国際金融ミステリー『タックスヘイヴン』発売のお知らせ

このたび幻冬舎から国際金融ミステリー『タックスヘイヴン』が刊行されました。前作『永遠の旅行者』から9年ぶりの書き下ろし小説です。

Amazonではすでに予約が始まっています。書店店頭には10日に並びますが、都内の大手書店では明日のところもあるようです。

本作の舞台は東南アジア最大の金融センター・シンガポールで、「1000億円を運用する」といわれた日本人ファンドマネージャーが高層ホテルから墜落死するところから物語が始まります。

小説の舞台を追体験できる「Tax Haven Photo Tour」の特設ページが開設されています。

ファンドマネージャーの妻・紫帆は、高校時代の同級生で翻訳の仕事をしている牧島に、夫の遺体を引き取りにシンガポールに同行してくれるよう頼みます。現地で二人はスイス系プライベートバンクの取締役に呼び出され、紫帆の夫が莫大な負債を抱えていることを告げられます。窮地に陥った彼らが思い出したのは二人の高校時代の友人で、外資系金融機関を退職してフリーの金融コンサルタントになった古波蔵佑でした。こうして三人は国際金融の謀略に巻き込まれていきます。

私の作品としては、処女作『マネーロンダリング』に近い世界になったと思います。お楽しみいただけたら幸いです。

クリミア問題から「従米」と「自主」を考える 週刊プレイボーイ連載(141)

ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが併合したことが重大な国際問題になっています。

ロシアのプーチン大統領は、住民投票によって圧倒的多数がロシアへの編入を支持したのだから「完全に民主的で合法的だ」といいます。しかし国の憲法や法律を無視して各地域が勝手に住民投票を行ない、独立や他国への編入を決めるのでは、近代を支える主権国家の仕組みの全否定になってしまいます。欧米諸国が「併合はぜったいに受け入れられない」とするのは当然です。

しかしその一方でクリミア半島が複雑な歴史を抱えていて、「ロシアの侵略」と単純に決めつけられないのも確かです。ヨーロッパでも危機感が強いのはポーランドなど東欧の国で、ロシアとの経済的な関係が強いドイツでは「旧ソ連邦の特殊な出来事」として制裁に消極的な意見が多数派のようです。

クリミア半島をめぐる争いは、政治が権力闘争だということをよく示しています。権力者が政治的決断をするときに考えるのは、次の3つのことです。

(1)国益を最大化する

(2)自分の権力基盤を強化する

(3)政敵の権力基盤を弱体化させる

政治家はこれらの複雑な組み合わせの中から、功利主義的に最大の利益を獲得する選択を行ないます。このときもっとも重要なのは自分の権力基盤で、国益はしばしば二の次になります。外交上の判断がどれほど正しくても、権力を失ってしまえば意味がないからです。

そう考えると、国民がクリミア併合に熱狂する中で、プーチンにはそれ以外の選択肢はありませんでした。欧米の首脳もそれはわかっていますが、併合を容認することはできず、世論を見ながら着地点を探ろうとしているのでしょう。

日本にとってクリミア半島は安全保障になんの関係もなく、対岸の火事でしかありません。またロシアとの間には北方領土問題を抱え、平和条約も締結していません。欧米諸国とは条件が異なる以上、追及する利益にも違いが出るのは当然でしょう。

もっとも無難な政治判断は、欧米と歩調を合わせてロシアの制裁に参加することです。これはリスクはありませんが、ロシアとの関係は冷え込むでしょう。

それとは別に、欧米と距離を置き、ロシアに貸しをつくって北方領土交渉を進めるという政治判断も考えられます。こちらは米国の強い反発を招くでしょうが、領土問題に決着をつけて平和条約を締結できれば歴史に名を残す偉業になるのは間違いありません。

近頃は日本の外交を「対米従属」と「自主」に分類し、レッテルを貼るのが流行っています。この視点ではロシアへの制裁が「従米」、併合容認が「自主」ということになるでしょう。

しかしいうまでもなく、このようなレッテル貼りになんの意味もありません。「従米」か「自主」かは政治家個人のイデオロギーではなく、その時々の状況で功利的に決まるからです。

ウクライナの政治家たちも、「従ロシア」と「自主」の間で複雑なゲームを行なっています。他国の政治は客観的に観察できても、自分の国になると陰謀史観にとらわれる――悲しいけれどこれが人間の性なのでしょう。

  『週刊プレイボーイ』2014年3月31発売号
禁・無断転載

“裏切り者探し”ほど楽しいゲームはない 週刊プレイボーイ連載(140)

かんたんなクイズです。

「テーブルの上にA、K、4、7と書かれた4枚のカードが置かれています。カードの裏にも、同じようにアルファベットと数字が書かれています。このとき、“母音の裏には必ず偶数がある”というルールが成り立っているかどうかを確かめてください。ただし、カードは2枚しかめくれません」

この問題は、論理学の対偶を知っているとすぐに解けます。“PならばQである“という肯定式と、その対偶である“QでないならばPでない”という否定式は常に真偽が等しいはずです。「表が母音なら裏は偶数」の対偶は、「表が奇数なら裏は子音」ですから、母音の“A”で肯定式を、奇数の“7”で否定式を調べてみればいいのです。

では次のクイズです。

「あなたは居酒屋の店員で、4人の若者がビールとコーラを飲んでいます。若者は胸に番号札をつけていて、あなたは手元の名簿で彼らの年齢を知ることができます。このとき、店長から“未成年者に酒を飲ませてはいけない”といわれたらあなたはどうしますか?」

これは、すこし考えれば誰でも正解にたどり着けるでしょう。ビールを飲んでいる客が成人しているかどうかを調べ、名簿にある未成年がなにを飲んでいるかを確認すればいいのです。コーラを飲んでいる客の年齢を調べたり、成人している客の飲み物をチェックしてもなんの意味もありません。

ところでこの2つは、実はまったく同じ問題です。“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という肯定式の対偶は、“20歳未満ならビールを飲んではならない”という否定式ですから、ビールを飲んでいる客の年齢と、20歳未満の客の飲み物を調べればいいのです。

しかし「居酒屋問題」に即答できるひとも、抽象度の高いクイズには戸惑います。これは私たちが、同じ問題を別の方法で解こうとしているからです。

「居酒屋問題」は、“ビールを飲んでいいのは20歳以上だけ”という掟があり、それに違反している者を見つけるというゲームです。私たちは論理学や対偶などなにひとつ知らなくても、このような「裏切り者」をたちまちのうちに探し出すことができます。

ヒトは石器時代からずっと集団の中で暮らしてきました。利己的な人間が集まる集団に秩序をもたらすためには、ルールに違反した裏切り者を素早く見つけて処罰しなければなりません。このようにして脳は、進化の過程の中で“裏切り者感知システム”を高度化させてきたのです。

道徳というのは正義をめぐる感情で、喜びや悲しみと同様に進化のなかでつくられてきました。私たちは集団の中から裏切り者を探し出し、バッシングするのが大好きです。この社会で起きる不愉快な出来事の多くは、多数派の大衆がこれを“正義”の名において行なうことが原因ですが、ヒトがヒトであるかぎり私たちはこのやっかいな性癖から逃れることはできないのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2014年3月24発売号
禁・無断転載