クリントンは真夏のビーチでアイスクリームを売る場所を間違えた 週刊プレイボーイ連載(267) 

たんなるテレビ芸人と思われていたドナルド・トランプがアメリカ大統領になり、世界じゅうが呆然となりました。この事態をメディアも専門家も(そして私も)まったく予想できず、後づけで知ったかぶりの理屈をこねても信用されないでしょうが、ポイントは「中位投票者定理」にあります。

あなたは真夏の混み合ったビーチでアイスクリームを売ろうとしていますが、一等地にはすでに別のアイスクリーム屋が店を構えています。このときあなたは、ライバルを避けて別の場所で商売を始めようと考えるかもしれませんが、じつはこれではうまくいきません。なぜなら、ライバルの隣で同じアイスクリームを売ることで売上を最大化できることが数学的に証明されているからです。ビーチの真ん中にしか店がなければライバルと顧客を折半できますから、閑散としたビーチで商売するよりずっと儲けが大きいのです。

この定理が成立するにはいくつかの前提条件が必要ですが、全国の有権者を相手に共和党と民主党の候補が1対1で争う米大統領選はその典型とされてきました。特定の人種を優遇し、他の人種を差別する候補は、一部からは圧倒的な支持を受けるでしょうが、それ以外の有権者から総すかんを食ってしまうのです。

アメリカの白人比率は約6割で、共和党候補は毎回60%程度の支持を獲得していますが、これでは全体の4割にも達しません。当選するには、ヒスパニック系(約18%)や黒人(約12%)からの支持がどうしても必要なのです。このように考えると、共和党主流派や保守派のメディア・知識人からも大統領失格の烙印を押され、少数派(マイノリティ)を敵に回したトランプが大統領になる可能性はありません。それに対してクリントンは、中立的な位置を確保するだけで極端なことを嫌う有権者を総取りできるのですから、戦略上、負けるはずはなかったのです。

では「定理」が間違っているのでしょうか。選挙結果の詳細な分析はこれからですが、クリントン陣営の敗因は「中位」の場所を見誤っていたことにありそうです。

今回の選挙で驚きなのは、「メキシコ人(不法移民)は強姦犯」との暴言にもかかわらず、ヒスパニックの3割もがトランプに票を投じたことです。これは米国籍を取得し経済的に成功した中流ヒスパニック層が「自分たちは不法移民とは違う」と考えたからであり、貧しいヒスパニックも新たな移民の流入を脅威とみなし、「メキシコとの国境に万里の長城を築く」ことを求めたからでしょう。

クリントンが移民にきびしい態度をとっても、支持者は他に選択肢がないのですから投票先を変えることができません。不人気な「オバマケア(医療保険制度改革)」を守ろうとするなら、移民問題に関しては良識ある態度で「万里の長城」を主張すればよかったのです。これが「中位投票者定理」の最適戦略で、要は相手の真似をするのです。

今回の大統領選が明らかにしたのは、オバマ政権の8年間で、アメリカの政治地図の「中位」が大きく右に動いていたということです。ところがクリントン陣営は、リベラルと右派のイデオロギー対立に気をとられ、間違った場所でアイスクリームを売ろうとして、いつのまにかビーチの一等地を取られてしまったのです。

『週刊プレイボーイ』2016年11月21日発売号
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第63回 マイホーム偏重のワナ (橘玲の世界は損得勘定)

地球温暖化の影響からか世界的に台風が大型化し、今年は日本各地で大きな被害が出た。それに加えて熊本を中心に大地震が起き、いまも避難生活を余儀なくされているひとたちがいる。

東日本大震災で明らかになったように、被災者の生活再建で最大の障害は住み慣れた家を失うことだ。住宅ローン返済中に家が地震で倒壊したり、津波で流されても負債はそのまま残る。新たに家を建てようとするとまた住宅ローンを組まなければならないが、最初のローンが免責されるわけではない。

さまざまな支援策が整備されてきたとはいえ、「二重ローン」問題の解決は容易ではない。一方的な債務放棄を認めれば債権者の権利を侵害するばかりか、余儀ない事情で二重ローン状態になったほかのひととの平等に反するからだ。

根本に立ち返ってこの問題を考えると、被災者を経済的苦境に追いやったのは家を失ったことではなく、資産を失ったことだ。

資産運用の基本は分散投資で、「タマゴはひとつのカゴに盛るな」の格言で知られている。大航海時代に新大陸に向かう貿易船に出資した商人たちは、難破や海賊のリスクに対処するために複数の船団に資金を分散し、出資額に応じて利益の一部を受け取ることにした。これが株式会社の起源で、利益が減るかわりに船が沈んで全財産を失うようなこともなくなる。

日本人の資産運用は、「マイホーム」という不動産資産に大きく偏っている。これは日本にかぎったことではなく、アメリカでも(資産を持つ)国民の6割は不動産以外の資産を保有していないという。

借金(ローン)でマイホームを取得するのは、資産運用理論では株の信用取引と同じだ。レバレッジをかけた信用取引は利益も大きいが、株価が下落すると損失も膨らむ。「ハイリスクハイリターン」のこの仕組みは住宅ローンによるマイホーム取得でも同じだが、このことを指摘する専門家はほとんどいない。

自然災害などで不動産資産が毀損すると、レバレッジがかかっている分だけ損失が膨らみ、資産の大半を失ってしまう。断っておくが、これは被災者の自己責任を問題にしているのではなく、経済的な苦境の理由を正しく認識しなければ効果的な対策は立てられないということだ。

では、どうすればいいのか。それは基本に立ち返って、資産を分散投資することだ。賃貸物件に暮らし、株式やREIT(不動産投資信託)で資産を運用していれば、自然災害で住むところを失っても、別の賃貸住宅に引っ越してすぐに生活を再建できる。不動産の損失は、REITであれば、世界じゅうの投資家が出資額に応じて負担することになる。いうまでもなく、このほうがずっと経済合理的だ。

だったらなぜこんな簡単なことができないのか。その理由はいうまでもなく、マイホームへの欲望をかきたてないと困るひとたちがたくさんいて、彼らが賃貸物件に住みにくくさせ、「タマゴをひとつのカゴに盛る」よう国民を政策的に誘導しているからなのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.63:『日経ヴェリタス』2016年11月13日号掲載
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大麻バッシングは日本の「精神の貧困」の象徴 週刊プレイボーイ連載(266)

参議院選挙にも出馬した元女優が大麻取締法違反で逮捕されたことが、ワイドショーなどで連日大きく報じられました。大麻合法化を公約に掲げて選挙に立候補した以上、確信犯なのでしょうが、残念なのは、離島での暮らしや奇矯な言動が大麻(マリファナ)についての主張といっしょくたにされてしまったことです。

元女優が男性4人と暮らすのは自由ですが、「ふつう」ではないかもしれません。しかし大麻の所持や使用は、いまや先進国では違法とするほうが少数派になっています。

オランダでは早くも1970年代に大麻が解禁されましたが、イギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの主要国でも、法律上は違法とされていても個人による栽培・使用は放任されているのが実情です。アメリカでは州ごとに規制が異なりますが、医療用大麻は多くの州で合法化され、コロラド、ワシントン、オレゴン州では個人使用の嗜好用マリファナも合法化されています。またカナダでも、マリファナが非罰化されている現状に合わせ、来春を目処に娯楽用の大麻が合法化される予定です。今後、カリフォルニア州やハワイ州が大麻解禁に踏み切れば、観光で訪れた日本人の利用も飛躍的に増えるでしょう(先日の大統領選に合わせて行なわれた住民投票で、カリフォルニア州でも娯楽用大麻の所有・使用が合法化されました)。

近年の大麻合法化の流れは医療用大麻から始まりましたが、これはがんの疼痛治療などで、従来のモルヒネ系鎮痛剤では効果のない痛みをやわらげることがわかったからです。アメリカの大麻合法化キャンペーンに巨費を投じたのは「ヘッジファンドの帝王」と呼ばれたジョージ・ソロスで、「わたしは好きでマリファナを吸ってるんじゃない。痛みから逃れるには違法な業者から大麻を買うしかないのだ」という患者たちの生々しい声を伝えて世論を動かしました。

タバコやアルコールよりはるかに依存性が低いソフトドラッグのマリファナに対し、より依存性が高いヘロイン、コカイン、覚醒剤などのハードドラッグは欧米諸国でも厳しく規制されています。ところがミルトン・フリードマンやゲーリー・ベッカーなどアメリカを代表する経済学者(どちらもノーベル経済学賞を受賞)は、ニューヨークタイムズなど一流紙でハードドラッグを含む麻薬の合法化を主張しました。

禁酒法下のアメリカではアル・カポネのようなギャングが密造酒で莫大な利益をあげましたが、14年ちかい「高貴な実験」が大失敗してアルコール飲料の製造・販売が合法化されると闇酒に群がる犯罪組織は消滅し、治安も回復しました。メキシコやコロンビアは麻薬マフィアとの戦いで疲弊していますが、非合法組織が暗躍するのは最大の消費国アメリカがハードドラッグに厳罰を課しているからです。コカインやヘロインの製造・販売を法の管理の下に置けば「麻薬との戦争」も終わり、全米の刑務所から多くの囚人が「解放」されるとともに、中南米諸国の治安も劇的に改善するでしょう。

ところで日本では、「麻薬」をめぐるこうした真面目な話はKY(空気を読まない)として嫌われます。大麻をネタにして“おかしな女”をからかって楽しんでいるのに、水を差されるからでしょう。

この国には、口先で「反権力」といいつつ、権力のつくったルールを疑うこともなく、誰にも迷惑をかけていない個人を嬉々としてバッシングするひとがたくさんいます。この思考停止と精神の貧困に、いまの日本社会が象徴されているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年11月14日発売号
禁・無断転載