第39回 「ガラパゴス」のATMが進化(橘玲の世界は損得勘定)

この連載の前身である「橘玲の『不思議の国』探検」の第1回でガラパゴス化した日本の銀行ATMについて書いたのは2009年10月だから、もう4年以上前のことだ(金融サービスも「ガラパゴス」)。

いまでは世界じゅうどこに行っても、クレジットカードでATMから現地通貨を引き出せる。昨年末に北アフリカを旅行したが、サハラ砂漠に近い名も知らぬ町の小さな銀行でもちゃんと日本のカードに対応していた。もっとも3台のATMのうち2台は使いものにならず、ずいぶん時間がかかったけれど。

日本円の現金を海外で両替するのは手数料が高い。そこで旅行前にわざわざトラベラーズチェック(TC)をつくっていたのだが、ATMカードやクレジットカードでの海外キャッシングが当たり前になるとTCは廃れていった。日本でも3月末でアメリカン・エキスプレスがTCの販売を終了し、それにともなって国内の金融機関ではTCを購入できなくなる。

ATMで現地通貨が引き出せるのはグローバルな金融ネットワークがあるからだ。代表的なのはVISAが運営するPLUSとマスターカードが運営するCirrus(シーラス)、それに中国の銀聨(Union Pay)の3つだ。海外のほとんどのATMはPLUSとCirrusに対応し、アジアでは銀聯も使えるようになってきたから、旅行者は手近なATMで現地通貨を引き出すことができてものすごく便利だ。

ところが、この世界の流れ(グローバルスタンダード)から取り残されている国がある。驚くべきことに日本では、支店数もATMの数も多い都市銀行がこれまで国際ネットワークに対応する気がまったくなかった。その結果、日本を訪れた外国人旅行者はどこで日本円を入手していいかわからずおろおろすることになる。

2020年の東京オリンピック開催を機に「おもてなし」が流行語になった。もてなしの基本は相手の立場になることだが、日本国内のカードしか利用できないATMを平然と置いている金融機関は「外国人旅行者にサービスする気はない」といっているのと同じだ。日本のおもてなしは世界一だと自慢するひとたちはしょせん他人事で、銀行を批判しようとはしなかった。

もっとも日本政府が手をこまねいていたわけではない。旅行者からの苦情を受けて、1975年の沖縄国際海洋博を機に全国すべての郵便局(ゆうちょ銀行)のATMを国際対応にしたのだ。しかしその後40年近く、この動きに追随する金融機関はほとんどなかった。

それがようやく、観光庁と日本政府観光局からの依頼を受けて、大手都市銀行が15年中を目処にATMを海外カード対応に変えるという。日本というタコツボに閉じこもっていた彼らも、外国人も顧客だという当たり前のことに気づいたのだろうか。

日本の金融機関を見ていて「不思議」だと思うことがいくつもあるが、4年たってその一つが解決に向かった。もっともこの亀のような歩みからすると、ガラパゴス島から抜け出すのはまだまだ先になりそうだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.39:『日経ヴェリタス』2014年1月26日号掲載
禁・無断転載 

隣国同士で悪口をぶつけ合うだけの平和な日本は素晴らしい  週刊プレイボーイ連載(132)

ヨルダンからレバノンの首都ベイルートに向かう前日、ホテルの部屋で荷物をまとめていると、テレビのニュースに爆発で崩れかけたビルが映し出されました。昨年12月27日に起きた爆弾テロで、反シリア派のレバノン元財務相を含む5人が死亡、70人以上が負傷しました。現場はベイルートの中心部、これからまさに行こうとしている場所です。

ベイルートでは昨年5月に南郊外の住宅地にロケット弾2発が射ち込まれ、7月に駐車場の車が爆発して50人以上が負傷し、8月にはやはり車爆弾で14人が死亡、212人が負傷しました。さらに11月にはイラン大使館前の路上で連続爆弾テロが起き、大使館職員を含む23人が死亡、140人以上が負傷しています。

ただし一連の爆弾テロは、これまでベイルートの南郊外で起きていました。それが今回は行政機関が集中し観光地としても知られる中心部――東京でいえば銀座や丸の内――が標的になったのです。

私はただの旅行者で危険な場所に行く気はなかったのですが、いまさら旅程を変えるわけにもいかず恐る恐るベイルート空港に降り立ちました。しかし到着ロビーに出ると、警官の姿があるわけでもなく、目につくのはタクシーの客引きばかりです。そのなかの一人と料金交渉がまとまると、彼は満面の笑みでいいました。

「ウエルカム・ベイルート!」

イスラエルとシリアに挟まれたレバノンはずっと苦難の歴史を歩んできましたが、近年のテロはシリア内戦をめぐるスンニ派とシーア派の対立が原因です。シリアのアサド政権はシーア派系統で、イランと(シーア派の)武装組織ヒズボッラーの支援を受けています。それに対して反アサド側はスンニ派で、サウジアラビアなど湾岸諸国が武器を提供しています。ベイルートの南郊外はヒズボッラーの拠点でイラン大使館もあるため、スンニ派とシーア派の代理戦争の舞台になってしまったのです。

その日の夕方、事故現場に近いダウンタウンに行くと、翌日の葬儀が執り行なわれるイスラム寺院のまわりは軍や警察が厳重に警護していました。兵士たちは自動小銃を持ち、戦車や装甲車まで出てまるで戦争のようです。

ところがそこから徒歩5分ほどの商業地区では雰囲気が一変します。

パリの街角のようなカフェで、シャネルやグッチなどのブランドものを身にまとった金髪碧眼の女性たちがワイングラスを片手に談笑し、イタリア製のスーツを着込んだ男性と腕を組んで高級車に乗り込んでいきます。ベイルートは近年、大規模な再開発ブームに沸いていて、海外で成功したキリスト教徒のレバノン人の投資により「中東のパリ」と呼ばれたかつての街並みが復活しているのです。

レバノンの人口の4割を占めるキリスト教徒は英語とフランス語を流暢に話し、イスラム教徒同士の殺し合いにはなんの興味も示しません。レバノンの運命は大国に握られていて、自分たちがなにをやっても無駄です。だったらテロなどなかったことにして、毎日を楽しく過ごした方がいいに決まっているのです。

そんな彼らの姿を見ながら、隣国同士で悪口をぶつけ合うだけの平和な日本がどれだけ素晴らしいか、あらためて思い知ったのでした。

『週刊プレイボーイ』2014年1月27日発売号
禁・無断転載 

0001
犠牲者の葬儀は厳重な警戒の下で行なわれた(2013年12月29日ベイルトート、ムハンマド・アミーン・モスク)

靖国問題と歴史のねじれ  週刊プレイボーイ連載(131)

安倍首相が昨年末に靖国神社を参拝したことに中国や韓国が激しく反発しています。靖国をめぐる問題はなぜこれほどまでにこじれるのでしょうか。

安倍首相は靖国に参拝する理由を、「戦場で散っていった方々のために冥福を祈り、手を合わす。世界共通のリーダーの姿勢だろう」と説明しています。アメリカのアーリントン墓地をはじめとして、どの国も戦場で生命を落とした兵士を手厚く弔っていますから、これは安倍首相のいうとおりです。しかしここでは、重大な問題が素通りされています。

靖国神社は明治維新の翌年に戊辰戦争の官軍の犠牲者を弔う「東京招魂社」として建立され、その後、明治天皇によって「靖国」と改称されました。戦前の軍隊は「皇軍」で、兵士は天皇の名のもとに戦って散っていったのですから、その魂を鎮める祭司は天皇以外にありえません。その出自から明らかなように、靖国神社は天皇の神社だったのです(実際は陸軍省と海軍省の共同管理)。

ところが日本を占領したGHQが国家神道を廃止したことで、靖国神社も一般の宗教法人に格下げされてしまいます。これが「首相の参拝は憲法の政教分離原則に反する」との批判の根拠ですが、より本質的な問題は、民間の宗教施設が「英霊」を祀っていることにあります。国のために生命を捧げた兵士たちの慰霊は国家が行なうのが当然で、日本以外にこのような奇妙なことになっている国はおそらくないでしょう。

靖国問題は1978年に東条英機元首相などA級戦犯14人を合祀したことに端を発しています。合祀の是非はともかくとして、A級戦犯の扱いは戦争責任と戦後日本のアイデンティティに直結しますから、すべての国民にとって重大な関心事であることは間違いありません。民主的な国家であれば、国論を二分するような政治的決定は、選挙によって選ばれた政治家が国会で(公の場で)議論したうえで行なうのが当然ですが、靖国神社は民間施設なのでなんの説明もないまま一方的に合祀が行なわれてしまったのです。

A級戦犯合祀の最大の代償は、中韓の反発ではなく、昭和天皇が靖国参拝をやめてしまったことです。元宮内庁長官の残したメモにより、昭和天皇が合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたことが明らかになっています。いまの天皇も、即位以来いちども参拝していません。

A級戦犯を合祀したことで、靖国神社は本来の祭司である天皇を迎えることができなくなってしまいました。しかし天皇に参拝を強要することも、靖国神社にA級戦犯を分祀させることもできないため、保守派のひとたちはこの問題を見て見ないふりをして、首相を参拝させることで満足しているのです。

いまにして思えば、靖国神社から宗教性を排して国の慰霊施設にする道もあったかもしれません。これなら天皇や首相が参拝(慰霊)してもどこからも文句はいわれず、不愉快な国際問題に悩まされることもなかったでしょう。そしてなによりも英霊は、祭司のいない神社に祀られることではなく、天皇による鎮魂をこそ望んでいるのです。

しかし、いまさら時計の針を元に戻すことはできません。この歴史のねじれは今後も解決できず、靖国問題はこのままずっと続くしかないのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2014年1月14日発売号
禁・無断転載