第66回 自虐的プレミアムフライデー(橘玲の世界は損得勘定)

安倍政権と経団連の肝煎りでプレミアムフライデーが始まった。給料日後の月末の金曜日には午後3時で仕事を終え、夕方を家族や恋人、友人たちとの消費(食事や買い物)に充てるのだという。評判の悪い長時間労働を是正し「働き方改革」を推進する効果も期待されている。

ところで、日本は国際的に見て祝祭日の数が抜きん出て多い。8月11日が「山の日」になったことで年間16日になり、正月は三が日を休むのがふつうで、新天皇が即位すればまた1日祝日が増えるから、いずれ年間20日を超えるだろう。それに比べて先進国では、米英独仏などせいぜい年間10日だ。

株式や為替の取引では、海外市場が開いていても国内の金融市場が閉じていて、不便に感じる投資家は多いだろう。祝祭日が増えるのは、日本人が働きすぎで有給の取得率も低いからだという。だが、この理屈はほんとうに正しいのか。

従業員が祝祭日に加え有給まですべて消化すると、会社は労働コストの上昇を危惧するかもしれない。その対策として昇給を遅らせたり、ボーナスを減額されるなら、社員が収入を維持するには、有給を取得せずに労働時間を延ばすしかない。このようにして労働現場では、「祝祭日が増えるほど有給がとりにくくなる」という逆の現象が起きているのではないか。

プレミアムフライデーも同じで、他の日によぶんに働かないと仕事が回らなくなり、土日に家で「サービス残業」するだけ、ということにもなりかねない。日本の労働生産性は先進国でいちばん低いという現実がようやく認知されてきたが、過労死するほど働いてもぜんぜん儲からないのは、こんな非効率なことをやっているからではないのか。

よくいわれるように日本的雇用は、仕事と待遇が一致する「同一労働同一賃金」のジョブ型ではなく、従業員を「身内」とするメンバーシップ型だ。日本の会社では正社員と非正規社員は「身分」で、正規のメンバーでない従業員は待遇で差別され、身内である正社員は、終身雇用・年功序列と引き換えに滅私奉公が求められる。

これまで「日本的雇用が日本人を幸福にしている」とされてきたが、最近になって、社員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、サラリーマンの3人に1人が「会社に反感を持っている」などの調査結果が続々と出てきた。だがこれは驚くようなことではなく、中高年は事実上転職が不可能で、会社という「監獄」に閉じ込められているのだから当たり前だ。

過労自殺が注目され、日本的雇用に国際社会から疑惑の目が向けられるようになって、「お上」の指導で「働き方改革」が始まった。プレミアムフライデーはその一貫だろうが、これは日本のサラリーマンが、自分の仕事を自分で管理できないと世界に示すようなものだ。

「何時に帰るか決めてもらってるの?」とバカにされているのに、かなしいことに、この「自虐政策」に怒るひとはほとんどいない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.66『日経ヴェリタス』2017年3月19日号掲載
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「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」組織で国際貢献できる? 週刊プレイボーイ連載(282)

古代エジプトの遺跡をめぐるナイル川クルーズの起点はアブ・シンベル神殿で、アスワン・ハイダムでできたナセル湖のほとりにあります。神殿の入口ではカラフルな民族衣装の男たちが民芸品を売っていて、ガイドは彼らに目をやると、「ちょっと先のスーダンから来てるんだよ」といいました。「あんな国に行くことはないだろうから、関係ないだろうけどね」

そのスーダンに駐屯している自衛隊の派遣部隊をめぐり、国会が紛糾しました。しかし私を含め、スーダンを訪れたことのある日本人はほとんどいないでしょうし、どこにあるのか知らないひとも多いでしょう。

自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加しているのは南スーダンで、2011年にスーダン共和国から独立しました。歴史的には、エジプトが占領していたスーダン北部はアラブ系住民の多いイスラーム圏、イギリスが統治した南部は黒人の多いキリスト教圏で、1956年の独立後も北部と南部の対立はつづきます。1970年代に南部に油田が発見されると20年におよぶ泥沼の内戦が始まり、アメリカの支援を受けた住民投票で南部独立が達成されてからも、大統領派と副大統領派の部族衝突から内戦が勃発しました。この混乱で国連のPKOが秩序維持にあたることになり、11年9月に当時の民主党・野田政権が自衛隊の派遣を決定しました。

ところがその後も紛争状態は改善せず、16年7月には自衛隊の駐屯する首都ジュバで武力衝突が発生します。国会で問題とされたのは、現地の自衛隊が日報でこれを「戦闘」と記録していたのに対し、防衛相が「衝突」と言い換えて答弁した、というものです。自衛隊が「戦闘」に巻き込まれる恐れが明白になれば、「PKO参加5原則」が崩壊することを危惧したのでしょう。

この論争(というか、言葉遊び)で不思議なのは、「自衛隊員の生命を守れ」というひとはいても、南スーダンのひとたちのことは誰も話題にしないことです。今年2月、国連事務総長顧問は「大虐殺が起きる恐れが常に存在する」との声明を発表しました。ルワンダのような悲劇を防ぐために各国がPKO部隊を派遣しているのですが、「平和憲法の精神」を説くひとたちは、自衛隊を撤収してジェノサイド(民族大虐殺)の危険のなかに住民を置き去りにすることをどう考えていたのでしょうか。

「アフリカの国のことなんてどうでもいい」とか、「国民同士が殺しあうのは自己責任だ」という“ジャパニーズ・ファースト”の政治的主張もあり得るでしょう。ところが自衛隊撤収を求めるひとたちは、「非軍事の人道支援、民生支援に切り替えるべきだ」などといっています。軍隊ですら危険な地域に出かけていく民間人などいるでしょうか。

とはいえ、国民の多くが、なぜ自衛隊が南スーダンで危険な任務に就かなくてはならないか疑問の思っている以上、5月末で活動を終了すると決めたことは正しい判断でしょう。そもそも自衛隊は、「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」という世にも奇妙な組織です。それを国際貢献の名のもとに、PKOという「軍隊」として派遣したことが間違っているのですから。

『週刊プレイボーイ』2017年3月21日発売号 禁・無断転載

自分の妻も管理できない人物に国家を管理できる? 週刊プレイボーイ連載(281) 

大阪府の学校法人が首相夫人を「名誉校長」に迎えて新設する小学校の建設用地として、国有地を格安で随意契約した事件が波紋を広げています。「国民の財産」が不当な安値で払い下げられるのはたしかに大問題ですが、それ以上にひとびとの興味を掻きたてたのはこの学校法人の教育方針で、幼稚園では園児に軍歌や教育勅語を唱和させ、保護者に対して「パンツが生乾きで犬臭い」とか、日本国籍を取得した韓国人の親に「韓国人と中国人は嫌いです」との手紙を送りつけるなど、常識では考えられない“奇行”の数々が暴かれました。国際社会からも「日本の首相夫妻はヘイトなのか」と疑惑の目を向けられかねず、あわてて「名誉校長」を辞任し火消しに躍起です。

とはいえ、首相が国会で「私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」と大見得を切ったのですから、政治的には単純な話です。国有地の格安売却に自らの意向が働いていたとの証拠があれば首相が退陣し、なければ一部の関係者が処分されるくらいで立ち消えになるでしょう。

それより興味深いのは、磐石の権力基盤を築いたはずの安倍首相が、なぜこんなくだらないことで足を引っぱられる羽目になったかです。

学校法人は「日本で初めてで唯一の神道の小学校」をうたい、首相夫人は講演で「こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っている」と激賞しましたが、国会の答弁で首相は「何回も断っているにもかかわらず、寄付金集めに(安倍晋三記念小学校の)名前が使われたのは本当に遺憾」「(学校法人の理事長は)非常にしつこい」などと突き放しています。

事件の全容が明らかになっていない段階ではあるものの、これは首相の答弁にリアリティがあります。日本国の首相であっても、政治家は支持者を批判できません。学校法人の理事長はその弱みにつけこんで、首相の名前を利用して行政に圧力をかけ、有利な条件を引き出そうとしたのでしょう。これは「圧力団体」とか「フィクサー」と呼ばれるひとたちの常套手段で、国有地の売却はこうしたうさんくさい話のオンパレードです。――ちなみの大手新聞社も払い下げられた国有地に立派な社屋を建てています。

だとすれば安倍首相は、妻があやしげな「教育者」に心酔したことでいわれなき非難を浴びた“被害者”ということになります。そしてじつは、自民党だけでなく野党でもおおかたの政治家はそう考えているといいます。

首相夫人は、東日本大震災の復興事業の目玉である防潮堤建設に反対したり、「反安倍、反原発」のミュージシャンと意気投合して沖縄を訪れるなど「家庭内野党」を名乗っていますが、「大麻合法化」を唱えるのは神社の注連縄に日本製の麻を使えるようにするためで、その言動から見えてくるのは“スピリチュアル”への過剰な傾倒です。これが「神道の小学校」に肩入れすることになった理由でしょう。

安倍氏が二度目の首相の座を目指すと決意したとき、夫人は神田の路地裏で居酒屋を経営していました。その天衣無縫さが彼女の魅力でしょうが、しかしこれは、一歩間違えれば夫の政治生命を奪いかねません。しかし首相の有能な側近たちも、夫婦の関係にはいっさい口出しできないようです。

この特異な事件は、「自分の妻も管理できない人物が国家を管理できるのか」という話なのかもしれません。

参考:石井妙子「安倍昭恵「家庭内野党」の真実」(月刊『文藝春秋』2017年3月号)

『週刊プレイボーイ』2017年3月13日発売号 禁・無断転載