いまでは恋愛は家族のイベント? 週刊プレイボーイ連載(241)

近所のレストランに行ったら、隣の席で家族連れらしき4人が食事をしていました。よくしゃべるお母さんがいて、その向かいに物静かなお父さん、10代後半の女の子と大学生のお兄さん、という組み合わせだと思ったのですが、聞くともなく話を聞いていると(というか、お母さんの声が大きいのでイヤでも聞こえてしまうのです)、食事を勧められている若者が「緊張してもう食べられません」としきりに謝っています。兄妹だと思ったらじつはカップルで、大学に入学したばかりの娘が、新しくできたカレシを両親に紹介していたのです。

いまの若いひとには珍しくないかもしれませんが、私の世代にとってこれは驚くべきことです。「恋愛は二人の関係」というのは常識以前の話で、結婚の約束をしたわけでもないのに親に会ってくれといわたら、絶句して即座に関係を解消したでしょう。

このエピソードを書いたのは、後日、さらに信じがたい話を聞いたからです。

ある母親(知人の知り合い)が、社会人になって3年目の娘から、「結婚を前提に交際しているカレがいるから紹介したい」といわれました。ところがその後、どういう理由かわかりませんがうまくいかなくなって、「別れたから会ってくれなくてもいい」となったそうです。ここまでならふつうの話ですが、それから2週間ほどして、母親のところに娘の元カレからメールが送られてきたといいます。

それはきわめて丁重な文面で、「娘さんと交際していましたが、自分の不徳で結婚にはいたりませんでした」とこれまでの経緯を述べたあと、最後に次のような文章が書かれていたといいます。

「今後、娘さんにつきまとったり、ストーカー行為をはたらくようなことはぜったいにありませんので、ご安心ください」

これにはさすがに仰天するのではないでしょうか。

なぜこんなことになったかというと、両親が娘に、「いちど決めた結婚の約束を解消するのだから、相手との関係をちゃんと清算しておきなさい」といったからのようです。社内恋愛とのことですから、これからも元カレに会社で会うわけで、親が心配をするのはわかります。

予想外なのは、娘と元カレの行動です。

親から説教された娘は、それをそのまま元カレに伝えます。「ちゃんとしてよ」といわれた元カレは、別れたカノジョの(会ったこともない)母親に当てて長文の謝罪と誓約(今後、ご迷惑はおかけしません)を書いたのです。

ここでもういちど私の世代の話をすると、つき合っているカレシやカノジョのことを親に話すなどということはあり得ないし、仮に親になにかいわれたとしても、それを相手に伝えるなど考えられません。ましてや、相手の親に手紙を書くなど想像をはるかに超えています。

これを聞いて思ったのは、日本の社会(の一部)では、恋愛は個人的なものから家族と共有する体験に変わっているのではないか、ということです。

いまでは大学の入学式に親が参加するのは当たり前で、新卒採用で保護者の意向を確認する「オヤカク」が企業のあいだで広がっているといいます。「個人からイエへ」という流れは恋愛だけでなく、日本社会は前近代へと回帰しているのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2016年5月9日発売号
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女性はなぜあの時に声を出すのか? 週刊プレイボーイ連載(240)

近年では、さまざまな人間の行動を進化の産物として説明することが当たり前になりました。

私たちの祖先が生きてきた旧石器時代は糖がきわめて貴重で、幸運にも甘いもの(ハチミツなど)を見つけたら限界まで食べるよう進化してきました。ところがこれは、糖質の多いファストフードが容易に手に入る飽食の時代には破滅的な結果をもたらします。こうしてアメリカでは、貧困層の肥満が社会問題になる皮肉な事態が起きたのです。

このように進化論は強い説得力を持ちますが、ときにきわめて不都合な結論を導き出します。

哺乳類では、オスとメスの生殖のコストが大きく異なります。ヒトの場合、女性は妊娠から出産まで10カ月ちかくかかり、出産後も長期にわたって授乳させないと子どもは生きていけません。このような制約から、一生のあいだに産める子どもの数はおのずから決まってきます。

それに対して男性は、生殖にほとんどコストがかかりません。これがチンギス・ハーンから大奥まで、洋の東西を問わず権力者がハーレムをつくってきた理由で、子どもの数には物理的な限界がありません。

こうした生殖の非対称性から、進化論者は「オスはメスとの稀少な生殖機会をめぐってはげしい競争をしている」と考えます。この競争にはさまざまな方法がありますが(ゾウアザラシのオスは骨格の限界まで身体を巨大化させる)、ヒトの場合、権力闘争に勝ったオスが好みの(複数の)メスを手に入れる、との説が一般的でした。たしかにこれは、人間社会における男性の行動をとてもよく説明しています。

しかしこれでは、競争から敗れたオスは子どもをつくることができません。進化の狡猾なプログラムは「手段を問わず子孫(遺伝子のコピー)を残せ」と命じるのですから、すごすごとあきらめてしまうようでは40億年の生命の歴史を生き延びられなかったでしょう。

だとしたら、弱いオスはどうやって子孫を残してきたのでしょうか。その合理的な戦略のひとつがレイプです――ここであわてていっておきますが、これは私の意見ではなく進化心理学の標準的な学説です。そしてこれが、進化論が「陰鬱な学問」として評判が悪い理由になっています。

しかしここで、「ヒトのオスがレイプするように進化したというのはほんとうなのか」と疑問を持った研究者がいました。もしそうなら、女性にとって重要なのはレイプから身を守ることで、性行為に快感を覚える理由がないからです。

しかし実際には、男性の快感は射精とともに短時間で終わるのに、女性の快感は長くつづきます。これは「レイプ説」ではうまく説明できません。

さらなる不可解は、性行為のときに女性が声をあげることです。これは人類が長い期間を過ごした旧石器時代の環境を考えると、きわめて不合理です。当時は肉食獣がうようよしていたのですから、これではわざわざ「獲物はここにいる」と教えるようなものです。

それではなぜ、女性は生命の危険を犯してまでオルガスムで声を出すように進化したのか。ここから研究者は驚くべき仮説を提示しました……というような話を集めて、『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』を出しました。興味を持ったら、つづきは本編でどうぞ。

『週刊プレイボーイ』2016年4月25日発売号
禁・無断転載

第58回 「漏れない秘密」もはや幻想(橘玲の世界は損得勘定)

中米のタックスヘイヴン、パナマの法律事務所から流出した大量の秘密ファイル(パナマ文書)が波紋を広げている。ロシアのプーチン大統領に近い関係者、中国の習近平国家主席の親族、イギリスのキャメロン首相の亡父、アルゼンチン大統領やパキスタン首相からサッカー選手リオネル・メッシまで多数の政治家・有名人がタックスヘイヴンに会社を設立して資産隠しをしていた疑いが生じたからだ。

この事件で明らかになったのは、現代社会ではもはや「守秘性」は幻想だということだ。

秘密を守るもっとも確実な方法は、秘密を知る人間の数を減らすことだ。かつてスイスの名門プライベートバンクは、顧客情報は担当者と経営者しか知らず、重要な顧客は銀行の創業者一族である経営者が担当するため、秘密が漏れる恐れはほとんどなかった。ところがその後、情報のデータベース化が進むと、顧客名簿にアクセスできる人数は飛躍的に増えた。

2008年にリヒテンシュタインの大手プライベートバンクから顧客情報が流出した事件では、電子データの移管作業をしていたエンジニアがドイツの税務当局に顧客情報を420万ユーロ(約5億3000万円)で売りつけた。グローバル銀行HSBCのジュネーブにあるプライベートバンクから13万件近い顧客情報が流出した09年の「スイスリークス事件」では、首謀者は“正義の人”になって著書まで出したことで話題になった。今回の流出元も金銭は求めていないようだが、貴重な情報へのアクセスが容易になれば、個人的な利益や思想信条などで秘密を暴露しようと思う人間が出てくるのは当然なのだ。

パナマ文書の詳細は不明だが、法律事務所はタックスヘイヴンでの会社設立を代行するだけなので、会社名、取締役、資本金などの登記情報を保有しているだけだ。ただし出資金の内訳などから、なんのための会社かわかる場合もある。

報道を見るかぎり、夫婦でパナマに投資会社を保有していたアイスランドの首相がやったのは「ハゲタカファンド」の手法で、世界金融危機で破綻寸前の銀行の社債を紙くず同然で買い集め、債権者集会で主導権を握ろうとしたのだろう。手口を隠すためにタックスヘイヴンを利用することは違法ではないが、一国の首相がこんなことをやれば国民が怒るのは当たり前だ。

先進国の政治家の名前があまり出てこないのは、度重なるリークで、タックスヘイヴンを使うことが割が合わなくなったからだろう。キャメロン首相の苦境を見ればわかるように、公人には説明責任が問われるのだ。それに対して新興国ではいつ政変で地位を失うかわからないから、権力者は家族などの名義で資産を海外に移して保険をかけようとする。

タックスヘイヴンの法人設立は、ほとんどはプライベートバンクが仲介する。すでに大手金融機関の名前が出ているが、今後、疑惑の追及が銀行口座にまで及ぶようなことになれば、資産隠しの詳細が明らかになってさらなる激震が走るだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.58:『日経ヴェリタス』2016年4月24日号掲載
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