「富裕層増税」は道徳的に正当化できるのか?

 

『週刊東洋経済』2013年3月16日号に掲載された「資産フライトを狙い撃ち 富裕層“日本脱出”に苦心」を編集部の許可を得て掲載します(雑誌掲載時とは若干異なっていますが、こちらがオリジナルです)。

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2014年からの消費税引き上げに先行して、所得税と相続税の「富裕層増税」が決まった。

民主政治の本質はポピュリズムなので、“金持ち”バッシングは常に大衆受けのする政策として人気がある。これは日本だけではなく、フランスでは新自由主義的な改革を批判して新大統領になった社会党のオランドが、年収100万ユーロ(約1億2000万円)を超える個人の所得税率を40%から75%へと大幅に引き上げようとしている。

増税に反発した富裕層は、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)がベルギー国籍を申請するなど、続々と国外脱出を始め、それを政府高官が「売国奴」と批判するなど泥仕合の様相を呈している。

カンヌやヴェネチアの映画祭で男優賞に輝いたフランスを代表する映画俳優ジェラール・ドパルデューは、「フランス政府は成功を収めたひとや、才能があるひとを罰しようとしている」として、ロシア国籍を取得してプーチン大統領から直接パスポートを受け取った。これはオランド政権に対する強烈な皮肉だ。

ヨーロッパの知識層のあいだでは、19世紀の農奴制以来ロシアははもっとも遅れた国として蔑視されてきた。冷戦の終焉でロシアは民主化したものの、プーチンは実質的な独裁者だと思われている。だからこそドパルデューは、オランド大統領に対して「お前よりプーチンの方がずっとマシだ」といってみせたのだ。

フランスは1789年のバスティーユ襲撃から始まる革命によって誕生した近代国家で、その国是は自由・平等・友愛の三色旗に象徴されている。ドパリュデューの外国籍取得は税金逃れのように見えるが、その批判はより根源的で、国家による恣意的な課税を批判し、「平等とはなにか」を問いかけている。

課税の公正と平等をめぐる混乱は米国でも起きている。富裕層増税を目指すオバマ大統領と共和党がはげしく対立し、減税などの特別措置が失効する「財政の崖」問題が紛糾したことは記憶に新しい。

しかしその一方で、気軽に国境を越え、時には国籍を捨てることも辞さないヨーロッパの富裕層に対して、「世界一厳しい」といわれる米国の徴税制度は安易な租税回避を許さない。米国の税法は属人主義で海外居住者(米国の非居住者)でも納税義務は免れないし、市民権を放棄しても10年間は納税義務を負わなければならない。

そのうえ1万ドル超の資産を海外の金融機関に保有する場合はIRS(内国歳入庁)に報告を求められ、さらには今年から、FATCA(外国口座税務コンプライアンス法)の適用本格化にともない、米国外の金融機関に対し、5万ドル超の米国人口座の情報提供が義務づけられた。これにともなって、トラブルを嫌った欧州の金融機関が一斉に米国人口座を強制解約しはじめている。

日本でも国外財産調書制度が創設され、株や預金、不動産など5000万円相当を超える資産を国外に保有している個人に対して、所轄の税務署に調書(財産目録)の提出が義務づけられた。故意の調書不提出や虚偽記載は、1年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられるという罰則規定があることからも、これが米国の徴税制度を強く意識していることは明らかだ。

さらに、これまでは相続人(子)が日本国籍を放棄してしまえば海外財産に課税できなかったが、今年度の税制改正で、被相続人(親)が国内に居住していれば、相続人が日本国籍を持たなくても課税されることになった。税務当局の説明では、富裕層の間で子や孫が意図的に国籍を離脱し、租税回避をする動きが見られることへの対応だという。

こうした一連の流れを見れば、問題はたんに相続税や所得税の税率が上がるだけではないことがわかる。日本は米国のような、苛烈な徴税国家の道を歩みはじめたのだろうか。

税をめぐる風景は、納税者と税務当局で180度異なる。税務当局にとっての最大の衝撃は武富士事件(武富士元会長の長男への巨額追徴訴訟)の最高裁判決で、「租税法律主義の下では、たとえ租税回避の意図があったとしても、課税には法による明確な要件が必要」とされた。これによって税務当局の恣意的な法解釈や裁量による課税は否定され、税法の改正が急ピッチで進められることになった。

とりわけ危機感が強いのは、タックスヘイヴンと呼ばれる軽課税国・地域を利用した租税回避で、すでにベネッセホールディングスやサンスターなど大手企業の創業者一族が海外に居住していることが税の専門紙などで報じられている。富裕層増税にともなってこうした「国外脱出」が広範に行なわれれば社会の混乱につながるだろうから、税務当局が強く警戒するのは当然のことだろう。

グローバル化によって、かつてはごく一部の超富裕層しかアクセスできなかったタックスヘイヴンが、いまでは誰でも利用可能になった。相次ぐ税法改正は、こうした租税回避の“大衆化”に追いつこうとする必死の努力でもあるのだ。

しかし世界には、米国やフランス、日本などとはまったく異なる方法でこの問題に対処しようとする国もある。「高負担・高福祉」で知られる北欧の国々で、たとえばスウェーデンは2007年に贈与税や相続税などの「富裕税」を廃止してしまった。そのきっかけは、世界最大の家具販売店イケアと、食品用紙容器の大手テトラパックの創業者一族がスウェーデンを捨てたことだという。

ヨーロッパのような移動の自由な社会では、富裕層に重税を課しても国から出て行ってしまうだけだ。だったら、富裕税を廃止して国内にとどまってもらったほうがいいと割り切ったのだ。

それと同時に、北欧の「社会実験」は、富裕層が反発するのが高負担ではなく不平等であることを強く示唆している。消費税率が25%でも、それが国民に平等に課せられているのなら富裕層は国を捨てようとは思わない。だが自分たちだけが懲罰的な税を支払わされるのは、どのような高邁な理屈がついていても、「差別」以外のなにものでもないのだ。

日本ははたしてどちらの道を選ぶのか。少子高齢化で再分配のパイが小さくなるなかで、いずれ私たちは、この国の未来を決める決断を迫られることになるだろう。

 『週刊東洋経済』2013年3月16日号
禁・無断転載 

みんなバブルを待っている 週刊プレイボーイ連載(91)

 

いまの若いひとに80年代のバブルの頃の話をするとほんとうに驚かれます。

当時は、クリスマスイブに大学生がホテルのスイートルームでパーティをしたり、OLが週末にハワイや香港に行って、最高級ホテルに泊まってブランドものを買いあさるのが当たり前でした。皇居の地価がカリフォルニア州と同じで、東京の不動産を担保にすればアメリカ全土が買えるといわれ、不動産成金たちは自家用ジェットで世界じゅうを飛び回って札束をばら撒いていました。

アベノミクスによって、これから日本は人類史上例をみない大規模な金融緩和を行なうことになります。経済学者のなかには、それによって資産バブルが起こると警告するひともいます。

80年代のバブルが崩壊して、日本経済は「失われた20年」に沈みました。サブプライムバブルが崩壊したアメリカではマイホームを失ったひとたちが路上にあふれ、若者たちは格差是正を求めてウォール街を占拠しました。ユーロ導入で空前の好景気に沸いたギリシアは、いまでは国そのものが解体しかけています。このような惨憺たるあり様を見れば、「資産バブルは起こしてはならない」というのはそのとおりです。

しかしその一方で、80年代のバブルを経験したひとたちは、「あんな面白い時代はなかった」と口を揃えます。夜中まで働いてから六本木に飲みに行き、朝まで騒いでタクシーで帰宅しても、5万円の飲食費も2万円のタクシー代もぜんぶ会社が払ってくれたからです。

いまでは接待交際費やタクシー代はもちろん、取引先との喫茶店代すら経費精算できないこともあります。そんなショボい会社しか知らない若者たちは、バブルの話を聞くと、「いちどでいいから自分もそんな時代を体験してみたい」と思います。

ひとはみな近視眼的にできていますから、将来どれほどの不幸が待っていても目先の快楽を追い求めます。経済合理性でバブルを抑制できるのなら、ダイエットに苦労するひとなどいなくなるでしょう。

「アベノミクスが資産バブルを起こす」と警告すると、アベノミクスへの支持が上がります。好景気と資産バブルのちがいなど、ほとんどのひとにとってはどうでもいいのです。

だとしたら、アベノミクスは成功しても失敗してもやってみる価値があるのでしょうか。

アベノミクスの最悪のシナリオは、実は別にあります。

物価と金利が上がっても資産バブルが起こらず、逆に地価や株価が下落すると、金融機関が次々と破綻して日本国の債務だけが膨張していきます。これが「財政破綻」と呼ばれる国民経済の全面的な崩壊ですが、この不吉な予言に現実味があるのは、80年代と比べて日本国の借金が増え、潜在成長力が大きく下がったからです。

未来は誰にもわかりませんが、実際には、アベノミクスで80年代バブルが再来するよりも、財政破綻で大不況に陥る可能性のほうがずっと高そうです。

その経済的混乱から、私たちはどのようにして身を守ればいいのか? その方法を『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』で書いたので、興味のある方は手にとってみてください。

 『週刊プレイボーイ』2013年3月18日発売号
禁・無断転載

第27回 詐欺師が弄ぶ「こころのクセ」 (橘玲の世界は損得勘定)

 

振り込め詐欺や架空請求詐欺の被害はなぜ減らないのだろうか? 被害者がうかつだったとか、高齢で判断力が鈍っていた、というのが常識的なこたえだろうが、現実はもうすこしやっかいだ。

神経生理学という新しい科学では、ひとは無意識に自分の行動を正当化すると考える。

たとえば、次のような実験がある。

男性の被験者に2枚の若い女性の写真を見せて、気に入った方を選んでもらう。その後、写真はいったん裏返されて被験者の目の前に差し出され、もういちど写真をよく見て、その女性を気に入った理由を述べるよういわれる。

この手順を被験者に対して20回ほど繰り返すのだが、ちょっとしたトリックを使って、5回に1回の割合で裏返された写真を別のものとすり替える。

すると驚いたことに、3分の2の被験者は、数秒前に自分で選んだにもかかわらず、ちがう女性を見せられたことに気がつかない。そのうえ、実際には黒髪の女性を選んでいたにもかかわらず、「ブロンドが好きだから」などと説明し始めるのだ。

こうした錯覚の実験から、ひとには一貫した好みがあるのではなく、「選択した」という行為がまずあって、その行為を正当化するように好みがつくられていくことがわかる。恋愛というのは、無意識に相手に魅かれた後で、「好き」な理由を次々と思いつくことなのだ。

振り込め詐欺にひっかかるのも同じ理由だ。

電話口で「オレだけど」といわれた瞬間に息子(孫)だと思い込んでしまうと、その後の話がどれほど矛盾していてもまったく気づかない。ひとは無意識のうちに、最初の判断を正当化しようとするからだ。

熟練した詐欺師はこうしたこころの性質を熟知しているから、ほとんどのひとは手もなく騙されてしまう。その意味で誰もが被害者になる可能性があるが、それでも個人差はある。

催眠術がまったく効かないひとがいる一方で、暗示にかかりやすいひともいる。欧米の研究では、人口の10~15%が催眠術にかかりやすいとされている。

進化論では、生物の特徴にはなんらかの理由があると考える。騙されやすいひとがいつも損してばかりなら、上手に子孫を残すことができずに淘汰されてしまうだろう。それにもかかわらず暗示にかかるひとがたくさんいるのは、信じることに進化論的な合理性があるからだ。人間は社会的な生き物なので、身近なひとたちを疑ってばかりいると誰からも相手にされなくなってしまうのだ。

催眠術のかかりやすさにちがいがある理由はよくわかっていないが、遺伝的な要素が関係しているとの説もある。もしそうなら、努力や訓練で信じやすさを変えるのはとても難しい。

私たちの社会には、他人の言葉を素直に信じてしまうひとが一定数いる。彼らはとてもいいひとで、健全な社会にはそのような美質が必要なのだけれど、困ったことに、それを詐欺師が利用しているのも事実なのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.27:『日経ヴェリタス』2013年2月17日号掲載
禁・無断転載