海外旅行のコストパフォーマンス

帰国したばかりでちょっとばたばたしているので、記事の更新は後回しにして、最近見つけた面白いデータを紹介します。

これは『ブレイクアウトネーションズ』の著者ルチル・シャルマがつくった「フォーシーズンズ指数」で、高級ホテルグループ、フォーシーズンズのドル建て料金(スタンダードルーム1泊)を国別に調べたものです。海外出張に行くエリートビシネスマンのCP(コストパフォーマンス)感覚を表わしている、といってもいいでしょう。

これを見ると、ロシアとブラジルという、BRICsのうちの2カ国の宿泊費が明らかに高いことがわかります。ロシアは社会主義の時代が長く、海外からの旅行者向けのホテルが少ないという事情もありますが、著者はこの現象を、石油や天然ガス、金属などのコモディティ価格が上昇したからだと指摘しています。

因果関係は諸説あると思いますが、この奇妙な現象はおおよそ次のように説明できます。

  1. コモディティ価格が上がると資源国に外貨が流入して経済が過熱する
  2. 経済が過熱すると消費者物価が上昇してインフレなり、国民の不満が高まる
  3. 値上げ反対のデモが起こるようになると、政府はインフレを抑えるべく金利を引き上げる
  4. 高金利に引き寄せられてさらに外貨が流入し、通貨が高くなる
  5. 通貨が高騰した結果、ドル建てではすべての価格が割高になる
  6. こうして、モスクワやサンパウロの高級ホテルの料金は先進国の主要都市よりもずっと高くなる

著者は、「高すぎると感じたら、おそらくそれは正しい」といいます。サンパウロで1泊7万円、モスクワでは1泊9万円という宿泊料金はどう考えても異常で、いずれは為替の変動によって調整されることになるはずです。

これに対して同じBRICsでも、中国やインドのような資源輸入国の通貨はそれほど高くなりません(中国の場合、為替管理をしているというのもありますが)。それよりもさらに割安感が強いのが、タイ、インドネシア、マレーシアといった東南アジアの国々です。これらの国なら5つ星ホテルでも1泊1万円台で、最高級のホテルでも1泊2万円台から泊まれます。こうした“割安国”が日本から近い東アジア、東南アジアに集中しているのはうれしいことです。

ちなみに、東京のフォーシーズンズは正規料金が1泊10万円を超えますが、Expediaなどを見ると1泊400~500ドルなので、先進国の平均よりかなり割安です。アジアで明らかにホテル料金が高いのは香港とシンガポールで、日本はいつのまにか「安く旅行できる国」になりました。

ゴールデンウイークが終わったばかりですが、夏のバカンスをどこで過ごそうか計画を立てるときに、「フォーシーズンズ指数」で海外旅行のCPを考えてみるのもいいかもしれません。

第29回 キプロス、預金保護の危うさ(橘玲の世界は損得勘定)

 

地中海の島国キプロスをめぐる春の椿事は一段落したようだが、いったいなにが問題だったのだろうか。

最大の衝撃は、「国家が預金封鎖で国民の資産を没収する」という現実をひとびとが目の当たりにしたことだ。

個人にとって預金とは、納税という市民の義務を果たした後に手元に残ったお金を積立てたものだ。国家は国民の財産を保護する義務を負っているのだから、預金の利子ではなく元本に課税することが財産権の侵害にあたることはいうまでもない。

だが今回の問題は、もうすこし複雑だ。

ギリシア国債に多額の投資をしていたキプロスの銀行は、ギリシアの財政破綻で債権放棄を迫られて債務超過に陥ってしまう。しかし“金融立国”キプロスでは、金融機関の総資産がGDPの7倍もあって、国家に銀行を救済する財政余力がない。ない袖は振れないのだから、「財産権」など絵に描いたモチで、このままでは国家も金融機関もろとも破綻するほかなかったのだ。

国家と金融機関の全面的なデフォルトが起これば、預金は半分以下になってしまう。これに対してEUは当初、支援の条件として、すべての銀行預金に10%程度課税することを求めていた。放っておけば半分になるお金が9割も戻ってくるのだから、預金者も喜んで受け入れるだろうと考えたのだ。

ところがキプロス政府は、これまで国民に都合の悪い話をいっさいしてこなかった。正直にいおうものなら取り付け騒ぎが起きるのは目に見えていたからだろうが、それによって事情を知らないキプロス国民が「全額保護されるはずの預金をカットするな」と怒り出し、事態は迷走を始める。

キプロス問題の本質は、すでに報じられているように、ロシアからグレイな資金が大量に流れ込んでいることと、資金の出し手であるドイツが今秋に総選挙を控えていることだ。ロシアマフィアの資金を保護するような銀行救済は、最初から認められるはずはなかった。

けっきょく、10万ユーロ(約1300万円)以下の預金を全額保護する代わりに、銀行の株式と交換するかたちで、高額預金に最大で6~8割課税することに落ち着いた。一般の預金者(有権者)を保護するとともに、高額預金のかなりの割合を占めるロシアマネーに“懲罰”を加えることでドイツの顔も立てようとしたのだ。

だが、この案をそのまま実行するのは不可能だ。キプロス経済は観光業で支えられているが、大型ホテルの運転資金(これも銀行に“高額預金”されている)を差し押さえてしまえば、従業員に給与すら払えなくなってしまう。

おそらくいま水面下でさまざまな交渉が行なわれているのだろうが、混乱が再燃するようなら、一律10%カットを受け入れた方がずっとマシだった、ということになりかねない。政府が国民にいい顔をしようとすると、たいていの場合事態はよりヒドい方に転落していくのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.29:『日経ヴェリタス』2013年4月21日号掲載
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北朝鮮のミサイル発射は地震と同じ? 週刊プレイボーイ連載(96)

 

北朝鮮による挑発がますます過激になっています。この原稿を書いている時点(4月17日)では、いつミサイルが発射されてもおかしくない状況です。

韓国と「戦争状態」にあると宣言し、平壌の外国大使館員に退去を勧告し、さらには「1940年代の核の惨禍とは比べられない災難を被る」と、ヒロシマ・ナガサキを引き合いに出して日本を核攻撃すると脅しています。その北朝鮮が実際に「核保有国」になったというのですから、日本の安全に対する重大な脅威であることはいうまでもありません。

しかしその一方でほとんどの専門家が、北朝鮮が実際に戦争を始めることに懐疑的です。

北朝鮮の目的は、金正恩に代替わりした「金王朝」を国際社会(とりわけ米国)に認めさせ、軍や政府高官の身の安全と利権を守るための条件闘争なのですから、開戦してしまえば交渉の余地がなくなってしまいます。中国が「同胞」北朝鮮のために米国と戦うわけもなく、いまの貧弱な装備では1週間もたたないうちに米韓連合軍に全土を占領(解放)されてしまうでしょう。

それでは、北朝鮮の挑発行為を「負け犬の遠吠え」として聞き流しておけばいいのでしょうか。

1914年6月28日のサラエボで、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻を乗せた車の運転手が曲がり角を間違え、行き止まりの路地に迷い込んでしまいました。そこにたまたま銃を持ったセルビア人の19歳のテロリストがいて、皇太子夫妻を射殺してしまいます。

この偶然の事件が、オーストリア、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、トルコのあやうい均衡を崩壊させ、ヨーロッパは第一次世界大戦で1000万人を超える死者を生みました。

運転手が道を間違えなければ、第一次世界大戦は起こらなかったのでしょうか。歴史に「if」はありませんから、これは誰にもわかりません。しかし「歴史物理学」では、歴史には大地震と同じような性質があると考えます。

日本列島の地下では4枚のプレートがぶつかりあっていて、日常的に細かな地震が計測されますが巨大地震はめったに起きません。ところがプレート同士の圧力が大きくなって臨界状態に達すると、わずかな地殻の変動が破滅的な地震を誘発するのです。

同様に、国境を接する国同士は緊張関係にあり、局地的な衝突が頻繁に起きますが、全面戦争にまでは発展しません。戦争のコストはとてつもなく大きく、しばしば権力の崩壊や交代を招くからです。しかし国家間の緊張が高まって臨界状態に達すると、偶発的なトラブルが憎悪と復讐の連鎖を生み、どの国の為政者も後戻りできなくなって、雪崩のように戦争へと突入していくのです。

もちろんいま、北朝鮮が暴発したとしても、それがきっかとなって世界戦争が起きることはないでしょう。経済的な繁栄を謳歌するアジアの国々が、戦争への臨界状態にあるとはとても思えません。

しかし唯一、グローバリゼーションから取り残された北朝鮮だけが異なるゲームを行なっています。北朝鮮の新指導部内で、権力闘争が臨界状態になっている可能性はじゅうぶんにあるのです。

参考文献:マーク・ブキャナン『歴史は「べき乗則」で動く』 

『週刊プレイボーイ』2013年4月22日発売号
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