「リベラル」が嫌いなリベラリストへ

新刊『リベラル」がうさんくさいのには理由がある』の「まえがき」を、出版社の許可を得てアップします。

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最初に断っておきますが、私の政治的立場はリベラリズム(自由主義)です。

故郷に誇りと愛着と持つという意味での愛郷心はありますが、国(ネイション)を自分のアイデンティティと重ねる愛国主義(ナショナリズム)はまったく肌に合わず、国家(ステイト)は個人が幸福になるための「道具」だと考えています。

神や超越的なもの(スピリチュアル)ではなくダーウィンの進化論を信じ、統計学やゲーム理論、脳科学などの“新しい知”と科学技術によって効率的で衡平(公平)な社会をつくっていけばいいと考える世俗的な進歩主義者でもあります。

自由や平等、人権を「人類の普遍的な価値」とする近代の啓蒙思想を受け入れ、文化や伝統は尊重しますが、それが個人の自由な選択を制限するなら躊躇なく捨て去るべきだとの立場ですから、最近では「共同体主義者(コミュニタリアン)」と呼ばれるようになった保守派のひとたちとも意見は合わないでしょう。

しかしそれ以上に折り合えないのは、日本の社会で「リベラル」を名乗るひとたちです。なぜなら彼らは、リベラリズムを歪曲し、リベラル(自由主義者)を僭称しているからです。

私が大学2年生だった1979年、日本を代表する経済学者(当時はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授)で、「ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人」といわれた森嶋通夫氏の平和論が話題になりました。

その頃、朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』などに登場する「リベラル」な知識人は、憲法9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれているのだから自衛隊の存在そのものが違憲で、日本はアメリカにもソ連にも与しない「非武装中立」を選ぶべきだと唱えていました。

だったら敵が攻めてきたらどうするのかというと、1973年の長沼基地訴訟で自衛隊を違憲とした札幌地裁の裁判官は、判決にこう書きました。

 たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる。

これはなにかの冗談ではありません。当時、「リベラル」な知識人たちから“名判決”と称賛され、大真面目に議論されていたのです。

しかしその後、「アメリカが日本を侵略することは考えられないから、攻めてくるとしたらソ連だろうが、警官のピストルと民衆の“竹やり”で戦車や砲爆撃に対抗するのか」というもっともな疑問が出てきました。非武装中立論者はこの批判にこたえられず窮地に陥るのですが、ここで登場するのが森嶋教授です。以下は、月刊『文藝春秋』(1979年7月号)に掲載された「新『新軍備計画』」の一説です(〔 〕は引用者註、以下同)。

 万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。日本中さえ分裂しなければ、また一部の日本人が残りの日本人を拷問、酷使、虐待しなければ、ソ連圏の中に日本が落ちたとしても、立派な社会ーたとえば関氏〔関嘉彦早大客員教授〕が信奉する社会民主主義の社会ーを、完全にとはいえなくても少くとも曲りなりに、建設することは可能である。

もういちどいいますが、これもジョークの類ではありません。のちに社会党委員長となる石橋政嗣はこの文章に感銘を受け、「われわれは一九四五年八月一五日に降伏した経験を持っているのです。あれは間違いだったと言う者がほとんどいないのも事実ではないでしょうか」と、「無条件降伏」を前提とする非武装中立を唱えました(稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』文春文庫)。

当時20歳だった私はこの議論を知って、このひとたちの頭はどうかしているのではないか、と思いました。ソ連(当時、「強制収容所国家」であることはすでに知られていました)に無条件降伏すると決めるのではなく、そのようなことが起こらないよう備えればいいだけだからです。ところが森嶋教授をはじめとして非武装中立を主張するのは、「戦後民主主義」を代表する“もっとも賢いひとたち”だったのです。

このときから私は、「日本の“リベラル”はうさんくさい」と疑うようになりました。そしてそれが、世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムとはかけ離れた、日本独自の奇怪な思想であることを知ることになります。

もちろんこうした批判は珍しいものではありませんが、その多くは保守派・右翼の側からのもの(罵倒)です。そのため「リベラル」を批判すると、問答無用で「右翼」のレッテルを貼られ「知識人」から排除される横暴がまかり通ってきました。こうして「リベラル」に疑問を持つリベラリストは、この国では居場所がなくなってしまったのです。

その後、経済に興味を持つようになると、「リベラル」への違和感はますます大きくなってきました。経済学(とりわけマクロ経済学)のすべてが正しいとはいえませんが、統計データや実験に基づいて「科学」として日々検証されていることは間違いありません。それに対して「リベラル」な文系知識人は、自分たちの生半可な知識(哲学)によってアダム・スミス以来の膨大な知の堆積を無視し、荒唐無稽な批判を繰り返してきたのです。

2014年8月、朝日新聞は慰安婦問題の誤報を認め、「韓国・済州島で朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」との日本人関係者の証言を撤回・謝罪しました。この証言は1990年代はじめには歴史学者から捏造を指摘されていましたが、日本を代表する「リベラル」な新聞社はこの事実を認めるまで20年もかかったことになります。このスキャンダル(および福島第一原発の故吉田所長の調書をめぐる誤報)が日本の「リベラル」勢力に壊滅的な打撃を与えました。

彼らはいったい、どこで、なぜ間違えたのでしょうか。そして、どうすれば「過ち」を犯さずにすんだのでしょうか。

それをまず、70年前の沖縄まで遡って考えてみることにしましょう。

『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』発売のお知らせ

集英社から『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』が発売されます。

発売は5月26日(木)ですが、都内の書店では明日の夕方から店頭に並ぶと思います。電子書籍版はすこし遅れますが、6月10日(金)からダウンロード可能になる予定です。

書籍版はこちらから予約注文できます。

『週刊プレイボーイ』の連載をまとめた単行本の3冊目ですが、巻頭の「「リベラル」の失敗-「沖縄『集団自決』裁判とはなんだったのか」は60ページの書き下ろしです。

「歴史認識」が国際問題になるにつれて、「過去を直視する責任」が問われるようになりました。しかしはたして、一般市民が歴史資料を渉猟し、客観的な立場で現代史を評価できるのか。そして、“リベラル”を自称するひとたち自身が過去を「直視」しているのかを、沖縄戦を例に検証してみたものです(この取材で沖縄と奄美を訪れました。そのときの写真も近日中にアップする予定です)。

日本の「リベラル」はどこかうさんくさい、と思っている、「リベラル」が嫌いなひとにこそ読んでほしい本です。

なお、発売中の『言ってはいけない』『「読まなくてもいい本」の読書案内』からのスピンオフ(R指定版)ですが、本書は『「読まなくくてもいい本」~』PART5「功利主義」で述べたことを日本社会のさまざまな出来事に適用しています。私のなかではこの3冊は同じテーマを別の角度から描いたものなので、合わせてお読みいただければ幸いです。

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消費税引き上げを延期しても家計が苦しくなる理由 週刊プレイボーイ連載(242)

2017年4月から消費税を10%に引き上げるかどうかが議論になっています。ここで、消費税が2%上がることと、それ以外の税・社会保険料のコストをざっと計算してみましょう。

年収300万円でかつかつの生活をしている若者で考えてみます。貯蓄の余裕はまったくないでしょうが、家賃には消費税はかかりません。アパート代を年80万円(月額約6万5000円)とすると、残りの220万円が消費に当てられます。税率8%なら消費できるお金は約204万円、税金は約16万円です。これが10%に上がると200万円+税20万円ですから年間4万円の増税になります(食品等には軽減税率が適用されます)。

それに対して所得税は、サラリーマンの場合、給与所得控除など各種控除を差し引いた課税所得約120万円に5%の所得税率が課されて6万円、住民税は東京都区部で約4万円で計10万円です。自営業者は仕事に必要な経費を差し引いて自分で課税所得を計算するのですが、ここでは同じ税額としましょう。

この若者がアルバイトなどで生計を立てていると、国民年金の保険料は月額1万6260円(平成28年度)なので、年19万5120円です。

国民健康保険は医療分・支援分・介護分(40~64歳)に分かれ、さらに均等割と所得割があって複雑なのですが、東京都区部の1人世帯では、概算で39歳以下なら年約18万円(40歳以上で約22万円)になります。ざっくりいうと、国民年金と国民健康保険で約37万円(40歳以上で約41万円)が徴収されるのです。

この負担をもういちど整理してみましょう。

年収300万円の自営業の場合、消費税負担が約16万円、所得税・住民税が約10万円、社会保険料(年金+健康保険)が約37万円(39歳以下)です。これをすべて足すと約63万円で、総収入(300万円)に対する負担率は21%。年収300万円のフリーターでも月約5万円を税・社会保険料として支払い、実際に生活費として使えるのは月額20万円弱しかないことになります。

こうして見ると、家計を圧迫しているのは「税金」以上に、年金・健康保険料なのは明らかです。そしてこの社会保険料は、気づかないうちにどんどん値上げされているのです。

国民年金は10年のあいだに17%以上も引き上げられました。国民健康保険は計算方法が複雑に変わっていますが、1990年代に比べてほぼ2倍になっています。こんなに負担が重くては、年金や健康保険料の滞納が増えるのも当然です。そのうえこの引き上げは、厚生労働省や自治体が国会などの審議なしに勝手に決めているのです。

だったら低所得者層の負担を減らせばいいのでしょうか。実はそうもいきません。高齢化で社会保障費用がどんどん膨らんで、日本の財政はにっちもさっちもいかなくなっているからです。ここでは自営業者を例にあげましたが、負担はサラリーマンの方がさらに重く、健保組合の保険料は9年連続の引き上げで負担増は5万円を超え、2020年にはさらに15万円増えると経団連は試算しています。

ひとびとは2%の消費税引き上げで大騒ぎしますが、不思議なことに、それよりさらに金額の大きな社会保険料についてはなにもいいません。たとえ消費税率を据え置いたとしても、社会保険料で毎年「増税」しているのでは、家計は苦しくなるばかりで景気がよくなるはずもないのです。

『週刊プレイボーイ』2016年5月16日発売号
禁・無断転載