マイナス金利で「不思議の国のアリス」の世界がやってくる? 週刊プレイボーイ連載(232)

マイナス金利は、日銀のリフレ政策をさらにパワーアップし、日本経済をデフレから脱却させる秘密兵器だそうです。黒田日銀総裁がマイナス金利を宣言した直後はたしかに円安が進みましたが、その後は急速な円高・株安になり金融市場の動揺が収まる気配はありません。金利がマイナスになるという奇妙な出来事は、私たちの暮らしにどのような影響があるのでしょうか。

マイナス金利を最初に導入したのは2009年7月のスウェーデンで、12年7月にデンマークが続き、14年にはユーロ圏(ECB)とスイスがマイナス金利に踏み切りました。ヨーロッパでは、マイナス金利はもはや日常です。

それでどうなったかというと、結論は「たいして変わらない」です。

マイナス幅が0.65%ともっとも大きいデンマークではお金を借りると利息がもらえる住宅ローンが登場し、コペンハーゲンなどの不動産価格がバブル期以上に高騰しています。マイナス成長だった経済も14年以降は1%台前半の成長を取り戻しました。このように一部の住宅市場を過熱させる効果はあるようですが、それがたんなるバブルなのか、実体経済に波及して経済成長を後押しできるのかは、マイナス金利導入から3年以上経っても結論が出ていません。

マイナス金利の政策上の問題は、下げ幅に限界があることです。預金金利がマイナス10%の世界を考えてみましょう。銀行にお金を預けていると毎月1%ちかくお金が減っていくのですから、こんなバカバカしいことをするひとはいないでしょう。預金がすべて引き出され、自宅の金庫などにしまわれてしまうと、金融機能が停止してしまいます。

その一方で、大金を自宅に置いておくためには、頑丈な金庫を購入するなどのコストがかかります。それを考えれば、多少のマイナス金利は「貸し金庫代」としてしかたがないと思うひともいるでしょう。

だったら、金利の下限はどこにあるのでしょうか。スイス銀行はこれをマイナス1.25%とし、そこまで短期金利を誘導しようとしています。これが普通預金に適用されると、100万円の預金に対して年1万2500円、月額約1000円の「保管料」がかかることになります。

一般の預金金利までマイナスにするのは劇薬なので、“先進国”のデンマークですらごく一部の銀行を除いて「お金が減っていく」ことはありません。その代わり金融機関は、ATM使用料などさまざまな手数料を引き上げて収益減を補おうとしています。

マイナス金利に政策として限界があるのは、現金という代替手段があるからです。電子マネーのみにして、短期金利に合わせて減価していくようにすれば、どこまでも金利をマイナスにできます。実際、「実験国家」であるノルウェーでは、大手銀行が政府に対して「現金廃止」を要請したとのことです。

もしそうなれば、「お金を預けるとお金が減り、お金を借りるとお金が増える」という『不思議の国のアリス』のような世界がやってくるでしょう。もっとも、これまだずっと先のお伽噺でしょうが。

『週刊プレイボーイ』2016年2月29日発売号
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覚醒剤じゃなくても、みんななにかに依存している 週刊プレイボーイ連載(231)

元有名野球選手が覚醒剤所持・使用容疑で逮捕されました。報道によれば選手時代から覚醒剤を常用していた疑いもあり、近年は完全な依存状態になっていたようです。

健康への影響がタバコよりも少ないマリファナが欧米で解禁されつつあるのに対し、覚醒剤(アンフェタミン)やヘロイン、コカインなどはハードドラッグと呼ばれ、強烈な快感と強い依存性から法できびしく取り締まるのが当然とされてきました。ところがノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンやゲイリー・ベッカーらは、マリファナはもちろんハードドラッグも合法化して酒やタバコと同様に市場で取引できるようにすべきだと主張しています。

彼らはもちろん、ドラッグの危険性を軽視しているわけではありません。しかしアメリカにおけるドラッグ・ウォーズを振り返るなら、規制や取締りはほとんど効果がなく、麻薬組織はあいかわらず莫大な利益をほしいままにし、供給側の中南米の国々の治安を破壊しています。また近年のきびしすぎる量刑は、巨額の税金を投じて末端のドラッグディーラーを大量に刑務所に収監することで、黒人やヒスパニックなどマイノリティのコミュニティを危機に陥れました。黒人女性の未婚率や母子家庭の割合が極端に高いのは、若い黒人が刑務所にいるからなのです。

米国での調査では、ハードドラッグ体験者のうち95%は中毒になる前に使用をやめており、依存症になるのは5%程度です。このひとたちはさまざまな理由から依存状態になりやすく、ドラッグを禁止すれば非合法な手段で手に入れようとするか、大量飲酒など他の有害な行動をとるようになります。医師のなかにも、ドラッグよりも酒(アルコール)の方が有害だと考えるひとはたくさんいます。だとすれば、ハードドラッグを合法化し、法の下で製造・販売を管理して、そこからの税収を依存症への治療に充てたらどうでしょうか。

麻薬を合法化すれば地下組織は壊滅し、刑務所に収監される犯罪者の数も激減し、高価な麻薬を入手するための衝動的な犯罪も減るでしょう。麻薬供給国の治安は劇的に改善し、アフガニスタンのタリバーンのようなテロ組織がケシを資金源にすることもできなくなります。麻薬依存症はアルコール依存症などと同じく、犯罪ではなく治療の必要な病気として扱われるべきです。

依存症を引き起こすのは、酒や麻薬だけではありません。セックスや恋愛でも脳内にドーパミンなどの快楽物質が分泌されることがわかっており、セックス依存症や恋愛依存症が社会問題になりつつありますが、これを法で禁止すれば国民がいなくなってしまいます。過激なナショナリストはアイデンティティを国家に依存していますが、国家が国家を禁ずることはできません。IS(イスラム国)のテロが明らかにしたようにもっとも危険な依存の対象は宗教でしょうが、神を違法にすることもできません。

けっきょくのところ、すべてのひとが、多かれ少なかれなにかに依存して生きているのです。私たちは、そんなに強いわけではありません。

だとすれば、必要なのは特定の依存症患者を袋叩きにすることではなく、彼らが社会復帰できるよりよい仕組みをつくっていくことでしょう。このような視点があれば、退屈な芸能ニュースにも多少は深みが出ると思うのですが。

参考:ゲーリー・S. ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』

『週刊プレイボーイ』2016年2月22日発売号
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誰もが不道徳を知っているが、誰もそれを説明できない 週刊プレイボーイ連載(230)

人気バンドのボーカリストと女性タレントの不倫が話題になっていますが、見ず知らずの男女の浮気で被害を受けるひとなどどこにもいないのですから、なにがこれほどひとびとを興奮させるのか不思議です。ほめられたことではないとしても、もし知り合いが同じ状況なら「バレるようなことをしたのがマズかったね」と同情するか、「そこまでこじれたら元の鞘に戻るのは無理だから、弁護士に相談しなよ」とアドバイスする類の話でしょう。「既婚者の3割は浮気している」といわれるくらい、不倫はありふれた出来事なのです。

社会的な動物であるヒトは、噂を極度に気にするように進化してきました。いつもテレビで見ている芸能人を近しい存在のように錯覚するのも、自分を「被害者」と一体化して「加害者」に怒りをぶつけるのも人間の本性です。芸能人はこうした錯覚を利用して富と名声を得ているのだから、相応の代償を払うのは当然との意見もあるかもしれません。しかしそれでも、一般人の浮気には寛容で、芸能人が不倫すると社会的に抹殺するのではとうていフェアとはいえません。

「道徳」の特徴は、なにが不道徳かを知っていても、その理由を説明できないことです。ある心理学者が、「実の姉妹と避妊したうえでセックスすること」「捨てられていたアメリカ国旗でトイレ掃除をすること」「自動車事故で死んだ犬を飼い主が食べること」が道徳的かどうか訊いたところ、すべてのひとが「不道徳」と即答しました。しかしなぜそれをやってはいけないのか質問すると、説明できたひとは一人もいなかったのです。

こうした「不道徳な行為」に共通するのは、他人になんの迷惑もかけていないことです。しかしそれでも、ひとびとはそれが断罪されて当然だと考えます。だとしたらそこには、なんらかの人為的な基準があるはずです。

不道徳な行為に制裁を加えることはすべての社会に共通しますが、なにを不道徳とするかは文化によって異なります。宗教的な社会では、不倫は死によってあがなう大罪とされます。保守的な社会では、一夫一妻制を守るために不倫には民事上の罰を与えるべきだとするでしょう。しかし個人主義を徹底した社会は、誰を好きになるかは個人の自由で、トラブルは当事者間で解決すればいい(第三者には関係ない)と考えるかもしれません。道徳の基準が曖昧だからこそ、他者を断罪するのに自分以外の多くの人間の同調を必要とするのです。

一般に、道徳は宗教的なものから保守的(共同体的)な段階を経て個人主義的なものへと「進歩」していくとされます。だとしたら、「不倫は悪」という古い道徳に対抗するには、事実を素直に認めたうえで、「これは自分たちの問題だから自分たちで解決します」と個人主義の道徳でこたえればよかったのかもしれません。

とはいえ、退屈したひとたちが刺激を求めている社会では、これもどれほど効果があるかは疑問です。

他人を道徳的に攻撃すると、脳の快感を司る部位がはげしく活性化することがわかっています。道徳は最大の娯楽のひとつですが、それを認めるのは不都合なので、ひとびとは怒りによって自分の「不道徳」を正当化しようとするのです。

『週刊プレイボーイ』2016年2月15日発売号
禁・無断転載