靖国問題と歴史のねじれ  週刊プレイボーイ連載(131)

安倍首相が昨年末に靖国神社を参拝したことに中国や韓国が激しく反発しています。靖国をめぐる問題はなぜこれほどまでにこじれるのでしょうか。

安倍首相は靖国に参拝する理由を、「戦場で散っていった方々のために冥福を祈り、手を合わす。世界共通のリーダーの姿勢だろう」と説明しています。アメリカのアーリントン墓地をはじめとして、どの国も戦場で生命を落とした兵士を手厚く弔っていますから、これは安倍首相のいうとおりです。しかしここでは、重大な問題が素通りされています。

靖国神社は明治維新の翌年に戊辰戦争の官軍の犠牲者を弔う「東京招魂社」として建立され、その後、明治天皇によって「靖国」と改称されました。戦前の軍隊は「皇軍」で、兵士は天皇の名のもとに戦って散っていったのですから、その魂を鎮める祭司は天皇以外にありえません。その出自から明らかなように、靖国神社は天皇の神社だったのです(実際は陸軍省と海軍省の共同管理)。

ところが日本を占領したGHQが国家神道を廃止したことで、靖国神社も一般の宗教法人に格下げされてしまいます。これが「首相の参拝は憲法の政教分離原則に反する」との批判の根拠ですが、より本質的な問題は、民間の宗教施設が「英霊」を祀っていることにあります。国のために生命を捧げた兵士たちの慰霊は国家が行なうのが当然で、日本以外にこのような奇妙なことになっている国はおそらくないでしょう。

靖国問題は1978年に東条英機元首相などA級戦犯14人を合祀したことに端を発しています。合祀の是非はともかくとして、A級戦犯の扱いは戦争責任と戦後日本のアイデンティティに直結しますから、すべての国民にとって重大な関心事であることは間違いありません。民主的な国家であれば、国論を二分するような政治的決定は、選挙によって選ばれた政治家が国会で(公の場で)議論したうえで行なうのが当然ですが、靖国神社は民間施設なのでなんの説明もないまま一方的に合祀が行なわれてしまったのです。

A級戦犯合祀の最大の代償は、中韓の反発ではなく、昭和天皇が靖国参拝をやめてしまったことです。元宮内庁長官の残したメモにより、昭和天皇が合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べていたことが明らかになっています。いまの天皇も、即位以来いちども参拝していません。

A級戦犯を合祀したことで、靖国神社は本来の祭司である天皇を迎えることができなくなってしまいました。しかし天皇に参拝を強要することも、靖国神社にA級戦犯を分祀させることもできないため、保守派のひとたちはこの問題を見て見ないふりをして、首相を参拝させることで満足しているのです。

いまにして思えば、靖国神社から宗教性を排して国の慰霊施設にする道もあったかもしれません。これなら天皇や首相が参拝(慰霊)してもどこからも文句はいわれず、不愉快な国際問題に悩まされることもなかったでしょう。そしてなによりも英霊は、祭司のいない神社に祀られることではなく、天皇による鎮魂をこそ望んでいるのです。

しかし、いまさら時計の針を元に戻すことはできません。この歴史のねじれは今後も解決できず、靖国問題はこのままずっと続くしかないのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2014年1月14日発売号
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