橋下市長は反論の相手を間違えているのではないだろうか?

 

この問題については、正直、あまり首を突っ込みたくないのだが、どうしても気になるのでひと言だけ。

橋下大阪市長は慰安婦問題について、Twitterや囲み取材で日本のメディアを批判しているが、海外メディアでの報じられ方はその比ではない。

Japanese politician calls wartime sex slaves ‘necessary’ CNN

Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military Washington Post(AP)

“Sex Slave(性奴隷)”を「必要」だと容認するのではRacistと同じになってしまう。これこそ“誤報”なのだから、橋下市長はCNNにインタビュー取材を申し入れて真意を説明し、Washington Postに反論を寄稿すべきだ。

このままでは英語圏で、「極右」「歴史修正主義」「差別主義者」のレッテルを貼られてしまうだろう。「海外で批判されている」という報道に対して、記者会見で日本人の記者を批判したり、Twitterで日本語で反論してもなんの効果もない。

グローバルな問題にガラパゴス化した(日本語の)議論は役に立たない。「南京大虐殺」もそうだが、日本の政治家はいつまでこの現実から目を背けるのだろうか。

ユニクロは“ブラック企業”なのか?  週刊プレイボーイ連載(98)

 

ユニクロの柳井正氏の「年収100万円も仕方ない」との発言が波紋を呼んでいます。

批判の多くは「若者を低賃金で働かせようとしている」というものですが、朝日新聞(4月23日朝刊)に掲載されたインタビューを読むとこれは誤解で、「グローバル化で富が二極化していく以上、仕事を通じて付加価値がつけられないと途上国の労働者と同じ賃金で働くことになる」という、ごく当たり前のことを述べているだけです。同じ話を経済学者や評論家がしても誰もなんとも思わないでしょうから、この反発は発言の内容というより、柳井氏個人に向けられたものに違いありません。

柳井氏への批判は、記事でも書かれているように、ユニクロが「ブラック企業」で、新卒社員のおよそ半分が3年以内に退社していくということにあるようです。「休職している人のうち42%がうつ病などの精神疾患で、これは店舗勤務の正社員の3%にあたる」とのデータはたしかに衝撃的です。

しかしこれだけで、ユニクロを典型的な「ブラック」と決めつけることはできません。ほとんどのブラック企業は居酒屋チェーンのようなドメスティックな事業を行なっているのに対して、ユニクロは日本を代表するグローバル企業だからです。

日本的な雇用慣行では、正社員の解雇が厳しく制限される一方で、社員は会社の理不尽な命令にも服従しなければなりません。「生活の面倒を見てもらっている以上、わがままが許されないのは当たり前」というのが、労働紛争における日本の裁判所の判断です。ブラック企業は、「なにがなんでも正社員になりたい」という若者の願望を利用して、サービス残業などの“奴隷労働”を強要しながら社員を使い捨てることで、アルバイトを最低賃金で雇うよりはるかに安い人件費コストを実現しています(これが“激安居酒屋”が成立する秘密です)。

それに対してユニクロの成功の要因は、中国の安い労働力を活用して高品質の衣料品を安価に大量に供給したことで、日本の労働者を搾取したからではありません。社員の離職率が高いのは低賃金が理由というより、柳井氏も認めるように、社員に対する要求水準が高いために大半が脱落してしまうからでしょう。この激しい競争に勝ち抜けば「年収1億円」というのですから、リスクとリターンが見合っているといえなくもありません。

朝日新聞の記事では、中国・華南地方のユニクロで、月給6000元(約9万円)で働く20歳代の女性店長が紹介されています。年収は7万2000元で、日本円でおよそ100万円ですが、これは法定最低賃金の約5倍ということなので中国では高給です。

ところで、中国で年収100万円の仕事が日本で500万円になるのはなぜでしょうか? 「日本の物価が高いから」というのは、もはや正当な理由にはなりません。日本の労働者がその金額に見合う付加価値を持っていないのなら、中国人の女性店長に日本の店舗を任せればいいだけだからです。

日本人だというだけで高給を要求するな――グローバル企業の経営者である柳井氏は、そういって日本社会を挑発しているのです。

『週刊プレイボーイ』2013年5月13日発売号
禁・無断転載

国民年金基金についての私的提言

 

国民年金基金は、自営業者などが加入する国民年金(平均的な受給額は月5万3000円)と、サラリーマンや公務員の年金(同16万1000円)の格差を是正すべく1991年にスタートした。国民年金加入者のうち、経済的に余裕のあるひとは、別途、国民年金基金にも加入することで、掛金が全額所得控除になるなどの税務上の恩恵を受けつつ長期の積立で老後の年金を増やすことができる。

行動経済学は、ひとは「合理的経済人」として常に正しい判断ができるわけではないという。ここから、「国家がひとびとを経済合理的な選択に誘導することは認められるべきだ」との政治的主張が生まれた。

リバタリアン・パターナリズム(おせっかいな自由主義)と呼ばれるこの立場では、国家が国民に“正しい行動(将来のための積立)”を強制することは否定するが、制度設計(マーケットデザイン)を通して正しい選択にNudgeする(ひじでそっと押す)ことは積極的に推奨されるのだ(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン『実践 行動経済学―健康、富、幸福への聡明な選択』)。

国民年金基金もこの意味でNudgeの試みといえるだろうが、スタートから20余年を経過して2つの制度的欠陥が指摘されている。このうちひとつは(おそらく)誤解であり、もうひとつは深刻な問題で早急に対処が必要だと考えるので、以下その概略を述べてみたい。

(1)国民年金基金はインフレに無力だ

国民年金基金は確定拠出・確定給付の年金で、加入時に複数の商品から選択するが、いずれもその時点で毎月の掛金と将来の受給額が確定する。将来にわたって掛金や受給額が増減することがないのは、加入時の予定利率(運用利回り)が固定されているからだ(超長期の積立定期預金と考えればいい)。

現在の予定利率は1.75%で、月額1万円の掛金を30年間納めると約470万円になる。

国民年金基金のホームページでは、高齢者夫婦の平均的な世帯支出は月額27万円で、65歳時点で約6200万円の生活資金が必要になるにもかかわらず、夫婦2人の国民年金受給額は約3000万円分しかないと述べられている。予定利率1.75%で計算すると、不足分の3000万円を国民年金基金で積立てるためには、30歳から60歳までの30年間、毎月6万5000円の掛金を納める必要がある。

国民年金基金への批判のひとつは、こうした商品設計がインフレを考慮していない、というものだ。

これまではずっとデフレが続いてきたが、今後30年のあいだには悪性のインフレが日本経済を蝕むことがあるかもしれない。仮に30年後の物価が10倍になっていたとすると(これはそれほど荒唐無稽な仮定ではない)、年金の原資になる3000万円の実質価値は10分の1の300万円分しかないことになる。これではとても老後の生活は支えられない。

1.75%という運用利回りは、いまの超低金利では相対的に有利かもしれないが、インフレになれば当然金利は上がっていくから逆ざやになってしまう。アベノミクスで年2%のインフレになれば、10年ものの国債利回りは3%程度まで上昇するかもしれない。だが国民年金基金は解約できない仕組みなので(掛金の減額は可能)、低利回りの不利な運用を長期にわたって続けざるを得なくなり、結果的に大損してしまうのだ。

しかし私は、国民年金基金の資産がインフレで紙くずになるようなことは起こらないと思う。

生命保険会社が予定利率を上回る運用をしたときの利益が「利差益」で、これは保険会社の収入になって、社員のボーナスや株主の配当の原資になる。将来、高率のインフレが起きて金利が急騰すると、1.75%の利回りしか約束していない国民年金基金は、国債を保有しているだけで莫大な利差益が転がり込んでくる。

ところで、もしそのようなことになれば、この利差益は誰に分配されるのだろうか?

国民年金基金は株式会社ではないから、利益を株主に分配する必要はない。厚生労働大臣の認可を受けた公的な法人ではあるものの、国の機関ではないから国庫に納める必要もない。各基金の理事のボーナスにしたり、保養施設をつくるなどということは当然許されないだろう。だとすれば、この利差益は加入者に特別配当として分配するほかはない。

ここまではあえて触れなかったが、国民年金基金の制度上の欠陥は、加入年度によって予定利率に大きな差があることだ。

91年の設立当初の予定利率は厚生年金基金などと同じ年5.5%だった。その後、低金利と株価の下落で運用に苦しみ、95年に4.75%、00年に4%、02年に3%、04年に1.75%と予定利率は引き下げられてきた。その結果、同じ加入者でも運用利回りに最大で年率3.75%もの“格差”があるという異常な事態になっている。

高インフレと高金利は、国民年金基金の資産を紙くずにするのではなく、こうした矛盾を解消して制度を正常化する可能性が高い。基金は利差益を、予定利率の低い加入者から優先的に配当していけばいいからだ。

仮に高インフレで国債利回りが10%を超えるようなことがあれば、「国民年金基金はインフレに無力」との批判とは逆に、基金が抱える深刻な矛盾はすべて解決されてしまうだろう(たぶん)。

それでは、国民年金基金の真の問題はどこにあるのだろうか。

(2)積立不足で制度が存続できなくなる

国民年金基金は、2011年現在で2兆7000億円の資産を保有しているが、同時に1兆4000億円の積立不足になっている。本来は4兆1000億円の資産がなければならないのが35%も不足しているのだ。

この事実が新聞などで大きく報じられ、またAIJ投資顧問の年金資産消失事件でサラリーマンが加入する(一部の)厚生年金基金の破綻が社会問題になったことから、国民年金基金の加入者のあいだでも不安が広がった。

ここで基本的なことを確認しておこう。国民年金基金と厚生年金基金ではふたつの大きなちがいがある。

ひとつは、国民年金基金には代行運用部分がないこと。

厚生年金基金は制度上、厚生年金の一部を預かって代行運用しなければならくなっており、中小企業が業界ごとに設立した総合型の基金では、この代行部分の赤字(積立不足)だけで年金資産が実質的に消失しているところも多い。このような基金を解散するには各企業が代行部分の赤字を清算しなければならないが、それを強制すると倒産してしまうため、生殺しのような状態で放置するほかなくなった。

それに対して国民年金基金には代行運用部分がなく、すくなくとも加入者の知らないあいだに資産が消失するようなことはない。

もうひとつは、実際の年金支給額が少ないこと。

厚生年金基金も国民年金基金と同じ確定給付型なので、過去の加入者に約束した高い利回りで年金を支給しつづけなくてはならない。それによって財務が痛み、破綻へと至るのだが、国民年金基金は設立が91年でまだ20年ほどしか経過していないため、本格的な年金の支給が始まっていない(年金受給者の数が少ない)。

「積立不足が35%」というと、運用の失敗によって自分が納めた掛金が7割以下に目減りしてしまったように感じられるだろうが、これは誤解だ。積立不足は責任準備金に対するもので、これは約束した予定利率で加入者に年金を支払う場合に理論上必要とされる金額のことだ。

ここは大事なところだが、国民年金基金が現在保有する資産は、加入者が納めた掛金の総額を上回っている(東京都国民年金基金に電話で確認した)。

AIJ事件で問題になった一部の厚生年金基金は実質的に破綻しており、加入者の掛金はすべて消失しているから、解散しても1銭も戻ってこない(さらには会社に代行部分の赤字を埋める義務まである)。それに対して国民年金基金の積立不足はヴァーチャルなもので、実態としてまだ黒字を維持している。

もちろんほとんどのひとは、このような(国民年金基金と厚生年金基金の)ちがいを理解できない。あぶなそうなものには近づかないというのが人間の本性だから、実際、国民年金基金の加入者数は、03年の79万人から52万人(11年)へと年々減少している。

こうした状況が続くようなら、ヴァーチャルな積立不足はやがて現実の赤字になって、基金の運営が行き詰まるのは避けられない。

加入者が増えない理由は、予定利率が低いことと、積立不足があまりにも大きいことだ。1.75%の利息を得るためにつぶれそうな銀行に大切なお金を預けるひとはいないだろうから、これは当然のことだ。そのうえ定期預金や生命保険(年金)は一定のペナルティを払えば解約できるが、国民年金基金はどのような事態になっても解約して資産を保全することができないのだ。

それでは、このやっかいな問題をどうすればいいのだろうか?

もっともかんたんな解決法は、いますぐ解散して加入者に資産を返すことだ。安倍バブルで株式も債券も価格が上がっているので、いま国民年金基金を解散すれば、掛金にそれなりの配当を加えた額が払い戻されるだろう。だったらその方がいいと考える加入者も多いのではないだろうか。

基金の解散が無理だということなら、あとは商品設計を変えるしかない。そしてこれは、じつはそれほど難しいことではない。

先に述べたように、基金が大幅な積立不足に陥ったのは、過去に約束した予定利率が高すぎるからだ。この予定利率を現在の1.75%まで引き下げてしまえば、積立不足のほとんどは解消して財務はたちまち健全化する。もちろん高い予定利率の加入者は激怒するだろうが、基金が破綻すれば元も子もないのだから、誰かが責任をとって納得してもらうしかない。

国民年金基金の問題が顕在化しないのは、高い予定利率で年金を受給するひとがまだ少ないからだ。しかしあと5年もすれば、設立当初の予定利率5.5%で加入したひとたちが年金を受け取りはじめる。

ところで、支払を約束した年金が月15万円で、分配できるお金が10万円しかないとすると、足りない5万円はどこから持ってくるのだろうか。

恐ろしいことに、現在の基金の仕組みだと、この5万円は新しく加入したひとの掛金を充てるしかない。これは基金が加入者ごとの個別勘定になっていないからで、要はねずみ講と同じだ。

国民年金基金は現在、テレビCMなどを使って加入者を増やそうと躍起になっているが、新規の加入者にこうした実態を正確に説明しているとは思えない。

金融商品取引法では、金融商品の販売にあたって金融機関はリスクや費用の説明を義務づけられており、それに違反すれば売買契約は無効になる。また消費者契約法では、消費者の利益を一方的に害する条項は無効とされているが、加入者の資産が現実に毀損しているにもかかわらず解約を認めないとすると違法と判断される可能性が高いだろう。

国民年金基金はそもそも、国民年金の加入者が安心して老後を過ごせるようにつくられた制度だ。その趣旨は素晴らしいとしても、現実には加入者を不安にするという皮肉な事態になっている。このようなことが起きたのは、もともとの商品設計が間違っていたからだ。

それなら、どのような商品設計ならひとびとが安心して利用できる(より効果的に将来のための積立にNudgeできる)ようになるのだろうか? 最後に、私的な提言を述べておきたい。

まず基本になるのは、現在のどんぶり勘定から加入者ごとの個別勘定に変えることだ。どのような理由であれ、加入者の掛金を別の加入者の年金に流用するようなことが許されるはずはない。そのような可能性はあらかじめ制度的に封じておくべきで、運用に失敗したらねずみ講になってしまうようでは欠陥商品といわれても仕方がない。

年金を個人勘定にするには、現在の確定給付から、将来の受給額が運用成績に応じて変動する確定拠出型に変える必要がある。これなら基金が運用リスクを負う必要はないから、どのような経済状況でも破綻することはない。

確定拠出型の年金では加入者が資産運用のリスクを負うことになるが、国民年金基金に加入するひとの大半は株式や為替でリスクをとろうとは思わないだろう(そのためには別に個人型確定拠出年金制度がある)。

そうであれば、国民年金基金はインフレのリスクをヘッジすることに徹して、資産のすべてを物価連動国債で運用することにすればいい。

物価連動国債は消費者物価指数に応じて元本が増減するため、物価が10倍になれば元本も10倍になって償還される。個人はファンドを通じて購入するが、このときに問題なのは、(物価の上昇によって)実質利益が変わらなくても、税法上は名目利益に対して課税されてしまうことだ。

物価連動国債を100万円購入して、償還のときに物価が10倍になっていれば1000万円で償還される。これは損も得もないが、名目上は900万円の利益を得ていることになるので、税率を20%とすると、180万円が課税されてその分だけ資産が目減りしてしまう。

国民年金基金なら、消費者物価指数を基準として、実質利益がない場合は非課税にすることも可能だろう。これなら、個人で物価連動国債(ファンド)を購入するのと比べてきわめて大きなアドバンテージだ。

アベノミクスで異次元の金融緩和が始まって、ひとびとは将来のインフレを警戒するようになってきた。そんなとき、掛金が全額税額控除されて、非課税で複利の運用ができ、受給時には実質利益にしか課税されない積立型の年金があれば、すくなくとも合理的な投資家であればよろこんで加入するだろう。

国民年金基金は、正しい商品設計をすればひとびとの老後の生活を改善する大きな可能性を持っている。

今後、高い予定利回りの年金受給者が増えて資金が流出しはじめれば、事態はますますやっかいになっていく。80年代バブルの再来や、巨額の利差益が出る高インフレ(高金利)を待っている余裕はない。

やるべきことは決まっており、残された時間は少ない。あとは決断するだけだ。