Yahoo!ニュースBUSINESSに配信することになりました

昨日(7月12日)より、Yahoo!の新しいコンテンツとして、Yahoo!ニュースBUSINESSが始まりました(プレスリリースはこちら)。いちばんの特徴は、ニュース配信を大手メディアだけでなく個人にも開放したことです。

Yahoo!から専用IDをもらえば、記事入稿ツールを使って、いつでも好きなときに自由にニュースを配信できます。それがロイターや時事通信、ダイヤモンド・オンラインや東洋経済オンライン、Financial TimesやThe Economistと並んでYahoo!ニュースにアップされるのですから、考えてみればスゴいことです。大新聞の「安物の正義」に憤った山本夏彦翁は、自ら「豆朝日新聞」をつくって駅頭で配りましたが、それと同じことがクリックひとつでできてしまうのです。

とはいえ、Yahoo!にニュース配信することは、新聞や通信社と同じ責任を負うということでもあります。Yahoo!は自らをたんなる導管と規定しているので、個人が配信した記事も、いっさいのチェックなしに即座にサイトにアップされます。

新聞社や出版社は原稿の掲載にあたって書き直しを求めたり、あるいは掲載そのものを拒否する権利を保持しており、それが同時に、記事から生じたトラブルに執筆者と共同で責任を取る根拠にもなっています。Yahoo!はこうした権利を保有していないので、法律上の責任がどのように判断されるかはいまだ未知数です(新聞社から配信を受けた写真を理由に賠償を命じられたこの裁判があるだけです)。

このような理由から、当面は集英社から許諾を得た『週刊プレイボーイ』の連載を中心に、単行本の一部抜粋や、過去のエントリーのなからアクセスの多かったものなどを適宜配信していこうと思います。

ニュース配信する個人はこれからどんどん増えていくそうなので、いずれこの新しいツールを活かす思いもよらないイノベーションが生まれてくるかもしれません。「個人のメディア化」の究極の姿ともいえる興味深い試みなので、将来的にはいろいろなことを試してみたいと思います。

私の配信記事一覧はこちらにまとめられています。Facebookからコメントすることや、TwitterをRTすることもできます。みなさんもいろいろ使ってみてください。

書評:ソーシャルファイナンス革命

生きる技術!叢書の安藤さんから、慎泰俊『ソーシャルファイナンス革命』を献本してもらった。とても刺激的な本だったので、ここで紹介したい。

著者の慎泰俊は「しん・てじゅん」と読んで、1981年東京生まれ。朝鮮大学校を卒業後、早稲田大学大学院でファイナンスを学び、モルガン・スタンレー・キャピタルを経て、現在は投資ファンドの仕事をしている。同時に、カンボジアやベトナムの貧困層のために「マイクロファイナンスファンド」を企画するNPOを運営してもいるという。

著者自らが書いているように、在日朝鮮人の社会で育つことは、ふつうの日本人とはちょっとちがった体験だ。慎氏が外資系金融機関に勤めるようになると、友人や知人が次々と無心にやってくるようになった。事業を始めるとか、転職や結婚で金がいるとか、実家が急な事情で困っているとか、学校を卒業するために援助してくれとか、理由はさまざまだが、貸したお金はほとんど返ってこず、お金と同時に友情や人間関係まで失うことになったという。それが、慎氏が個人間の少額のお金の貸し借りに関心を持った理由だ。

慎氏はまだ30代はじめだが、私の世代でも、個人間で金銭の貸し借りすることはほとんどない(その数少ない経験でエッセイを1本書いたほどだ)。消費者金融は自分とは無関係の「負け組」が使う高利貸しで、上限金利がどうなろうが、過払い金請求で業者が倒産しようが、誰もなんの関心もない。マイクロファイナンス(少額融資)について真剣に考えるのは、慎氏のように、お金を貸すことの“痛み”を知っているひとだけなのだろう。

この本で慎氏は、ファイナンスの基礎を明快に説明したあと、ソーシャルファイナンス(ひととひととのつながりを利用したお金の貸し借り)はふたつに分けれらると述べる。ひとつが、モハメド・ユヌスがグラミン銀行で行なったマイクロファイナンス。もうひとつが、著者が「P2Pファイナンス」や「クラウドファンディング」と呼ぶ“ファイナンス革命”だ。

本書ではマイクロファイナンスの仕組みや現状、課題などが簡潔に説明されていて、それがコミュニティ(前近代的な共同体)のベタな人間関係を基礎とした“連帯責任”のファイナンスだということがよくわかる。この仕組みはインドやバングラデシュ、メキシコ、ベトナムやカンボジアなどでは大きな成果を挙げ、成功しすぎたために一部では逆に社会問題化している(マイクロファイナンス金融機関が収益を優先して高金利を課したり、強硬な取立てで自殺者が出たりしている)。それに対してアメリカやヨーロッパなどの先進諸国では、さまざまな試みはあってもほとんど機能していない。

ユヌスは、先進国であってもマイクロファイナンスはうまくいくはずで、それを阻んでいるのは生活保護などの過剰な福祉だと批判する。そうした側面もあるかもしれないが、慎氏は、ここにはもっと本質的な問題があるという。インドやバングラデシュとアメリカやヨーロッパ、日本では、社会のかたち(ひととひととのつながり方)がちがうのだ。

マイクロファイナンスは貧困層への無担保融資だが、その返済率がきわめて高いのは、「連帯責任」によって共同体が支援と圧力を加えるからだ。だが私たちが生きているのは後期近代の「自己責任」の社会で、そこではすべてのひとは「自己実現」を目指すべきだとされていて、共同体のための人生にはなんの価値も与えられない。

前近代の共同体が、少人数が深くつながるベタな人間関係だとすれば、後期近代は砂粒のようにばらばらなひとたちが浅くつながる世界だ。だから後期近代のファイナンスは、(前近代の)マイクロファイナンスとはちがうものでなければならないと慎氏はいう。

クラウドファンディングは、インターネットを利用して世界中のたくさんのひとたち(クラウド)から少額のお金を集める仕組みだ。P2P(person-to-person)ファイナンスは、SNS(ソーシャルネットワーク)のプラットフォーム上で、旧来の金融機関を介在させることなく、見知らぬ個人と個人が直接つながるファイナンスのことだ。慎氏は、ICT(情報通信技術)の発達とSNSによって、これまでとはまったく異なるファイナンスの地平を展望する。これはとても魅力的な「革命」のビジョンだ。

ちなみに私は、個人投資家が機関投資家と対等のプレイヤーになる「金融3.0」について書いたことがある(『賢者の投資術』)。ソーシャルファイナンス革命は、「金融3.0」を別の側面から描いたものともいえる。

また『(日本人)』の「UTOPIA」の章で、もし私たちに「夢」があるとするならば、それはICTとSNSが生み出す(かもしれない)新しい価値観(評判社会)しかない、と述べた。共同体のしばりを欠いたソーシャルファイナンスにおいて、返済の担保となるのはSNSの「評判」だ。

もちろん私は、このことで自分の先見の明を誇るつもりはない。私たちは「夢」を奪われた時代を生きていて、おそらくは、誰が考えても同じような場所に行き着くほかないところまで道は狭まっているのだ。

本書のいちばんの魅力は、金融の仕組みについてのクリアな解説でも、未来のファイナンスの予言でもなく、これが「未完」だということだ。まだ30代の著者は、これから自らの実践によって、本書の「続編」を書いていくことになる。それが“世界を変える”innovationになることを期待したい。

PS:とはいえ私は、この「革命」がたんなる幻かもしれないと疑ってもいる。それについては機会をあらためて書いてみたい。

東電の社員は原発事故に責任を負うべきなのか? 週刊プレイボーイ連載(57)

東京電力による家庭向け電気料金の値上げ申請が強い批判を浴びています。自らの失態で原発事故を起こし、多くのひとに迷惑をかけているにもかかわらず、利用者に負担を求めるのはけしからん、というのです。

これはたしかにもっともですが、「社員の給料を下げろ」とか、「OBの年金を減らせ」というだけではたんなるバッシングになってしまいます。ほとんどの社員やOBは、原発事故とはまったく関係のない仕事をしている(いた)からです。

彼らに「責任を取れ」と求める根拠はどこにあるのでしょうか。

議論の前提として、東電が原発事故に対して「無限責任」を負っていることを確認しておきましょう。法律上は、「異常に巨大な天変地異」による原子力災害は事業者の責任が免責されることになっていますが、東電はこの免責を求めていないからです。

次に法人の責任ですが、これも法律に明快な規定があります。

株式会社の所有者は株主で、株主の代表が取締役会です(取締役会の代表が「代表取締役」です)。会社が第三者に経済的損害を与えた場合、その責任は所有者である株主が負うことになりますが、株主は出資金を超えて負担を求められることはありません(有限責任)。

ところで今回の原発事故のように、株主だけではとても負担できない場合はどうなるのでしょうか。こうしたケースも法律の規定は明快で、債権者が損失を被ることになります。債権者というのは、東電に融資している銀行や、東電の債券(電力債)を持っている投資家のことです。

法的には、第一に東電の株主が、次いで債権者が福島原発事故の責任を負います。その一方で、社員やOBの責任についてはなにも書かれていません。彼らは「法的な責任」を取る必要はないのです。

それでは、東電社員やOBの利益は守られるべきなのでしょうか。そんなことはありません。

取締役会は株主の代表ですから、彼らの仕事は「株主利益の最大化」です。代表取締役の義務は、リストラや不要資産の売却によって、できるかぎり株主の資産価値を守ることなのです。

損害があまりに大きすぎて株主の資産がゼロになってしまうと、会社の支配権は債権者に移ります。債権者は会社の支配者として、自分の資産(債権)を守るためにリストラや資産売却を行なうことになります。

東電が「会社」として奇妙なのは、原発事故に「無限責任」があるにもかかわらず、株主も債権者も責任を取っていないことです。彼らは東電にリストラを求める理由がなく、責任問題をあいまいにしたまま電気料金を値上げした方が好都合なのです。

ところが東電の赤字はあまりに膨大なので、けっきょく政府が過半数の株式を所有して“国有化”することになりました。これは、国民が東電の「所有者」になることです。

こうした紆余曲折を経て、ようやく原発事故の責任問題が(すこし)正常化しました。国民が株主ならば、東電に対して厳しいリストラを求めるのは当然の権利です。ただしそれは、社員やOBを“道徳的に罰する”ものであってはならないのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年7月2日発売号
禁・無断転載