現代の錬金術は成立するか? 書評『日本破綻を防ぐ2つのプラン』

日本破綻を防ぐ2つのプラン』で、経済学者の小林慶一郎氏がきわめて刺激的な提言をしている。それはかんたんにいうと、次のようなものだ。

  1. このままでは日本の財政は破綻してしまう。
  2. 財政破綻で円が暴落することを考えれば、現在の円高は市場の誤解(もしくは楽観)によるものだ。
  3. だとしたらそれを利用して、日本政府は大規模な外貨建て投資を行なえばいい。
  4. 日本が巨額の外貨建て資産を保有していれば、円が暴落しても、為替差益によって損失を補填することができる。
  5. 市場参加者の誰もが、財政破綻で日本が損をしない(かえって得をする)ことを知っていれば、財政は破綻しないだろう。

最後のところがわかりにくいかもしれないが、これは金融資産に対して100%のヘッジをかけている(保険に入っている)のと同じだ。

国債の暴落は、国家が利払いや償還の約束を反故にするのではないかという投資家の不安によって引き起こされる。しかし国債の暴落=通貨安でも為替差益という「保険」で国債が確実に償還されるのなら、投資家は不安に怯える必要はなく、結果として国債は暴落しない、というわけだ。

はたしてこんなウマい話があるのだろうか。これは真剣に検討してみる価値がある。

今後の議論の参考に、いくつか疑問に思ったことを記しておきたい。

私も、無意味な公共事業に税金を注ぎ込むくらいならアジアの新興国に投資した方がいいと思っているが、小林氏のプランでははるかに大規模な外貨建て投資が想定されている。日本国の借金は1000兆円もあるのだから、数兆円規模の国富ファンドでは焼け石に水だ。中国の政府系ファンドの資産は2000億ドル(約16兆円)、最大規模のアブダビ投資庁のファンドが8750億ドル(約70兆円)といわれているが、それをはるかに上回る投資額が必要だろう。

小林氏はファンドの規模には触れていないが、仮に日本国の借金の半分、500兆円(6兆2500億ドル)としてみよう。これは日本の外貨準備1兆ドルをはるかに上回る規模で、足りない分は国債を増発して調達するしかない。

小林氏も指摘するように、このこと自体に財政上の問題はない。どれだけ国債を増発しても、それが外国の債券や株式、土地などの資産に裏打ちされているのなら、借金と同時に資産も増えて差し引きゼロになるからだ。

そのうえ、この取引で日本国が相手に渡すのは国債という紙切れ――というか、いまでは電子化されているからただのデータで、そのコストはゼロ円だ。それを使って外国企業の株式や海外の不動産など実物資産を購入するのだから、これは法外に有利な取引、というか現代の錬金術だ。

しかし、ほんとうにこんな魔法が使えるのだろうか。

500兆円の国債を新規発行して外国資産を購入するなどという法案が国会の審議にかけられれば、日本じゅう(というか世界じゅう)が蜂の巣をつついたような大騒ぎになるにちがいない。もし仮に法案が成立しても、「これから500兆円分の買い物をします」とあらかじめ公表しているのでは、通貨の下落や資産価格の上昇で効果は相殺されてしまうのではないだろうか。

それ以前に、このようなメガ政府系ファンドを、アメリカや世界の国々が認めるはずがない。いたずらに世界経済を混乱させるだけだからだ。

もちろんこのことは小林氏も知っていて、アメリカとEUと日本がお互いに巨額の国債を持ち合う構想が語られている。だがそのためには現在の世界経済システムの大転換が必要で、それにはとほうもない時間がかかり、財政破綻を回避するのには間に合わないかもしれない。

そこで小林氏は、もうひとつの可能性を提示する。

資金は国債ではなく民間からの投資にして、そのかわり外国投資で生じた為替差損は日本国が補填する、というものだ。これなら日本の投資家は為替リスクなしで外国資産を購入できるから、莫大な資金が海外へと向かうだろう。

この提言がきわめて魅力的だということを認めたうえで、直感的に思いつく問題点を指摘したい。

小林氏は、政府が国富ファンドを組成し、それに民間の投資家を参加させ、為替差損を補填するスキームを考えているが、国富ファンドの規模が制限されるなら、為替リスクを日本国に転嫁できる投資家と、為替リスクを自分で背負わなければならない投資家が生じてしまう。

為替リスクなしで海外投資ができるというのはきわめて有利な条件だから、すべての投資家がファンドへの参加を熱望するだろう。公平性を保障するには国富ファンドは無制限に投資を受け入れなくてはならないし、そうでなければ大量の外貨建て資産を蓄積できない。

単一の国営ファンドで全資金を管理できるはずもないから、もっともありそうなのは、為替リスクをヘッジできる複数のファンドが顧客の資金をめぐって競争するような状況だ。

この場合、合理的な投資家(ファンド)は全財産をはたいてギリシア国債(2年もので年利80%)を買うだろう。ギリシアがユーロから脱退してもドラクマを刷れば国債は償還できる。為替レートは大幅に減価するだろうが、その損失は日本国が肩代わりしてくれるのだから、これは無リスク超ハイリターンの千載一遇のチャンスだ。

しかしこれは、日本国にとっては災厄以外のなにものでもない。ユーロがドラクマになってしまえば、為替差損の補填だけで財政破綻してしまうかもしれない。これでは、国家からファンドへの無償の資金移転だ。

ファンドの投資対象を制限するなどして、こうしたモラルハザードを解決できたとしよう。しかしそれでも、為替リスクから解放されたファンドマネージャーは、すこしでも金利の高い通貨に殺到するだろう。

原理的に、こうした資金の動きは、日本円と外国通貨の金利が同じになるまで止まらない。だとしたらこれは、中央銀行が金融政策(金利の操作)を放棄して為替レートを安定させる為替ペッグと同じことではないだろうか

現代に錬金術をよみがえらせることができれば、日本は財政破綻の危機から救われるにちがいない。小林氏のプランが壮大な実験である以上、さまざまな困難があるのは当たり前だ。だからこれは、小林氏の提言への批判というわけではない。

これが私たちが未来を賭けることのできる夢なのか、それともたんなる夢物語なのか、さらなる議論を期待したい。

日本は大家族制に戻っていく? 週刊プレイボーイ連載(33)

経済格差が広がっている、といわれています。「一億総中流」の時代とは時代の雰囲気がずいぶん変わったのはたしかで、これは主に三つの原因で説明できます。

経済格差の最大の要因は高齢化です。

20歳の頃はだれでも貯金の額は同じようなものでしょうが、商売に成功したり失敗したり、定年まで勤め上げたり途中で退職したり、人生はさまざまですから、年をとるにしたがって経済的なゆたかさには大きな差が生まれます。社会全体の平均年齢が上がれば、それにつれて経済格差も自然と大きくなっていくのです。

ふたつめは、家族が小さくなってきたことです。

日本でもむかしは祖父母、父母、子ども夫婦、孫の4世代が同居するのがふつうで、世界の多くの国々ではいまでも大家族が一般的な居住形態です。貧しい国では家族がいちばんの安全保障で、みんなが身を寄せ合って暮らしているのです。

大家族では、一人あたりの生活コスト(住居費や食費)はきわめて安くなります。夫の給料で妻と子どもを養う核家族や、家や食事などすべての支出が個人単位の一人暮らしでは、当然、生活コストは高くなります。

ひとびとの暮らし方が核家族や一人暮らしに変わっていくにつれて、生きていくだけで精いっぱいの(家賃と食費を払ったらなにも残らない)ひとたちが増えていきます。単身世帯や母子家庭が多くなれば、経済格差も広がっていくのです。

経済格差の三つめの要因が仕事の二極化です。これが一般に「グローバリズム」と呼ばれるもので、「中国や東南アジアの労働者と同じ仕事をしているだけでは、彼らと同じ賃金しか受け取れない」という原理のことです。

先進国と新興国の労働者が同じ条件で競争する「グローバル資本主義」では、特別な仕事や専門性の高い職業(クリエイティブクラス)を目指せといわれます。ミュージシャンや映画俳優、スポーツ選手、作家・芸術家などの「特別なひとたち」のほか、医師・弁護士・会計士・ファンドマネージャーなどの「専門家」がよく例に挙げられます。

これは理屈としては正しいのでしょうが、すべてのひとがクリエイティブクラスになれるような社会が成立するはずはありません。彼らが多額の報酬を手にできるのは、希少性(ごく少数しかいない)があるからです。だれでも弁護士になれる社会では、平均的な報酬はマクドナルドの時給並みになってしまうでしょう。

経済格差の原因を三つに分類してみると、日本の未来がなんとなく見えてきます。

高齢化にともなう経済格差の拡大は一種の自然現象ですから、人為的に矯正する必要はありません(無理に平等にしようとすると共産主義になってしまいます)。クリエイティブクラスとマックジョブの二極化はこれからもつづくでしょうが、これは個人の問題で、だれもが経済的に成功できるユートピアはあり得ません。

それに対して、核家族化や単身化にともなう経済格差の拡大は簡単に解決できます。

成人しても実家で暮らす“パラサイト”が話題になりましたが、これはきわめて経済合理的な選択です。国家の提供する安全保障が不安定になれば、日本はまた大家族制の社会へと戻っていくのかもしれません。

参考文献:大竹文雄『日本の不平等』

 『週刊プレイボーイ』2012年1月6日発売号
禁・無断転載

第10回 「住所無し宅配便」のお国柄(橘玲の世界は損得勘定)

国際宅配便の業者から携帯に電話がかかってきた。UAE(アラブ首長国連邦)からの書類が届いているのだが、住所が不明瞭で郵送できないのだという。

口頭で住所を伝えて配達してもらったのだが、それを見て思わず考え込んでしまった。郵便物の宛名欄には、以下の情報しか記載されていなかったのだ。

  • TO:AKIRA TACHIBANA
  • TOKYO JAPAN
  • TEL8190********(携帯番号)

「住所が不明瞭」どころの話ではなく、そもそも住所がなかったのだ。これでちゃんと届く方が奇跡だ。

ずいぶん前にUAEを訪れたときに、銀行の担当者に勧められて系列の証券会社に口座をつくった。いろいろと面倒な手続きがあったのだが、帰国後はなんの連絡もなかったので、そのまま放っておいて忘れてしまった。

ところがいつの間にか私の口座はできていたらしく、そのうえこんどは、証券会社がリテール(個人向け)サービスを止めるとかで、その口座を閉鎖しなくてはならなくなって同意書を送ってきたのだ。

もともと存在すら気づいていなかった口座で、当然残高はゼロだから、私としては勝手に閉じてもらってもぜんぜん構わない。だがそれなりの資産を運用しているひとにとっては、これは大問題だろう。証券会社もいちおうこのことは理解していて、UAE内のほかの証券会社に資産を移管するアドバイスも添えて、顧客に急な変更を知らせようとしたのだ。

しかし、内容の重要性がわかっているのならなおのこと、なぜ住所がないまま発送するのか疑問に思えてくる。

想像するに、おそらくこんな事情だったのだろう。

まず上司が、「重要な書類だから国際宅配便を使うように」と指示する。部下がデータを出力してみると、なぜか住所の抜けている口座がある(おそらく口座開設時に入力するのが面倒だったのだろう)。でもこれは自分の責任ではないから、そのまま梱包して宅配業者に渡す。

住所のない郵便物を受け取った業者も、自分に責任があるわけではないから、「TOKYO JAPAN」だけを頼りに日本行きの便に載せる。それを受け取った東京の事業所が、困り果てて私の携帯に電話してきたのだ。

しかしこれは、日本人にはとうてい理解しがたい状況だ。

そもそも顧客の住所のない口座が存在すること自体あり得ない。仮にそんなことが起きても、書類を送る際に気がついて大騒ぎになり、口座開設申請書を引っ張り出だして住所を確認しようとするだろう。さらに、万が一こんな輸送物が紛れ込んでいたら、宅配便業者は宛名の不備を指摘して受取りを拒否するにちがいない。だが砂漠のなかに忽然と現われた超近代都市では、これらのことはすべてスルーされてしまうのだ。

もちろんこれは、アラブ人を批判しているわけではない。ただ、世界にはさまざまな文化があって、私たちのよく知っている効率的なサービスがすべてではないことを、あらためて思い知らされたのだった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.10:『日経ヴェリタス』2011年12月18日号掲載
禁・無断転載