第16回 住宅ローンは本能の産物

債券を買うと、半年に1回、利子が支払われる。アパートを誰かに貸すと、毎月、賃料を受け取れる。キャッシュフロー(お金の流れ)は同じなのだから、不動産は金融商品の一種だ。

株式の信用取引では、証券会社からお金を借りて、証拠金の約3倍の株が買える。マイホームの購入では、不動産を担保に頭金の5倍くらいの住宅ローンを組むのがふつうだ。バランスシートで考えれば、住宅ローンと株式の信用取引は同じものだ。

これは1+1=2みたいな単純な話だと思うのだけど、最初に書いたときはものすごい反発を受けた。「神聖なマイホームを信用取引なんかといっしょにするな」ということらしい。

マイホームの”物神化”は、なにも日本だけのことではない。アメリカンドリームというのは、貧しい移民が広い前庭のある一戸建てを郊外に買うことだ。

世界じゅうでマイホームが物神化する理由は、進化心理学という新しい学問で上手に説明できる。イヌは電柱に小便をし、ヤクザは命を賭けてシマを守る。これはたんなる偶然ではなくて、長い進化の歴史のなかで、「縄張り」が生き延びるための最適戦略として選択されてきたからだ。

ヒトは白紙で生まれてくるのではなく、脳には縄張りを守るプログラムがあらかじめインストールされている。これが、ぼくたちがマイホーム=縄張りを求めるいちばんの理由だ。

認知の歪みによって、合理的かどうかにかかわらず、ひとびとがマイホームを欲しがると、国や会社が住宅ローン減税や利子補給で支援するようになる。こうした優遇策でマイホームはますます魅力を増し、ひとびとは争って住宅ローンを借りようとする。この正の循環によって、不動産を所有したいという欲望が自己増殖していくのだ。

ここでのポイントは、なぜ自分がこれほどまでにマイホームを求めるのか、その理由を買い手が知らないということだ。

サブプライムローンは、低所得者層に返済不能の借金を負わせてお金を儲ける仕組みだった。でもなぜ、借り手はそんなリスキーな取引に応じたのだろうか。お金がないんなら、分相応の家を借りて暮らせばいいのに。

でも、そういうわけにはいかない。彼らを突き動かすマイホームへの衝動は、40億年の進化の歴史を背負っているのだ。

ここに、不動産ビジネスのヒミツがある。

不動産が金融商品なら、住宅ローンは数ある資産担保融資の一種にすぎない。それが特権化し、巨大ビジネスに成長したのは、縄張りを持ちたがるヒトの本能を利用しているからだ。

でもぼくはここで、マイホームを否定したいわけじゃない。経済は自己増殖する欲望によって成長する。欲望を加速する住宅ローンは、人類にとっていいことなのかもしれない。

夢を実現できれば、幸福になれる。それはもちろん、素晴らしいことだ。ただその夢が、勘違いかもしれないということも、知っていた方がいいと思うのだ。

橘玲の「不思議の国」探検 Vol.16:『日経ヴェリタス』2010年9月19日号掲載
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