第24回 庶民の味にグローバル化の波(橘玲の世界は損得勘定)

アモイの台湾夜市で鶏肉飯を食べたら15元だった。

アモイは中国南部・福建省の港町で、台湾海峡を挟んで中華民国(台湾)まではわずかな距離だ。

もともと台湾人(本省人)の多くは福建省の出身で、台湾語は閩南語(福建語)とほとんど同じだから、彼らは異なる国の国民というより同郷人だ。国共内戦で台湾は蒋介石の中華民国軍(外省人)に占領され、その後は中台間で軍事的な危機が繰り返されてきたが、90年代からの改革解放経済でアモイ(福建)と台湾は急速に経済的に一体化していく。

いまやアモイの繁華街には、「風台(台湾風)」の看板を掲げた土産物店がずらりと並んでいる。台湾夜市はその近くにある屋台街で、地元の若者たちや中国各地からの旅行者でたいへんな賑わいだ。

鶏肉飯はご飯の上に蒸した鶏肉を載せて甘辛いタレをかけたファストフード(B級グルメ)で、15元は日本円に換算すると約200円になる。夜市の屋台で定番の牛肉麺やカキのオムレツもだいたい同じ値段だ。

夜市の本場は台北の道教寺院・龍山寺界隈だが、そこでは飯や麺のB級グルメが60~100台湾ドルで売られている。1台湾ドル≒3円として180~300円だから、台北もアモイもほとんど変わらない。

B級グルメの価格が収斂するのは、中国と台湾の間だけではない。バンコクの食堂の平均単価は50~80バーツ(140~220円)、日本の牛丼や立ち食いそばが250~300円。庶民の食事に関しては、アジアはどこもたいした違いはなくなった。

90年代後半に、「海外年金暮らし」が話題を集めた。金融危機で大手銀行や証券会社が次々と破綻し、製造業を中心にリストラが相次ぎ、大規模な公共投資でも景気は回復せず、日本の将来に対する悲観論が蔓延した。そんななか、中国や東南アジアなどに移住して、年金だけでゆたかに暮らす“希望”が語られたのだ。

しかしこの10年で、日本を除くアジアの国々が大きな経済成長を遂げたことで、「安さ」を求めた海外移住は意味を失った。北京や上海はもちろん、日本人のリタイア層に人気のバンコクやクアラルンプールですら、外国人の住むコンドミニアムの家賃は東京とほとんど変わらなくなった。

その代わり、人口の減少と都心回帰で、東京郊外の地価が下落している。不動産情報サイトを見ると、埼玉や千葉ばかりか、東京都下の多摩地区でもワンルームなら2万円台、2DKのアパートでも4万円台の月額家賃で借りられる。こんな賃料ではペナン(マレーシア)やチェンマイ(タイ)でも暮らせないから、いまではわざわざ海外に行くより「東京郊外年金生活」の方がずっと現実的なのだ。

ちょっと前まで当たり前だった、「ゆたかな日本」と「貧しいアジア」の物価の違いを利用して“得する”ことはもうできなくなった。これもグローバル化がもらたす必然で、それはたぶんいいことなのだろうと、鶏肉飯を食べながら思った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.24:『日経ヴェリタス』2012年12月23日号掲載
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そしてみんなネオリベになった 週刊プレイボーイ連載(82)

2012年は民主党から自民党への政権交代で幕を閉じ、安倍政権への期待から株価は大きく上げて新しい年が始まりました。とはいえ、経済ばかりでなく外交や安全保障など問題は山積しており、波乱を予感させる年明けです。

今回の選挙の際立った特徴は、投票率が59.32%と戦後最低を更新する低さだったことです。第一党となった自民党の比例での得票率は27.62%ですから、「投票しない」という意思表示をしたひとはその1.5倍もいたことになります。

経済学では、人間が完全に合理的であれば選挙などに行くわけがない、と考えます。国政選挙では自分の1票が候補者の当落に与える影響力はほとんどゼロですから、貴重な休日にわざわざ投票所まで出かけていく費用対効果もゼロで、投票率は業界団体や宗教団体など、投票の動機が明快なひとの数で決まることになります。

実際には、投票率はこのシニカルな仮説をはるかに超えていて、「ひとは常に経済合理的に行動するわけではない」という心理学の知見の正しさを証明しています。その一方で、6割を切る投票率の背後には有権者のなんらかの意思があるはずです。

民主党は、「政権交代すれば日本は変わる」と約束しましたが、けっきょくなにも変わらず消費税率が引き上げられただけでした。自民党は「失われた日本を取り戻す」と約束していますが、そもそも無意味な公共投資で巨額の財政赤字をつくったのは自民党政権なのですから、元に戻したところで早晩行き詰まるのは目に見えています。

もっともこれは、日本だけの現象ではありません。オバマ大統領が再選を決めた昨年11月の米国大統領選でも、保守から社民への政権交代が起きた5月のフランス大統領選でも、有権者の態度は冷めたままでした。世界じゅうでひとびとが政治に興味を失いつつあるのは、世界金融危機以降、誰を選んでも政策の選択肢がほとんど変わらないことがわかってしまったからでしょう。ウォール街を占拠してみても、なんの意味もなかったのです。

グローバル化というのは、たんにモノやサービスの値段が収斂するだけではなく、社会の仕組みが共通化していくことでもあります。法律や税制・雇用制度などのビジネスインフラが同じなら、欧米や日本ばかりでなく、中国やインドなどの新興国でも、多国籍企業は最適な人材で組織をつくり、最適な生産を行なうことができます。こうした共通のプラットフォームの上で、人種や国籍、性別や年齢にかかわらず、すべてのひとが平等な条件で多様性を競うのがグローバル社会のルールです。

ヨーロッパの混乱の本質は、財政赤字に喘ぐ南の国々が「勝ち組」の北から社会(ライフスタイル)の変革を迫られていることです。アメリカの混迷は、グローバル化にともなう格差の拡大が人種問題と結びつくためでしょう。

グローバル化に最適化した社会システムは、日本では「ネオリベ」と呼ばれています。第三極をはじめとして、政治家の多くがネオリベ的な主張をするのは、日本が右傾化したからではなく、それ以外の現実的な選択肢がもはや残されていないからです。

選挙に行かなかった4割のひとたちは、私たちの未来がすでに決まっていることに気づいていたのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2013年1月7日発売号
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私たちが夢見ていた「近代」 週刊プレイボーイ連載(81)

もうみんな忘れているかもしれませんが、戦後日本ではずっと自民党の一党支配が続いていて、政権は選挙後の党内の派閥抗争で決まりました。80年代に日本経済が世界を席巻すると、こうした“特殊”な日本的システムが不公正な競争力の元凶だと批判されるようになりました。「文化的にも欧米と対等になるには、談合ではなく選挙によって政権交代すべきだ」というのです。

「日本を変えるには派閥政治を終わらせなければならない」というのは、マスコミや政治学者だけでなく、政治家にとっても喫緊の課題でした。派閥の領袖自身が、派閥抗争を制御できなくなっていたからです。

こうして、「新しい日本」をつくるための選挙制度改革が始まりました。小沢一郎が主導したこの改革の目的は、アメリカの共和党と民主党、イギリスの保守党と労働党のように、政権交代可能な二大政党制をつくることでした。そのためには派閥ではなく政党が選挙をたたかう小選挙区制しか選択肢はなく、制度設計に携わった高名な政治学者たちは、「これこそ時代が求めていた改革だ」と胸をはりました。

次に必要とされたのは、自民党に対抗できる、政権担当能力のある野党でした。冷戦の終焉によって社会党や共産党はその歴史的意義を失い、このままでは有権者に選択の余地がありませんでした。そこで小沢一郎が“豪腕”で自民党を分割し、社会党と労働組合を取り込んで、新進党や民主党などが人工的につくられました。候補者が情実に訴えるのではなく、政党がマニュフェストを掲げて正統性を競う「近代的」な選挙が日本でもようやく始まったのです。

2009年の民主党への政権交代は、90年代からつづく政治改革の頂点ともいえる出来事でした。理念なき自民党に対して、「改革」の理念を掲げた民主党が圧倒的な勝利を収めたからです。

ここまでは政治学の理論どおりでしたが、その後は現実が理論を裏切っていきます。

当初から、日本の政治にはアメリカやイギリスのような歴史的な対立軸がないことが指摘されていました。しかしこれについても、政治学者は楽観的でした。小選挙区制では二大政党以外は生き残れないのだから、何回か政権交代を行なううちに自然と政党間の対立軸が生まれてくるはずだとされたのです。

ところが、野党となった自民党にはいつまでたっても理念らしきものは現われず、人工政党である民主党は党幹部が理念を振り回すことで自壊してしまいました。こうして今回の選挙では、圧倒的多数を占める与党と、1割程度の議席しか持たない複数の少数野党という、理論的にはあり得ない状況が生まれたのです。

しかしこれは、これまでの政治改革がすべて間違っていた、ということではありません。派閥間の談合政治から脱却し、選挙で政権が決まるようになっただけでも大きな進歩であることは間違いありません。

ただ、私たちがかつて夢見ていたほど「近代」は素晴らしいものではなかった、というだけのことなのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年12月25日発売号
禁・無断転載