安保法制問題に「どうでもいい」感が漂う理由 週刊プレイボーイ連載(205)

安倍政権が安保関連法案を衆院で強行採決し、野党が強く反発しています。衆院憲法審査会で自民党が推薦した憲法学者が「安保法制は憲法違反」と明言する“敵失”から法案の審議は迷走を始め、野党がそれを利用して違憲論争に持ち込み、安倍政権を窮地に追い込みました。

もっとも、与党が提出した法案を違憲だというのなら、どれほど“熟議”を重ねても合意に至るわけはありません。これは数で圧倒する与党を強行採決に追い込んで批判する“弱者の戦略”で、それが悪いとはいえませんが、野党にだって最初から議論するつもりなどなかったのです。

「戦争」だとか「徴兵制」だとか、いたずらに国民の不安を煽る言動も、政権奪還の気概を持つ(はずの)政党としては大人気ないかぎりです。こんなことでは、自民党と(永久護憲野党の)共産党の2つがあればいい、ということになってしまいそうです。

残念なのは、安保法制が違憲だとして、だったらどうするのかという議論がほとんどなされなかったことです。反対派のなかには例によって、「平和憲法に戦争放棄と書いてあるから戦争は起こらない」という奇妙な言霊信仰を奉じるひとがたくさんいますが、責任ある政党はこうしたカルト宗教から訣別し、現実的な世界情勢のなかで日本の安全保障をどうするのか、具体的な政策を提案すべきでしょう。

保守派からの批判を受けて、民主も維新と共同で領域警備法案を提出しましたが、一方で違憲論争をしているのですから、これではまともな議論になるはずはありません。ここで現実的な安全保障政策を示せば政権担当能力をアピールする絶好の機会になったはずですが、それを自ら放棄するようでは再生の道はまだまだ遠いと思わざるを得ません。

法案に対して「丁寧な説明がない」と批判されてもいますが、与党の答弁を見れば、説明できない理由は明白です。

米議会での演説で安倍首相が、「安保法制を夏までに成就」と約束してしまった。違憲といわれればそうかもしれないが、そもそも9条改正などできるわけがないのだから、閣議決定で憲法解釈を変更するしかない。これが無理筋だということはわかっているが、だったらどうすればいいのか対案を出せよ……。その心中を察すれば、たぶんこんなところでしょう。

野党は、閣僚が本音を口にできないことを知っていてそこを攻め立てますが、どこか腰が引けているのは自分たちも脛に傷を持つ身だからです。

特定秘密保護法にしても、集団的自衛権にしても、最初にその必要を言い出したのは政権党時代の民主党です。それを安倍政権が踏襲したことで一転して反対に回ったのですが、その理由は「あいつらにはやらせたくない」という子どもじみたものです。もちろんこんなことは口が裂けてもいえないので、「とにかく反対!」のパフォーマンスをするほかなくなったのでしょう。

すでに何度か書きましたが、憲法9条2項に「戦力を保持しない」とある以上、自衛隊も国内の米軍基地も違憲であることは疑いなく、それを「解釈改憲」でなんとかごまかしてきたのが日本の戦後70年です。この矛盾を直視したくないのだとしたら、個別自衛権の詭弁のうえに集団的自衛権の詭弁を重ねたとしても、べつにどうだっていい話でしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年7月27日発売号
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安倍首相の「応援団」はなぜ問題ばかり起こすのか? 週刊プレイボーイ連載(204)

有名作家を招いて自民党の若手議員が開いた勉強会で、「マスコミを懲らしめる」など報道機関を威圧する発言が相次いだことで安倍政権が対応に追われています。言論の自由は民主的な社会の根幹ですからこうした暴論が批判されるのは当然ですが、これについてはすでに多くのことがいわれているので、ここでは別の観点から考えてみましょう。

日本の政局は「一強多弱」といわれていますが、当選回数が3回以内の若手政治家にとっては、“強い”自民党に所属しているのがいちがいに有利とはいえません。“多弱”の野党は不遇をかこっていますが、そのぶん若手議員は国会質問にたびたび登場し、安倍首相と論戦するなどして知名度を上げています。ところが大所帯の自民党では、若手の役割は政府提案の法案に賛成票を投じることと、野党の質問に野次を飛ばすことくらいで、上がつかえている以上、このままではいつまでたっても日の目を見ることができません。

そんな彼らが唯一目立つことのできる場所が、自主的に開く勉強会です。物議をかもす発言で知られる作家を講師に呼んだのも、マスコミに事前に告知して記者会見まで予定していたのも、記者がドアの外で耳をそばだてていることを知りながら大声で議論したのも、自分たちの存在感を示すためのPRイベントだと考えればよく理解できます。もっともそれが暴走して、自分たちが“バッシング”されることになったわけですが。

安保法案についての議論や今回の出来事を見ていると、自民党の一部の議員がふりかざす安直なナショナリズムと国民の期待が大きくずれていることがわかります。

悲願の政権交代を実現した民主党は、「予算を組み替えれば財源はなんぼでも出てくる」とか、「(普天間基地は)最低でも県外」などの安直なリベラリズムによって政治的な大混乱を招きました。安倍政権が発足後から高い支持率を維持できたのは、アベノミクスによる株価上昇もありますが、閣僚に能力と経験に秀でた実務家を揃え、日本の政治や外交に安定をもたらしたからでしょう。

消費税増税、TPP参加、原発再稼働などの安倍政権の基本方針は、じつは民主党の野田政権をそのまま踏襲したものです。民主党も、最初の2人の大失敗でようやく国民がなにを求めているのかわかったのでしょうが、あまりにも遅すぎたのです。

野田政権と安倍政権の政策がうりふたつということは、そもそも日本のような成熟した国家(それも借金が1000兆円もある)には政治的な選択肢はほとんどないことを示しています。民主党政権のいちばんの成果は、「うまい話などどこにもない」という現実を国民に思い知らせたことでしょう。――これは皮肉ではなく、ギリシアの惨状を見れば、将来の日本への大きな貢献です。

小泉時代の劇場型政治から民主党・自民党への2度の政権交代を経て、ひとびとは右でも左でも安直な議論にうんざりしはじめました。韓国との関係を見ればわかるように、イデオロギーは問題を解決するのではなく、より面倒なものにするだけです。「ものづくりの国」日本は、職人のように愚直に懸案に取り組む現実的な政治家を必要としているのです。

安倍政権は、「応援団」と称する政治家の極論によって徐々に支持率を落としています。この“パフォーマー”たちに踊らされていると、いずれ支持者はヘイトスピーチを叫ぶ集団だけになるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年7月13日発売号
禁・無断転載

ギリシアに「ナマポ受給」を避ける選択はあったのか? 週刊プレイボーイ連載(203)

ギリシアの国民投票で、EUの緊縮財政策に「NO」の民意が示されました。ただ、これによってEUとの交渉でギリシア側が有利になるとも思えず、状況はますます混迷の度合いを深めそうです。

歴史にifはなく、過去を振り返っても空しいだけですが、そもそもギリシアがユーロを導入したこと自体が間違いでした。ギリシアはユーロ建ての国債発行が可能になり、2004年のアテネオリンピックでにわか景気に沸きましたが、あとに残されたのは借金の山でした。

2009年10月、政権交代で旧政権時代の国家的な粉飾が暴かれると、世界金融危機の直後ということもあって、金融市場ははげしく動揺しました。ギリシア国債を大量に保有する大手銀行が連鎖的に破綻するのではないかとの不安から、経済危機はたちまちヨーロッパ全体に拡大します。

いまにして思えば、ギリシアにはこのときデフォルトを宣言する選択もあったかもしれません。高利回りのギリシア国債を争って買ったのは民間銀行で、彼らは「金融のプロ」のはずです。金融の世界では、返済のできない融資は貸し手の自己責任です。

ギリシアがデフォルトすれば、EU諸国やECB(ヨーロッパ中央銀行)は金融危機を防ぐために大手銀行に大規模な資本注入を余儀なくされたでしょう。しかし実際はこの荒療治を避け、民間が保有するギリシア国債を公的部門が肩代わりする道を選びました。これによってギリシアの債権者は民間から政府に変わりました。

債権者が民間金融機関なら、規模は大きくてもたんなる経済問題です。ところがEU諸国がギリシア国債を保有したことで、国家対国家の政治問題になってしまいました。ギリシアに投入される資金はEU諸国の税金が原資なのですから、支援国の国民からすれば、これは社会福祉制度と同じです。ギリシアはデフォルトを回避したことで、ヨーロッパにおける「ナマポ受給者」になってしまったのです。

ギリシアへの支援をナマポと考えれば、年金制度が支援国より優遇されていることが許されるはずはありません。失業率の高いギリシアでは、壮年層が50代で退職して年金生活に入ることで若者の職をつくろうとしてきました。ところがその間に、ドイツをはじめとする「北のヨーロッパ」は年金受給年齢を67歳まで引き上げ、「生涯現役社会」になっていたのです。

年金制度改革は支援国にとっては当然でも、ギリシア人からすれば家計を崩壊させる暴挙です。この感情的な反発を背にチプラス首相の急進左派連合は政権を獲得し、「瀬戸際外交」に打って出ました。

ところが、ギリシア政府が瀬戸際で強い交渉力を持っていたのは、世界じゅうがデフォルトを恐れていた2010年のユーロ危機のときでした。いまは債権が公的部門に移っているため、チプラス政権にはEUを脅すための材料がほとんどありません。これが国民投票を強行した理由でしょうが、ここでEU側が譲歩すれば、イタリアやスペイン、ポルトガルなどで同様の国民投票を求める声を抑えられなくなってしまいます。

マルクスがいうように、歴史は一度目は深刻でも、二度目は茶番として繰り返すのかもしれません。もっとも、その茶番によって生活を奪われるひともたくさんいるのですが……。

『週刊プレイボーイ』2015年7月13日発売号
禁・無断転載