日銀の「約束」はどうなった? 週刊プレイボーイ連載(220)

「コミットメント」は、経済学(ゲーム理論)では「確実な約束」をいいます。よく知られているのが孫子の兵法の「背水の陣」で、川を背にすることで自ら退却を不可能にして、敵方に対して「最後の一兵まで戦いつづける」とコミットメントする戦略です。溺れ死ぬより戦った方が生き残る可能性が高ければ、どれほど劣勢になっても撤退しませんから、たとえ勝ったとしても犠牲は膨らみます。これによって相手の戦意を喪失させて、心理的に優位に立とうとするのです。

日銀が2013年4月に行なった「量的・質的金融緩和」は、市場や国民に対し、2年間という期限を切ったうえで2%のインフレ目標を達成するというコミットメントです。

近年のマクロ経済学では、インフレ率はひとびとの予想(期待)によって決まると考えます。将来、確実に物価が上昇すると思えば、消費者はいまのうちに高額商品を買っておこうとし、経営者は設備投資を前倒しして、その結果、ほんとうにインフレになるというのです。

インフレターゲット政策の旗振り役をした経済学者たち(リフレ派)は、こうした理屈で「日銀がインフレ目標をコミットメントすれば日本はデフレから脱却する」と主張しました。ところがいつまでたっても物価は上昇せず、説明に窮した黒田日銀総裁は今年4月に「2年というのは15年度を中心とする期間」と先延ばしし、10月には「2016年後半頃」とさらに延期してしまいます。当初の「2年」というコミットメントは、実質4年になってしまったのです。

黒田総裁はコミットメント(すなわち、「どんなことをしてでも達成すると誓った約束」のことです)が守れなかったのは「原油価格の下落」のためだといいますが、これも不思議な話です。なぜならリフレ派の経済学者たちが大好きなマネタリズムでは、インフレは貨幣的な現象で、金融市場に流通するマネーの総量で決まり、個々の商品の価格は無関係だからです。

デフレの要因を技術革新によるコンピュータなど電化製品の大幅な価格の下落で説明した経済学者は、「経済学の初歩すらわかっていない」と罵倒されました。「標準的な経済学」によれば、安いパソコンを買った消費者は浮いたお金でほかの商品やサービスを消費するはずですから、「中国からの輸入で物価が下がった」という説明はデタラメなのです。

ところで、これがもし正しいとすれば、「原油価格の下落で物価が上がらない」という説明もデタラメです。ガソリン代が安くなれば、余ったお金をほかのところで使うのですから、インフレ率にはなんの影響を与えないはずだからです。しかしなぜか、「パソコン説」を嘲笑したひとたちは日銀総裁の“ブードゥー経済学”には沈黙しています。

「2年後に借金を返す」と約束したのに、「やっぱりムリだったから4年にしてくれ」というひとを「合理的な国民」は信用しません。4年の約束は6年になり、8年になって、そのうち責任者はみんないなくなってしまうに決まっているからです。これでは市場の「期待」を操作して「インフレ予想」を醸成することなど、とうてい不可能です。

コミットメントがたんなる口約束だとバレてしまえば、日銀の信用は失墜します。このあとは、見苦しい言い訳と責任の押しつけ合いが始まることになるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年11月24日発売号
禁・無断転載

『「読まなくてもいい本」の読書案内』はじめに

近刊『「読まなくてもいい本」の読書案内』の「はじめに」を、出版社の許可を得て掲載します。

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なぜこんなヘンなことを思いついたのか?

この本は、高校生や大学生、若いビジネスパーソンのための「読まなくてもいい本」の読書案内だ。

なぜこんなヘンなことを思いついたかというと、「何を読めばいいんですか?」ってしょっちゅう訊かれるからだ。でも話を聞いてみると、こういう質問をする真面目な若者はすでに「読むべき本」の膨大なリストを持っていて、そのリストにさらに追加する本を探している。その結果、「読まなくちゃいけない本がこんなにたくさんある!」→「まだぜんぜん読んでない!」→「自分はなんてダメなだ!」というネガティブ・スパイラルにはまりこんでしまう。

こんなことになるいちばんの理由は、本の数が多すぎるからだ。

ぼくが大学に入った頃(1977年)は、1年間に出版される本は2万5000点だった。それがいまでは年間8万点を超えている。

これはたんに、本屋さんに並ぶ本が3倍に増えたというだけじゃない。同じ本を読むひとの数がものすごく減った、ということでもある。

ぼくたちの大学時代は、「読むべき本」というのがだいたい決まっていた。だから初対面でも、読んだ(あるいは読んだふりをした)本をもとに議論(らしきもの)をすることができた。でもこんなこと、いまではほとんど不可能だろう。

こうした事情は、音楽業界でメガヒットが出なくなったのと同じだ。かつてはビートルズのように、好きでも嫌いでもみんなが知ってる曲があったけれど、そういうのはマイケル・ジャクソンくらいまでで、いまではワン・ダイレクションやAKB48がどんなヒット曲を出しても「聴いたことない」というひとの方が多いはずだ。

本の世界もこれと同じで、読者の興味の多様化、学問分野の細分化、新刊点数の増加によって、ハリー・ポッターや村上春樹といった例外を除けば、みんなが共通の話題にできる作品はなくなってしまった。

もの書きとしてのぼくの生活は、本を読む、原稿を書く、旅をする、ときどきサッカーを観る、というものすごく単純な要素でできているけれど、それでも新聞の書評欄に載る本はほとんど読んでいない――自慢できることじゃないけど。だから、もっと忙しいひとたちが本の話題についていけなくてもぜんぜん恥ずかしいことじゃない。

それでも不安になって、ブックガイドを手に取ったりするかもしれない。世の中には「知性を鍛えるにはこの本を読みなさい」というアドバイスが溢れているから。

でも、この方法もやっぱりうまくいかない。なぜなら、“知識人”や“読書人”が勧める本の数も多すぎるから――「古典で教養を磨こう」といわれても、マルクスの『資本論』は岩波文庫で全9冊もあるんだよ!

150歳まで寿命を延ばす医療技術を開発するシリコンバレーのベンチャー企業、ハルシオン・モレキュラー社のオフィスには、「人生がもっと長くなったら何をしますか?」というポスターが貼ってある。金属製の巨大な本棚が整然と並ぶ未来の図書館をイメージした写真に添えられたコピーには、こう書いてあるそうだ。

「現時点で、1億2986万4880冊の書物の存在が確認されています。あなたは何冊読みましたか?」

でも1億3000万冊の本をすべて読もうと思ったら、150年の寿命ではぜんぜん足りない。3日に1冊のペースでも100万年(!)かかるし、その間にも新刊書はどんどん増えていくのだ。

人類が生み出した知の圧倒的な堆積を知ると、どの本を読んだとか、何冊読んだとかの比較になんの意味もないことがわかる。15歳から85歳まで毎日1冊読んだとしても、死ぬまでに書物の総数のせいぜい0.02%(2万6000冊)にしかならない。それを0.03%に増やしたとして、いったいどれほどのちがいがあるのだろう。

そこで本書では、まったく新しい読書術を提案したい。問題は本の数が多すぎることにあるのだから、まずは選択肢をばっさり削ってしまえばいいのだ。

人生は有限なのだから、この世でもっとも貴重なのは時間だ。たとえ巨万の富を手にしたとしても、ほとんどの大富豪は仕事が忙しすぎて、それをほとんど使うことなく死んでいく。同様に、難しくて分厚い“名著”で時間を浪費していては、その分だけ他の有益な本と出合う機会を失ってしまう。

「何を読めばいいんですか?」と訊かれるたびにぼくは、「それより、読まなくてもいい本を最初に決めればいいんじゃないの」とこたえてきた。でも、どうやって?

この本で書いたのは、次のようなことだ。

20世紀半ばからの半世紀で、“知のビッグバン”と形容するほかない、とてつもない変化が起きた。これは従来の「学問」の秩序を組み替えてしまうほどの巨大な潮流で、これからすくなくとも100年以上(すなわち、ぼくたちが生きているあいだはずっと)、主に「人文科学」「社会科学」と呼ばれてきた分野に甚大な影響を及ぼすことになるだろう。これがどれほどスゴいことかというと、もしかしたら何千年も続いた学問分野(たとえば哲学)が消滅してしまうかもしれないのだ。

この“ビッグバン”の原動力になっているのが、複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学などの学問分野のそれこそ爆発的な進歩だ。

これさえわかれば、知の最先端に効率的に到達する戦略はかんだんだ。

書物を「ビッグバン以前」と「ビッグバン以後」に分類し、ビッグバン以前の本は読書リストから(とりあえず)除外する――これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、古いパラダイムで書かれた本を頑張って読んでも費用対効果に見合わないのだ。そして最新の「知の見取図」を手に入れたら、古典も含め、自分の興味のある分野を読み進めていけばいい。

こうした考え方を邪道だと思うひともいるだろう。でも時間の有限性と書物の膨大な点数を前提とすれば、これ以外に効率的な読書術はない。

誤解のないようにあらかじめ断っておくと、ここでは「読まなくてもいい本」のリストをいちいち挙げたりはしていない。新しい“知のパラダイム”がわかれば、「読まなきゃいけないリスト」をどんどん削除してすっきりできるはずだから。

そんなにウマくいくのかって? だったら具体的に、どんな効果があるのかやってみよう。

最初に挑戦するのは、ポストモダン哲学の最高峰だ。

……ここからPART1「複雑系」のリゾーム(ドゥルーズ=ガタリ)の話につづきます。

『「読まなくてもいい本」の読書案内』(筑摩書房) 禁・無断転載

『「読まなくてもいい本」の読書案内』発売のお知らせ

『「読まなくてもいい本」の読書案内』という、ちょっと変わったタイトルの新刊が発売されます。小説を除くと、『(日本人)』以来の書下ろしです。

明日(27日)発売で、Amazonでは予約が始まりました。都内の大型書店では今日くらいから店頭に並びはじめます。

この本のアイデアは、取材に来る若いひとたちから「どんな本を読めばいいんですか?」としばしば訊かれたことから思いつきました。話を聞いてみると、彼らはたくさんの本を読んでいるのに、もっとたくさんの本を読まなければいけないと思っていて、「読むべき本」の重圧に押しつぶされそうになっているのです。

本書のコンセプトはこれとはまったく逆で、問題は本の数が多すぎることにあるのだから、最初にすべきは「読まなくてもいい本」を決めることだ、というものです。そうすれば「読書リスト」をすっきり整理できて、どの本をどういう順番で読めばいいのかがわかってくるはずだ、という読書戦略です。

とはいえ、「読まなくてもいい本」を列挙する、という無粋なことをしているわけではありません。

1960年代以降、テクノロジーの進歩にともなって、とりわけ人文科学、社会科学の分野で巨大な地殻変動が起きています。この変化(あるいは「知の革命」)は、インターネットの登場やコンピュータのエクスポネンシャル(指数関数的)な高性能化によって、近年、さらに加速しています。これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、それは主に複雑系、現代の進化論、ゲーム理論(ミクロ経済学)、脳科学などの分野でこれまでの常識を破壊しているのです。

そこで本書では、こうした「知の革命」のおおまかな枠組を紹介し、古いパラダイムで書かれた「名著」をとりあえずあとまわしにすることで、読書の見晴らしをよくすることを提案しています。逆にいうと、「名著」は新しい知のパラダイムで読み直してこそ意味がある、という話なのですが。

ちなみに、これは私独自の(オリジナルな)見解というわけではありません。いまや「知のパラダイム転換」の影響は広範囲に及び、ビジネス書、実用書、自己啓発本、経営書から健康・ダイエット本まで、このことを知らないと著者がなぜそのような主張をするのかわからなくなってしまいます。

たまたま手元にグーグルの人事担当上級副社長ラズロ・ボックの『ワーク・ルールズ!」(Googleの人事シシテムを解説した面白い本)があるのですが、そこでもグーグルがなぜ、どう動いているかを、「行動経済学と(進化)心理学の最近の研究から明らかになっていること」のレンズを通して見るのだと、当たり前のように書かれています。「新しい知」は、学者や哲学おたくではなく、若いビジネスパーソンにこそ必須の“教養”なのです。

とまあ、こういう本なのですが、この紹介だけではどんなことをやっているのか見当もつかないと思います。興味を持たれた方は、ぜひ書店で手にとってみてください。

橘 玲