新卒一括採用という「年齢差別」はもうやめよう 週刊プレイボーイ連載(194)

就活中のアルバイト学生から、「スマホを机の上に出しておいていいですか?」と訊かれました。なんのことかと思ったら、人気企業の説明会は参加人数が決まっていて、募集から30分以内に申し込まないと落選してしまうのだそうです。これではまるで、アイドルのコンサートのチケット争奪戦みたいです。

「大学生は学業を優先すべし」との政府の要請により、今年から就活時期が大きく繰り下げられ、採用情報や説明会情報の解禁が学部3年の3月からになりました(採用選考開始は4年生の8月から)。その結果、数少ない説明会に学生が殺到することになり、希望者全員を受け入れることができなくなって「先着順」になったようです。こんなことでは、学生は学業どころではなくなってしまいますから、かえって逆効果でしょう。

厚生労働省のホームページには、「雇用対策法が改正され、平成19年10月から、事業主は労働者の募集及び採用について、年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならないこととされ、年齢制限の禁止が義務化されました」と書かれています。ところが新卒採用では、企業は堂々と「学部卒は24歳、修士修了は26歳」などと年齢制限をしています。なぜこんな違法行為が許されるかというと、厚労省が「日本的雇用慣行」を守るためと称して、新卒採用を法律の適用除外にしているからです。

日本以外のすべての国は、新卒採用も含め、労働市場におけるあらゆる年齢差別を人権侵害として厳しく禁じています。それなのに日本の司法や行政が差別を放置しているのは、彼ら自身の組織が新卒一括採用と年齢による序列でできているからです。これでは、民間企業に「年齢差別をやめろ」などといえるわけがありません。

正月やゴールデンウィークの旅行が大変なのは、同じ時期にたくさんのひとが一斉に移動するからです。これは交通機関や旅館・ホテル、観光施設にも大きな負担をかけますから、旅行時期の分散はすべてのひとにとって利益になります。

新卒一括採用もこれと同じで、採用期間を短くすればするほど採用市場は混雑し、学生も企業も重い負担に苦しむことになります。それにもかかわらず、なぜこんな非効率的で差別的な制度をいつまでも続けているのでしょうか。

近代というのは、それまで好き勝手に生きてきたひとたちを資本主義市場経済に合わせて訓育していく過程でした。そのためにつくられたのが、学校、軍隊、工場などの訓育施設です。こうした施設の役割は、雑多なひとたちを性別と年齢で分類し、閉鎖的な環境のなかで特定の思考様式や行動様式を「洗脳」していくことです。

日本人は個人と組織の契約関係をまったく理解できないまま、“近代的訓育”に過剰適応しました。日本型組織とは、同期や先輩・後輩が義兄弟となり、支配者に忠誠を尽くし、集団に滅私奉公することなのです。

その典型が軍隊ですが、第二次大戦の敗戦で国民の訓育機能を失ってしまいます。それに代わるように、学校と工場・会社への偏愛が異常なまでに高まりました。

差別だろうがなんだろうが、官民一体となって労働改革に頑強に抵抗するのは、彼らが大好きな「軍隊生活」を守るためなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年5月11日発売号
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”奴隷労働”をしながら「残業代ゼロ」を批判する不思議なひとたち 週刊プレイボーイ連載(193)

安倍内閣が今国会で法制化を目指す「高度プロフェッショナル労働制」は、メディアによって呼び方がまったくちがいます。ある新聞は「脱時間給制度」、別の新聞は「残業代ゼロ制度」で、この3つが同じ法案だということを知らないひとも多いでしょう。

このなかでもインパクトが大きいのは「残業代ゼロ」で、働いてもお金がもらえないのなら、そんな法律を支持するひとがいるわけはありません。これは「人種差別法案」とか「戦争参加法案」と同じで、最初に問答無用で否定的なレッテルを貼り、議論そのものを拒絶する典型的なプロパガンダの手口です。

不思議なのは、「残業代ゼロ」を旗印にこの法案を強く批判する新聞社が、従軍慰安婦問題や原発報道でトラブルを起こし、今後は「中立公正な立場」で報道すると紙面で宣言していることです。「残業代ゼロ」という決めつけに対しては、法案の作成にかかわった経済学者などから「あまりにも偏向して不公正」と抗議されていますが、それとこれとは別なのでしょうか。

さらに困惑するのは、「残業代ゼロ」制度を「問題なのは残業代が出ないことではなく、長時間労働に歯止めがきかなくなることだ」と批判していることです。これではますます論点がわからなくなるばかりで、「過労死法案」とでもしたほうがよほどすっきりします。

「高度プロフェッショナル」は年収1075万円以上という要件ばかりが強調されますが、これは本来、社内弁護士や社内会計士など専門的な資格・技能を持つスペシャリストを想定しています。彼らは「会社に所属している自営業者」ですから、報酬が青天井で転勤など人事異動の対象にならない代わりに、働き方は自分で管理し、会社が要求する成果を達成できなければ職を失うことになります。自営業者に収入の保障などないことを考えれば、これは当たり前の話です。

それに対して「正社員」という日本独特の職業身分では、定年までの雇用保障と引き換えに、会社はどのような理不尽な要求をしても許されることになっています。日本では労使協定で事実上無限定の時間外・休日労働が認められていますが、グローバルスタンダードの労働基準ではこれは明らかな違法行為です。そのため日本は、ILO(国際労働機関)の労働時間関係条約をひとつも批准できません。

日本人の長時間労働は終身雇用・年功序列の日本的雇用の悪弊で、「残業代ゼロ」制度とはなんの関係もありません。同じサラリーマンでありながら、一部の人間が「プロフェッショナル」として高給を得ることに嫉妬するひとが批判しているのでしょう。

日本では一部のブラック企業だけでなく、いたるところでサービス残業という名の「残業代ゼロ」すなわち無給の“奴隷労働”が蔓延しています。日本のマスコミでも、サービス残業のないところなどありません。

この話がグロテスクなのは、「残業代ゼロ」で働いているひとたちが、「残業代ゼロ」法案を批判していることです。それよりさらにグロテスクなのは、本人がそのことに気づいていないらしいことです。

サービス残業は「現代の奴隷制」ですから、それを一掃するには経営者に懲役刑を科せばいいだけです。こういう当たり前の主張をする「リベラル」が日本にいないのは、みんな奴隷労働が好きだからなのでしょう。

参考:濱口桂一郎「適切な規制で選択多様に」(日経新聞2015年3月23日朝刊「経済教室」)

『週刊プレイボーイ』2015年4月27日発売号
禁・無断転載

NHK会長に期待する方が間違っている 週刊プレイボーイ連載(192)

プロサッカーでは、チームの成績が振るわないとまずは選手を補強してテコ入れし、それでもうまくいかず降格がちらついてくると監督を解任し、新しい指導者に命運を託します。そのとき、同じ球技だからと野球や卓球の監督を連れてくることはありません。

「なにを当たり前のことを」と思うかもしれませんが、「日本型組織」では常識に反したことがしばしば起こります。

日本の会社も経営が傾けば社長を交替させますが、人材は社内で探し、外部から招聘する発想はありません。監督を解任しても予定調和的にコーチが昇進するだけで、たまに反抗的なコーチ(反主流派の幹部)が抜擢されると「大改革」と大騒ぎになります。

これを誰も不思議に思わないのは、日本の会社が社員の共同体で、社長はその代表だからです。閉鎖的な組織は、外部から異物が混入することをものすごく嫌います。日本のサラリーマンの習性は、社長から平社員まで、ほとんどこれで説明できるでしょう。

それでは、典型的な日本型組織が、社員の代表を経営トップに据えることを禁じられたらどうなるでしょうか? このきわめて興味深い社会実験がいま行なわれています――これはもちろんNHKのことです。

テレビ創生期のNHK会長の職は政治家、官僚、新聞人など名士の持ち回りでしたが、1976年に悲願だった生え抜き会長が誕生すると、その後も紆余曲折はありながら社員からの登用が続きました。ところが2007年に、職員が放送前のニュース原稿で株式を売買するインサイダー取引の不祥事を起こし、ふたたび外部招聘に戻されてしまいます。

欧米で似たようなことが起きたとすると、そのとき真っ先に検討されるのは、同じテレビ業界の経営幹部や元社長を連れてくることでしょう。それで都合が悪いなら、海外のテレビ局(BBCとか)の辣腕経営者をヘッドハンティングしてもいいかもしれません。これは、サッカーの外国人監督と同じです。

ところが日本の会社は社員の共同体ですから、同業他社の社長、すなわち「よその共同体の代表」がトップになることは、乗っ取り(買収)以外ではあり得ません。その結果、NHK会長はテレビ業界とはまったく関係のないところから連れてくるしかなくなってしまいました。

NHK会長の職は、じつはそれほど魅力的ではありません。年俸3000万円で、国会で政治家から吊るし上げられたり、番組内容が偏向しているとマスコミから叩かれたりするのでは、功なり名を遂げたひとはまったく興味を感じないでしょう。

それでも外部招聘した最初の2人は財界の重鎮で、プロの経営者として高い評価を得ました。しかしこの“幸運”も3人目で尽きて、目ぼしい候補者から軒並み断られた結果、大手商社の子会社社長というかなりランクの落ちる人物に任せざるを得なくなったのです。

このように考えると、いまのNHKの混乱は必然で、これまで大過なくやってこれたことの方が不思議です。現会長の“見識”を批判するのは結構ですが、これでますます引き受け手はいなくなるでしょうから、次もその次も同じことを繰り返すことになるだけでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年4月20日発売号
禁・無断転載