ハルマゲドンがやってきたら 週刊プレイボーイ連載(29)

ユーロ危機をきっかけに、「日本もいずれギリシアのようになる」と騒がれるようになりました。

“日本国破産”論は、バブル崩壊で地価と株価が暴落し、不良債権問題の深刻さが暴かれはじめた1992年頃から断続的につづいていたもので、大手金融機関がつぎつぎと破綻した97年の金融危機をきっかけに、2003年国家破産説、2010年中流崩壊説など、さまざまな“警告”本が出版されました。

この問題の難しいところは、過去の予言が外れたからといって、将来も起こらないとはいいきれないことです。いまやだれもが気づいているように、執拗に国家破産が語られるのは、日本国の財政に構造的な欠陥があるからなのです。

国と地方を合わせた日本国の累積債務は、2000年には500兆円あまりでしたが、それがいまでは1000兆円を超えようとしています。これは冷静に考えても背筋が凍るような状況で、国家が無限に借金できないことは明らかですから、このまま債務が膨らんでいけばいつか必ず破綻します。

1999年のユーロ誕生の時から、通貨だけを共通にして、各国が自由に国債を発行する仕組みはいずれ行き詰まると、経済学者は指摘していました。ヨーロッパ市場が拡大し、「ユーロはドルに代わる基軸通貨になる」といわれた頃は、だれもこの警告を気にしませんでしたが、わずか10年あまりで「予告された危機」はやってきました。構造的な問題は、現実化するのです。

日本国の財政が破綻したらどうなるかについてのシミュレーションはすでにいくつもありますが、いずれにせよ大きな経済的混乱が起こることは避けられません。しかしこれは、戦争や内乱のようにすべての国民の運命を翻弄するわけではなく、世代によってその影響にはかなりの差があります。

もっとも甚大な被害を受けるのは年金生活の高齢者です。70歳を過ぎれば働いてお金を稼ぐことはほぼ不可能ですから、年金制度が破綻して受給額が大幅に減額されたら生きていけません。家賃が払えなくなったり、老人福祉施設に入るお金がなければ、あとは路上生活が待っているだけです。

これはとてつもない恐怖ですから、高齢者はなんとしても、自分が生きているあいだは現在の制度を維持するよう求めます。負担が将来世代に先送りされたとしても、彼らにとってはどうでもいいことです。

それに対して若い世代は、仮に職を失ったとしてもいくらでもやり直しがききますから、どうせならいますぐ破綻してほしいと考えるでしょう。年金にせよ医療保険にせよ、納めた保険料はとうてい取り戻せないのですから、もっとも経済合理的なのは、一刻も早く制度そのものをリセットさせることです。

このように財政破綻において、若者と高齢者の利害は真っ向から対立します。

高齢者と若者がどちらも経済合理的に行動したとしても、高齢者の政治力が圧倒的に強い以上、結果は明らかです。しかし皮肉なことに、それによって国家の借金は膨らみつづけ、来るべき“ハルマゲドン”の規模はより大きくなってしまうのです。

 『週刊プレイボーイ』2011年11月28日発売号
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第9回 “衝動クリック”への心理戦(橘玲の世界は損得勘定)

黒豆というのは正月のおせち料理に定番の煮豆のことだと思っていたら、じつは枝豆でもあった。と書いてもなにやら意味不明だが、煮豆にするのは完熟した黒豆で、その少し前のものは、ビールのつまみに出てくる枝豆のように茹でて食べるのだという――。近頃はこんなトリビアまで、ネット通販のメールが教えてくれる。

“黒豆の枝豆”というのは初体験だったので、さっそく注文してみた。代金は800グラムで1980円だったのだが、そのメールに「ポイントが失効間近」と書いてあって、確認してみると口座に2000ポイント貯まっていた。1ポイント=1円なので、これを使ってタダで最高級の丹波の黒豆が手に入った。

こんな不思議なことが起きるのは、「ポイント10倍フェア」のときにたまたまこの通販サイトで買い物をしたからだ。通常は100円につき1ポイントもらえるが、この時期だけは100円で10ポイントになって、購入代金の10%が還元されるのだという。

ところで、通販会社はなぜこんな大盤振る舞いをしてくれるのだろうか。そのヒミツを知るために、最大通販サイトで子ども服を販売している知人に聞いてみた。

「ネット通販というのは心理ゲームなんです」開口一番、彼女はいった。「注文してから何日か経たないと手元に届かないんだから、どうしても必要なときにネットなんか使わないですよ。いますぐ買わなくてもすむようなモノだから、なにか仕掛けがないと売れないんです」

販促の第一歩は、潜在顧客の暗号化されたメールアドレスを通販サイトの運営会社から買うことだという。それも、パソコンより携帯メールの方が単価が高い。

「パソコンでメールを受け取ると、あれこれ比較したりするから、購入率はそれほど上がらないんです。それに比べて携帯メールは、衝動的なクリックが多いから単価も高くなるんです」

この“衝動クリック”を誘発する仕掛けが、ポイントの有効期限や「10倍フェア」だ。

「ポイントは月末が期限だから、それに合わせて“失効前に買い物をしよう”というメールを送るんです。『10倍フェア』は期間限定で、“ここで買わないと損”と煽るんです」

彼女の説明によれば、通販会社は膨大なデータをもとにユーザーの購入行動を分析し、さまざまな“心理テクニック”を開発しているのだという。どおりで自分にぴったりのメールばかり来ると思った。

とはいえ、10%のポイント還元は店の負担だ。そんなことまでして元はとれるんだろうか。

「当然、どこもぎりぎりの価格設定をしています。正直、利益を出すのはけっこう大変です」

それでもつづけているのは、マーケティングが結果につながるのが面白いからだという。

「買い物は自己実現なんです」こともなげに彼女はいう。「“欲しい!”と思った瞬間にクリックする、その快感を演出するのが私たちのビジネスです」

いやー、恐ろしい時代になったものだ。とてもついていけそうにない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.9:『日経ヴェリタス』2011年11月20日号掲載
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“無責任社会”は無限責任から生まれた 週刊プレイボーイ連載(28)

名門企業オリンパスが、20年にわたり巨額の損失を隠してきたことで会社存亡に機に立たされています。事件の概要はすでに報じられているとおりですが、基本的な構図は97年に経営破綻した山一證券と同じで、財テクの失敗を隠蔽するために歴代経営陣が粉飾決算を繰り返してきたというものです。

海外メディアでもこの事件は、日本企業のコーポレートガバナンス(会社統治)の問題として大きく報道されています。

ガバナンスというのは、組織内の権限と責任を明確にして、権力構造(指揮命令系統)をだれでもわかるようにすることです。軍隊では、作戦本部から末端の兵士まで命令が効率的に伝わるようにしなくては戦争に勝つことができません。ところが日本の組織では、このガバナンスがおうおうにして失われてしまいます。

もちろんどのような組織でも権力構造があることに変わりはありませんが、日本の組織はそれが水面下に隠れてしまい、外部からはどこに権力の中心があるのかわかりません。権限と責任が分離して、いつのまにか責任の所在が消えてしまうことで、だれも責任をとらない「無責任体制」が完成するのです。

ただしこれは、日本社会に特有の病理というわけではありません。「全員一致」でしかものごとを決められないムラ社会では、責任も全員に分散されますから(一億総懺悔)、原理的に責任をとることができないのです。

ところがこのような「無責任社会」で、たまたまある特定の人物が責任を問われると、家族や関係者までもが無限責任を負わされることになります。

このことに最初に気づいたのは政治学者の丸山真男で、大正12年に起きた皇太子(後の昭和天皇)狙撃事件後に、内閣が総辞職し、警視総監から警護にあたった末端の警官までが懲戒免官となったばかりか、狙撃犯の郷里が全村をあげて「喪」に服し、彼が卒業した小学校の校長や担任の教師が辞職した例をあげています。

権限と責任が分離すると責任の範囲があいまいになり、いったん「有罪」を宣告されると責任が無限に拡散していきます。このような社会ではだれもが責任を避けるようになりますから、全員の総意によって、だれも責任をとらなくていい“やさしい社会”が生まれたのです。

ほとんどのひとが誤解していますが、「株主主権」というのは、会社のガバナンスを機能させるための一種のつくり話です。なぜこのような“ウソ”が必要になるかというと、組織における権限と責任を決めるには、「会社の所有者はそもそも誰か」という基本設計が必要だからです。コーポレートガバナンスは、「主権者」である株主を権力の中心において、会社の権力構造を明示化する仕組みなのです。

ところが日本ではこのことはほとんど理解されず、「株主資本主義」は日本的な美風に反すると批判されてきました。会社は、社員や取引先や消費者など「みんなのもの」だというのです。だとすれば、株式市場のルールを一顧だにしないオリンパスは、まさに“日本的経営”の理想の姿でしょう。

この“素晴らしき日本の伝統”が、企業の価値や社員の生活を破壊していく様を、私たちはいま目にしているのです。

参考文献:丸山真男『日本の思想』

『週刊プレイボーイ』2011年11月21日発売号
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