第52回 世にはびこる「どうせ」理論(橘玲の世界は損得勘定)

福岡県警の50歳代の男性巡査部長が、アダルトサイトの解約手数料名目で約1800万円をだまし取られた。スマートフォンでアダルトサイトを閲覧中、画面に会員登録されたことを示す表示が出たことに驚き、解約しようとして32万円の手数料を支払ったところ、「他のアダルトサイトの登録がまだ残っている」などと請求され、計19回にわたって大金を指定された口座に振り込んだのだという。

この話にいまひとつ同情できないのは、詐欺を取り締まるべき警察官が、あまりに単純な架空請求詐欺の手口に引っかかったからだろう。でも世の中には、同じようにだまされやすいひとが一定数いることも事実だ。

そこで詐欺師は、自分勝手な「自己責任論」で犯罪を正当化する。

「こういうひとは、いずれ誰かにだまされて身ぐるみはがされるんだよ。だったら俺が先にだましたって同じでしょ」

話は変わって2020年の東京オリンピック。

当初1300億円と見込んでいた新国立競技場の費用が約3000億円まで膨らんだとき、スポーツ議員連盟の政治家たちはサッカーくじの売上を工事費に充てようとした。それでも足りないと、プロ野球や大相撲にまでくじの対象を広げようと画策している。

ところでサッカーくじは、ジャンボやロトなどの宝くじと同じく、購入代金の半分以上が手数料として控除される。100円を払うと最初に55円が没収され、残りの45円を当せん者で分配するのだ。

競馬、競輪などの公営ギャンブルの還元率は75%と宝くじよりマシで、パチンコ・パチスロが85%程度、カジノのルーレットは95%だ。他のギャンブルに比べてあまりにも還元率が低い宝くじは、経済学者から「愚か者に課せられた税金」と呼ばれている。

ジャンボ宝くじは1ユニット1000万枚で、1等が当たる確率は1000万分の1。一方、日本で1年間に交通事故で死亡するのはおよそ3万人に1人だ。宝くじを10万円分買って、ようやく1年以内に交通事故で死ぬ確率と同じになる。これだけ分が悪いとふつうは誰からも相手にされないから、賞金金額を引き上げて射幸心を煽るしかないのだ。

オリンピック開催が国民の悲願だというなら、競技場の整備・建設にもみんな賛成するはずだから、五輪特別税を徴収して必要な予算を確保すればいい。でもそうすると選挙に不利になるし、お金も自由に使えなくなるから、「愚か者」に税金を払わせようとするのだろう。

これでなにがいいたいのかわかってもらえただろうか。

特殊詐欺の犯人は「いずれ誰かにだまされるんだから同じ」という。政治家は、「どうせどこかの宝くじを買うんだから、競技場建設のために先にサッカーくじを買わせてしまえ」という。両者のちがいは法律に違反するかどうかだけで、その論理はまったく同じだ。

国の道徳レベルがこの程度では、いつまでたっても振り込め詐欺や架空請求詐欺がなくならないはずだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.52:『日経ヴェリタス』2015年8月16日号掲載
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東芝不正会計事件という見事なブラックジョーク 週刊プレイボーイ連載(207)

1500億円を上回るとされる東芝の不正会計事件は、日本の名門企業でどのような「経営」が行なわれていたのかを白日の下にさらしました。

第三者委員会の報告書によれば、中間決算直前の社内会議で、「残り3日で120億円の利益を出せ」と社長がパソコン事業部に迫ったといいます。テレビなど映像事業部に対しては、「チャレンジ」と称する収益改善目標の必達を要求し、社長月例会議で「できないなら辞めてしまえ」と部門長を罵倒しています。さらに米子会社ウエスチングハウスが手がけた発電所建設では、追加コストの発生を約500億円から85億円に理由もなく減額するよう社長自ら指示していました。

報告書では東芝の上場を維持するために「不適切会計」とされていますが、これは粉飾以外のなにものでもありません。なぜこんなぶざまなことになってしまったのでしょう。

80年代末のバブル最盛期には、「日本はもう坂の上に雲はなくなった」といわれました。明治維新以来、近代日本はずっと欧米という「坂の上の雲」を追いかけてきたのですが、世界第2位の経済大国になったことで目標を失った、というのです。

ところが90年代に入ってシリコンバレーでICT(情報通信技術)革命が起こると、重厚長大の日本の電機メーカーは新しい時代にまったく適応できなくなりました。いまやマイクロソフト、アップル、グーグルなどグローバル企業の背中ははるかに遠く、かといって韓国・台湾・中国のメーカーのように下請けに徹することもできず、業績は凋落の一途を辿っています。

この20年、日本企業から世界に通用するイノベーションはなにひとつ生まれていません。シリコンバレーには世界じゅうから多様な文化的背景を持った野心と知性にあふれた若者が集まってきますが、日本企業の上層部は日本人・男性・中高年・国内大学出身というきわめて同質な集団で占められています。そんな彼らがどれほど知恵を絞ったところで、画期的なアイデアなど出てくるはずはないのです。

旧日本軍は米軍との圧倒的な戦力差を見せつけられたとき、現実を受け入れるのではなく「神風」を頼り、特攻や玉砕などの非人間的な戦法を兵士に強要しました。東芝の経営陣は、これまでの事業戦略が通用しなくなったとわかったときに、合理的なマネジメントで大胆な改革を行なうのではなく、部下への恫喝と粉飾によって収益を糊塗しようと画策しました。報告書には「上司に逆らえぬ企業風土」「トップが現場を追い込んだ」などと記されていますが、これは鉄拳制裁の暴力で兵士を死地へと追いやった旧日本軍とどこがちがうのでしょうか。

安倍首相が出す予定の「戦後70年談話」について、歴史学者など専門家が検討する会議が開かれましたが、その座長となったのは長らく東芝の社長・会長を務め、現在は日本郵政の社長に就任している人物です。

日本の組織は、敗戦を経ても旧日本軍となにひとつ変わっていませんでした。非合理的な精神主義の日本型組織で成功し、異様な企業風土をつくった人物が「歴史の反省」を語るということが、見事なブラックジョークになっているのです。

『週刊プレイボーイ』2015年8月10日発売号
禁・無断転載

日本がなぜ戦争したかは、新国立競技場問題が教えてくれる 週刊プレイボーイ連載(206)

1923(大正12)年12月27日、国会議事堂に向かう皇太子(後の昭和天皇)の車が狙撃されました。犯人の難波大助は、父親が衆議院議員という山口県の名家に生まれた24歳の若者で、ステッキに仕込んだ散弾銃の銃弾は車の窓を破ったものの、同乗していた侍従長が軽症を負っただけで皇太子には怪我はありませんでした。

欧米のジャーナリストを驚かせたのは、事件よりもその後の出来事でした。

内閣総理大臣の山本権兵衛はただちに辞表を提出し、内閣は総辞職しました。当日の警護の責任をとって警視総監と警視庁警務部長が懲戒免官となったばかりか、道筋の警護にあたっていた(事件を防ぐことはとうていできなかった)一般の警察官までもが責任をとらされて解雇されます。

難波の出身地の山口県の知事と、上京の途中に立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責処分となり、郷里の村は正月行事を取り止めて「喪」に服しました。難波が卒業した小学校の校長と担任の教師は辞職し、衆議院議員である難波の父親は自宅の門を青竹で結んで蟄居し、半年後に餓死したのです。

政治学者の丸山真男はこの皇太子狙撃事件を例にあげて、日本社会の特徴は範囲の定めのない無限責任にあると論じました。いったん不吉なことが起きると、関係する全員がなんらかの“けがれ”を負い、批判の矢面に立たされるのです。

こうした無限責任の社会では、いったん責任を負わされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を避けようとします。その結果、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも責任をとる人間のいない無責任社会が生まれ、破滅的な戦争へと突き進んでいったのです。

新国立競技場の建設計画をめぐる経緯は、戦後70年を経ても、日本が「責任と権限」という近代のルールからかけ離れた社会であることを白日のもとに晒しました。

事業の発注主体であるJSC(日本スポーツ振興センター)も、監督官庁である文部科学省も、オリンピックを招致した国や東京都、JOC(日本オリンピック委員会)などスポーツ団体も、計画にかかわったとされる政治家たちも次々と責任を否定しますが、この異様な光景も、「なにが起きても自分は責任を取らなくてもいい」という無責任を条件に参加しているのだと考えればよく理解できます。

とりわけ落胆させられたのは、競技場のデザインを決める審査委員長を務めた“世界的な建築家”で、2500億円以上の総工費を了承するかどうかの有識者会議を欠席しながら独自に記者会見を開き、「(巨額の総工費を聞いて)『ええっ、本当?』って思った」「1人の国民として『なんとかならんかな』と思っている」とまるで他人事で、建設を請け負うゼネコンが「もうからんでも、日本の国のためだ」といえばいい、などと一方的に自説を主張しました。日本の未来を担う若者たちは、この高名な人物から責任逃れはどうやればいいのかを学んだことでしょう。

過去の戦争をめぐる議論の本質は、中国や韓国からの批判ではなく、いったい誰に戦争責任があるのか日本人自身にもわからないことです。新国立競技場問題は、この疑問にこたえてくれる「生きた教科書」なのです。

参考文献:丸山真男『日本の思想』

『週刊プレイボーイ』2015年8月3日発売号
禁・無断転載