『橘玲の中国私論』「反日と戦争責任」附記

新刊の『橘玲の中国私論』で「反日と戦争責任」について書いた。ここでは、そこで収録できなかったエピソードをひとつ紹介したい。

日本の首相が靖国神社に参拝するたびに中国や韓国からはげしい抗議を受けて東アジア情勢が緊張する。これは一般に歴史認識をめぐる軋轢とされているが、私はずっと、問題の本質は別のところにあるのではないかと思ってきた。

戦前までの日本の軍隊は天皇(国体)を護持するのが務めで、戦死者は天皇を祭司とする靖国神社に祀られた。だがGHQの政教分離政策によって、唯一の慰霊施設であった靖国神社は“民営化”されてしまう。

この「歴史のねじれ」 によって、靖国神社の宮司(一民間人)は、いっさいの民主的手続きを踏むことなく、本来の祭司である昭和天皇の意志に反して、独断でA級戦犯の合祀を行なった。だがなぜか、保守派もリベラルも、この身勝手な振る舞いを問題にすることはない(「靖国問題と歴史のねじれ」)

1985年8月15日、当時の中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝し、それに対して中国が強く反発し外交問題になった。対日政策の弱腰を批判されて窮地に陥った胡耀邦党総書記を慮って、中曽根元首相は翌年の靖国公式参拝を断念する。その際に、中曽根元首相は“朋友”の胡耀邦に書簡を送っている。

以下、それを引用する。

「日中関係には2000年を超える平和友好の歴史と50年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の50年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していいくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中双方の政治家たちが、相互信頼の絆により、粘り強い共同の努力を行なう必要があります」

「私は戦後40年の節目にあたる昨年の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のために犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました」

「しかしながら、戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行なわないという高度の政治的決断を致しました」

「戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社に祀られることになっており、日本国において他に一律に祀られているところはありません。故に246万に及ぶ一般の戦死者の遺族たちはごく少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしという日本の死生観により神社の独自の判断により祀られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定されることには、深い悲しみと不満を持っているものであります」(世界平和研究所『中曽根内閣史 資料編』-王敏『日本と中国 相互誤解の構造』〈中公新書〉より重引。数字表記のみ洋数字に変更。太字強調は引用者)

中曽根元首相がこの書簡を送ったのは30年前。そのときから、「真の問題」がどこにあるかは自民党保守派の政治家たちにもわかっていた。

だがその後、彼らは、本来の祭司である昭和天皇が(今上天皇も)靖国神社の参拝を拒否するという異例の事態の解決を放棄してしまった。この国家的損失をもたらした宮司はいっさいの責任を問われることなく、不毛な論争(というか罵り合い)だけがえんえんとつづくことになったのだ。

中国を驚くということ(『橘玲の中国私論』はじめに)

新刊『橘玲の中国私論』より「はじめに」を掲載します。

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中国はいつも驚きを与えてくれる。日本から飛行機でわずか数時間のところにこんな面白い世界があるのに、日本人旅行者が減っているのはほんとうにもったいない。

中国の「驚き」のなかで、ここ数年のマイブームは不動産バブルだ。地方都市を訪れるたびに、唖然、愕然、呆然とするような都市開発の残骸を目にするようになった。

「なぜこんな途方もないことが起きるのか」「これはいったいどうなってしまうのだろう」という素朴な疑問から本書の企画は始まった。「鬼城」と呼ばれる中国のゴーストタウンを取材して、読者にも驚いてもらおうと思ったのだ。

だが取材を進めるにつれて、たんに各地の鬼城を紹介するだけでは面白くならないことに気がついた。

ロシア人形にマトリョーシカがある。胴体が上下に分かれ、なかに少し小さな人形が入っている。人形を開けるとまた同じ人形が出てくる入れ子構造で、ロシア旅行のお土産にもらったひともいるだろう。中国の鬼城は、このマトリョーシカを思い出させる。大都市、地方の中心都市、辺境の都市、町や村、どこを訪れてもまったく同じことが起きているのだ。そこには地域ごとの特色、といったものがまるでない。

そこで、「中国の鬼城はなぜこんなにそっくりなのか」ということが気になりだした。そこから出発して、中国についてあれこれ考えてみたのがこの本だ。

最初に断っておくと、満州からチベット、ウイグルまで中国のほぼ全土を旅行したものの、私は中国の専門家ではない。だからこれは一介の旅行者の記録、すなわち旅行記だ。

旅の意味はひとそれぞれだろうが、私の場合は「驚き」に出会うことだ。

アームチェアに座って事件を解決する探偵もいるが、たいていのひとは、思いもよらない出来事に遭遇しないとそれについて知りたいとは思わないだろう。私も同じで、自分で体験してからでないと本を手に取る気になれない。異国を旅することと書物の世界を旅することは一体なのだ。

結果として本書は、私家版の中国論のようなものになった。本書のアイデアはきわめてシンプルで、“人類史上最大”といわれる不動産バブルを含め、中国で起きているさまざまな驚くべきことの背後には、「中国人という体験」を生み出すひとつの外的要因があるのではないか、というものだ。その要因とは、「ひとが多い」ということだ――それも、とんでもなく。

国としての「日本」が誕生したのは7世紀だが、それ以来、中華帝国は日本人にとって脅威であると同時に、常に驚きでもあった。中国はあまりにも巨大なので、隣国である日本はいやおうなくその運命に巻き込まれざるを得ない。

だからこそ、一人ひとりが中国について考えてみることが大切なのではないだろうか。

『橘玲の中国私論』「はじめに」

『橘玲の中国私論』が発売されました

こんにちは。

ダイヤモンド社より『橘玲の中国私論』が発売されました。都内や地方の主要書店には今週末から並び始めると思います。Amazonでも予約が始まりました。

橘玲の中国私論

ここ数年、中国を旅するたびにとてつもない建築ラッシュにびっくりさせられました。いまではその多くが、“鬼城”と呼ばれるゴーストタウン(廃墟)と化しています。

なぜこんなことになってしまうのか? という疑問から始めて、中国と中国人について考えてみたのがこの本です。

「日本」という国が誕生した7世紀から、中国という巨大な隣人は日本人にとって、つねに脅威であると同時に驚きでした。そしてこれからも、さまざまな意味で中国は私たちを驚かすことになるでしょう。

「中国という大問題」の本質はなにか? 本書ではこの問いに、(おそらく)世界で最高水準にある現代日本の中国研究の成果をもとに、きわめてシンプルな結論を導き出しています。それは、「政治や経済、社会問題など中国で起きている大半の出来事は、“ひとが多すぎる”ということから説明できる」というものです。

もちろん私は中国の専門家ではありませんから、これは一旅行者の私的見解(私論)に過ぎません。それでも、歴史認識の齟齬などで日中関係が戦後最悪といわれるなか、本書が「中国に驚く」きっかけになれば幸いです。

日本から飛行機でわずか数時間のところにこんな面白い世界があるのに、旅行者が減っているのはほんとうにもったいないことです。どれほど拒絶しても、地政学的にも、地経学的にも、日本は中国の影響から逃れることはできません。

日本でも中国でも、「正義」の名のもとに相手を一方的に批判するひとがたくさんいます。ひとはみな、自分の見たいものしか見ないし、自分の理解したいものしか理解しないのだから、どちらの歴史認識が正しいのかを議論することに意味はありません(歴史家に任せておけばいいことです)。

いま必要とされているのは、お互いに相手を知り、驚き、楽しむことではないでしょうか。

橘 玲