その銃口を日本国に向けろ

『貧乏はお金持ち』のときの未発表原稿です。題材がちょっと古いのと、文章のトーンが前後の話と合わなかったので、掲載を見送りました。

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冒険小説で知られる船戸与一に、『新宿・夏の死』という連作集がある。バブル崩壊後の新宿を舞台に、ヤクザ、オカマ、ホームレスなどさまざまな人生の最後が描かれている。「夏の黄昏」はそのなかの一遍だ。

主人公の荻野洋作は、丹沢でマタギをしている71歳の老人だ。1人息子の49日の法要を控えて、彼はある覚悟から、大切にしていた2匹の猟犬を猟友会の仲間に譲り、自宅を売却し、銃身を切り落としたレミントンを抱えて東京へと向かった。

その夜、荻野は、新宿西口にある超高層ホテル(おそらくは京王プラザ)の1泊8万円のスイートに泊まった。そこで偶然、40年以上前、遠洋航路の船員をしていた頃につきあっていたカナダ人のジェリー(陶芸家と結婚して日本に移住したが、いまは1人で暮らしている)と再会し、一夜を共にする。

翌朝、荻野はハバナ産の葉巻を喫い、全身を丹念に洗い、ていねいにひげを剃って、真新しい下着とズボン、シャツに着替えた。そして、かつて息子が働いていた不動産販売会社の課長を、歌舞伎町の外れにある古ぼけたビルの地下室に訪ねていく。

そこはかつてバーかなにかに使われていたようだが、いまは備品はすべて取り払われ、がらんとしたなかにふたつのデスクと折り畳み椅子が置かれていた。部屋には窓がなく、クーラーは切られ、うだるように暑い。デスクには、電話と原稿用紙が積まれている。そこで、40代半ばの痩せた男が1人で仕事をしていた。

課長の仕事は、毎日、400字詰め原稿用紙30枚の作文を書くことだった。テーマは、「わたしの未来」。その同じ仕事を、荻野の息子は2カ月間、毎日やらされ、その挙句、風呂場で首を吊って死んだのだ。

リストラの責任者として息子を死に追いやった当の課長が、いまはリストラの対象になって作文を書かされている。

涙ながらに命乞いをする課長に、荻野はレミントンの銃口を向けた。引金を絞り込むと、課長の後頭部から真っ赤なものが噴き上がり、肉片があたりに飛び散った。次に荻野は、レミントンを持ち替え、銃口を自分の喉に押し付けた。そして、右の親指にちからを込めて引金を引いた……。

この暗鬱な物語が、実際にあったゲーム会社のリストラに想を得ていることは明らかだ。この会社は、リストラ方針に従わない社員を「隔離部屋」と呼ばれる社内の一室に集め、仕事を与えず終業時間まで「待機」を命じたとして問題になった(この手法はそれ以前にも聞いたことがあるから、依願退職に追い込む方法として一部でよく使われていたのだろう)。

それにしても、このやりきれなさはどこからくるのだろうか。

荻野の息子に対するリストラは会社の業務命令で、隔離部屋での作文を命じた課長には妻も子もいた。彼には会社の命令に従う以外、どうすることもできなかったし、そのことは荻野も十分承知している。しかし男は、自分の人生に決着をつけるために、課長に向けてなんのためらいもなく引金を引くのだ。そこには正義はなく、救いもない。

この話のモデルとなったゲーム会社がリストラに追い込まれたのは、業績がきわめて悪化したためだ(事実、その後ライバル会社に吸収合併された)。隔離部屋が必要だったのは、日本では事実上、整理解雇が認められておらず、依願退職にするほかないからだ。

荻野の息子や課長が理不尽なリストラに耐えるのは、いったん退職してしまうと、再就職が不可能なことを知っているからだ。年功序列の日本の会社には、中途入社の社員のためのポストはなく、会社を離れればこれまでの経験や知識はなんの価値もなくなり、年をとったフリーターと同じ扱いになってしまう。

だとしたら、いま必要なのは雇用制度を現実に即して変えることだ。

一定の金銭保証と引き換えに整理解雇を認め、サラリーマンの絶滅によって流動性のある労働市場が生まれれば、いまの会社で活躍の場を失った労働者も、別の職場で新たな可能性を見つけることができるだろう。

経営破綻したJALが、整理解雇問題で揺れている。そのニュースを見ながら、「夏の黄昏」を読んだときの違和感を思い出した。

男は銃口を、日本国に向けるべきだった。