「ヘンなひと」を黙らせるエポックメイキングな事件 週刊プレイボーイ連載(280)

歴史にはエポックメイキングな事件というものがあります。

日本経済の変調が明らかになった1990年代はもちろん、2000年代になっても、年功序列・終身雇用の日本的雇用制度が日本人(男性サラリーマンだけですが)を幸福にしているとして、成果報酬などグローバルスタンダードの働き方を導入しようとするたびに「雇用破壊」と大騒ぎするひとたちがたくさんいました。じつはさまざまな国際調査で、日本人は会社に対する信頼度がもっとも低く、サラリーマンは会社を憎んでいるということが明らかになっていますが、こうした不都合な事実もすべて無視されてきました。

ところが2007年の世界金融危機後、「正社員になれなければ人生は終わり」というメディアのプロパガンダを利用してブラック企業が台頭し、サービス残業によって若者を最低賃金以下の給与で酷使するようになると、ようやく風向きが変わりはじめました。そして決定的なのは、大手広告代理店の新人女性が長時間労働とパワハラによって過労自殺した事件でしょう。これによって日本的な会社がいかにグロテスクな労働環境かが白日の下にさらされ、「正社員は幸福」という会社原理主義が土台から崩壊したのです。「グローバリズムが雇用を破壊する」と罵声を浴びせていたひとたちは、いまや「日本の会社はけしからん」と叫んでいます。

同じような価値観の転換は、経営側でも起きています。

かつては、株主を会社の所有者とするアメリカ型の会社統治(コーポレートガバナンス)は「強欲資本主義」と呼ばれ、株主だけでなく従業員や地域経済にも配慮し、長期的な成長を目指す「日本的経営」を破壊するものとして蛇蝎のごとく嫌われていました。

ところが2000年代になって、短期的利益しか追求していないはずのアメリカ経済が長期的に成長し、日本経済が長期的に衰退しているという不都合な事実を覆い隠すことができなくなってきました。アップルやグーグルといった新興企業が天を駆けるように成長するのを指をくわえて眺めているだけならまだしも、サムスンや鴻海といった、かつては歯牙にもかけなかったアジアの企業にも追い抜かれるようになって、日本的経営の神話に暗い影が差してきます。

そしていま、日本を代表するエスタブリッシュメントで、歴代の経団連会長を輩出した東芝が巨額損失によって解体の危機に瀕しています。

2015年に発覚した粉飾決算では、大胆なリストラをしようとすると各部門が抵抗し、過去の不祥事を表に出すと名誉職に就いているOBが騒ぐので、経営陣はなにもかも穏便に抑えようとして身動きがとれなくなる「病巣」が指摘されました。今回は、7000億円もの損失を、原子力事業担当の会長が報告するまで誰も気づかないという信じがたい「ガバナンスの不在」が明らかになりました。

日本の会社は「正社員の共同体」で、サラリーマンの勝ち組である経営陣の既得権に触れることは最大のタブーでした。その経営者が実は会社を「統治」などしていないことを暴いたエポックメイキングな事件によって、「素晴らしき日本的経営を守れ」と叫ぶヘンなひとたちもようやくいなくなることでしょう。

『週刊プレイボーイ』2017年3月6日発売号 禁・無断転載

若手女優はなぜ親の宗教に「出家」したのか? 週刊プレイボーイ連載(279)

若手女優が突然、新興宗教団体に「出家」するとして芸能界を引退しました。不安定な人気商売で精神的に追い込まれていたようですが、この団体を選んだのは両親が信者で、自身も子どもの頃から宗教行事に参加していたからでしょう。

このコラムで何度か、「子育てに意味はない」と書きました。子どもに説教しても無視されるのには進化論的な理由があるという話ですが、「矛盾してるじゃないか」と思うひともいるでしょう。若手女優は、ちゃんと親のいいつけどおり熱心な信者に育ったからです。

しかしこの出来事も、現代の進化論の枠組みでちゃんと説明可能です。

アメリカの在野の研究者ジュディス・リッチ・ハリスが子育ての常識に疑問を持ったきっかけは、就学前の移民の子どもたちが母語を忘れ、すぐに英語を話しはじめることでした。子どもの成長が家庭環境で決まるなら、英語を話せない両親との会話に必要な母語をなぜさっさと捨ててしまうのでしょうか?

こうしてハリスは、膨大な証拠にもとづいて次のように主張します。

「家庭のルールが友だち集団の掟と対立した場合、子どもが親のいうことをきくことはぜったいにない」

脳のプログラムがつくられた旧石器時代には、離乳期が過ぎれば母親は次の子どもを産むのですから、幼児の世話をすることはできません。だとすれば子どもは、年上のきょうだいやいとこなど、「友だち」のなかで生きていくほかありません。そう考えれば、親の言葉を捨てて友だちの言葉(英語)を選ぶのは当然です。

しかしこれは、視点を変えれば次のようにいうこともできます。

「友だち集団の掟と対立しない家庭のルールには、子どもを従わせることができる」

私たちは、幼いときに親がつくった料理の味をいつまでも美味しいと感じます。移民の子どもの味覚が変容しないのは、友だち集団に入れてもらえるかどうかの基準に、食べ物の好き嫌いが関係ないからです。――ニンジンが食べられないからといって仲間はずれにされることは(ふつうは)ありません。

同様にハリスは、宗教も「友だちの掟」とは関係がないといいます。スピリチュアルな感覚は人類に共通していますが、宗教は文化的なもので、脳のOSができあがったあとに農耕社会のなかで影響力を持つようになったのです。

子どもたちは、親の宗教によって友だち集団を選ぶことはありません。アメリカなどで、宗教によって子ども集団が分断されているように見えるのは、人種が異なるからです。

進化論的には、子どもは自分に似た子どもに魅かれるようにつくられています。自分のことを親身に世話してくれるのが、きょうだいやいとこなど血縁関係にある仲間であることを考えれば、これも当たり前でしょう。

すべての親が苦い経験として知っていることでしょうが、親は子どもの友だち関係に介入できず、どれほど説教しても音楽やファッションの趣味を変えることはできません――これが友だち集団の内側と外側を分ける指標になっているからです。しかし皮肉なことに、宗教は親から子へと受け継がれ、しばしば世俗化した社会と衝突するのです。

参考:ジュディス・リッチ ハリス『子育ての大誤解』

『週刊プレイボーイ』2017年2月27日発売号 禁・無断転載

アメリカで起きているのは「ふたつのリベラル」の対立 週刊プレイボーイ連載(277)

トランプ旋風があいかわらず止まりません。イスラーム圏の特定の国からの「入国禁止令」は全米ではげしい抗議デモを引き起こし、トランプはメディアでも「暴君」「差別主義者」「サイコパス」などさんざんないわれようです。

しかしその一方で、世論調査では米国人の約半数が「入国禁止令」に賛成しています。さらに興味深いのは、リベラルな若者を中心にトランプを支持する層が増えていることです。

「トランプ・デモクラット(トランプの民主党員)」と呼ばれる彼らはSNSでつながった30歳以下のグループで、その多くが民主党の大統領予備選挙で、格差是正の急進的な政策を掲げてヒラリー・クリントンと争った「民主社会主義者」バーニー・サンダースを応援していました。アメリカの若いリベラルは、民主党主流派と手を携えて新政権に反対するのではなく、民主党員のままトランプに「転向」したのです。

右(共和党)か左(民主党)かの従来の政治思想では、若くてリベラルな民主党員がトランプを支持する現象を説明できません。これを理解するには、メディアや知識人のレッテル張りから距離を置いて、トランプが「リベラル」であることを認めなくてはなりません。

アメリカ独立宣言は、人権と自由・平等を高らかに掲げて近代の画期を開きました。自然権である人権は普遍的なものですから、すべてのひとに平等に適用されなければなりません。こうして奴隷制は正当化できなくなり、南北戦争へと突き進んでいきます。

独立宣言の理念に照らせば、特定の国のひとだけに一方的に入国を制限するのは普遍的な人権に反します。自由の国アメリカは、不幸な難民を平等に受け入れなければならないのです。これを「コスモポリタンなリベラル」の立場としましょう。

ところがトランプは、「アメリカファースト」によって、このリベラリズムを反転させました。彼が重視するのは、「アメリカ人の自由、平等、人権」なのです。こうして、「国民国家が外国人の“入国する権利”より、国民をテロから守ることを優先するのは当然だ」との主張が生まれます。こちらは「ドメスティックなリベラル」です。

トランプはさまざまな「暴言」をTweetしますが、黒人を批判することはありません。彼らも「アメリカ国民」だからです。評判の悪い「国境の壁」もメキシコからの不法移民の流入を止めるためのもので、合法的に市民権を取得したヒスパニックを追い返そうとはしていません。「入国禁止令」についても、あくまでも治安対策で「宗教を信じる権利」は守られると政権は強調しています。

トランプのやっていることは、かなり危ういとはいうものの、どれもリベラリズムの範囲内に収まっています。これが、国内の経済格差に憤慨する「リベラルな若者」がトランプに「転向」できる理由でしょう。

アメリカでいま起きていることは、「コスモポリタン」と「ドメスティック」の2つのリベラリズムの対立です。そして民主政が多数決(人気投票)である以上、アメリカでもヨーロッパでも、もちろん日本でも、「自国民ファースト」のリベラルが常に優位に立つのです。

参考:日本経済新聞2017年2月8日「解剖トランプ流 支持の民主党員台頭」
水島治郎『ポピュリズムとは何か』

『週刊プレイボーイ』2017年2月20日発売号 禁・無断転載