公務員は障害者に席を譲れ

住民票が必要になって、自宅近くにある区役所の出張所を訪ねた。窓口の担当は、右腕のない青年だった。私が身分証明書類を持ち合わせていなかったため、彼は住民票をめぐるトラブル(1)を簡潔に説明し、本人確認のために個人情報を尋ねる非礼を詫び、手際よく事務を処理してくれた。

出張所のフロアには20人ほどの職員が働いていたが、障害者は彼1人だった。書類が出来上がるのを待ちながら、私はふと疑問に思った。世の中にこれほど障害者に適した職場がありながら、なぜその場所を健常者(2)が独占しているのだろう?

私たちは好むと好まざるとにかかわらず、市場経済の中で生きていかざるを得ない。そこは、簡単に言えば、「如何にして効率的に利潤を拡大するか」という価値観で動く社会である。アダム・スミスは、一人ひとりが利己的に行動することで社会全体の富が増大する、と説いた。社会主義体制の崩壊と冷戦の終焉は、計画経済の破綻と自由な市場経済の優位を証明した。だが、すべての人が市場経済に適合して生きていけるわけではない。

市場経済はすべての評価を金銭に還元するきわめて平等なシステムだ。人種や性別・宗教はもちろん、障害の有無も関係ない(3)。金を稼ぐ能力さえあれば、誰にでも成功の可能性は開かれている。産業社会から知識社会(情報化社会)への転換は、ハンディキャップを負う人たちにさまざまなチャンスを提供するだろう。だがそれでも、効率的に利潤を追求する能力を奪われている人たちが市場経済からこぼれ落ちていくのを防ぐことはできない。

厚労省は「障害者雇用促進法」によって、常用労働者の1.8%の人数にあたる障害者の雇用を企業に義務づけている。だがこの法律は強制力を持たず、不足人数1人につき5万円を支払えばよいだけなので、ほとんどの企業は金を払って済ませている。株主は経営陣に対し、社会福祉ではなく利潤の最大化を求めている。営利企業にとって障害者は不必要なコストと見なされているのだ(4)

私たちの社会では、自分や家族の生活を自らの労働によって支えるのが当然とされている。障害者年金を受け取っているだけでは自尊心を持つことは難しいが、障害者が働きたいと願っても、企業はその扉を固く閉ざしている。

だが私たちの社会には、利潤の最大化を原理とせずに働ける職場がある。それが、国家や自治体の「公務」だ。

国家(自治体や特殊法人を含む)と営利企業の違いは、企業が利潤を追い求めるのに対し、国家が国民の「幸福」の増大を目標とすることだ(5)。郵政公社や道路公団など、経済効率を考慮すべき国営事業は民営化が進められている。残された公務の中で、国防や警察・消防など、一定以上の身体能力を必要とする業務を除けば、障害者を雇用しない合理的な理由があるとは思えない。

厚労省は全国の社会福祉法人に対し、施設の建設費ばかりか職員の給与まで支給している。だが福祉に携わる公務員はもちろん、こうした社会福祉法人の職員もほとんどが健常者で占められている。なぜ彼らは障害者の職を奪うのか?

日本には300万人の身体障害者、50万人の知的障害者、200万人の精神障害者がいる。彼らが労働の喜びを知れば、日本の福祉は大きく向上するだろう。福祉施設や福祉関連団体に莫大な税金を投入する前に、80万人の国家公務員と300万人の地方公務員は自らの席を譲るべきだ。

(1)他人の住民票を勝手に移動し、運転免許証を取得して、消費者金融から借金をする詐欺が多発していた。
(2)PC(政治的妥当性Politically Correctness)の基準では、「障害者」「健常者」は差別語とされている。米国では健常者normal peopleを「非障害者non-disabled people」、障害者disabled peopleを「神から挑戦すべきことを与えられたchallenged」「異なる能力を持つdifferently able」人々と呼ぶべきとの主張もあるが、本稿では広く使用されている表記に拠った。
(3)もちろん、現実にはさまざまな社会的差別が存在している。だがそれは、グローバルな資本主義の進展の中で徐々に解消されていくだろう。米国のビジネスの現場では、「金を稼ぐ人間」「稼げない人間」という究極の価値基準の前で、人種や性別は問題にされなくなってきている。
(4)障害者が常にコスト要因というわけではない。「共同作業において、障害者のいるチームの方が健常者だけのチームよりも効率が高い」とのデータもある。障害者をサポートしようとすることで、チームの団結力や仕事への貢献度が高まり、高いモチベーションを維持できるからだと考えられている。
(5)現在の日本国の問題は、肥大化した公共部門が逆に国民の「幸福」を減少させていることだが、それについてはここでは触れない。

橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』(幻冬舎)2004年9月刊
文庫版『知的幸福の技術』(幻冬舎)2009年10月刊

後記:2010年7月施行の改正障害者促進法により、納付金徴収対象が常用労働者数201人以上の中小企業にまで拡大された(それ以前は301人以上)。2015年4月からは、101人以上にさらに対象が拡大される。