”進歩的”似非リベラルからまっとうなリベラルへ 週刊プレイボーイ連載(177)

安倍政権の特徴は好き嫌いがはっきり分かれることでしょう。「保守」「愛国」というイデオロギーを前面に押し出しているからで、自民党の福田政権や麻生政権、民主党の野田政権のような“無味無臭”とはかなり異なります。

欧米諸国もそうですが、イデオロギー対立が激しくなるのは、政党が政策で差をつけるのが難しくなったからです。消費税増税も、TPPへの参加も、原発再稼働も、安倍政権の進める政策の多くは民主党政権が決めたことです。日本は1000兆円を超える巨額な借金(これは歴代の自民党政権がつくったものです)によって政策の選択肢がほとんどなくなっているので、誰がやっても同じようなことにしかできないのです。

今回の衆院選で野党は「アベノミクスの失敗」を攻撃しましたが、「2年で2%のインフレにして強い日本経済を“取り戻す”」のが公約だとすると、その結果が明らかになるのは来年で、「失敗する前に選挙をやってしまう」自民党の作戦勝ちになるのは当然です。あとは集団的自衛権や憲法改正で安倍政権の「本性」と暴くしかありませんが、これは有権者の関心が高くなくほとんど効果がありませんでした。

日本はアメリカやイギリスのような二大政党制を目指して小選挙区制を導入しましたが、このままでは当分、政権交代は起こりそうもありません。いちばんの原因は民主党の失敗ですが、それに変わる野党が出てこないことも事実です。なぜ日本では「健全な二大政党」にならないのでしょうか。

共産主義の実験が壮大な失敗に終わったいま、社会の構成原理は自己決定権を持つ市民による「民主政」「法治」「自由な市場」しかなくなりました(中国ですら理念的にはこれに反対していません)。これを「歴史の終わり」と呼ぶかどうかは別として、政治の世界から大きな対立はなくなり、残っているのは「(ささやかな)伝統」を大事にするか、「(ささやかな)理想」を目指すかの違いです。これが「保守」と「リベラル」の対立ですが、日本の場合、自民党のなかにこの両派が混在し、野党においては、いまだに「革命」を綱領に掲げる政党がリベラル勢力の代表のように振る舞っている、という異常な状況が続いています。

その責任は、保守的な自由主義者を「オールドリベラル」と骨董品のように扱い、揶揄中傷してきた「進歩的」なメディアや知識人にあります。彼らは「マルクス」「革命」「共産主義」という言葉に過剰な憧れを持ち、ソ連や中国、北朝鮮の評価を一貫して間違え、北朝鮮の拉致問題を無視し、従軍慰安婦をめぐる誤報を放置してきました。こうした知的退廃の結果、いまでは「保守派は正しくリベラルは間違っている」という話になってしまったのです。

いま日本に必要とされているのは、進歩的なリベラルではなく、まっとうなリベラルです。保守派の正論に対抗するには、集団的自衛権を認め、自衛隊を軍(国家の暴力装置)として憲法に明記したうえで、法による徹底した管理(シビリアンコントロール)を行なうことや、「日本的雇用」という差別制度を改め、同一労働同一賃金や定年制廃止を法定化するなど、「世界標準」の政策を掲げるリベラル政党が出てこなくてはなりません。

「一強多弱」になるのは、弱い側に問題があるからです。選挙結果が気に入らないからといって、駄々っ子のような大人気ない態度はいい加減にやめた方がいいでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年12月24日発売号
禁・無断転載

政治の役割は進化論的な歪みを正すこと 週刊プレイボーイ連載(176)

日本列島には5万年ほど前から縄文人が狩猟・採集をしながら暮らし、紀元前5世紀に朝鮮半島から弥生人が移住してきました。近年の遺伝学や分子生物学の急速な進歩によって墳墓などに残っていた古代人の人骨のDNA分析が可能になり、日本人の出自について新たな知見が積み重ねられています。

体質的にお酒をまったく受けつけないひとは「下戸」と呼ばれ日本では珍しくありませんが、じつはヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸にはほとんどいません。これは医学的には、遺伝的な変異によってアルコールから生じるアセトルアルデヒドを酢酸に分解できないからですが、この変異型には顕著な地域差があります。

これを「下戸遺伝子」と名づけるとすると、その保有率は中国南部の23.1%に対し、北部では15.1%と大きく下がります。北京では宴会で度数の強い白酒を一気飲みし、南に下るに従って度数の低い紹興酒が好まれるようになりますが、これは文化的なちがいというよりもアルコールに対する遺伝的な耐性によってもたらされたものです。

中国南部と並んで世界的に「下戸遺伝子」が多いのが日本で、保有率は23.9%にのぼります。それも近畿地方を中心とした本州中部に多く、東北と南九州、四国の太平洋側で少なくなっており、これは弥生人が中国南部を起源とし、それが(正常型の遺伝子を持つ)縄文人と混血したためと考えられています。

こうした知見から、最近では「縄文人と弥生人は仲良く共存していた」との説も唱えられていますが、果たしてそういい切れるでしょうか。

野生のチンパンジーを観察した動物行動学者は、彼らが集団で弱い群れを襲うことを発見しました。チンパンジーの攻撃ではオスを皆殺しにしてその肉を食べ、メスの抱いていた赤ん坊を食い殺してから性交を行ないます。授乳中は生理が止まって妊娠できないからで、赤ん坊殺しは自分の遺伝子を後世に伝える“進化論的に合理的な”行動です。

チンパンジーと遺伝的にきわめて近接したヒトのオスにも同様の行動原理が埋め込まれていることは、古代から連綿とつづく戦争の歴史を振り返れば一目瞭然です。鉄器という強力な武器を持った弥生人も、自分たちとは姿形の異なる縄文人を敵と見なして殺戮とレイプを繰り広げ、その混血の結果がいまの日本人ということなのでしょう。

私たちは「自分の感情に正直であるべきだ」と思っています。しかし人種差別や性差別をいまだ克服できないように、進化の過程で生まれたプログラムのなかには現代社会にとってきわめて不適切なものがあります。“あるがままに生きられる世の中”とは、90年代の旧ユーゴスラビアのように、宗教や民族に分かれて際限のない殺し合いがつづく地獄のような世界かもしれません。

「政治」のもっとも重要な役割は、ヒトの進化論的な歪みを矯正し、差別や暴力を抑制することです。それに比べれば景気がいいとか悪いとかはどうだっていい話ですが、残念なことにこの優先順位はしばしば逆転してしまうようです。

参考文献:篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックス

『週刊プレイボーイ』2014年12月17日発売号
禁・無断転載

これが今年最後の投稿になります。

よいお年をお迎えください。

橘 玲

アフリカの夜明け。タンザニア上空
アフリカの夜明け。タンザニア上空