ヨーロッパの難民は「理想」が生み出した 週刊プレイボーイ連載(212)

ヨーロッパにシリア、イラクなど紛争地帯からの難民が大量に押し寄せ、各地で混乱を引き起こしています。EU(欧州連合)は今後2年間で難民16万人を各国に割り当てる案を発表しましたが、中・東欧諸国を中心に反対論が根強く、議論は紛糾しそうです。

これまでの経緯を振り返れば、難民の発生は、シリアで反政府運動が高まりを見せた2011年1月にまで遡ります。シリアは少数派のアラウィー派が、独裁と秘密警察によって人口の4分の3を占めるスンニ派を支配する特異な政治体制で、ハーフィズ・アル=アサド前大統領は1982年、敵対するムスリム同胞団(スンニ派)の拠点ハマーの街を攻撃し、1万人から4万人とされる多数の市民を虐殺しました。現在のバッシャール・アル=アサドはその息子で、政権の中枢はアサド家をはじめアラウィー派で固められています。

シリア内戦はスンニ派対シーア派の中東諸国の代理戦争でもあり、イランが同じシーア派の系統に属するアラウィー派のアサド政権を支援するのに対し、反体制派の背後にはサウジアラビアなどスンニ派の湾岸諸国がいます。さらに、アサド政権が市民デモを徹底的に弾圧したことから欧米諸国が態度を硬化させ、2013年にはEUが反体制派への武器禁輸を解除しました。

ところがここで、両者が予想だにしないことが起こります。イラクの政治的混乱とシリアの内戦で権力の空白が生まれると、そこにIS(イスラム国)というカルト的な武装集団が台頭してきたのです。ISが通常のテロ組織と異なるのは、強力な軍事力を持っていることです。シリアの反体制派は湾岸諸国のオイルマネーで大量の武器をEU諸国から購入しましたが、戦況が悪化するとそれをISに転売したのです。

これはあくまでも結果論ですが、欧米諸国は民族・宗教対立を、民主化を求める市民運動と誤解したといわざるを得ません。民主化運動であれば、ひとたび政権が交代すれば和解の道が開けるかもしれませんが、恐怖と憎悪に支配された民族紛争に許しや寛容はありません。旧ユーゴスラビアの凄惨な内戦を見ればわかるように、復讐の悪夢から逃れるには、敵を殺しつくし、民族を“浄化”するしかないのです。――そうでなければ、敵が同じことをするでしょう。

アサド政権は、権力の座を奪われれば自分たちが皆殺しにされることを知っていますから、戦いを止めることはできません。かといって湾岸諸国とEUに支援された反体制派を圧倒することもできず、戦況は膠着し、シリア社会は崩壊していきます。当初はアサド政権の退陣を要求していた欧米諸国も、ISの台頭で思考停止に陥り、ほとんど効果のない空爆を繰り返すだけになりました。こうして、生きていく方途を失ったひとびとが難民になって欧州を目指し始めたのです。

じつはこの解説は、ロシアのプーチン大統領によるものです。プーチンはシリア内戦の最初から、欧米の「人権」による介入を批判し、権力の空白よりもアサドの独裁の方がはるかにマシだと主張しました。リアリズムと理想論のどちらが正しかったかはいまや明らかですが、リベラルな欧米諸国がこの事実を受け入れることは不可能でしょう。そしてこれから、そのツケを払うことになるのです。

『週刊プレイボーイ』2015年9月28日発売号
禁・無断転載