累進課税は才能への懲罰? 週刊プレイボーイ連載(84)

民主政治の本質はポピュリズムですが、それでもなんとかやっていけているのは、大衆受けのする政策はヒドい結果をもたらすだけ、ということが繰り返し証明されているからです。それも、日本だけでなく世界じゅうの国が同じような失敗をしているので、これを冷静に評価すると、なにをしてはいけないかがわかります。

フランスでは昨年5月、新自由主義的な改革を目指していたサルコジを破って、格差是正を掲げたオランドが大統領に就任しました。オランド政権は富裕層への所得税増税を選挙の公約にしていましたが、年収100万ユーロ(約1億1500万円)を超える個人の所得税率を40%から75%へと大幅に引き上げようとしたため大混乱を引き起こします。反発の大きさに驚いた新政権は増税を2年間の時限措置にすることで理解を得ようとしますが、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)がベルギー国籍を申請するなど、富裕層の国外脱出が止まりません。

もっとも過激なのは、カンヌやヴェネチアの映画祭で男優賞に輝いたフランスを代表する映画俳優ジェラール・ドパルデューで、「フランス政府は成功を収めたひとや、才能があるひとを罰しようとしている」として、ロシアのプーチン大統領から直接パスポートを受け取ります。ドパルデューほどの有名人ならスイスやモナコの国籍を取得することも可能でしょうから、これはオランド政権に対する強烈な皮肉です。

ヨーロッパの知識層のあいだでは、19世紀の農奴制以来ロシアははもっとも遅れた国として扱われてきました。冷戦の終焉でロシアは民主化しましたが、プーチン大統領は実質的な独裁者だと思われています。だからこそドパルデューは、オランド大統領に対して「プーチンの方がずっとマシだ」といってみせたのです。

フランスは1789年のバスティーユ襲撃から始まる革命によって誕生した近代国家で、その国是は自由・平等・友愛の三色旗に象徴されています。ドパリュデューの外国籍取得は税金逃れのように見えますが、その批判はより根源的で、「平等とはなにか?」を問いかけています。

そもそも近代の理念は、人種や国籍、宗教、性別にかかわらずすべてのひとは平等に人権を有しているというもので、近代国家には国民を無差別に平等に扱うことが求められます。だからこそ、極端な累進課税で一部の富裕層を「差別」することは建国の理念に反する、という批判が出てくるのです。

オランド政権は、経済格差という不平等を正すために、所得によって国民を「差別」します。ところがEUのような移動の自由な社会でこうした政策を強行すると、国外に脱出することで課税を免れようとするひとたちが出てきます。それも日本と違ってヨーロッパは地続きで、モナコはもちろん、隣国のベルギーやスイスの一部でもフランス語が使われています。

その結果、富裕層に対する懲罰的な課税は国外脱出を誘発するだけだとして、福祉国家として知られるスウェーデンは相続税を廃止してしまいました。こうした国が増えてくれば、富裕層に重税を課す国には貧乏人しか残りません。

改革とは一種の社会実験ですから、フランスにおけるポピュリズムの行方を見れば、日本で同じ失敗をする愚を冒さずにすみます。もっとも、日本の国民や政治家にそれを学習する能力があれば、の話ですが。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月28日発売号
禁・無断転載 

第25回 むかしも今も変わらぬ「幸福」(橘玲の世界は損得勘定)

正月明けに、天気が良かったので七福神めぐりをすることにした。いまや全国的に流行っているようだが、近隣の寺や神社に祀られている七福神をバスや徒歩で回って、専用の色紙に朱印を捺してもらうという趣向だ。いうなれば、ポケモンラリーの神様版である。

色紙の代金は2000円で、バス1日フリー参加券とちょっとしたお土産もついている。興味深いのは、「自分で色紙を用意した場合は御朱印代として各寺300円」という但し書きがあることだ。七福神すべてに押印すると2100円かかるから、専用色紙を買ったほうが得するようになっている。いまでは七福神めぐりも、市場原理に基づいて、コストとベネフィットが均衡するようにできているようだ。

けっきょく、バスは使わずに3時間ほどかけてすべての寺を歩いて回ったのだが、そのうちひとつの疑問が芽生えた。なんで同じような神様ばかりなのだろう?

私は宗教に疎いので、七福神というのは7つの幸福を叶えることだと思っていた。ところが寺社の説明書きを読むと、恵比寿、大黒天、布袋、弁財天は商売繁盛や財福を、福禄寿と寿老人は長寿を司り、毘沙門天だけが知恵の神様だ。

弁財天は琵琶を持つ女性の神様で、もとは音楽と芸能を得意とするヒンドゥー教の女神サラスヴァティーのことだ。そこで「弁才天」の字が当てられたのだが、それがいつのまにか才能が財福に置き換わって「弁財天」になり、霊水でお金を洗うと金持ちになれるという民間信仰と結びついて、銭洗い弁財天になったのだという。

大黒天もその出自はヒンドゥーの神様で、破壊の神シヴァの化身として「大いなる暗黒」を意味するマハーカーラ神のことだ。ところが「大黒」の音が「大国主命」と同じことから、両者が合体して、死と破壊をもたらす神が福々しいお金持ちの神様に変身してしまった。

毘沙門天は仏教の守護神・四天王の一人多聞天のことで、「よく聞く」ことから知恵を司るとされるが、その前身はヒンドゥーのクベーラ神で、地下に眠る財宝の守護神だ。

福禄寿と寿老人は中国の道教の神で、ともに「幸福(子宝に恵まれる)」「封禄(金持ちになる)」「長寿(健康で長生きする)」の3つの願い(三星)を体現している。

布袋は中国の伝説の仏僧で、太鼓腹で大きな袋を背負った姿で描かれたことから、福の神として信仰されることになった。

恵比寿は七福神のなかで唯一日本の神様で、もとは海神として豊漁を祈願された。それが転じて商売繁盛の神となり、広く信仰されるようになった。

こうやって七福神の由来を眺めると、古来ひとびとが何を求めてきたのかがよくわかる。

私たちがなによりも望むのはゆたかに暮らすことと、健康で長生きすること。それにささやかな知恵と、歌舞音曲があればいい。

むかしも今も、幸福の意味はなにひとつ変わっていないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.25:『日経ヴェリタス』2013年1月20日号掲載
禁・無断転載

体罰は日本型マネジメント 週刊プレイボーイ連載(83)

大阪の市立高校で、バスケット部の男子生徒が顧問教諭から体罰を受けて自殺したことが大きな社会問題になっています。

昨年は滋賀県の市立中学でいじめ自殺が起きましたが、日本では学校での自殺のほとんどが公立中学を舞台としています。ひとは誰もが生きたいという強烈な欲望を持っていますから、自ら死を選ぶのはどこにも逃げ場がない絶望の深さを示しています。

公立中学の生徒がいじめで自殺するのは、義務教育によって退学の自由がなく、また相手の生徒を退学させることもできず、いじめが未来永劫つづくように感じられるからでしょう。高校になるといじめ自殺が起きない理由は、いじめられた生徒が転校や退学するハードルが下がることと、問題のある生徒を停学・退学処分にしやすいことで説明できます。現状をすこしでも改善できる希望があるのなら、誰も死のうとは思いません。

そう考えると、高校の部活動で自殺が起きるのは不可解です。死を考えるほど思いつめる前に、さっさと退部してしまえばいいからです。それでも今回のような事件が起きるのは、退部できないような強力なちからが部活動に働いているからにほかなりません。

マスメディアは顧問教諭の体罰を問題にしますが、かんたんに退部できる環境であれば、体罰を振るわれた部員はみんな辞めてしまうでしょうから、自殺のような重大な問題にはつながりません。逆にいえば、生徒を精神的な監禁状態に置くからこそ、体罰による指導が可能になるのです。

今回の事件では、強豪校の運動部が聖域になっていて、校長すら安易に口を挟めない実態も浮き彫りになりました。OBや父母のなかには、顧問教諭を「指導に熱心な先生」と擁護する声も多いといいます。「体罰=悪」は社会常識ですが、運動部は一種の治外法権だという意識がそこからは感じられます。

ライバルを倒して勝ち上がっていくためには、自己の限界を超える過酷なトレーニングを課さなければなりません。そのためにもっとも効果的なのは、恐怖や暴力によって生徒を洗脳し、指導者への絶対的な服従とチームへの献身を叩き込むことでしょう。こうした洗脳が完成すると、退部は自己を全否定することになり、指導者や仲間の信頼を裏切るくらいなら死んだほうがマシだと思うようになります。

この問題の本質は、日本の組織の多くがこうした「体育会型マネジメント」で成り立っていることにあります。日本の会社が、自己責任で行動する近代的個人よりも上司の指示どおりに動く「体育会系」を好むのは周知の事実です。上司より先に部下が帰ることは許されず、サービス残業は当たり前で、パワハラによって上司が部下を精神的に支配することが「管理」と呼ばれます。

だからこそひとびとは、この問題を顧問教諭の体罰に矮小化し、その「指導」を擁護する声に耳をふさぎます。事件の背景を追究すれば、日本型組織に依存する自分自身が批判されることに気づいているからでしょう。

このようにして、個人への責任転嫁とバッシングで事件は風化していくのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月21日発売号
禁・無断転載