまとめました。私は30代半ばのときに読みましたが、10年か15年早かったらきっとシリコンバレーを目指しただろうと思うようなとても素晴らしい本でした。

「永くこの世に残るものをつくること、いい製品を売り、多くの人を雇用し、株主の富を増やす成長企業をつくりあげること」という高い理想を掲げたこのベンチャーはけっきょく失敗するのですが、カプランはその後もシリコンバレーで生き残り、IT関係の起業家としてかなりの富を蓄えたあと、現在は母校のスタンフォード大学で人工知能の及ぼす影響と倫理について教えています。

そのカプランは、現代のテクノロジーを「合成頭脳」と「労働機械」に分けます。(2)

合成頭脳は機械学習、ニューラル・ネットワーク、ビッグデータ、認知システム、遺伝的アルゴリズムなどのことで、労働機械は人間の作業員と共同してパイプを施設したり、農作物を収穫したり、家を建てたりするほか、消火作業にあたったり、橋の検査をしたり、海底に機雷を施設したり、戦場で戦うなど、危険で人間の近寄れない環境で単独で作業します。合成頭脳と労働機械を組み合わせれば、料理から外科手術まで、高度な知識や技能が必要なさまざまな仕事を実行できるようになるでしょう。

テクノロジーの最先端にいるカプランは、機械の方が正しい意思決定ができることをひとびとが受け入れるようになるにつれ、重要な道義的決断や個人的な決断ですらAIに任せるようになるといいます。機械はきつくてつらい仕事の大半を引き受けて、「史上例のない余暇と自由を人間に与えてくれる」のです。

「機械との競争」がどのような未来をもたらすのか、多くのひとが不安に思っています。そこで最後に、すこし長くなりますが、カプランが人類の未来をどのように描いているかを紹介しておきましょう。私のような門外漢がなにかいうよりも、テクノロジーの夢と可能性に青春を捧げ、シリコンバレーで失敗と成功を繰り返し、いまは大人になって高みから現実を観察している人物の言葉の方が、はるかに価値があると思うからです。

以下が、人類の未来である「働き方5.0」の世界です。

合成頭脳は、人間が必要なあいだは人間と協力して働くだろう。しかし、いずれ自分で自分を設計し、修理し、複製することができるようになる。そうなったら、人間は放っておかれるのではないだろうか。人間は「奴隷」にされるかといえば、おそらくそうはなるまい。むしろ、特別区で飼育されるとか保護されるというほうがありそうだ。そこでの暮らしはきわめて快適で便利なので、わざわざ外に出る気にはならないというわけである。人間と機械は同じ資源をめぐって競合するわけではないから、人間が芋虫や線虫を放っておくように、かれらは人間を完全に無視して放っておくだろう。あるいは人間がペットを飼うように、人間の世話を焼くようになるかもしれない。しかし、いまから心配する必要はない。実際こんなことが起こるとしても、それははるか未来のことになる。いま生きている世代にはなんの関わりもないことだ。

しかし、しまいにそういうことになったとしたら―その場合、人間保護区の境界はどこになるのだろうか。それはまあ、地球上の陸地や海の表面ということではどうだろうか。なぜなら、合成頭脳はその他どこにでも行けるからだ。宇宙空間でも、地中でも海中でも―人間の行けないところに。人間にはまったく申し分ないことに思えるだろう。コンピュータ・チップがどんどん縮んでスマートフォンのなかに消えていったように、機械はどんどん「引っ込んで」いきつつ、ずっと人間のために奉仕してくれるように見える。ふだんは気づかないが、人類が自分で自分を害しそうになると、かれらはそれを防ぐために介入してくる。そして初めて人間は真実に気がつくのだ―飼っているのはどちらで、飼われているのはどちらかということに。

紆余曲折はあるとしても、人類はいずれユートピアあるいは「陸生飼育器(テラリウム)」に到達することになるようです。

本書はライター山路達也さんにインタビューをまとめてもらい、それに加筆しました。

2019年2月 橘 玲

(1) 「Gゼロの世界の先 国際政治学者、イアン・ブレマーさん」朝日新聞2018年8月22日朝刊
(2) ジェリー・カプラン『人間さまお断り 人工知能時代の経済と労働の手引き』三省堂