映画『アルゴ』の裏には、もうひとつの隠された現代史があった!?

 

映画『アルゴ』は、1979年のイラン革命の混乱のなかで起きたアメリカ大使館人質事件を題材としたアメリカ映画で、第85回アカデミー賞作品賞を受賞した。

イスラム過激派の学生たちがアメリカ大使館を占拠する直前、6人の大使館職員が裏口から脱出し、カナダ大使の公邸に匿われる。人質救出を専門とするCIA工作員トニー・メンデス(ベン・アフレック)は、『アルゴ』という架空のSF映画の制作を理由に単身イランに潜入し、6人を映画のスタッフに偽装させて死地からの脱出を試みる、というのがストーリーだ。良質の愛国映画である同時に、隠された現代史を発掘したことが他の有力候補を抑えてアカデミー賞を獲得した理由だろう。

ところでこの映画を観て、なぜこんな荒唐無稽な作戦が成功したのか、疑問に思わなかっただろうか?

1981年1月16日、ルクセンブルクの金融情報会社に勤めるエルネスト・バックスは奇妙な依頼を受けた。米系金融機関がタックスヘイヴンに保有する口座から総計700万ドルの有価証券を引き出し、アルジェリア国立銀行を通じてイランの首都テヘランにある銀行に入庫してほしいというのだ。エルネストが驚いたのは、取引の内容だけではない。依頼主がFRBとイングランド銀行、すなわちアメリカとイギリスの中央銀行だったからだ。

エルネストが当時勤務していたのはセデルという会社で、現在はクリアストリームと名前を変えている。セデルはライバルであるユーロクリアとともに、国境を越えた有価証券の決済を行なう“クリアリング機関”の最大手だった。

エルネストはこの取引を、テヘランのアメリカ大使館に拘束されていた人質を解放するための資金の一部だと説明された。米国政府はこの事件の解決を目指したが、イランへの身代金の支払いを一貫して否定しており、そのため目につきやすい電信送金ではなく、有価証券の移管という手法を採用した。それもチェースマンハッタン銀行とシティバンクのタックスヘイヴン口座から出庫した有価証券を、アルジェリアの国立銀行を経由してイランの金融機関に入庫するという手の込みようだった。

エルネストはこの複雑な取引(イランの銀行はセデルのメンバーですらなかった)を首尾よくやりとげ、高い評価を得た。だがそれから数年後に、自分が体よく利用されたと気づくことになる。

1980年11月、ロナルド・レーガンは現職のジミー・カーターを破って第40代アメリカ大統領の座を射止めた。この選挙中、レーガンと共和党幹部にとって最大の懸案はテヘランの大使館人質事件だった。大統領選前に人質が解放されてしまえばカーター陣営の大きな外交成果となり、レーガンの当選は覚束なくなる。そこで共和党陣営は、ホメイニのイランと秘密裏に交渉を行ない、大統領選後まで人質を拘束する代償として、莫大な額の資金提供を約束したのだ。

エルネストは後に、自らが設計した決済ネットワークが不正な目的に利用されていることを批判し、疎まれてセデルを去ることになる。その後、金融ブローカーやコンサルタント、食肉協同組合の組合長などを転々としながら、独力で集めた情報をもとにクリアリング機関がマネーロンダリングの道具となっている実態を告発していく。こうして私たちは、エルネストの数奇な体験を知ることになった……。

参考文献:エルネスト・バックス、ドゥニ・ロベール『マネーロンダリングの代理人』 

エルネストの告発が事実だとするならば、イラン革命政府は、突発的に起きたアメリカ大使館占拠事件を早期に解決し人質を解放するつもりだったが、レーガン陣営からの資金提供の約束と引き換えに、国際社会の批難に耐えて、アメリカ大統領選まで人質を拘留しなければならなくなった。このような状況で、6人のアメリカ人がカナダ大使公邸に隠れていることを知ったらどうするだろう。

イラン革命政府にとっても、レーガン陣営からの資金提供はぜったいに表に出してはいけない極秘事項だ。イスラム過激派や革命防衛隊に疑われないようにするためには、大使館から逃げた6人のアメリカ人の出国を認めるようなことはできない。

しかしその一方で、暴走した過激派がカナダ大使公邸に押し込み、アメリカ人を公開処刑するようなことになれば、国際社会での評判は回復不能なまでに傷つくことになる。イラン革命政府にとっても、レーガン陣営にとっても、6人のアメリカ人を穏便に国外に出すことは最重要の課題だった。

そんなとき、1人のCIA工作員が、映画のロケハンを偽装して6人を救出するという突飛なアイデアを持ってくる。それを知った(レーガン陣営と通じる)CIAや国務省の幹部は、まともに考えれば実現できるはずはないこの作戦を利用して懸案を解決することを思いついた。

彼らは、潜入する工作員や作戦にかかわるCIA職員にはいっさい知らせることなく、この計画をイラン革命政府の最高幹部に伝えた。そして革命政府は、過激派や革命防衛隊にさとられることなく、この作戦を背後から支援して、自らの面子を保ちながらやっかいなアメリカ人を国外に退去させようとした……。

このように考えると、革命直後のテヘランでSF映画を撮影するという荒唐無稽な話にトルコのイラン大使館がビザを発給し、文化省がテヘランでのロケハンをあっさり許可し、6人が偽造パスポートで出国しようとしたときにビザを発給した大使館に確認すらしなかった理由がわかる。すべては最初から仕組まれていたのだ。

真実を知らされていなかったのは、主人公のCIA工作員と、映画制作に協力した当時のカーター大統領だけだった。

レーガンがカーターを破って米国大統領に当選した2ヵ月後、米国大使館の人質は444日ぶりに解放された。その後もレーガン政権とイラン革命政府との関係は続き、イランに秘密裏に武器を売却した資金でニカラグアの反政府組織「コントラ」を援助するCIAの大規模な作戦が行なわれた。このイラン・コントラ事件は1986年に発覚し、世界を揺るがす一大スキャンダルとなった。

『アルゴ』の裏にある、もうひとつの権謀術数の現代史を想像すると、よりいっそう映画を楽しめるのではないだろうか。

PS:いちおう断わっておくと、これはあくまでも歴史推理で、事実だと主張するわけではありません。

楽天的すぎるくらいがちょうどいい 週刊プレイボーイ連載(94)

 

「とりたてて理由はないものの、毎日が憂鬱でなにもする気がしない」

「近い将来、とんでもなくヒドいことが起こるにちがいないと思う」

「ときどき不安でいてもたってもいられなくなる」

こんなふうに感じることはありませんか?

うつ病はなぜあるのでしょうか。現代の進化論では、この謎を次のように説明します。

人類がその歴史の大半を過ごした石器時代では、サバンナの真ん中で昼寝をする太っ腹より、ささいな物音にもびくびくしている小心者のほうが子孫を残す率が高かった。火と武器を手に入れるまでは、ヒトはマンモスなどの大型獣を狩る狩猟者ではなく、肉食獣のエサだったからだ――。

もちろんいまでは、街を歩いていたらいきなりライオンが襲ってきた、などということはありません。しかし遺伝子は文明の進歩に追いつくほど早く変化できないので、私たちはまだ石器時代のこころのままコンクリートジャングルを生きています。必要以上に将来を悲観したり、実体のないものを恐れたりするのは、原始人だった頃の名残なのです。

とはいえ、いつもおどおどしているだけでは新天地を開拓することなどできません。どんな環境でも生き延びて子孫を増やすには、好んでリスクをとる冒険者が必要です。

不安神経症的な傾向はすべてのヒトに共通しますが、うつ病の出現率は人種によって異なることが知られています。うつ病は日本、中国、韓国など東アジアの国に多く、アメリカやイギリスなど欧米諸国ではそれほどでもありません(「うつ状態」の出現頻度は米国人の9.4%に対して日本人は30.4%)。

これまでこの現象は、集団主義的で抑圧的な文化と、自由で開放的な文化のちがいだと考えられてきました。ところが最近、「東洋にうつ病が多いのは遺伝的なものだ」という研究が出てきました。

うつ病の治療に有効なセロトニンの伝達に関係する「セロトニントランスポーター遺伝子」にはS型とL型があります。この遺伝的なちがいは性格に反映し、S型の遺伝子を持つひとは不安を感じやすく、逆にL型の遺伝子は快活で楽天的です。

日本をはじめ東アジアの国々では、S型の遺伝子が70~80%を占めます。それに対して欧米諸国では、S型の持ち主は40%程度しかいません。アメリカ人が底抜けに陽気なのは、彼らの遺伝子がL型だからかもしれないのです。

うつ病が遺伝子型で決まるなら、そこから文化を説明することも可能です。

日本や中国、韓国、シンガポールなどで集団主義的な社会が生まれたのは、ひとびとの不安感が強く、人間関係をできるだけ安定させようとしたからだ。それに対してヨーロッパの個人主義は、自主独立と冒険を好む遺伝子から生まれた……。

もちろんこの生理的な解釈が正しいと決まったわけではありません。しかし、人種(民族)間の遺伝子の差が文化のちがいに反映されるという証拠は徐々に増えてきています。

S型遺伝子が大半を占める日本人は、自分が過度に抑うつ的になりやすいと考えて、羽目を外して楽天的になるくらいがちょうどいいのかもしれません。

 参考文献:安藤寿康『遺伝子の不都合な真実』

『週刊プレイボーイ』2013年4月8日発売号
禁・無断転載

選択肢が多すぎると選択できなくなる不幸 週刊プレイボーイ連載(93)

 

その若者は、モデルのような容姿で、誰もがうらやむ一流企業に勤め、順風満帆の人生を送っているようにみえました。しかし彼には、ひとつ深刻な悩みがありました。あまりにもモテすぎるのです。

その会社では、新規事業として、若い女性をターゲットにしたコスメの開発にちからを入れていました。部員も社外スタッフもほぼ全員が20代の女性で、短期間で業界でも注目されるほどの成功を収めてきました。

その会社は、女性だけの部署はお互いが足を引っ張り合ってうまく機能しないというマネジメント理論を信奉しており、唯一の男性は40代前半の課長でした。女性差別のような気がしないでもありませんが、この人事は、「女同士でトップの座を争わなくてもいいから気が楽だ」との理由で、女性部員からも暗黙の支持を得ていました。その当否はともかくとして、現実にビジネスがうまく回っている以上、それを変える理由は会社にはありません。

ところがこの課長(妻子持ち)が、精神の不調を訴えるようになりました。女性に囲まれて仕事をするのは、一見楽しそうですが、実際にやってみるとなかなか大変らしいのです。

そこで会社は、課長を補佐する役割として、新人の男性社員を配属することにしました。どうやら人事部は、採用のときから、このモデルのような若者を「女の園」要員にすることを決めていたようなのです。

見かけとちがって、中高を男子校で過ごした彼は体育会系で、女遊びとは無縁のタイプでした。これまでも女性にはモテたのでしょうが、ファッション業界の美女たちのなかに投げ込まれればモテ方のレベルがちがいます。ファッションの世界は男性と出会う機会が少なく、並みの男では彼女たちに吊り合わないので、女性の需要に対して男性の供給が圧倒的に少ないのです。

純真な彼は、ロマンチックラブを信じていました。世界のどこかに、自分が求めている“ほんとうの女性”がいるはずだと思っていたのです。

しかし現実には、彼は頻繁にカノジョを取り替えることになりました。ある女性と付き合いはじめても、たちまち別の女性が彼の前に現われます。そうすると、どちらが自分にとっての“真実”なのかわからなくなってしまうのです。

マーケティングの実験では、選択肢が多すぎると消費者は選択できなくなることが知られています。スーパーの試食品コーナーでジャムを販売する場合、選択肢が6種類よりも24種類あった方が顧客の満足度は高くなります。しかし実際に自分の好みのジャムを見つけて購入するのは、6種類の方が圧倒的に多いのです。24種類のジャムを前にした消費者は、あれこれと試食してみますが、けっきょくどれにするか決められず売り場を立ち去ってしまうのです。

「別に高望みしているわけではないんです」若者は真面目な顔でいいます。「“このひとを求めていたんだ”って納得したいだけなんです」

「そのうちいいひとが見つかるよ」と、私は当たり障りのない返事をしました。しかし彼がいまの部署にいるかぎり、理想の女性は永遠に現われないでしょう。

世の中には、いろんな悩みがあるものです。

参考文献:シーナ・アイエンガー『選択の科学』

『週刊プレイボーイ』2013年4月1日発売号
禁・無断転載