リバタリアニズム雑感(1)

もう10年ちかく昔のことなので時効だと思うけれど、東京国税局資料調査課の総括主査から、「そもそも税務調査自体が憲法違反だ」と言われた(なぜリョウチョウの総括主査と話をしていたかというのは差し障りがあって書けないが、私が調査対象だったわけではない)。これが徴税現場の本音なのだろう。

誤解のないように言っておくと、私は、「だから税務調査はけしからん」という主張をしたいのではない。

ほとんどの警察官や検察官は、本音では、「人権を守っていたら犯罪捜査なんかできっこない」と思っている。これはもっともで、悪質な犯罪者ほど、人権を武器に法の網をすり抜ける。とはいえ、こうした「現場主義」が暴走すると、冤罪や”国策捜査”を生むことになる。だとすると、冤罪は社会秩序を維持するための必要悪ということになるが、さすがにこうした主張を受け入れるのは難しいだろう。

税務調査とは、突き詰めれば、市民の家に土足で踏み込んで、生命の次に大事なお金を取り上げるという、きわめて特殊な権力行使だ。公務員は「公共の福祉」のために働いているが、税務署員はその結果、当の市民から蛇蝎のごとく嫌われるというきわめて理不尽な境遇に置かれている(税務署員にうつ病や神経症が多いのはよく知られた話だ)。

公正な徴税を行なおうとすれば、時には、「人権無視」や「憲法違反」と謗られても仕方のない強引な調査をやらなければならない。それほどまでに、いちど手にしたお金を手放したくないという人間の感情は強力なのだ。

ところで、殺人や強盗が「悪」なのは人類社会に普遍的なルールだが、脱税は社会制度の問題だから、違法性の基準は人為的なものだ。累進課税をやめれば市民の所得を国家が調査する必要もなく、税務調査をめぐる軋轢はほとんどなくなるだろう。

国家を維持するのに税収が必要だとしても、累進制の所得税が唯一絶対の徴税制度というわけではない。市民の人権を守り、税務署員が仕事への誇りを持ち、なおかつ効率的に税金を集められる徴税制度があれば、そのほうがみんなにとってずっといいと思うのだが。