『「読まなくてもいい本」の読書案内』はじめに

近刊『「読まなくてもいい本」の読書案内』の「はじめに」を、出版社の許可を得て掲載します。

**********************************************************************

なぜこんなヘンなことを思いついたのか?

この本は、高校生や大学生、若いビジネスパーソンのための「読まなくてもいい本」の読書案内だ。

なぜこんなヘンなことを思いついたかというと、「何を読めばいいんですか?」ってしょっちゅう訊かれるからだ。でも話を聞いてみると、こういう質問をする真面目な若者はすでに「読むべき本」の膨大なリストを持っていて、そのリストにさらに追加する本を探している。その結果、「読まなくちゃいけない本がこんなにたくさんある!」→「まだぜんぜん読んでない!」→「自分はなんてダメなだ!」というネガティブ・スパイラルにはまりこんでしまう。

こんなことになるいちばんの理由は、本の数が多すぎるからだ。

ぼくが大学に入った頃(1977年)は、1年間に出版される本は2万5000点だった。それがいまでは年間8万点を超えている。

これはたんに、本屋さんに並ぶ本が3倍に増えたというだけじゃない。同じ本を読むひとの数がものすごく減った、ということでもある。

ぼくたちの大学時代は、「読むべき本」というのがだいたい決まっていた。だから初対面でも、読んだ(あるいは読んだふりをした)本をもとに議論(らしきもの)をすることができた。でもこんなこと、いまではほとんど不可能だろう。

こうした事情は、音楽業界でメガヒットが出なくなったのと同じだ。かつてはビートルズのように、好きでも嫌いでもみんなが知ってる曲があったけれど、そういうのはマイケル・ジャクソンくらいまでで、いまではワン・ダイレクションやAKB48がどんなヒット曲を出しても「聴いたことない」というひとの方が多いはずだ。

本の世界もこれと同じで、読者の興味の多様化、学問分野の細分化、新刊点数の増加によって、ハリー・ポッターや村上春樹といった例外を除けば、みんなが共通の話題にできる作品はなくなってしまった。

もの書きとしてのぼくの生活は、本を読む、原稿を書く、旅をする、ときどきサッカーを観る、というものすごく単純な要素でできているけれど、それでも新聞の書評欄に載る本はほとんど読んでいない――自慢できることじゃないけど。だから、もっと忙しいひとたちが本の話題についていけなくてもぜんぜん恥ずかしいことじゃない。

それでも不安になって、ブックガイドを手に取ったりするかもしれない。世の中には「知性を鍛えるにはこの本を読みなさい」というアドバイスが溢れているから。

でも、この方法もやっぱりうまくいかない。なぜなら、“知識人”や“読書人”が勧める本の数も多すぎるから――「古典で教養を磨こう」といわれても、マルクスの『資本論』は岩波文庫で全9冊もあるんだよ!

150歳まで寿命を延ばす医療技術を開発するシリコンバレーのベンチャー企業、ハルシオン・モレキュラー社のオフィスには、「人生がもっと長くなったら何をしますか?」というポスターが貼ってある。金属製の巨大な本棚が整然と並ぶ未来の図書館をイメージした写真に添えられたコピーには、こう書いてあるそうだ。

「現時点で、1億2986万4880冊の書物の存在が確認されています。あなたは何冊読みましたか?」

でも1億3000万冊の本をすべて読もうと思ったら、150年の寿命ではぜんぜん足りない。3日に1冊のペースでも100万年(!)かかるし、その間にも新刊書はどんどん増えていくのだ。

人類が生み出した知の圧倒的な堆積を知ると、どの本を読んだとか、何冊読んだとかの比較になんの意味もないことがわかる。15歳から85歳まで毎日1冊読んだとしても、死ぬまでに書物の総数のせいぜい0.02%(2万6000冊)にしかならない。それを0.03%に増やしたとして、いったいどれほどのちがいがあるのだろう。

そこで本書では、まったく新しい読書術を提案したい。問題は本の数が多すぎることにあるのだから、まずは選択肢をばっさり削ってしまえばいいのだ。

人生は有限なのだから、この世でもっとも貴重なのは時間だ。たとえ巨万の富を手にしたとしても、ほとんどの大富豪は仕事が忙しすぎて、それをほとんど使うことなく死んでいく。同様に、難しくて分厚い“名著”で時間を浪費していては、その分だけ他の有益な本と出合う機会を失ってしまう。

「何を読めばいいんですか?」と訊かれるたびにぼくは、「それより、読まなくてもいい本を最初に決めればいいんじゃないの」とこたえてきた。でも、どうやって?

この本で書いたのは、次のようなことだ。

20世紀半ばからの半世紀で、“知のビッグバン”と形容するほかない、とてつもない変化が起きた。これは従来の「学問」の秩序を組み替えてしまうほどの巨大な潮流で、これからすくなくとも100年以上(すなわち、ぼくたちが生きているあいだはずっと)、主に「人文科学」「社会科学」と呼ばれてきた分野に甚大な影響を及ぼすことになるだろう。これがどれほどスゴいことかというと、もしかしたら何千年も続いた学問分野(たとえば哲学)が消滅してしまうかもしれないのだ。

この“ビッグバン”の原動力になっているのが、複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学などの学問分野のそれこそ爆発的な進歩だ。

これさえわかれば、知の最先端に効率的に到達する戦略はかんだんだ。

書物を「ビッグバン以前」と「ビッグバン以後」に分類し、ビッグバン以前の本は読書リストから(とりあえず)除外する――これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、古いパラダイムで書かれた本を頑張って読んでも費用対効果に見合わないのだ。そして最新の「知の見取図」を手に入れたら、古典も含め、自分の興味のある分野を読み進めていけばいい。

こうした考え方を邪道だと思うひともいるだろう。でも時間の有限性と書物の膨大な点数を前提とすれば、これ以外に効率的な読書術はない。

誤解のないようにあらかじめ断っておくと、ここでは「読まなくてもいい本」のリストをいちいち挙げたりはしていない。新しい“知のパラダイム”がわかれば、「読まなきゃいけないリスト」をどんどん削除してすっきりできるはずだから。

そんなにウマくいくのかって? だったら具体的に、どんな効果があるのかやってみよう。

最初に挑戦するのは、ポストモダン哲学の最高峰だ。

……ここからPART1「複雑系」のリゾーム(ドゥルーズ=ガタリ)の話につづきます。

『「読まなくてもいい本」の読書案内』(筑摩書房) 禁・無断転載