【書評】日本の景気は賃金が決める

エコノミストの吉本佳生氏は、スタバの価格から世界経済まで、あらゆる経済現象をわかりやすく解説することで人気がある。だがいちばんの魅力は、経済統計などの基礎データを徹底的に読み込んで、そこから思いもよらない結論を導き出す手際の鮮やさだ。

『日本経済の奇妙な常識』はそうした特徴がよく出た一冊で、あまりに驚いたので「日銀の金融緩和がデフレ不況を生み出した」で紹介した。新刊『日本の景気は賃金が決める』はその続編というか、「アベノミクス版」だ。

最近になってようやく経済メディアでも話題にされるようになったが、吉本氏は前著で、「日本の不況の本質は賃金デフレだ」ということをいち早く指摘している。投機マネーによる資源価格の高騰で輸入物価が大きく上昇したものの、中小企業はそれを価格に転嫁できず、従業員の賃金を減らして生き残ろうとしたのだ。

その結果なにが起きたかを、この本ではさまざまな国際比較によって明解に示している。詳しくは本をお読みいただくとして、どれもきわめて興味深い(というか衝撃的な)データなので、そのいくつかをここで紹介してみたい。

まず、「フルタイムの労働者に対するパートタイム労働者の(時間あたりの)賃金」。時給に換算すると、日本ではパートタイム労働者に支払われるお金はフルタイム労働者(正社員)のわずか6割弱だ。それに対して「同一労働同一賃金」が原則のヨーロッパでは、イギリスで7割、ドイツ、スウェーデンで8割、フランスでは9割ちかい賃金をパートタイム労働者が受け取っている。

次は男女の賃金格差で、日本では女性の賃金が男性より3割も低い。それに対してアメリカ、イギリス、ドイツは2割、フランスとスウェーデンは1割程度しかちがわない。日本は先進諸国の中で、韓国に次いでもっとも男女間の賃金格差の大きな国だ。

3つ目は、勤続年数による賃金格差。勤続1~5年(日本のみ1~4年)を100とした場合の賃金を見ると、日本は勤続年数が15年を超えると44.5%、20年を超えると73.4%、30年以上だと93%も高くなる。これに対して、ヨーロッパでもっとも年功序列が残っているドイツでもその差は最大で53.8%、“理想の福祉社会”スウェーデンにいたっては勤続年数と賃金はなんの関係もない。徹底した能力主義で、資格を取得して昇進・昇格しなければ何年働いても給料は同じなのだ(イギリスとスウェーデンで30年以上のデータがないのは、そんなに長くひとつの会社に勤める労働者がいないからだろう)。

4つ目は、企業規模による賃金格差。日本では、従業員1000人以上の大企業の賃金を100とすると、5~29人で51.2、30~99人で61.9と、中小企業では5~6割の賃金しかもらっていない。アメリカやドイツでも、従業員1~9人の自営業・家族経営の賃金は低いが、10人を超えると約7割になる。イギリスやスウェーデンでは、大企業よりも中小企業の方が逆に賃金が高いという驚くべき結果が出ている。

このように見てくると、私たちが当たり前のように思っている「日本人の給料」が、世界のなかではきわめて特殊なものだということがわかる。日本は、「男・大・正・長(男性・大企業・正社員・中高年)」の賃金が高い一方、「女・小・非・短(女性・中小企業・非正規・若者)」の賃金がきわめて低い、世界でも最悪の格差(差別)社会なのだ。

その結果、中高年の正社員が多い業界と、女性や若者、非正規社員の多い業界で大きな賃金格差が生じている。それを示したのが下図で、公務員の所得を100とした場合、建設業、卸売業・小売業、サービス業の所得は7割弱しかなく、宿泊業・飲食サービス業に至っては半分を割っている。

こうした賃金格差(というか差別)の最大の犠牲者が子どものいる家庭だ。

相対的貧困率は、日本の全国民の所得(年収)を上から順に並べて、ちょうど真ん中のひとの所得(中央値)を調べ、その半分より少ない所得しかもらっていないひとの割合だ。

貧しさというのは相対的なものだ。みんなが貧しければ、お金がないことはさして苦にならない。それに対して、まわりがみんな金持ちで、自分1人が貧乏ならその絶望感はとてつもなく大きいだろう。相対的貧困率は、国民の幸福度を測る重要な指標なのだ(だからといって、絶対的な貧困はどうでもいいというわけではない)。

OECD30カ国の相対的貧困率の平均は10.6%で10人に1人。「世界一幸福な国」デンマークでは、相対的に貧困なひとは20人に1人しかいない。それに対して日本の相対的貧困率は14.9%で、先進国中、下から3番目だ。

次に子どものいる現役世帯を見ると、大人が2人以上(両親や祖父母と同居)の家庭の貧困率は10.5%と若干改善されるものの、大人が1人(そのほとんどが母子家庭)の貧困率はなんと58.7%、10世帯中6世帯が貧困線以下という惨状で、先進国のなかでも最悪だ。

驚くべきは、こうした悲惨な状況を日本国が意図的につくりだしていることだ。

国家の重要な役割のひとつが所得の再分配で、社会保障政策などでゆたかなひとから貧しいひとにお金を移転して、より平等な社会をつくることだとされる。ところが日本の子どもの相対的貧困率を調べると、所得再分配の前が12.4%なのに、所得を再分配すると13.7%に悪化してしまう。国家がなにもしない方が、子どもの貧困率は1.3%改善するのだ。

なぜこんな理不尽なことが起きるかというと、国民から徴収したお金を高齢者に優先的に配っているからだ。日本の「少子化対策」というのは、子どもを経済的に虐待することなのだ。

吉本氏はこうした衝撃的なデータを次々と示した後で、アベノミクスが狙いどおり物価の上昇をもたらすと、「女・小・非・短」の労働者や母子家庭がそのしわ寄せを受けてきわめて厳しい経済状況に陥ると予想する。2%の物価上昇というのは、すべての国民の平均的な生活コストが2%上がることではなく、特定の階層に属するひとたちだけがとんでもなくヒドい目にあうことなのだ。

こうした悲劇を避けるためにいったいどうすればいいのだろうか? それこそが本書のテーマなので、ぜひお読みになったうえで吉本氏の提案をじっくり考えてみてください。

最後にひとつだけ。

若者の貧困や失業を解決するのに「教育」こそが大事だというひとがたくさんいる。だが私は、この理屈に違和感を持っている。こうした主張を声高にするひとのほとんどが教育者(大学の教員)だからだ(「教育格差」を憂えるひとたちの奇妙な論理)。

この疑問についても、吉本氏は一枚のグラフで簡潔にこたえてくれる。

90年代以降、消費者物価はたしかに下落しているが、そのなかで教育費だけが一方的に値上がりしている。これが子育て世帯の家計を直撃したことが、2人目の子どもを産めない大きな原因だ。「教育は素晴らしい」というひとのなかには経済学部の教員も多いが、だとしたらこの現実についてもきちんと言及すべきだろう。

机上の空論を弄ぶのではなく、客観的なデータに基づいて、日本をより公平(公正)な社会に変えていくべきだと考えるひとにお勧めします。

「自分にやさしく相手に厳しい」の失敗 週刊プレイボーイ連載(92)

 

アベノミクスによる株価の大幅な上昇を追い風に、安倍政権が高い支持率を維持しています。それとは対照的に、かつて政権を担った民主党の惨状は目を覆わんばかりです。

先日も、前復興大臣が7月の参議院選挙を見据えて民主党を離党しました。現職の閣僚が次々と落選した総選挙を見て、このままでは再選は困難だと判断したのでしょう。

参議院は任期が6年で解散もないので、いちど落選するとよくても3年、同じ選挙区に改選期の異なる同僚議員がいれば6年の浪人生活を覚悟しなければなりません。人生の残り時間が有限であることを考えれば、再選のためになりふり構わなくなるのも当たり前です。

私は政治にはさして関心はないのですが、たまたま知り合いが政治家になったので、2009年夏の政権交代直後の民主党のパーティを覗きにいったことがあります。当時、鳩山政権の支持率は70%を超えていて、事業仕分けが国民的な注目を集めていました。次々と登壇する大物議員も、広い会場を埋める新人議員たちも、「日本を変える」という高揚感に包まれていました。それからまだ3年半しか経っていないことを思えば、まさに隔世の感です。

当時の民主党は、自民党に代わり得る責任政党として“歴史的な政権交代”を実現した以上、過去は全否定されなければならないと考えていました。とりわけ彼らの敵対心は高い支持率を誇った小泉政権に向けられ、「官邸主導」も「規制緩和」もネオリベの蔑称のもとに一蹴され、すべてをスクラップして統治構造をいちからつくり直す構想が声高に語られました。

ところが具体的な政策や数字を掲げたマニュフェストを「国民との契約」としたために身動きがとれなくなり、「ばらまき」や「うそつき」の批判を浴びることになります。とりわけ、「予算を組み替えれば財源はいくらでも出てくる」といっていたのに、手のひらを返したように消費税増税に突き進んだことが致命傷になりました。

民主党政権の3年半は、かんたんにいえば、相手を口汚く罵っていた奴が、「だったらお前がやってみろよ」といわれて責任者になったら、けっきょくなにひとつマトモにはできなかった、という話です。人間関係において、これほど信用を失墜させる行動はありません。

複雑な利害のからむ政治の世界では、自分がつねに正しく相手がすべて間違っている、などということはありません。しかし民主党は、勧善懲悪の時代劇のような善悪二元論に立って、自民党時代の改革をすべて反故にし、官僚組織を敵に回し、統治の崩壊を引き起こしてしまったのです。

さらにいえば、私たち凡百の人間に「歴史を変える」ことなどできるわけもありません。しかし民主党の議員のなかには、エリート意識とヒーロー願望から自分を坂本龍馬になぞらえるひとが溢れていました。こうした傲慢さもまた、有権者から忌避されることになった理由でしょう。

もっとも、この失敗は民主党だけのものではありません。世の中には、自分を“絶対善”として他人を批判し、全否定することが正義だと思っているひとがいくらでもいるからです。

相手に投げつけた言葉は、いずれ自分に返ってくる。こころしておきたいものです。

  『週刊プレイボーイ』2013年4月15日発売号
禁・無断転載

映画『アルゴ』の裏には、もうひとつの隠された現代史があった!?

 

映画『アルゴ』は、1979年のイラン革命の混乱のなかで起きたアメリカ大使館人質事件を題材としたアメリカ映画で、第85回アカデミー賞作品賞を受賞した。

イスラム過激派の学生たちがアメリカ大使館を占拠する直前、6人の大使館職員が裏口から脱出し、カナダ大使の公邸に匿われる。人質救出を専門とするCIA工作員トニー・メンデス(ベン・アフレック)は、『アルゴ』という架空のSF映画の制作を理由に単身イランに潜入し、6人を映画のスタッフに偽装させて死地からの脱出を試みる、というのがストーリーだ。良質の愛国映画である同時に、隠された現代史を発掘したことが他の有力候補を抑えてアカデミー賞を獲得した理由だろう。

ところでこの映画を観て、なぜこんな荒唐無稽な作戦が成功したのか、疑問に思わなかっただろうか?

1981年1月16日、ルクセンブルクの金融情報会社に勤めるエルネスト・バックスは奇妙な依頼を受けた。米系金融機関がタックスヘイヴンに保有する口座から総計700万ドルの有価証券を引き出し、アルジェリア国立銀行を通じてイランの首都テヘランにある銀行に入庫してほしいというのだ。エルネストが驚いたのは、取引の内容だけではない。依頼主がFRBとイングランド銀行、すなわちアメリカとイギリスの中央銀行だったからだ。

エルネストが当時勤務していたのはセデルという会社で、現在はクリアストリームと名前を変えている。セデルはライバルであるユーロクリアとともに、国境を越えた有価証券の決済を行なう“クリアリング機関”の最大手だった。

エルネストはこの取引を、テヘランのアメリカ大使館に拘束されていた人質を解放するための資金の一部だと説明された。米国政府はこの事件の解決を目指したが、イランへの身代金の支払いを一貫して否定しており、そのため目につきやすい電信送金ではなく、有価証券の移管という手法を採用した。それもチェースマンハッタン銀行とシティバンクのタックスヘイヴン口座から出庫した有価証券を、アルジェリアの国立銀行を経由してイランの金融機関に入庫するという手の込みようだった。

エルネストはこの複雑な取引(イランの銀行はセデルのメンバーですらなかった)を首尾よくやりとげ、高い評価を得た。だがそれから数年後に、自分が体よく利用されたと気づくことになる。

1980年11月、ロナルド・レーガンは現職のジミー・カーターを破って第40代アメリカ大統領の座を射止めた。この選挙中、レーガンと共和党幹部にとって最大の懸案はテヘランの大使館人質事件だった。大統領選前に人質が解放されてしまえばカーター陣営の大きな外交成果となり、レーガンの当選は覚束なくなる。そこで共和党陣営は、ホメイニのイランと秘密裏に交渉を行ない、大統領選後まで人質を拘束する代償として、莫大な額の資金提供を約束したのだ。

エルネストは後に、自らが設計した決済ネットワークが不正な目的に利用されていることを批判し、疎まれてセデルを去ることになる。その後、金融ブローカーやコンサルタント、食肉協同組合の組合長などを転々としながら、独力で集めた情報をもとにクリアリング機関がマネーロンダリングの道具となっている実態を告発していく。こうして私たちは、エルネストの数奇な体験を知ることになった……。

参考文献:エルネスト・バックス、ドゥニ・ロベール『マネーロンダリングの代理人』 

エルネストの告発が事実だとするならば、イラン革命政府は、突発的に起きたアメリカ大使館占拠事件を早期に解決し人質を解放するつもりだったが、レーガン陣営からの資金提供の約束と引き換えに、国際社会の批難に耐えて、アメリカ大統領選まで人質を拘留しなければならなくなった。このような状況で、6人のアメリカ人がカナダ大使公邸に隠れていることを知ったらどうするだろう。

イラン革命政府にとっても、レーガン陣営からの資金提供はぜったいに表に出してはいけない極秘事項だ。イスラム過激派や革命防衛隊に疑われないようにするためには、大使館から逃げた6人のアメリカ人の出国を認めるようなことはできない。

しかしその一方で、暴走した過激派がカナダ大使公邸に押し込み、アメリカ人を公開処刑するようなことになれば、国際社会での評判は回復不能なまでに傷つくことになる。イラン革命政府にとっても、レーガン陣営にとっても、6人のアメリカ人を穏便に国外に出すことは最重要の課題だった。

そんなとき、1人のCIA工作員が、映画のロケハンを偽装して6人を救出するという突飛なアイデアを持ってくる。それを知った(レーガン陣営と通じる)CIAや国務省の幹部は、まともに考えれば実現できるはずはないこの作戦を利用して懸案を解決することを思いついた。

彼らは、潜入する工作員や作戦にかかわるCIA職員にはいっさい知らせることなく、この計画をイラン革命政府の最高幹部に伝えた。そして革命政府は、過激派や革命防衛隊にさとられることなく、この作戦を背後から支援して、自らの面子を保ちながらやっかいなアメリカ人を国外に退去させようとした……。

このように考えると、革命直後のテヘランでSF映画を撮影するという荒唐無稽な話にトルコのイラン大使館がビザを発給し、文化省がテヘランでのロケハンをあっさり許可し、6人が偽造パスポートで出国しようとしたときにビザを発給した大使館に確認すらしなかった理由がわかる。すべては最初から仕組まれていたのだ。

真実を知らされていなかったのは、主人公のCIA工作員と、映画制作に協力した当時のカーター大統領だけだった。

レーガンがカーターを破って米国大統領に当選した2ヵ月後、米国大使館の人質は444日ぶりに解放された。その後もレーガン政権とイラン革命政府との関係は続き、イランに秘密裏に武器を売却した資金でニカラグアの反政府組織「コントラ」を援助するCIAの大規模な作戦が行なわれた。このイラン・コントラ事件は1986年に発覚し、世界を揺るがす一大スキャンダルとなった。

『アルゴ』の裏にある、もうひとつの権謀術数の現代史を想像すると、よりいっそう映画を楽しめるのではないだろうか。

PS:いちおう断わっておくと、これはあくまでも歴史推理で、事実だと主張するわけではありません。