なぜイスラームだけが風刺されるのか? 週刊プレイボーイ連載(180)

ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの出版社シャルリー・エブドがイスラーム原理主義の過激組織アルカーイダの指示を受けたテロリストによって襲撃され、雑誌編集長や警官を含む12名が死亡した事件は世界じゅうに衝撃を与えました。フランス全土で370万人が「私はシャルリー」の標語を掲げて街頭に出たことでも、その衝撃の大きさがわかります。

この事件は同時に、「表現の自由」をめぐる議論を巻き起こしました。イスラーム諸国の政治家や宗教指導者たちが、テロを強く非難しながらも、ムハンマドの風刺画がムスリムの反欧米感情を煽っていると反発しているからです。

当たり前の話ですが、表現の自由は無制限に許されるわけではありません。オバマ大統領にバナナを持たせた風刺画が掲載できないのはアメリカが圧力をかけているからではなく、人種差別を助長するような表現に「自由」は与えられないからです。

ひとびとが不快に思う表現にも自ずと限界はあります。過去に欧米のメディアが日本の被爆者や原発事故の被災者を風刺したことがありますが、たいていはいちどの抗議で謝罪や弁明に追い込まれ、同様の表現が執拗に繰り返されることはありません。商業出版はお金を払ってくれる読者がいなければ成立しないのですから、シャルリーの編集者や風刺漫画家たちも社会の良識から大きく逸脱することはできず、表現の許容範囲を常に意識していたことは間違いありません。

それなら彼らはなぜ、ムハンマドの風刺画を掲載しつづけたのでしょうか。それは、「ムスリム(イスラーム信者)の感情に配慮する必要などない」と考えたからでしょう。今回の事件で問題とされたのは「表現の自由」という抽象的な理念ではなく、「ムハンマドを風刺する自由」なのです。

ただしこのことを、「キリスト教社会のイスラームへの差別」と短絡するのは間違いです。シャルリーは政治的には左派の出版社で、宗教的な背景はありませんでした。

イスラームだけがなぜ、風刺の対象にされるのでしょう。

ヨーロッパに暮らすムスリムの多くは、現地の社会と同化・共存しています。彼ら世俗化したムスリムは、人権や自由・平等といった市民社会の価値を受け入れ、コーランを現代に適応するよう読み替えています。

しかしその一方で、イスラーム社会のなかにはコーランを字義どおり解釈して、女性に全身を覆うブルカを強制し、働くことを認めず、自由恋愛を許さないひとたちがいます。シャルリーは市民社会の理念と敵対する彼らに対し、自分たちの不快感を理由に「表現の自由」を抑圧する権利はないと主張したのです。テロ事件後に「(ムハンマドを風刺する)表現の自由を守れ」の大合唱が起きたのは、市民革命発祥の地であるフランスだけでなく、ヨーロッパ全土でこうした考え方が広く支持されていることを示しています。

ヨーロッパの移民問題は、民族や人種の対立というよりも、市民社会の理念を受け入れない宗教との対立だと見なさるようになりました。現代社会の根幹がリベラルデモクラシー(自由な社会と民主政)である以上、変わるべきは宗教ということになりますが、それはとても困難な道なのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年1月26日発売号
禁・無断転載

ISISの存在が突きつけるアラブ諸国の深刻な矛盾

『マネーポスト』新春号に掲載された「ISISの存在が突きつけるアラブ諸国の深刻な矛盾(連載:セカイの仕組み第13回)を、編集部の許可を得てアップします。執筆時期は2014年11月です。

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内戦や紛争で統治が崩壊してしまったシリアとイラクでイスラーム系過激派組織が勢力を拡張している。

日本のメディアは「イスラム国」と報じているが、この名称には問題がある。欧米はもとよりサウディアラビア(スンニ派)やイラン(シーア派)、さらには世界のムスリム(イスラーム信者)のほとんどがこの団体を「イスラーム」とも「国家」とも認めていないからだ。そこでここでは、欧米のメディアにならって「ISIS(アイシス)」と記すことにする。これは彼らの旧称である「イラクとシリアのイスラーム国Islamic State of Iraq and Syria」の略称だ。

CNNなど欧米のメディアでは、ISISは必ず、真っ黒な衣装に身を包み、黒の目出し帽をかぶり、銃を構えて行進する不気味な集団として登場する。それはまるでハリウッドのホラー映画のゾンビのようだ。

実際、彼らの行動はおぞましいのひと言に尽きる。アメリカ人ジャーナリストや人道支援団体に所属するイギリス人を斬首した映像をインターネット上に公開したばかりか、奴隷制復活を宣言し、支配地の少数派異教徒の女性を戦利品として扱っていると報じられた。これがどこまで事実かは議論があるようだが、いずれにせよ現在、世界でもっとも恐れられ、嫌われている集団であることは間違いない。

ところがそんなISISに憧れ、シリアやイラクを目指す欧米の若いムスリムが後を絶たない。日本でも、就職活動に失敗した北大生がムスリムに改宗のうえシリアに渡航しようとしたことが社会に衝撃を与えた。彼の場合は宗教的な動機は薄いようだが、ISISが一部のムスリムに大きな影響力を持つようになったことは間違いない。このおぞましい団体のどこがそんなに魅力的なのだろうか。

カルトの理論がすべて間違っているわけではない

イスラームの知識をほとんど持たない日本人がISISを理解するのに有効なのは、オウム真理教との類比で考えることだ。なぜならISISはイスラームのカルトであり、あらゆるカルトには共通する特徴があるからだ。

オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたあと、メディアは教祖の支離滅裂な言動や、教団を国家に見立て奇妙なホーリーネームを持つ高弟が大臣となる異様な組織を詳細に報じた。しかしこのように、オウム真理教を「論評の価値もない無価値な集団」と見下すと、やがて深刻な矛盾を避けられなくなる。だったらなぜ、一流大学を出た若者が社会的な地位を捨ててまで続々と入信したのか。

ほとんどのメディアは「洗脳」のひと言でこの問題を片づけることにしたが、宗教の専門家のなかには「仏教についてはオウム信者のいっていることが正しい」との指摘もあった。カルトだからといって、その理論がすべて間違っているとはかぎらないのだ。

麻原彰晃とその弟子たちは、こういった。

「日本の仏教はすべてニセモノだ」

なにを根拠に彼らはこのように主張したのだろうか。

ヨハネスブルグは”未来社会” 週刊プレイボーイ連載(179)

昨年末に南アフリカのヨハネスブルグを訪れました。ここは「世界一危険な都市」として知られていますが、実際には一般の旅行者がトラブルに巻き込まれることはほとんどありません。これは治安がよくなったからではなく、(黒人以外の)旅行者が行動できる範囲がきわめて限定されているためです。

ヨハネスブルグで宿泊できるホテルは、実質的にはサントンとローズバンクという郊外の高級住宅地にしかありません。空港で客待ちしているタクシーも危険とされているので、あらかじめ送迎を手配しておきます。東京に例えるなら、羽田空港に着いたら迎えの車で田園調布か自由が丘に行き、都心にはいっさい近づけないという異常な状況です。

高級住宅地には六本木ヒルズのような大型商業施設があり、民間警備会社のセキュリティガードが頻繁に巡回していてきわめて安全です。その周辺も昼間はふつうに歩けますが、夜になると人通りはもちろん車もほとんど走らなくなります。

都心(ダウンタウン)に行くときは市内観光ツアーに参加します。観光といっても街を歩くのは駐車場から大通りを10メートルほどで、ショッピングセンター内のエレベータで展望フロアに上がり、ヨハネスブルグの地理を説明してもらって終わりです。あとは車の中から街の様子を眺めるだけで、これでは野生動物を観察するサファリと同じです。

ヨハネスブルグは南アフリカのビジネスの中心地で大学もあり、現地のガイドブックで「ぜったいに立ち入ってはならない」と書かれているいくつかの地区を除けば、通りを行き交うひとのほとんどは一般市民です。ただし白人はもちろんアジア系の姿もまったく見ないので、ガイドをつけずに歩けばものすごく目立つことは間違いなく、安全かどうか試してみる気にはまったくなれません。

南アフリカはアパルトヘイトという人種差別政策を長く続けてきましたが、現在はすべての人種は平等です。高級住宅地に住む黒人富裕層も多く、そこだけを見れば人種差別は過去の歴史です。ただしこの国の問題は、成功した黒人に対して貧しい黒人が圧倒的に多いことにあります。

タウンシップはアパルトヘイト時代の有色人種居住区で、いまでも廃材とトタンでできた家に暮らすひとたちがたくさんいます。それに加えて国家破産した隣国のジンバブエなどから大量の不法移民が流れ込み、都心の近くにスラム街をつくったり、ホームレスとしてその日暮らしをしています。その結果ヨハネスブルグは、「1%金持ちと99%の極貧層」という究極の格差社会になってしまったのです。

このような社会で暮らすのはどんな感じなのでしょうか。案に相違して、ひとびとはみんな活き活きとしています。怒ったり悲しんだりしていても仕方ないからでしょう。

南アフリカは「小さな政府」のネオリベ国家でもあります。あまりにも貧富の差が拡大してしまったので、いまさら社会福祉を充実させようがないからです。

このようにして、高圧電流の流れる高い塀、監視カメラ、「侵入者は銃撃する」という警告板が街に溢れた“未来社会”が生まれたのです。

『週刊プレイボーイ』2015年1月19日発売号
禁・無断転載

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タウンシップの貧困地域に並ぶトタンの家(Soweto@Johannesburg)
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高級住宅街の高い壁と高圧電線(Rosebank@Hohannesburg)