「中国食材」は国産より安全? 週刊プレイボーイ連載(168)

日本マクドナルドが170億円の赤字に転落したことを発表しました。その要因はいうまでもなく、期限切れの鶏肉を出荷していた上海の食材卸会社と取引があったことです。この問題が大きく報じられたことで中国からの輸入食材に対する不安が再燃し、来店客数が大きく減少したとのことです。

ところで日本では、「中国産食材=汚染・危険」と誰もが思っていますが、意外なことに専門家のなかでは「国産より中国産が安全」との声も聞かれます。いったいどういうことでしょうか。

まず前提として、中国が食の安全に大きな問題を抱えていることは間違いありません。粉ミルクにメラミンが混入し乳児が腎臓結石になった事件以来、北京や上海などの都市部では中国産の乳製品をいっさい信用しない消費者が激増しました。それ以外でも春雨に漂白剤を使ったり、酒にメチルアルコールを入れたり、下水道の汚水から食用油をつくったり、違法行為は枚挙にいとまがありません。また長江以南の農地は工場排水などによる重金属類の汚染が深刻で、基準値を上回るカドミウムが含まれた汚染米が大きな社会問題になりました。

それではなぜ、中国産の食材が安全なのでしょうか。それは、日本の消費者が不安を抱けば抱くほど行政の輸入食品への規制が厳しくなり、食材の輸入・販売業者が安全確保に躍起になるからです。

冷凍餃子に劇薬が混入していた事件では、輸入元のJTフーズや販売した生協も深刻な打撃を被りました。それにもかかわらず中国からの輸入食材に頼らざるを得ないとしたら、二度と同じような事故を起こさないよう衛生管理を徹底するしかありません。

冷凍餃子事件の起きた2008年1月までの1年間で、日本では1292件の食中毒事件が起きていますが、このうち中国産食品が原因とされたのは冷凍餃子による3件だけで、他はすべて日本国内に原因がありました。

厚労省の「輸入食品監視統計」を見ても、中国産は輸入量(検査数量)が多いので違反数量はトップですが、違反割合は0.22%で平均を下回り、アメリカからの輸入食材(0.81%)の約4分の1です(平成24年度)。また厚労省が国産品と輸入品の残留農薬を検査したところ、国産品(0.34%)の方が輸入品(0.21%)より基準値を超える農薬が検出される割合が高かったというデータもあります(2003年)。中国産の残留農薬は輸入品の平均より低いのですから、これでは学校給食から追放すべきは国産やアメリカ産の食材で、子どもには中国産の食材を食べさせるべきだ、ということになってしまいます。

農業の専門家のあいだでは、乾燥した気候で冬が寒い山東省は無農薬・減農薬の野菜を栽培する適地で、手間のかかる農法は労働力が豊富で労賃の安い中国でなければ成り立たないというのが常識です。それに対して国内の都市部の菜園などは、無農薬栽培をしても土壌自体が汚染されている可能性があり、輸入食材とちがって残留農薬の検査もないため「かえって危険」なのです。

もっとも、こうした事実をいくら列挙しても、「中国産=危険」「国産=安全」というステレオタイプが覆ることはないでしょう。だとしたら賢い消費者は、偏見のお陰で安く売られている「安全な」中国産食材を使って美味しい食事を楽しめばいいのです。

参考:丸川 知雄『「中国なし」で生活できるか』

『週刊プレイボーイ』2014年10月20日発売号
禁・無断転載

「戦後民主主義」から訣別できなかった朝日新聞の蹉跌 週刊プレイボーイ連載(167)

しばらく海外にいて久しぶりに日本に戻ってきたら、駅前で「朝日新聞を廃刊にせよ」というのぼりを持ったひとが演説していて驚きました。その後、たまっていた新聞や雑誌を読んでようやく事情がわかりました。海外では、朝日新聞の誤報をめぐる日本社会の大騒動はなんの関心も持たれていなかったのです。

この問題についてはすでに膨大な論評がありますが、ここでは「戦後民主主義」という日本型リベラリズムの蹉跌について考えてみます。

戦後民主主義は、300万人の死者と広島・長崎への原爆投下という悲惨な結末を招いた日中戦争・太平洋戦争への反省から生まれました。その根本理念は「二度と戦争をしてはならない」で、これに反対するひとはいないでしょう。問題は、そのためにどうすればいいかという政治戦略です。

戦後日本のリベラルな知識人は次のような議論を展開しました。

  1. 反権力 日本をふたたび軍国主義にしないためにはあらゆる権力に反対しなければならない
  2. 反米 アメリカは帝国主義国家で、日米安保条約は日本を戦争に巻き込むだけだ
  3. 憲法護持 軍隊がなければ戦争はできないのだから、非武装中立こそが平和への道だ

このようにして日本のリベラルは「天皇制」に反対し、毛沢東の中国やスターリンのソ連、金日成の北朝鮮に親近感を抱き、社会党や共産党を「革新政党」として支持しました。

しかしすぐにわかるように、この戦略は最初から破綻しています。反権力ではいつまでたっても権力を持てないのですから、自らの理想の実現を放棄しているのと同じです。

この矛盾は、すでに1960年代の安保闘争の頃から指摘されていました。当時の政治的な学生たちは、戦後民主主義を空理空論として批判し、革命によって権力を奪取することを求めていたのです――もっともこちらも、さらなる空理空論だったわけですが。

1990年に冷戦が終焉すると、共産主義という社会実験が壮大な失敗だったことが誰の目にも明らかになりました。中国・ソ連・北朝鮮の共産党独裁を批判し、アメリカのリベラルデモクラシー(自由な社会と民主政)を擁護した保守派が正しかったのです。

こうして日本のリベラルな知識人は、思想的な根拠を失って大混乱に陥りました。本来であればここで新しい政治思想を構築すべきだったのでしょうが、プライドの高い彼らは保守派への敗北を嫌って過去の主張に固執しました。

朝日新聞は、従軍慰安婦問題で天皇の戦争責任を追求しようとする左翼活動家のような記者たちを排除できず、誤報を認めることができませんでした。福島第一原発事故の誤報の原因は、「反原発」という結論が先にあり、吉田調書入手というスクープを東京電力や安倍政権への批判に利用しようとしたからでしょう。特定秘密保護法や集団的自衛権でも同じですが、保守派に対抗する政治思想を持てないために、個別の問題を過剰に言い立てるほかなくなっているのです。

「保守対革新」という政治対立はすでに過去のものになりました。いまの日本に必要とされているのは、まっとうな(グローバルスタンダードの)リベラリズムです。そのことに気づかず、骨董品のような「戦後民主主義」にしがみついているかぎり、日本のリベラルに未来はないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年10月14日発売号
禁・無断転載

『黄金の羽根の拾い方2015』お詫びと訂正(2)

『黄金の羽根の拾い方2015』P176に、「(法人の)登記にあたっては、銀行に資本金相当額を預け、出資金払込証明書を発行してもらう必要があります。」との記述がありますが、会社法の改正によってこの手続きは簡略化されているとのご指摘がありました。旧版の記述の元になった法人は2001年に設立しましたが、その後の変更をフォローできませんでした。

お詫びのうえ、該当箇所を下記のように変更します(電子書籍版は先行して修正します)。

「かつては法人登記にあたって、銀行に資本金相当額を預け、出資金払込証明書を発行してもらう必要がありました。ところが実際に銀行に依頼すると、取引がないことを理由に証明書の発行を断られることが多く、これがマイクロ法人設立の障害になってきました(オウム真理教のダミー会社の口座が某都銀に集中し、問題になったことがあるからだと言います)。

しかし会社法の改正によってこの手続きは簡略化され、現在は定款に記載された資本金が代表者の口座に振り込まれたことを通帳のコピーで証明できるようになり、払込証明書は代表者が自分で作成すればよいことになりました。なお法人設立後は、どれほど敷居の高い大手銀行でも、会社謄本さえあれば簡単にに法人口座を開設してくれます。」