日本人はどんな場所にいるのか? イングルハートの価値マップ

『(日本人)』では、日本人の特徴は、(それがもしあるとすれば)「空気(世間)」ではなく「水(世俗)」にある、という議論をしています。

その当否についてはさまざまな意見があると思いますが、ここで議論の前提として、本書のアイデアの元となったイングルハートの価値マップを掲載しておきます。

ロナルド・イングルハートはアメリカの政治学者で、国民性による価値観のちがいを客観的に評価すべく、世界各地で大規模なアンケート調査を行なっています(このブログで何度か紹介した世界価値観調査もイングルハートが始めたのもです)。

*イングルハートの価値マップのことは、社会学者・橋本努氏の『経済倫理=あなたは、なに主義』で知りました。

この「価値マップ」では、縦軸が「伝統的価値(前近代)」と「世俗-合理的価値(近代)」、横軸が「生存価値(産業社会)」と「自己表現価値(ポスト産業社会)」になっています。

左下が「生きていくだけでせいいっぱいの、掟や慣習でがんじがらめになった閉鎖社会(伽藍)」、右上が、「ひとびとが自由に“自己実現”できる開放社会(バザール)」です。

日本の「ムラ社会性」がよく批判されますが、これを見るとわかるように、世界の大半の国は日本よりもはるかにベタなムラ社会です。日本社会の開放度は、アングロサクソンの国々(アメリカ、カナダ、オーストラリア)やヨーロッパ・プロテスタント圏(スウェーデン、オランダ)よりは劣りますが、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ・カトリック圏の国々とほぼ同じで全体の上位3分の1あたりに位置します(日本はアジアでもっとも開放的な社会です)。

「ムラ社会性」よりもずっと目立つのは、日本人の「世俗性」の高さです。この価値マップや、世界価値観調査のさまざまなデータが明らかにしたことは、「日本人は、世界でも突出して世俗的な国民である」ということです。

イングルハートは、それぞれの国を文化圏でくくってみると、そのなかに別の文化圏の国は入らない、という発見をしました。日本、中国、韓国、台湾は、表のなかの位置はバラついているように見えるものの、「儒教」でくくるとひとつの独立した文化圏になります。プロテスタント、カトリック、アングロサクソン(英語)など他の文化圏についても同じことがいえ、「国民性(価値観)」が経済だけでなく、地理的条件や歴史・文化によって規定されていることを強く示唆します。

なお、日本人の極端な世俗性をいち早く指摘したのは仏教哲学者の中村元で、万葉集から大伴家持の次の句をひいています。

この世にし 楽しくあらば 来む世には
虫にも鳥にも われはなりなむ

世の中を幸福にする「不都合な真実」 週刊プレイボーイ連載(49)

世の中には、「不都合な真実」がたくさんあります。「専門家のあいだではほぼ合意が成立しているものの、公にするのがはばかられる主張」のことです。

たとえばBSE(牛海綿状脳症)感染牛の全頭検査は、疫学的にはなんの意味もなく欧米諸国では行なわれていませんが、日本の政府・自治体は「食の絶対安全」を守るとして、10年以上にわたり200億円以上の税金を投入して実施しつづけています。ほぼすべての専門家が「やってもムダ」と指摘している検査をやめられないのは、「いのちを軽視するのか」という感情的な反発を恐れているためです。

経済問題における不都合な真実としては、「解雇を容易にすれば失業率が下がる」が挙げられます。

不況で失業者が増えると、「労働者の生活を守るために社員を解雇できないようにすべきだ」と叫ぶひとが出てきます。しかしこれは、逆に失業を増やし、不況を悪化させ、ひとびとを苦しめている可能性が高いのです。

日本では労働法はひとつしかありませんが、アメリカでは州ごとに解雇規制が異なります。そこでアメリカ各州の解雇規制を比較することで、それが労働市場にどのような影響を与えているのかを調べることができます。

この巧まざる社会実験は、「正社員を解雇できないと派遣労働者が増える」ことを示しています。雇用が手厚く保護されている州の経営者は、業績が悪化したときに解雇しやすい非正規社員しか雇わなくなり、そのため経済格差が拡大するのです。

欧米主要国の労働市場を比較しても、解雇が容易なアメリカやイギリスは雇用率が高く、解雇規制の強いドイツやフランスの雇用率が低くなっていることがわかります。失業問題を改善するには、社員をもっとかんたんにクビにできるようにすべきなのです――テレビや新聞では誰もこんなことはいいませんが。

日本でもようやく臓器移植法が成立しましたが、提供件数がなかなか増えず、アジアの貧しい国で臓器移植手術をする日本人が批判されています。この問題を解決するには、患者が必要とする臓器を国内で提供できるようにするしかありません。

そのためのもっとも簡単で確実な方法が、「オプトアウト」です。

日本では、臓器提供の意思表示を「オプトイン(選択して参加する)」で行なっていて、本人の同意が明らかでないと摘出手術はできません。ヨーロッパではドイツ、イギリス、デンマークなどが同じ「オプトイン」で、臓器提供登録者の割合は20パーセント程度です。

それに対して「オプトアウト」では、なにもしなければ臓器提供に同意したとみなし、参加しない場合だけ意思表示します。この方式はフランス、ベルギー、オーストリアといった国々が採用していて、臓器提供率は100パーセントちかいのです。

「オプトイン」でも「オプトアウト」でも、本人の意思が尊重されるのは同じです。それなのにこれほど結果がちがうのは、どちらとも判断のつかない選択では、ひとは現在の状態(デフォルト)を好むからです。

人間の本性を上手に利用すれば臓器移植の必要な患者が救われる――世の中を幸福にするこの不都合な真実も、日本では公の場で口にされることはほとんどありません。

 参考文献:リチャード・セイラー/キャス・サスティーン『実践行動経済学』

 『週刊プレイボーイ』2012年5月7日発売号
禁・無断転載 


あなたは東洋脳? それとも西洋脳?

『(日本人)』では、すべてのヒトは進化論的に共通のOSを持っているが、そのエートス(行動文法)は歴史や文化、社会構造などによって異なることを論じた。ベースになっているのは近年の社会心理学のさまざまな研究成果だが、ここでは東洋人(日本、中国、韓国)と西洋人(アメリカ、カナダなど)の世界把握のちがいを調べるかんたんなテストを紹介しよう。

以下の図は、いずれもアメリカの社会心理学者リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』からの引用だ。この本でニスベットは、「東洋」と「西洋」のちがいについての膨大な研究を紹介している。

牛の仲間はどっち?

まず、上図を見ていただきたい。牛とのペアをつくるなら、AとBのどちらを選ぶだろうか。

この質問をニスベットがアメリカと中国の子どもたちにしたところ、アメリカ人の子どもが牛とニワトリの組み合わせを選んだのに対し、中国人の子どもは牛と草をペアにすることが多かった。

牛とニワトリを組み合わせるのは、ともに分類学上の動物だからだ。牛と草の組み合わせは、牛は草を食べるのに対し、ニワトリは食べないからだ。すなわちここでは、「分類」よりも両者の「関係」が重視されている。

ところで読者のなかには、西洋人と同じく、牛とニワトリの組み合わせを選んだひともいるだろう(じつは私もそうだった)。

もっとも事務所のアルバイト(大学生)に訊いたところ、2人とも牛と草の組み合わせを選んだので、このテストはいまでも有効なようだ(世代が進むにつれて“西洋化”するわけではないらしい)。

では、次のテスト。こちらはもっと明確に東洋と西洋のちがいがわかるはずだ。

ターゲットに似ているのはどっちのグループ?

ニスベットたちの研究チームは、上のようなイラストを、韓国人、ヨーロッパ系アメリカ人、アジア系アメリカ人の実験参加者に見せ、ターゲット(下のイラスト)がどちらのグループに近いかを訊いた。

韓国人のほとんどは、ターゲットがグループ1に近いとこたえた(私もそう思った)。それに対してヨーロッパ系アメリカ人のほとんどは、グループ2を選んだ。アジア系アメリカ人は、その中間だった。

グループ1は、ターゲットと「家族的類似性」を持つように描かれている。ターゲットになんとなく似ているが、すべてのイラストに共通する規則があるわけではない。

グループ2は、ターゲットに似ていないものもあるが、ひとつだけはっきりとした規則を持つように描かれている。すなわち、「真っ直ぐな茎」を持っているのだ。

ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持った。

カテゴリーは、名詞によって表わされる。ひとやものとの関係は、動詞によって明示的、あるいは暗黙のうちに示される。そう考えれば、西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているともいえる。

こうした実験が明らかにしたのは、西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握するということだ。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。

ところで、ここで誰もが疑問に思うのが、こうしたちがいは生得的(遺伝的)なのか、ということだろう。これに対するニスベットのこたえは明快だ。

アジア系アメリカ人(アメリカで生まれ育ったアジア系のひとびと)は、大半の調査で東洋と西洋の中間であることが多く、一部の調査ではヨーロッパ系アメリカ人とほとんど同じ回答をする。日本人はとくに影響を受けやすく、ある研究では、アメリカに2~3年住んだだけで、日本人の考え方は純粋なアメリカ人とほとんど区別がつかなくなってしまった。

西洋人と東洋人は明らかにちがうが、そのちがいは文化的なものなのだ。