Blog開設3年目を迎えました

おかげさまで、今日でBlogを始めて3年目を迎えました。最初は「1年続けばいいかなあ」と思っていたので、自分でも驚きです。

Twitterも、知人から勧められて半信半疑で始めたのですが、けっこう馴染んできました(昨日から変わった新しいキャラにはまだ馴染めませんw)。

これまでの1年間で、たくさんにひとに読んでもらえた記事のBEST10です。

  1. 高校生のセックス相関図から幸福と不幸を考える
  2. こんなに若者が幸福な時代はない
  3. 東京電力は本来の場所へ帰っていくだろう
  4. 日本人は世界でいちばん仕事が嫌い
  5. なぜ誰も原発賠償請求の利益相反を問題にしないのか?
  6. 「生活保護で貧困はなくならない」と賢者はいった
  7. 年金の支給開始が70歳になったら、「金融商品」としての損得はどうなるのだろうか?
  8. 日本人は日本語に混乱している
  9. “劣等人種”と“劣等産業”
  10. 女子高の生徒はなぜ望まない妊娠をしないのか?

これからも、無理しない程度に続けていこうと思います。

Facebookをお使いの方は、Yahoo! ニュースBUSINESSでもコメントできます。

昨日OPENした橘玲×ZAi ONLINE「海外投資の歩き方」もよろしくお願いします。

橘 玲

海外情報サイト「海外投資の歩き方」オープンのお知らせ

本日、橘玲×ZAi Online「海外投資の歩き方」がオープンしました。初日のご挨拶を、BLOGにも転載しておきます。

それと同時に、サイトOPENの記念として、講演会をやってみることにしました。ご興味のある方はどうぞ。

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こんにちは。橘玲です。

今日から、ZAi Onlineの中で「海外投資の歩き方」というサイトを始めることになりました。そこでかんたんに、企画の趣旨とコンテンツを提供してくれるひとたちの紹介をしたいと思います。

一口に海外投資といっても、いろいろなやり方があります。近所の証券会社で外国の株式や債券に投資するファンドを買ってもいいし、東証や大証には海外株式や商品指数などのETFが上場されていて、日本株と同様に売買できます。一部のオンライン証券会社は、アメリカ株や中国(香港)株などの個別銘柄を取り扱っています。

それに対して、私がやっている海外投資は、直接、現地の銀行や証券会社に口座を開設して、株式や債券、ファンドなどを買ってみる、というものです。なぜこんなことをするかというと、いろいろ理屈はつけられるのですが、ひと言でいえば面白いからです。

資産運用を収益の最大化で評価するのは正しい態度だと思いますが、誰もが人生を正しく生きなければならないと決められているわけではありません。しょせんひとの一生は有限なのですから、どうせなら楽しく生きたほうがいいに決まっています。

私と同じようにそんなことを考えて、海外投資の辺境地帯を探検しているのが木村昭二さんです。木村さんとの出会いはもう十数年前になりますが、当時はPT(永遠の旅行者)の研究家で、プライベートバンカーで、颯爽とした好青年でした。その頃にはすでに世界じゅうのオフショア(タックスヘイヴン)の大半を旅行して、バヌアツではセスナの免許まで取得し、行きたいところがなくなったからか、その後はモンゴルやミャンマー、ロシア・東欧、中東、アフリカ、中南米と、少年のような好奇心の向くままに“あやしい”国の金融機関を調べまくるようになります。ここではそんな木村さんの“調査・研究”の一端を、みなさんにご紹介することができます。

海外旅行と海外投資をセットにしていると、いろいろなところで思わぬひととの出会いがあります。ベトナムで日本語メディア『Sketch』を発行している中安昭人さんもその一人です。

日本の編集プロダクションで働いていた中安さんは、ベトナムの女性と結婚したのをきっかけに15年くらい前にホーチミンに移って、奥さんの実家で暮らしはじめます(いわゆるマス夫さんです)。

そこで現地日系旅行会社APEXが発行していた『ベトナムスケッチ』という日本語フリーペーパーの運営を任されます。最初はミニコミのようだったその雑誌は、ベトナムの経済発展や観光ブームの追い風を受けて、今では毎号200ページ、月刊2万5000部を発行するまでに育ちました。

中安さんは現在、社員40人を抱えるベトナムの“大手”出版社の社長さんで、ベトナム航空の日本語版機内誌や日本で発行されるベトナムのガイドブックの制作、雑誌のベトナム特集のコーディネート、さらにはベトナムでビジネスを始めたい日本企業のためのコンサルティングまで、さまざまな仕事をしています。

そんな中安さんはものすごく面倒見のいい人で、忙しい仕事の傍ら、海外で日本語メディアを制作している人たちのネットワークをつくりました。それが「海外日本語メディアネットワーク」で、アジア・太平洋地域を中心に40社くらいが参加して、東京のブックフェアにも毎年出店しています。

海外の日本語メディアというのは、旅先で見かける日本人旅行者や現地に暮らす日本人のための情報誌です。そこには生の現地情報が集積しているのですが、それがフリーペーパーとして使い捨てられていくのはあまりにもったいないので、中安さんといつも、なにかできないか話をしていました。

今回、ダイヤモンド社からこのサイトの話があったとき、真っ先に思い浮かんだのが中安さんの顔で、各国の日本語メディアのみなさんに協力していただいて、投資・経済に限らず、社会や文化を含む幅広いテーマで、海外現地情報のページをいっしょにつくっていくことになりました。

バンコク発のビジネス・生活情報誌『DACO(ダコ)』は海外の日本語メディアとしては最大手のひとつですが、タイ人の経理部長ブンさん(女性)が日本人の素朴な質問に答える人気企画「ブンに訊け!」を編集長の沼館幹夫さんが連載してくれることになりました。第1回は、日本人がタイ人の名義を借りてコンドミニアムを買っても大丈夫か? という話です。

ベトナムの中安さんは、「ベトナム路地裏経済学」のタイトルで、日本人がベトナムでビジネスをするときに出会うさまざまな疑問を実体験から解説してくれます。

カンボジアから寄稿してくれる木村文さんは、朝日新聞マニラ支局長を辞めてプノンペンでフリージャーナリストになったという変わった人です。現地発行のフリーペーパー『ニョニュム』の編集長をしていたこともあり、カンボジア人のスタッフと仕事をするときの難しさを書いてくれました。

ラオスの森卓さんは元バックパッカーで、独力でMacの使い方を学んで、ビエンチャンで『テイスト・オブ・ラオス』という日本語メディアを発行しています。最初の記事はラオスの中流家庭の家計簿で、夫婦と子ども2人、母親と同居の自営業(自宅兼店舗)で、収入が月5万5000円、支出が4万7000円だそうです。

最初はタイ、ベトナム、カンボジア、ラオスの4カ国で始めて、好評ならほかの国にも拡げていこうという計画です。

新しい記事がアップされたら、Twitter(ak_tch)で紹介する予定です。皆さんも気に入ったものがあったら、フォロワーの方にRTしてあげてください。そうやって人気が出てサイトのアクセスが増えると、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなどなど、ほかの国の日本語メディアにも声をかけられるようになります。最終的には、世界の5大陸すべてをカバーできるようにするのが目標です。

それ以外にも、面白そうなことがあればいろいろ試してみたいので、「こんなことをやってほしい」というアイデアがあれば教えてください。海外投資にかぎらず、「世界」に興味を持つ多くのひとたちに楽しんでいただけるサイトに育てていきたいと考えています。

 2012年8月20日 橘 玲

 

【夏休み推薦図書】インドヘ馬鹿がやって来た

暑い日が続いていますが、そんな時に元気になれる本『インドヘ馬鹿がやって来た』を紹介します。

80年代に麻雀、パチンコ、競輪などのギャンブルマンガで活躍した著者の山松ゆうきち(1948年生まれ)は、2003年に初のベスト集『山松』を刊行するが、その頃から仕事がなくなり、好きなギャンブルにも行けなくなったことから、一攫千金を狙うことを決意する……。

山松が思いついたビジネスは、インドで日本のマンガを翻訳出版するというものだった。理由は、以下のとおり。

  1. インドにはひとがたくさんいる。
  2. インドにはマンガがない。
  3. ないものは売れるに決まっている。

このとき山松は56歳で、インドはもちろん海外旅行に行ったことすらなく、英語もヒンディー語もまったく話せず、おまけに現地に1人の知り合いもいなかった。そのうえS字結腸をガンで取ってしまったため排便に難がある。それでも60万円ほどの現金を持ってインドに渡り、身振り手振りと「旅の指指し会話帳」だけでなんとか安アパートを借り、“インド初”のマンガ出版を目指す。

山松が翻訳第一弾に選んだのが、平田弘史の『血だるま剣法』。差別の宿命を背負った天才剣士の復讐譚で、部落解放同盟の抗議を受けて回収・絶版の後に、評論家・呉智英の再評価を受けて復刻を果たした幻の傑作だ。山松は、インドにもカースト制という差別社会が残るのだから、差別される者の怒りと悲しみを描いたこの作品が、ひとびとのこころをとらえるにちがいないと考えたのだ。

言葉も通じず、右も左もわからない山松は、ヒンディー語の翻訳者を探し、印刷会社を手配し、インド版『血だるま剣法』を完成させるべく悪戦苦闘する。英語ではなくヒンディー語にこだわったのは、マンガは知的エリートのものではなく、あくまでも大衆の娯楽だという信念からだ。本書の魅力は、理不尽な出来事の数々を飄々と乗り切り、半信半疑のインド人たちを味方につけて、“夢”を実現していく過程にある。

ようやく『血だるま剣法』100冊ができあがったのは日本に帰国する3日前で、山松はそれを路上で叩き売りするが、けっきょく1冊も売れなかった……。

しかし、山松はあきらめなかった。はじめてのインド体験で、ひとびとの食事が粗末なことと、娯楽が少ないことに気づいて、インドでうどん屋を開き、そこで漫才をやれば一攫千金が実現すると思いついたのだ。その経緯を描いたのが、第2作『またまたインドへ馬鹿がやって来た』だ。

この2冊を読むと、ひとは何歳になっても“冒険”ができると勇気が湧いてくるにちがいない。ゼロから市場を創造するベンチャーのケーススタディとしても最適で、日本の大学や経営大学院はつまらない授業をやめて、本書を教科書にするか、山松を講師に招いて学生たちに起業体験を語ってもらうといいだろう。

山松にはまだインドでのビジネスのアイデアがあるようだが、資金難で実現できないという。変わり映えしない事業計画ばかりでうんざりしているベンチャーファンドのファンドマネージャーはぜひ、真の起業家である山松に投資して3度目の“冒険”を実現させてほしい(クラウドファンディングもいいかもしれない)。

みたび馬鹿がやってくる日を、インドのひとびとは待っている(たぶん)。