新刊『大震災の後で人生について語るということ』発売のお知らせ

新刊『大震災の後で人生について語るということ』が、講談社より明日、発売になります。Amazonでは、すでに予約が始まっています。

タイトルからもお分かりのように、この本はブログでのエントリーをきっかけに、ポスト3.11の日本人の生き方にについて考えたもので、私の人生設計論の完成形でもあります。

日本人は、戦後の高度成長期に最適化された、きわめてリスクの高い人生設計のポートフォリオを築いてきました。日本社会を覆う閉塞感は、私たちが人生設計のリスクを管理できなくなったところから生じています。

いま、誰もが政府を声高に批判しています。しかし、自分自身がリスクを生む原因になっているのであれば、どれほど叫んでも不安が去るはずはありません。これが、私たちの時代が抱える病です。

私はこれまで、「社会を変える」ことについては意識的に言及を避けてきました。天下国家を語るひとは世の中にあふれていて、それは私の役割ではないと考えていたからです。

しかしこの本では、制度改革についても自分なりの見解を述べています。それは、これが日本にとって最後の機会だと考えるからです。

残念ながら、日本の政治は日々、統治能力を失いつつあるようです。財政問題だけでなく、道徳や正義をふくむあらゆる問題について、日本社会はいま重大な局面を迎えています。それを乗り越えられるかどうか楽観はできませんが、しかしそれでも希望はあると信じたいと思います。

いずれにせよ、私たちは戦後的な価値観を清算して、ポスト3・11の人生を歩きはじめなくてはならないのです。

この週末には、書店の店頭に並びはじめると思います。よろしければ、ぜひ手に取ってみてください。

橘 玲

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『大震災の後で人生について語るということ』目次

PART1 日本人の人生設計を変えた四つの神話

1 日本を襲った二羽の黒い鳥
2 不動産神話 持ち家は賃貸より得だ
3 会社神話 大きな会社に就職して定年まで勤める
4 円神話 日本人なら円資産を保有するのが安心だ
5 国家神話 定年後は年金で暮らせばいい

PART2 ポスト3.11の人生設計

6 伽藍からバザールへ 人的資本のリスクを分散する
7 世界市場投資のすすめ 金融資本を分散する
番外編 なぜふつうのおばさんが億万長者になるのか?
8 大震災の後で人生を語るということ

第4回 「使用権取引」で楽しく節電(橘玲の世界は損得勘定)

電力不足のなかいよいよ猛暑の夏がやってきた。どのくらい節電すればいいか見当もつかないので、とりあえずオフィス用に、パソコンの横に置く小型扇風機を4台と、タワー型の扇風機1台を購入した。

私のオフィスはウナギの寝床のような構造で、ベランダと玄関が一直線につながっているから、窓とドアを全開にすればけっこう風が通る。扇風機に加え、スタッフ全員にウチワを配布し、できるだけクーラーを使わずに夏を乗り切る作戦だ。

試しに10日間ほど、クーラーなしで過ごしてみた。室内の温度が34度を超えるとさすがにつらいが、耐えられないことはない。もっとも仕事の効率はかなり落ちるし、午後になるとみんなでかき氷を食べたりするから、どれだけ節約になっているかは心もとないものがある。

一時期、東京電力管内の電気予報(推測電力使用率)が90%を超えてどうなることかと思ったが、最近は80%台で安定しているので、室温30度に設定してクーラーを使うようになった。

熱中症対策として室温28度以下が推奨されているから、30度というとかなり暑いはずだが、その前がクーラーなしの34度だから体感上はものすごく快適だ。熱帯や亜熱帯を旅するときと同じで、湿度が低く、直射日光が避けられるならば、気温はさほど問題ではない。

もっともほとんどのオフィスビルは窓なんか開かないだろうから、こんなアナログな節電は不可能だ。飲食店やサービス業では、クーラーがなければ商売にならないところもあるだろう。

電力使用制限令のような統制型需要管理のいちばんの問題は、フリーライダーを阻止できないことだ。昨年比15%の節電を義務づけられているのは契約電力500キロワット以上の大口電力需要家だけで、一般家庭や商店のような小口需要家の節電は善意に頼るほかはない。今年の夏は危機意識が高いからなんとかなるとしても、こんなことがつづくようなら、いずれみんな馬鹿馬鹿しくなってくるだろう。

そこで、かき氷をつつきながら、「電力使用権」の売買というアイデアを考えてみた。

温室効果ガスの排出権取引と同じ発想で、各自に割り当てられた電力使用権よりも節電したら、その権利を市場で売却できる。工場やオフィスビルなど、割当量よりも多くの電力を必要とする事業者は、その使用権を市場で購入する。あるいは、節電というのはその分だけ発電したのと同じことなのだから、電力会社が「節電力」を買い上げることにしてもいい。

これなら、節電すればするほどお金が儲かるのだから、フリーライダーはいなくなる。節電が一種のゲームになって、電力ピーク時に日陰でシエスタを楽しむのが流行するかもしれない。

スマートグリッドのようなIT技術で電力需給を自動調整できるようになれば、電力使用権市場や「節電所」も夢物語ではなくなる。今年の冬は無理としても、せめて来年の夏は、ウチワとかき氷のアナログ節電から脱したいなあ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.4:『日経ヴェリタス』2011年7月18日号掲載
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国家が破綻しても既得権を手放さない進化論的理由 週刊プレイボーイ連載(11)

ガテン系のバイトで日当1万円もらって、思ったより儲かったと喜んでいたら、翌日、「計算間違えたから2000円返して」といわれた。こんなとき、素直に財布を出すよりも、怒り出すひとのほうが多いんじゃないでしょうか。

もちろん会社もこのことは承知しているので、きっと次のようにいうでしょう。

「払いすぎた分は、今日のバイト代から差し引いておくから」

これなら、ほとんどのひとがしぶしぶ納得するでしょう。

しかしよく考えてみると、これはずいぶんおかしな話です。バイト代から2000円引かれても、先に2000円を返して満額を受け取っても、損も得もありません。経済合理的な人間ならば、怒るか納得するか、態度を一貫させるはずなのです。

これと同じ現象は、税金の徴収でも観察できます。

サラリーマンは給料から税金を天引き(源泉徴収)されても、面と向かって文句はいいません。それに対して自営業者は、いったん手にした収入から税金を納めますが、脱税が毎日のように報じられていることからして、真面目に申告納税するひとはあまり多くないようです。でもこれは、税金を先に払うか、後から払うかのちがいですから、ひとびとが経済合理的であるならば、納税方法によって態度が変わるのはやっぱり変です。

この謎を解くには、人類の祖先がまだサルと未分化だった頃までさかのぼらなければなりんません。

下っ端のサルがようやくのことで果実を見つけて、そこにボス猿(アルファオス)が通りかかったとします。このとき、素直に果実を差し出したのでは、たちまち餓死してしまいます。こういうひと(?)のいいサルは生き残って子孫を残せないので、進化の過程で、「いったん手にしたものはぜったいに手放さない」という掟が埋め込まれました。これが、「私的所有権」の原型です。

その一方で、あとすこしのところで獲物が穴に逃げ込んでしまうこともあるでしょう。こんなとき、いつまでも穴の前でぐずぐずと思い悩んでいてはやはり餓死してしまいます。生き延びるためには、逃した獲物はさっさとあきらめて、狩りをつづけなければならないのです。

このような「進化論的合理性」によって、いったん手にしたものから支払うことと、最初から天引きされることのあいだには、心理的にきわめて大きなちがいが生まれました。もちろんこのことは為政者もちゃんとわかっていて、どの国も税金はできるだけ源泉徴収して、確定申告のときに払いすぎた分を取り戻すようにしているのです(商品代金といっしょに徴収する消費税も、心理的抵抗のすくない効率的な徴税手段です)。

脱税がこの世からなくならないのは、その行為が「法律には違反するものの、進化論的には正しい」からです。この無意識の感情はきわめて強力で、法や道徳で矯正することはできません。

この問題は、税金にとどまりません。社会保障でも公共事業でも各種補助金でも、いったん手にしてしまえば、私たちはそれを既得権と考えます。こうして財政は肥大化しますが、それが当初の役割を終えても「改革」はめったに成功しません。

「進化論的正義」は、国が破綻しようとも、その既得権を手放さないよう命じるのです。

『週刊プレイボーイ』2011年7月15日発売号
禁・無断転載