不倫騒動を見れば、少子高齢化の理由がよくわかる 週刊プレイボーイ連載(306)

死後20年以上を経てから大人気となった政治家・田中角栄には「越山会の女王」と呼ばれる愛人がいました。”闇将軍“の金庫番として絶大なちからをふるう彼女の存在は周知の事実でしたが、そのことが問題とされることはまったくありませんでした。後年、正妻の娘である眞紀子氏や愛人の娘が、“父親の不倫”“愛人の子ども”という境遇にどれほど苦しんだかを告白しています。

「時代がちがう」というかもしれませんが、興味深いのは、角栄の愛人の存在が公になった1970年代は、いまよりはるかに不倫にきびしかったことです。当時のテレビドラマには、不倫が発覚して夫の両親が嫁の家族に土下座して謝る、というような場面が出てきました。小指を立てた男性が「私はこれで会社を辞めました」と語る禁煙グッズのCMは、いまでは意味がわからないでしょう。

その後、不倫は急速に大衆化して「ありふれたもの」になっていきます。いまでは友人や同僚から不倫の相談を受けても、「大変だね」と思うか、(子どもがいないなら)「そんなの別れちゃえば」ですませるでしょう。

「オレ、不倫してるんだ」とか、「あたし、夫がいるのに好きなひとができたの」といわれて、「そんな不道徳、許されるわけがない!」と怒り出すことはないし、もしそんな反応をすれば「おかしなひと」です。不倫は社会的な事件から個人的な出来事に変わり、他人がとやかく口出しをすることではなくなったのです。

ところが、社会が不倫に寛容になるにつれて、一部のひとに対してだけ不倫はますます道徳的に許されないものになっています。それが、芸能人と政治家です。

芸能人の不倫に対しては「相手の家族がかわいそう」と批判されますが、これはすべての不倫に共通することですから、一般人も同様に断罪されなければなりません。政治家は公人ですから「不倫をするような人物は信用できない」と批判するのは自由ですが、その人物が議員にふさわしいかどうかは次の選挙で有権者が判断することで、刑事犯でもないのに「辞職しろ」と強要するのは民主政治の否定でしょう。

芸能界も政界も閉鎖的な世界で、そこに男と女が押し込められるのですから、恋愛関係が生じないほうが不思議です。知人の国会議員は、「不倫は議員辞職ということになったら、政治家の半分はいなくなる」と真顔でいっていました。

そう考えれば、ネタになる人物の不倫だけが集中的にバッシングされているのは明らかです。標的のほとんどが女性なのは、角栄から「世界のワタナベ」まで、男の不倫は当たり前すぎて面白くないからでしょう。

不倫を批判するひとたちは、「恋愛は独身になってからやれ」といいます。自由恋愛が絶対的な価値になった現代社会で、お互いが独身なら、外国人はもちろん、男同士や女同士であっても恋愛になんの制約もなくなりました。

だとすれば、一連の不倫騒動を見て賢い独身女性が考えることはひとつしかありません。

「結婚して子どもを産むとロクなことはない」

日本で少子高齢化が進む理由がよくわかります。

『週刊プレイボーイ』2017年9月25日発売号 禁・無断転載

ミサイルはこれからもどんどん飛んでくる 週刊プレイボーイ連載(305)

北朝鮮の金正恩委員長が「日本人を驚愕させる」として打ち上げた中距離弾道ミサイル「火星12」が、北海道を通過して太平洋に落下しました(北朝鮮は9月15日にも北海道上空を通過するミサイルを打ち上げていますが、このコラムは8月29日の打ち上げ後に書いたものです)。

これを受けて安倍首相はトランプ米大統領と電話会談を行ない、国連安保理の緊急会合で北朝鮮非難の声明が出されました。しかし、度重なる北朝鮮のミサイル発射で明らかなように、「国際社会の圧力」は何の効果もありません。

もうひとつはっきりしたのは、北朝鮮が日本の足元を見ていることです。グアムに向けてミサイルを発射すればアメリカはなにをするかわかりませんが、日本列島を超えるだけなら、「キャンキャン」騒ぐだけでなんの実害もないのです。

これはゲーム理論における、古典的な「相互確証破壊」の問題です。相手への攻撃を控えるのは、そのあとの報復が怖いからです。平和憲法で手足をしばられ、「9条」をお経のように唱えているだけなら、これからもどんどんミサイルは飛んでくるでしょう。この単純な事実に国民が気づいたときになにが起きるか、護憲派のひとたちは真剣に考えるべきです。

金正恩の狙いは、核弾頭を搭載したICBM(大陸間弾道弾)が米本土を射程に収めつつあることを誇示することです。トランプ大統領は中国(習近平)との“ディール”によってこの問題を解決しようとしましたが、こちらもまったく上手くいっていません。最大の失敗は、大統領選の公約だとして、さっさとTPP(環太平洋パートナーシップ協定)から離脱したことでしょう。

TPPは自由貿易を推進すると同時に、経済版の「中国封じ込め」として構想されました。中国がもっとも警戒していたのは、TPPにEUまで加わり、自由なグローバル市場(民主国家連合)から排除されることでした。野党時代の自民党はTPPに否定的でしたが、政権を奪ったとたんに前のめりになったのも当然です。

日本では「TPPはアメリカの陰謀だ」と大騒ぎするひとがたくさんいましたが、トランプは「TPPはアメリカにとってなにひとついいことがない」として離脱しました。中国と“ディール”する最強のカードを自ら捨ててしまったのですから、あとはなにをいっても「のれんに腕押し」です。米中経済は複雑にからみあっており、貿易摩擦を激化させる政策はアメリカ国内から強硬な反対が出て、身動きがとれなくなってしまうのです。もはや中国は、トランプを「うるさく吠えるイヌ」と見透かしているかもしれません。

今回は全国瞬時警報システム「Jアラート」が発令され、東京でも一部の鉄道会社が運休を決めるなど混乱が広がりました。大気圏外のはるか上、国際宇宙ステーションとほぼ同じ高度を飛行するミサイルからどう“避難”すればいいかなど、だれも知らないのですから無理もありません。

金日成が死去した1994年、アメリカは北朝鮮の核施設を攻撃し、体制を転覆させることを真剣に考えたと思われます。当時の中国は天安門事件の混乱からようやく国際社会に復帰しはじめたばかりですから、リアリストの鄧小平は、条件次第ではこれを容認したかもしれません。

しかしその後、中国の爆発的な経済成長によってこの機会は永遠に失われてしまいました。日本人はこれからも、奇怪な隣人に右往左往するしかなさそうです。

『週刊プレイボーイ』2017年9月11日発売号 禁・無断転載

第70回 果てしなき意見調整の難しさ(橘玲の世界は損得勘定)

意見のちがうひと同士が折り合うのはむずかしい。「エスカレーターにどう乗るのが正しいか」という、ささいなことでもこれは同じだ。

かつては、エスカレーターは立って乗るもので、急ぐひとは階段を使うのがふつうだった。それが変わったのは(たぶん)1980年代半ばで、山手線の駅のエスカレーターで、外国人の男性に英語で熱心に話しかけている女性に向かって、「おばさん、みんな迷惑してるんだよ!」と怒鳴る男がいて、ものすごくびっくりしたのを覚えている。

このあたりから急速に、東京はエスカレーターの左に立って右側を空け、大阪は右に立って左側を空けるのが常識になった。

じつはこれは日本だけのことではなく、中東のイスラームの国でも、ロシアのような旧共産圏でも(あるいは、だからこそ)エスカレーターの片側を空けるのが当然になっている。そのため海外に行くと、真っ先に「右立ち」か「左立ち」かを確認する癖がついてしまった。

ところが最近になって、「エスカレーターは2列に並んでご利用下さい」という表示を見かけるようになった。「均等に体重がかかるように設計されているから」ともいうが、近所の家電量販店では、エスカレーターを駆け上がって子どもがケガをする事故があったかららしい。

そもそもデパートなどの商業施設では、慌てているひとはほとんどいないのだから、エスカレーターの片側はずっと空いたままだ。家族や友人同士で並んで立つようにすれば、バーゲンのときなどに無駄に行列をつくることもなくなるはずだ。

とはいえ、駅のエスカレーターでは電車の乗り継ぎなどで急いでいるひともいるから、優先ラインを空けておいてあげたほうが親切だろう。ということは、商業施設では並んで立ち、駅では片側に立てばいいのだろうか。

しかしこれは、さらなる混乱を招く可能性が高い。いちいち表示しないかぎり、歩道橋のエスカレーターのような紛らわしいケースでは、利用者はどちらのルールに従えばいいかわからなくなってしまうのだ。

そもそもエスカレーターは、利用者が歩くためのものではない。そのため最近では、“啓蒙”を目的に駅のエスカレーターに並んで立つひともいて、トラブルになることもあるようだ。急ぐほうにも事情があるのだから、鉄道会社も困惑するだろう。

そのためか、最近の商業施設では、エスカレーターの幅を狭くして1列でしか使えなくしたところも出てきた。どうせ利用者が片側立ちするなら輸送効率は同じだし、「エスカレーターの正しい乗り方」をめぐって口論が起きる心配もない。とはいえ、混雑する駅でこの方式を導入するのは難しいだろう。

ところでこの話のポイントは、エスカレーターの乗り方のようなことですら話し合いで意見のちがいを調整するのはきわめてむずかしく、物理的に強制する以外に有効な解決法はない、ということだ。だとすれば、宗教や民族、国家を理由にした意見のちがいがどうなるかは考えるまでもないだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.70『日経ヴェリタス』2017年8月3日号掲載
禁・無断転載