市場の倫理と統治の倫理


お金はなぜ汚いのか?

ぼくたちはみんな、お金に対して本能的な忌避感を抱いている(お金は汚い)。これは、お金が愛情や友情と対立すると思っているからだ。

友人の家に招かれて、プレゼントの代わりに現金を渡せばびっくりされるだろう。恋人とのデートで、セックスの後に3万円払えば売春になってしまう(というか、もっと大変なことになる)。3万円の指輪をあげれば、すごく喜ぶのに。

これは、プレゼントを選ぶ過程に愛情が込められている、とされているからだ。だからぼくはたちは、お中元やお歳暮を贈るときも、現金をわざわざ商品券に換えたりする。儀礼的な贈答に愛情なんか関係ないし、現金ならどの店でも使えるのに、わざわざ不便にしているのだ。 続きを読む →

リバタリアニズムとコミュニタリアニズム


『残酷な世界~』が無事に出版できてすこし余裕ができたので、みなさまからのお問合せにお答えしたいと思います(遅くなってすみません)

▼タダシさんからのご質問

Q 『これからの「正義」の話をしよう』というリバタリアニズム的な話を扱った本が流行っていますが、この著者のスタンスについて橘さんはどういう感想をお持ちでしょうか?

サンデル教授の本によって、日本でもリバタリアニズム(自由主義)、コミュニタリアニズム(共同体主義)、リベラリズム、功利主義という枠組で「正義」や政治哲学が語られるようになったのは素晴らしいことだと思います。それ以前は、「右翼」と「左翼」、「保守」と「革新」という骨董品のような道具立てしかなかったのですから。

『残酷な世界~』で「政治空間(愛情空間/友情空間)」と「貨幣空間」の話を書きましたが、コミュニタリアニズムは政治空間の論理(統治の倫理)、リバタリアニズムは貨幣空間の論理(市場の倫理)に相当します。

統治の倫理(武士道)と市場の倫理(商人道)はどちらが正しいというものではなく、いずれも社会や人生にとって大切な価値を提供してくれますが、水と油のように相反する原則で構成されています。そのため、政治空間と貨幣空間がぶつかる領域で「正義」をめぐる深刻な対立が生じます。

「正義」がゆらいでいるように見えるのは、貨幣空間が政治空間を侵食することで、統治の倫理が市場の倫理に置き換えられているからだと思います。

このことについては、いずれ機会があれば書いてみたいと思います。

Q リバタリアニズムに関する本は『不道徳教育』が一番だと私は思っているのですが、文庫本化する予定はないのでしょうか?

『不道徳経済学』とタイトルを変えて文庫化の予定です。いま、権利関係を調整してもらっています。

▼工藤アキオさんからのご質問

Q 「マネーロンダリング」や「永遠の旅行者」のような最新の金融知識を盛り込んだハードボイルドな長編小説も今後書いて頂けないでしょうか。日々残酷な世界で生き延びなければならない時代だからこそ、正統派ヒーローの再登場を待っているファンの方々も結構いると存じます。

同じようなご要望をたくさんいただいています(ありがたいことです)。

準備は進めていて、来年中にはみなさまにお見せできるようなかたちにしたいと思っています。

黄金の羽根と残酷な世界


本を読まれた方はお気づきと思いますが、『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』「はじめに」は、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』のエピローグ「新宿中央公園のホームレス」とつながっています。これは意図的にそうしたわけではなく、自分でもわからない理由によってなぜかそうなってしまいました。たぶん、同じことを考えつづけ、同じ場所をぐるぐると回っているからでしょう。

「自己啓発」はいつも私たちを魅了し、裏切ります。『残酷な世界~』は、脳科学や行動遺伝学、進化心理学の最新の成果を使うことで、自己啓発の謎を解明できるのではないか、という発想から生まれました。

このアイデアは、『亜玖夢博士のマインドサイエンス入門』を書いているときに、突然、思いつきました。読み比べていただくと、どの話がどこにつながっているのかわかると思います(と、ついでに小説の宣伝もしてしまいました)。